びっくりするほどユートピア
文字数 1,996文字
スマートグラスに仕込まれたディスプレイに霊の輪郭が黄色いラインで表示されていた。
俺はそれに向けて手のひらを突き出す。ぞわぞわする冷感と軽い抵抗。それは霊に触れた感触だ。
「破ッ!」
俺は気合いを込めて言葉を放つ。同時に触れてた霊が弾けた。
『除霊確認。これで二階は終わりだ。三階に上がれ〝寺生まれ〟』
人気 のない深夜の廊下を俺は足早に進む。校舎の中に俺の足音が大きく響いた。
「〝カメラ小僧〟、そっちの時刻は?」
ディスプレイ端に表示されている時刻を見ながら訊く。自分の見ている時刻が正しいかの確認だ。
「午前一時五十三分だ」
返ってきた答えは、俺が見ている数字と同じだった。
「丑三つ時まであと七分。手間取ったな」
草木も眠る丑三つ時。午前二時から三十分間は、霊たちの力が最も強くなる。
俺は――俺たちは二人組の退魔師だった。今はとある私立の高校で依頼された仕事の真っ最中だ。〝寺生まれ〟や〝カメラ小僧〟というのは仕事で使う通り名になる。霊に本名を知られないための対策だ。
ちなみに俺の通り名は〝寺生まれ〟でも、ごく普通のサラリーマン家庭の生まれだ。いま着ているのも袈裟ではなく普通のパンツにジャケット。なんでそんな通り名になったのかは知らない。けど相棒がそう呼ぶのでそのままにしている。
霊感も弱い方で霊を見ることも声を聞くこともできない。ただし触れることはできた。霊が現れると気温が下がるというが、俺は霊に触れても気色の悪い冷たさを感じる。そして触れさえすれば俺は除霊できる。
相棒の〝カメラ小僧〟はカメラを使った念写ができた。俺はあいつが念写して画像処理した霊をスマートグラス越しに見ているのだ。いつも車の中からサポートをしている。
階段を上がり俺は三階へと来た。
「次はどこだ?」
『見える範囲内ではいないな』
確かに送られてくる映像の中に霊の姿はない。
「なるほど。お前は虐められていたのが悔しかったのだな」
廊下を進んでいくと教室の中から少年の声が聞こえてきた。俺は半開きになった扉から中を覗く。暗視処理された画像のおかげで教室の様子がはっきりと見える。
線の細い少年が立っていた。両手にはオープンフィンガーの革手袋。着ているのはやたらとベルトの装飾がついたジャケットとパンツ。右目は革製のごつい眼帯で覆われている。いわゆる厨二病スタイルだ。
「〝ユートピア〟じゃねーか」
少年は俺たちが〝ユートピア〟と呼んでいる同業者だった。
「お前は繊細過ぎたのだ。現世に生きる殆どの者は鈍感だ。そして愚かだ。故にここに留まり復讐をしても奴らは変わらぬ。無念は決して晴れぬのだ」
〝ユートピア〟が話しかけているのは少女の形をした黄色の輪郭線。俺に見えるのは輪郭線だが奴にはちゃんとした形で見えてるはずだ。
「我が理想郷に来い。そこは誰も邪魔されず、自然のままでいられる世界だ。そこで暮らせば無念も消えるだろう」
低くはないが落ち着いた声。尊大な物言いの割になぜか安心感を覚えてしまう声。割り込もうとした俺が、思わず足を止めて聞き入ってしまうほどに。
霊が僅かに頷いた。
「よく決心した。歓迎するぞ」〝ユートピア〟は両手を高く上げる。「びっくりするほどユートピア! びっくりするほどユートピア!」
突如、素っ頓狂な声で叫びながら〝ユートピア〟は自分のお尻を両手で何度も叩き始めた。
先程までの態度とのギャップに、俺は吹き出してしまう。こいつの除霊は何度も見ているが本当に慣れない。俺たちがこいつを〝ユートピア〟と呼ぶのはこの巫山戯 た除霊方法のせいだ。
だがなぜか効果は抜群だった。以前、退魔師十人を退けた悪霊を相手にした時も、同じ方法で除霊しやがったのだ。
今回もこいつに吸い込まれるように、霊が一瞬で消える。
「〝寺生まれ〟か。覗き見をした上に笑うとは下品な輩め」
「横取りはルール違反だぜ、〝ユートピア〟」
笑いを収めると、俺は〝ユートピア〟に向かって凄んでみせた。だがこいつは涼しい顔をしてこちらへ歩いてくる。
「我の名は〝無何有郷 〟だと何度言……いや、その歳では物覚えが悪くなるのも仕方なしか」
「俺はまだ二十八だっ。お前とひと回 りくらいしか変わんねーだろ!」
「なら若年性健忘症か? 病院に行くといい」
「このっ」
俺は横をすり抜けていく〝ユートピア〟の肩を掴もうと右手を伸ばした。だが触れようとした瞬間、刺すような痛みを伴った冷気が右手を襲う。俺はそれ以上手を伸ばすことができなくなる。
「お前が除霊したことにすればいい」
振り返りもせず〝ユートピア〟は去って行った。宙を彷徨う右手だけがその場に残る。
先程〝ユートピア〟に感じたもの。あれはとびっきりタチの悪い霊から感じるのと同じ類の――。
「なぁ相棒。あいつ、人間だよな?」
奴の出て行った扉をじっと見つめる。ディスプレイに映る時刻は「2:05」を表示していた。
俺はそれに向けて手のひらを突き出す。ぞわぞわする冷感と軽い抵抗。それは霊に触れた感触だ。
「破ッ!」
俺は気合いを込めて言葉を放つ。同時に触れてた霊が弾けた。
『除霊確認。これで二階は終わりだ。三階に上がれ〝寺生まれ〟』
「〝カメラ小僧〟、そっちの時刻は?」
ディスプレイ端に表示されている時刻を見ながら訊く。自分の見ている時刻が正しいかの確認だ。
「午前一時五十三分だ」
返ってきた答えは、俺が見ている数字と同じだった。
「丑三つ時まであと七分。手間取ったな」
草木も眠る丑三つ時。午前二時から三十分間は、霊たちの力が最も強くなる。
俺は――俺たちは二人組の退魔師だった。今はとある私立の高校で依頼された仕事の真っ最中だ。〝寺生まれ〟や〝カメラ小僧〟というのは仕事で使う通り名になる。霊に本名を知られないための対策だ。
ちなみに俺の通り名は〝寺生まれ〟でも、ごく普通のサラリーマン家庭の生まれだ。いま着ているのも袈裟ではなく普通のパンツにジャケット。なんでそんな通り名になったのかは知らない。けど相棒がそう呼ぶのでそのままにしている。
霊感も弱い方で霊を見ることも声を聞くこともできない。ただし触れることはできた。霊が現れると気温が下がるというが、俺は霊に触れても気色の悪い冷たさを感じる。そして触れさえすれば俺は除霊できる。
相棒の〝カメラ小僧〟はカメラを使った念写ができた。俺はあいつが念写して画像処理した霊をスマートグラス越しに見ているのだ。いつも車の中からサポートをしている。
階段を上がり俺は三階へと来た。
「次はどこだ?」
『見える範囲内ではいないな』
確かに送られてくる映像の中に霊の姿はない。
「なるほど。お前は虐められていたのが悔しかったのだな」
廊下を進んでいくと教室の中から少年の声が聞こえてきた。俺は半開きになった扉から中を覗く。暗視処理された画像のおかげで教室の様子がはっきりと見える。
線の細い少年が立っていた。両手にはオープンフィンガーの革手袋。着ているのはやたらとベルトの装飾がついたジャケットとパンツ。右目は革製のごつい眼帯で覆われている。いわゆる厨二病スタイルだ。
「〝ユートピア〟じゃねーか」
少年は俺たちが〝ユートピア〟と呼んでいる同業者だった。
「お前は繊細過ぎたのだ。現世に生きる殆どの者は鈍感だ。そして愚かだ。故にここに留まり復讐をしても奴らは変わらぬ。無念は決して晴れぬのだ」
〝ユートピア〟が話しかけているのは少女の形をした黄色の輪郭線。俺に見えるのは輪郭線だが奴にはちゃんとした形で見えてるはずだ。
「我が理想郷に来い。そこは誰も邪魔されず、自然のままでいられる世界だ。そこで暮らせば無念も消えるだろう」
低くはないが落ち着いた声。尊大な物言いの割になぜか安心感を覚えてしまう声。割り込もうとした俺が、思わず足を止めて聞き入ってしまうほどに。
霊が僅かに頷いた。
「よく決心した。歓迎するぞ」〝ユートピア〟は両手を高く上げる。「びっくりするほどユートピア! びっくりするほどユートピア!」
突如、素っ頓狂な声で叫びながら〝ユートピア〟は自分のお尻を両手で何度も叩き始めた。
先程までの態度とのギャップに、俺は吹き出してしまう。こいつの除霊は何度も見ているが本当に慣れない。俺たちがこいつを〝ユートピア〟と呼ぶのはこの
だがなぜか効果は抜群だった。以前、退魔師十人を退けた悪霊を相手にした時も、同じ方法で除霊しやがったのだ。
今回もこいつに吸い込まれるように、霊が一瞬で消える。
「〝寺生まれ〟か。覗き見をした上に笑うとは下品な輩め」
「横取りはルール違反だぜ、〝ユートピア〟」
笑いを収めると、俺は〝ユートピア〟に向かって凄んでみせた。だがこいつは涼しい顔をしてこちらへ歩いてくる。
「我の名は〝
「俺はまだ二十八だっ。お前とひと
「なら若年性健忘症か? 病院に行くといい」
「このっ」
俺は横をすり抜けていく〝ユートピア〟の肩を掴もうと右手を伸ばした。だが触れようとした瞬間、刺すような痛みを伴った冷気が右手を襲う。俺はそれ以上手を伸ばすことができなくなる。
「お前が除霊したことにすればいい」
振り返りもせず〝ユートピア〟は去って行った。宙を彷徨う右手だけがその場に残る。
先程〝ユートピア〟に感じたもの。あれはとびっきりタチの悪い霊から感じるのと同じ類の――。
「なぁ相棒。あいつ、人間だよな?」
奴の出て行った扉をじっと見つめる。ディスプレイに映る時刻は「2:05」を表示していた。