第7話 表紙を曲げるな!
文字数 2,780文字
「……いや、言ったのは棚橋だから」
ちゃんと聞いてた? 気を揉んでいた棚橋が浮かばれねえぜ……。
「つーかちょっと待て。なんだよ、タイセイって」
いつの間にか定まっていた呼び名にそう言わずにはいられない。
「え? だってタイセイはタイセイでしょ?」
意味がわからないというように首を傾げる小鳥遊由海。まあ、確かに名字が同じならそうやって呼ぶしかないわな……。
家族以外から下の名前で呼ばれることが少なかったからすごい違和感を覚えるけど。
「どうしたの?」
邪念の一切含まれていない澄んだ瞳で見つめられると対応に困る。
「なんでもねえよ」
やりづらくなって目を逸らす。
あどけない態度が俺の他人と付き合う姿勢に揺らぎをもたらしてくる。直截な感情を何の謀もなく吐き出してくる人間を相手にすると、こちらもつられてうっかりと心の底を見せてしまいそうになると知った。
こいつ、何気に恐ろしいやつだな……。
相手を知ることで見えなかった一面が表層に現れる。すると今まで抱かなかった意識が湧いてくる。
少しやりにくくなったかも。俺は生まれた苦手意識を別の場所へ視線を逃がすことで誤魔化し、凌ぐことにした。
「たくさん持ってるよな」
「なにが?」
「本の話さ」
俺は目線で本棚を指し示す。
「うん。好きだからね」
小鳥遊由海は淀みなく答えた。こういうことはスムーズに自分の意見を言えるのな。また新たな発見だ。
「ふうん」
これだけ大量に集めているのだから面白いのかと俺は興味本位で手を伸ばし、本棚から適当に一冊抜き取ってみる。
ペラペラと捲って中身に軽く目を通す。ふむ、小説だがイラストがページの合間に何点か挟まってるな。表紙から予想はついていたが、これはいわゆるライトノベルというやつか。
「なあ、これって……」
振り返り、会話の弾みとして訊ねようとしたところ
「表紙を曲げるな!」
「えっ」
いきなり恫喝されてしまった。
目つきが厳しい。
どうやら小鳥遊由海は怒っているみたいだった。
一体なんだというのだ……。
「貸して」
本の持ち主はわざわざ腰を上げて立ち上がり、床に転がるゴミを跨いで頬を膨らませながら歩み寄ってくる。
「……おう」
こいつの情緒不安定なところには慣れてきたつもりだったが、
こうして急激なアップダウンをあらためて見せつけられるとやはりついていけない。
そんなことを思いつつ、俺は手にしていたライトノベルを言われるがまま小鳥遊由海に渡した。
「むぅー」
受け取ると、小鳥遊由海はむくれ顔で本の表紙を撫でつける。あざとく唇を尖らせやがって。と思ったり思わなかったり。
しかし一体どこに彼女の逆鱗に触れる箇所があったのだろう。
まったくわけがわからなかったが、その答えはすぐに小鳥遊由海自身の口からもたらされた。
「本が傷むから背表紙はこうやってまっすぐの状態で読んで」
目の前で読み方の実例を実践しながら小鳥遊由海はそう言った。要はページを湾曲させずに読めということらしい。
面倒くせぇ……。
「……おぅ、わかった」
首肯したものの、もとから大してなかった興味。
細かい注文をつけられてまでそれを維持することは相当難易度の高いことで。あっさりとなけなしの興味は失せてしまった。俺は返されたライトノベルをそのまま本棚の元の場所へ戻した。
別にちょっとした好奇心で目を通そうとしただけだしな……。神経をすり減らしてまで読もうとは思わない。
「…………」
「なんだよ」
「なんでもない」
訊ねると、プイっとそっぽを向かれた。小鳥遊由海が残念そうな顔で俺を見ていたように感じたのは勘違いだっただろうか。
「このラノベ、貸すから絶対読んで」
帰り際、小鳥遊由海が一冊のライトノベルを俺に差し出してきた。
「借りていいのか? 大事なんだろ」
読み方にケチをつけてくるくらいだ。
表紙に傷がついたとかなんとか後でグチグチ言われる可能性が大いにある。できればご遠慮したい貸与提案だった。
「大丈夫。こっちは布教用だから。普通に読んでいいよ」
「……あっそ」
何だよ布教用って。本棚に入ってたのは何用なんだよ。何種類も同じものを取り揃えているのかよ。
「面白いから。続きも八巻まであるから」
熱烈に推してくるその勢いに断ることなど出来るはずもなく。
「まあ、暇なときに読んでみるよ」
俺はしぶしぶ借りてやることにしたのだった。
家に帰った俺は何をするでもなくダラダラ過ごした。
そして飯を食って風呂に入り、もう後は寝るだけとなった頃合い。就寝時間にはまだ少々早い。他にやることもなかった俺は小鳥遊由海から借りたラノベで間を埋めることにした。
あいつには暇があったらなどと格好つけて言ってはみたが特に打ち込むものもない俺はその実、起きている時間の大半が暇なのである。
まあそれはそれとして。
どれ。時間をつぶすために目を通してやるとするかね。
俺は机の上に放り出してあったライトノベルを手に取り、ベッドに寝転びながら本を開く。
本を読むのは久しぶりだ。
俺は漫画も週刊誌でたまにいくつか読む程度で基本的に創作物に触れる機会が少ない。
小学生くらいの時は周知の読書好きだったんだがな。
いつからだろう、俺が空想の世界に思いを馳せなくなったのは。
興味を持てなくなったのは。虚構の世界に身を投じることへ虚しさを覚えるようになったのは。
「…………」
そうやって特に期待も持たずに読み始めてみたものだったが、読んでみると存外面白く、自分でもびっくりするくらいすらすらとページが進む進む。
まあこうやって手軽に読めるのがライトノベルの長所なのだろうけど。俺は久しぶりに触れた活字の物語に引き込まれていった。
「ほう……」
結局、俺はそのまま一気にラストまで読み終えてしまったのだった。
「ふぅ……」
読了した際に訪れる特有の達成感と虚脱感に息をつく。懐かしくもあり、心地よくもある久々の感覚であった。
これではまったく小鳥遊由海の思惑通りで悔しいが、続きが気になる。
しかし、受け取った際に仕方なく借りてやった感をだしてしまっていたので昨日の今日で借りに行くのはちょっと恥ずかしい。
つまらないプライドである。
が、気になるものは気になる。
だが自分で買うというのも抵抗がある。
下手に一巻を読んでしまった分、続刊からというのも本棚に並べた時に不揃いで気持ち悪い。
なら一巻も買えばいいだろとなるが、考えてみろ。
一度読んで内容を知っているものをわざわざ買い直すことに積極的になれるか? それにぶっちゃけ、本来ならタダで読ませてもらえるものに出資するというのは大変アホらしい。
…………。
俺は考えた。
そうだ、あそこに行けば買わずとも続きがあるかもしれない。俺は自分のひらめきに思わず指をパチンと鳴らした。
うん、我ながらキモい行為だ。