第1話
文字数 1,988文字
「さよちゃん、今からかまくら作ろっか?」
「かまくら?」
そういうと、裕美はガレージの前にある雪かきショベルを二つ持ってきて、
「ほら、佐代子も」と、渡した。
「さよちゃんはかまくらなんて知らないでしょ?
私は姉さんと2人で遊んだ思い出あるんだけどね。」
「そうなんだ。」
雪国の母の実家に帰省するのは、夏がほとんどで、冬の帰省は10年以上ぶりだ。東京で暮らす私に、雪の記憶はほとんどない。
母屋の裏にある敷地には、この冬に降り積もった雪が、二階建ての屋根までもうすぐ届きそうだった。裕美は慣れた様子で雪山に登る階段を作り始めた。ふわふわした雪をショベルでかいて足で踏み固めて階段を作る。たどり着いた先は一面雪の海だった。降ったばかりのふわふわの雪が、粉砂糖みたいに広がって、陽の光を受けてキラキラしている。
「さよちゃん、そこ、ズボッと沈むかもしれないから歩く時気をつけて。」
ケーキを切り分けるみたいに、大きな雪の塊を移動させ、裕美はあっという間にかまくらにする雪山を作った。2人でそこから穴をあけて、まわりを固くなるように叩いて形を整えて、日が暮れる前には大人が2、3人入れるかまくらが完成した。
「あー、腰が痛ーい。さよちゃんも大変だったでしょう。お茶でも入れてくるから、かまくらで休んでて。」そう裕美が言って、母屋のほうに降りて行ったので、一人残った私は、完成したばかりのかまくらにそっと入ってみた。
なんて、静かなんだろう。一人きりになったせいか、かまくらの中は静寂に包まれていた。ここは雪の香りと凛とした感覚だけをまとった世界だ。聞こえてくる全ての雑音から解放された、こんな世界は初めてだった。目を閉じて、思い切り空気を吸い込むと、寒さで鼻がくっついたような感じがした。雪の匂いに、この街の匂いが溶けている。
お待たせ、と裕美が戻ってくると、一緒に母親の尚美もいた。尚美と帰省はしたものの、最近ギクシャクしていた。多分、私が学校に行かないことを良く思っていない。2学期に入ってから、私は学校を度々休むようになってしまった。中学2年。部活で先輩と上手くいかないことがあって、そこから学校に行きにくくなった。でも尚美には話してない。聞かれないし、別に話したところで尚美が助けてくれる事でもない。
「さよちゃんは、まだブラックは飲まないよね。
ミルクとお砂糖入りのコーヒー、どうぞ。」
「姉さんと私はブラックねー。」
裕美には子供はいないが、人の気持ちを察するのがとても上手いようで、小さな頃から私の気持ちは見抜かれていたと思う。
「さよちゃん、なんか最近恋の悩みとか!?
いつものさよちゃんの元気ないよね?」
やはり裕美はどこか鋭い。
「学校、行ってないもんね。」
ぼそっと手元のコーヒーカップに目をやりながら尚美が言った。
「え?そうなの?」
裕美が少し驚いた表情を作ったが、すぐにいつもの笑顔で、
「姉さんと一緒だぁ。親子だねぇ。悩みが増えてくる年頃だもんねぇ。」と言った。
「え?母さんも?」
予想外の話に思わず私は聞き返してしまった。
「そうよ。姉さんも中学くらいん時に、友達とあれこれあって、ずーっと学校行ってなくてね。でも家にいると父さんに叱られるからって、庭に作ったかまくらの中でずっと小説読んだり、時間潰してて。私が学校帰りにお菓子差し入れしたりして。」
裕美が尚美の顔色を伺いながらもその時のことを詳しく教えてくれた。あまりにも記憶が鮮明で、尚美も驚いているに違いない。そんな裕美を気にする様子もなく、尚美は何も言わず、少しだけ口角を上げてからカップに口をつけた。
尚美にそんな時があったなんて想像もできなかった。いつも言葉数が少なくて、朝早く起きて家事を済ませると夜遅くまで仕事に行く。そんな毎日を、文句や愚痴一つ言わずに淡々とこなしている母親だった。私がまだ赤ちゃんの時に父が亡くなって、それからずっと一人で、大変だったと思う。言葉にしなくても、尚美の少しだけゴツくて、年齢の割にはシワが多い手を見ると、彼女の過ごしてきた時の重さを感じる時があるのだ。そんな強い尚美に、私の弱さをわかってもらえるはずなどないと、どこかで思っていたのに。
「さよちゃん、姉さんも昔は甘いコーヒーしか飲めなかったのよ。色々あって、今なのよ。みんな。」
裕美は茶目っ気いっぱいの笑顔で得意げだった。
「暗くなってきたからそろそろ家でゆっくり飲もうよ。」そう言って、裕美は自分と尚美のカップを持って、首をすくめて寒そうにしながらかまくらを出た。 尚美も後に続いて、
「佐代子も早くおいでね。冷えるよ。」と、雪山を降りて行った。
一人かまくらに残った私は、もう一度思い切り息を吸い込んだ。
雪の匂いに、まだ微かにコーヒーの匂い。少しだけ、夕暮れが去っていく匂い。
それに混ざって、確かに母の故郷の匂いがした。
「かまくら?」
そういうと、裕美はガレージの前にある雪かきショベルを二つ持ってきて、
「ほら、佐代子も」と、渡した。
「さよちゃんはかまくらなんて知らないでしょ?
私は姉さんと2人で遊んだ思い出あるんだけどね。」
「そうなんだ。」
雪国の母の実家に帰省するのは、夏がほとんどで、冬の帰省は10年以上ぶりだ。東京で暮らす私に、雪の記憶はほとんどない。
母屋の裏にある敷地には、この冬に降り積もった雪が、二階建ての屋根までもうすぐ届きそうだった。裕美は慣れた様子で雪山に登る階段を作り始めた。ふわふわした雪をショベルでかいて足で踏み固めて階段を作る。たどり着いた先は一面雪の海だった。降ったばかりのふわふわの雪が、粉砂糖みたいに広がって、陽の光を受けてキラキラしている。
「さよちゃん、そこ、ズボッと沈むかもしれないから歩く時気をつけて。」
ケーキを切り分けるみたいに、大きな雪の塊を移動させ、裕美はあっという間にかまくらにする雪山を作った。2人でそこから穴をあけて、まわりを固くなるように叩いて形を整えて、日が暮れる前には大人が2、3人入れるかまくらが完成した。
「あー、腰が痛ーい。さよちゃんも大変だったでしょう。お茶でも入れてくるから、かまくらで休んでて。」そう裕美が言って、母屋のほうに降りて行ったので、一人残った私は、完成したばかりのかまくらにそっと入ってみた。
なんて、静かなんだろう。一人きりになったせいか、かまくらの中は静寂に包まれていた。ここは雪の香りと凛とした感覚だけをまとった世界だ。聞こえてくる全ての雑音から解放された、こんな世界は初めてだった。目を閉じて、思い切り空気を吸い込むと、寒さで鼻がくっついたような感じがした。雪の匂いに、この街の匂いが溶けている。
お待たせ、と裕美が戻ってくると、一緒に母親の尚美もいた。尚美と帰省はしたものの、最近ギクシャクしていた。多分、私が学校に行かないことを良く思っていない。2学期に入ってから、私は学校を度々休むようになってしまった。中学2年。部活で先輩と上手くいかないことがあって、そこから学校に行きにくくなった。でも尚美には話してない。聞かれないし、別に話したところで尚美が助けてくれる事でもない。
「さよちゃんは、まだブラックは飲まないよね。
ミルクとお砂糖入りのコーヒー、どうぞ。」
「姉さんと私はブラックねー。」
裕美には子供はいないが、人の気持ちを察するのがとても上手いようで、小さな頃から私の気持ちは見抜かれていたと思う。
「さよちゃん、なんか最近恋の悩みとか!?
いつものさよちゃんの元気ないよね?」
やはり裕美はどこか鋭い。
「学校、行ってないもんね。」
ぼそっと手元のコーヒーカップに目をやりながら尚美が言った。
「え?そうなの?」
裕美が少し驚いた表情を作ったが、すぐにいつもの笑顔で、
「姉さんと一緒だぁ。親子だねぇ。悩みが増えてくる年頃だもんねぇ。」と言った。
「え?母さんも?」
予想外の話に思わず私は聞き返してしまった。
「そうよ。姉さんも中学くらいん時に、友達とあれこれあって、ずーっと学校行ってなくてね。でも家にいると父さんに叱られるからって、庭に作ったかまくらの中でずっと小説読んだり、時間潰してて。私が学校帰りにお菓子差し入れしたりして。」
裕美が尚美の顔色を伺いながらもその時のことを詳しく教えてくれた。あまりにも記憶が鮮明で、尚美も驚いているに違いない。そんな裕美を気にする様子もなく、尚美は何も言わず、少しだけ口角を上げてからカップに口をつけた。
尚美にそんな時があったなんて想像もできなかった。いつも言葉数が少なくて、朝早く起きて家事を済ませると夜遅くまで仕事に行く。そんな毎日を、文句や愚痴一つ言わずに淡々とこなしている母親だった。私がまだ赤ちゃんの時に父が亡くなって、それからずっと一人で、大変だったと思う。言葉にしなくても、尚美の少しだけゴツくて、年齢の割にはシワが多い手を見ると、彼女の過ごしてきた時の重さを感じる時があるのだ。そんな強い尚美に、私の弱さをわかってもらえるはずなどないと、どこかで思っていたのに。
「さよちゃん、姉さんも昔は甘いコーヒーしか飲めなかったのよ。色々あって、今なのよ。みんな。」
裕美は茶目っ気いっぱいの笑顔で得意げだった。
「暗くなってきたからそろそろ家でゆっくり飲もうよ。」そう言って、裕美は自分と尚美のカップを持って、首をすくめて寒そうにしながらかまくらを出た。 尚美も後に続いて、
「佐代子も早くおいでね。冷えるよ。」と、雪山を降りて行った。
一人かまくらに残った私は、もう一度思い切り息を吸い込んだ。
雪の匂いに、まだ微かにコーヒーの匂い。少しだけ、夕暮れが去っていく匂い。
それに混ざって、確かに母の故郷の匂いがした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
(ログインが必要です)