第1話

文字数 1,922文字

ふと見上げた空があまりにも灰色に染まっていた。
今日は午後から雨が降ると今朝みた、ワイドショーで言っていたのを
思い出した。
別のニュースにばかり気を取られていたのに、なぜ天気予報を覚えていたのかは
わからないが、無意識で今日の事でも考えていたのだろうと思った。
東京駅の構内は、若干蒸し暑い。9月も後半だというのに、まだ猛暑の余韻は続いていた。
外回りの帰りにアイスコーヒーでも飲みたい気分になり、スターバックスによる途中で
財布が無いことに気づいた事に少しぐったりしながら。
斉藤舞子は、もう一度書類とパソコンで重くなった鞄を漁った。
確に出かける前に入れたはずなのに、どこを探してもない。
Suicaに残ってる残高で、会社に帰るだけの残高は残っていたが
少し高めのコーヒーを飲むだけの余裕が無い。

今日のワイドショーのせいだ。
あんなに早く報道するなんて、と舞子は思った。
このまま会社に帰れば、いいのだけど今日はそんな気分になれずに
東京駅でぶらぶらしていた。

部長から期待されていた商談が、無くなったのだ。
正確には、保留と相手側のバイヤーが言っていたが
その言葉のいみに、今後オタクとの取引はないよというニュアンスが含まれていた
事は、いくら2年目の自分でもわかると思った。
昨日何度も確認した、プレゼンの資料に2秒も目を通さず、
そのまま机の前に置かれたまま、再び開かれることはなかったから。

営業の仕事で一番辛いのは、相手にもされないこと。
目の前にいるのに、そこに存在していないような扱いを受ける
ゴミを見るような目で、この無駄な時間を使っていることに感謝しろと
言わんばかりの態度を取られる。
最近商談に失敗ばかりしていたから今日こそはと臨んだが
端にも棒にも引っ掛からず、この時間まで
過ごしていた。

改札前で大きなため息をつき、仕方なく会社に戻る事にした。


あのゴミを見るような目は私は知っている。
それは生まれてから今まで私に注がれていた目と同じなのだ。
どんなにいい子でいたって、どんなに頑張っても
報われなかった時に、必ずあの目が私を苦しめていた。

よく、父が言っていた。
結果さえ良ければ、過程がどうであったっていい。
合理的で、感情のない父らしい言葉だった。

愛された記憶はない。生まれてからずっと。

だからこそ、ああなった。あなたのその考えのせいで
私の家族は崩壊したのだ。と舞子は思った。

多分、そんな事も少しも思っていないだろう。
でも、結果が全てなのだから
そういう事だ。

改札口を通って、京葉線の長い通り道を歩きながら、
このままどこか遠くへ行ってしまおうかと考えた。

会社に帰って何を聞かれるだろう。
商談のこと、手応え、もしかして今朝のニュースの事もかもしれない。

どっちにしろ、もうどうでもよかった。
私には、もう逃げ道がないのだ、ただ一つを除いては。
それは希望の光とも思われた。今朝届いたライン。
これで、自由になれます。その言葉だけが最後の一文に書いてあった。

構内のベンチに腰をかけながら、隣の中年の男性が読んでいるスポーツ新聞を見つめる。

「一家惨殺―――――犯人は行方不明の長女かーーーー」

さすがスポーツ新聞は早いなと思った。
一昨日起こったそれは、正確にいうと起こしたそれは、ずっと計画していたことだった。
前準備も、入念に行った。指示通り、落ち度がないように。
どこで包丁を購入したか、いつ行うのか、時間も、温度も、正確に。
だから案外スムーズに行えた。
多分、母と弟は、苦しまずに逝っただろう。
ただ父だけは苦しめたかった。それは計画の中で最重要事項だった。
苦しめて、苦しめて、命乞いをさせた時、この計画は成功だと思った。

ただ思ったより、早くに見つかってしまったことだけは計画外だった。
叔母から電話があり、こちらで葬式があるので泊めて欲しいとのことだった。

断る理由もなくて、承諾したがそれが誤算だった。
計画では、3日後に発見される予定だったのに。

それ以外は完璧だった。きっとみんな褒めてくれるだろう。
そう思うと少し心が軽くなった。

生きづらかった人生に、せめてもの彩を。
そう言葉をかけてくれたあの人にも誇れるだろう

南船橋ゆきが5分だけ遅れて入ってくる。

私は白線の内側に立った。
いつの間にかに収まっていた頭痛が、心を軽くさせた。
風に揺られて金木犀の香りがした。

いい香りだ。

ふと横を見ると、知っている顔を見つけた。

あの人だ。どうしてこんなところにいるんだろう。でもとても嬉しかった。
もう一度会いたいと思っていたから。
そう思った瞬間あの人が優しく微笑んだ。

ああ、これが贖罪なのですね。あなたがよく言っていた。

赦してください、永遠でなくてもいいから。
そう呟きながら
私は全て納得して、京葉線に飛び込んだ。
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