第1話
文字数 4,543文字
会社の就業時間終了間際、妻の美樹からスマホにメッセージ。
『帰りに牛乳買ってきて』
牛乳……。なんとも微妙な品だ。
俺は34歳で美樹は32歳。美樹とは結婚して2年で、妻は今妊娠7か月。パートもやめて、今は専業主婦をしているのだが、たまに俺に頼み事をしてくる。
まぁ、今日は残業もなかったし、会社帰りにスーパーに寄るくらいならたいした事ではないので、とりあえず引き受けるのだが、牛乳かー。
前に豆腐を買ってきて、というのがあったのだが、豆腐は俺にとっては、あまり馴染みがない。
料理は美樹が担当で、俺は一応皿洗いくらいはたまにしている。
だから、なんて豆腐?と、堂々と訊ける。
しかし、牛乳は……。
俺は一応
『なんて牛乳?』
と訊いてみた。すると
『いつもの』
と返ってきた。
いつもの……。
困るんだよな、これが……。
俺は毎朝牛乳を飲んではいる。
でも、いつも美樹が夏はコップに、冬はマグカップに注いで電子レンジで温めたのを出してくれている。それくらい自分でやれって?前に寝ぼけ眼でコップに注ごうとして牛乳をテーブルにぶちまけてから、仕事増やすな、と美樹に言われてそれ以来やっていない。
あと俺は、牛乳は朝以外には飲まない。だから、その飲んでいる牛乳の銘柄を、ほぼ知らないと言っていい。
まぁ、知らなくなはい。なんとなくぼんやりとパッケージのイメージはある。
しかし、本当に霞がかかったように青っぽかったような、ひらがなっぽい名前だったような、という程度だ。
それならば美樹に訊けばいいのだろうけれど、簡単には訊けないのだ……。
なぜなら、以前ロールパン買ってきて、と頼まれて、テキトーに選んで買って帰ったら、
「なんでこんな高いの買ってくる!?」
と怒られ
「だっていつものやつ知らないし」
と言ったら
「いいよね、ただ食べるだけの人は、名前すら知らずに済んでさ」
などと嫌味をたらたら言われてしまったのだ。
疲れて帰ってくるのに、いちいち文句は言われたくない……。
だから俺は、美樹に銘柄は訊かずに己のイメージを頼りに牛乳を買うことにした。
最寄り駅についたところで近くのスーパーに行く。
結構広いスーパーで品ぞろえが多い。
牛乳はたくさんあった。
ここから選ぶのか……。若干途方に暮れる。
まずは大きさ。確か1リットルだったはず。
そして青っぽい色。名前はひらがな……。
それを目安に探していく。
すると。
『ほがらか牛乳』
『かわいい牛乳』
『ぴかぴか牛乳』
の3つが目についた。
ほがらかが全体的に水色で、かわいいは注ぎ口付近が青、あとは薄いピンク、ぴかぴかは黄色。
ぴかぴかは却下していいだろう。
となると、ほがらかか、かわいいか……。
どっちだろう……。
家の冷蔵庫のドアポケットを思い出そうと俺は目をつぶった。
一番手前が俺がいつも飲んでいる炭酸飲料、それから野菜ジュース、あとオレンジジュースもあったような……。牛乳はそのオレンジジュースの隣りだったか……?
なんとか思い出そうとそこに立ち尽くしていると
「あのー、すみません……」
遠慮がちな女性の声が聞こえた。
「あ!すいません!」
俺が牛乳売り場の真ん前にずっと突っ立っていたせいで、他の客の邪魔になってしまっていた。
俺は速やかに横にどいた。
女性は、ほがらか牛乳をさっと取ると足早に去っていった。
ほがらか牛乳か……。
なんかうちのもほがらかだったような気がしてきた。
いつまでも牛乳売り場にいるわけにはいかない。
なので俺もほがらか牛乳を取るとレジに並び、会計後、ズボンのポケットから、ややくたびれたレジ袋を取り出すとそこに入れて帰宅の途についた。
「なんでほがらか牛乳買ってくるのよ!!」
俺から牛乳を受け取った美樹が、開口一番かみついてきた。
はー……やってしまった……。
「いつも飲んでるのってほがらか牛乳じゃなかったっけ?」
と、俺は言ってみた。
「違うわよ!冷蔵庫見てみれば?」
冷ややかに美樹が言った。
おそるおそるドアを開けてみると、そこには『かわいい牛乳』があった。
売り場にあった、あの注ぎ口付近が青でそれ以外は薄いピンク色のそれだった。
うちの牛乳ってこんな感じだったっけ?
俺は未知の生物でも見るようにまじまじと牛乳を見つめた。
「ほんっと修平って、うちの事には興味ないよね」
あきれたように美樹が言った。
「そんな事ないよ。それに、なんかほがらか牛乳の方が売れてたんだよ」
主婦っぽい人もなんの迷いもなく買っていたし、確かにほがらかの方が残りの本数が少なかった感じがする。
「まぁね。ほがらかの方が売れてはいるかもね。でも、高いの、ほがらかの方が」
「いくら?」
「5円くらい」
「5円ならたいした事ないじゃない」
「はー!?5円は大きいわよ!1円でも安い方を買う私からしたら、5円なんてありえないし!」
「ほがらかの方がおいしいんじゃないの?5円高くてもおいしい方が俺はいいな。そもそもかわいい牛乳って意味がわからないよ。かわいいって牛乳につける形容詞じゃないよね。かわいい味とか聞いたことないよ!」
「知らないわよ!それに、それを言うなら、ほがらかだって似たようなものじゃない!」と美樹。確かに、ほがらかな牛乳ってどういう牛乳だ?とはなる。でも、なんとなくかわいい牛乳よりはイメージ的に合っていそうな……。そんな事をぼんやり考えていると
「とにかく!そこそこおいしくて安いんだから、名前なんてどうだっていいの!」
と美樹がまくし立てた。かなりの権幕だ。
「ごめん、これから気をつけるよ」
俺は素直に謝った。そうしないと口論が延々と続いてしまうのだ。そっちの方が疲れる。
「まぁ、いいわよ、今回は。次からは気をつけてよ」
と美樹は言い、牛乳を冷蔵庫にしまった。
翌朝。
コップに注がれたほがらか牛乳を俺は飲んだ。
……おいしい……。なんかかわいい牛乳よりもコクがある感じがする。
「やっぱりほがらか牛乳の方がおいしいよ」
と俺は言った。
「まぁ、確かにね」
と美樹も認めた。
「これからはほがらかにしようよ。5円くらいならなんとかなるだろ?毎朝の事なんだしさ」
と俺。
「……」
美樹も迷っているようだ。そして思い出したように言った。
「昨日の牛乳のレシート持って帰ってきた?」
「ああ、うん」
俺はズボンのポケットからレシートを取り出すと美樹に渡した。
「安くなってる!いつもより安い!え?うそ?チラシにあったっけ?」
美樹は古新聞を入れている袋のところに行き、昨日のチラシを取り出した。
「あー!昨日と今日だけ特売だ!なんで気づかなかったんだろう?そうだ、チラシ見てるとき、急に宅配来て、それでバタバタしてその後見てなかったんだ……。昨日買い物行かなかったし……」
美樹が昨日の事を回想し始めた。知らんがな、そんな事情。しかし、
「修平お手柄だよ!修平が買ってきてくれなかったら気づかなかった。おひとり様2本までだから、今日2本買ってこよう!」
と、美樹は息巻いている。
「え?昨日のと合わせて3本になるじゃん。そんなに飲めないだろう?」
「妊娠中は、カルシウムはきちんと取った方がいいのよ。それに年取ってから骨粗鬆症になりたくないし」
まだ32歳になったばかりなのに、そんなこと気にしているのか……。なんかすげーな。
「それに、本当は私もほがらかの方が好きなの!でも、毎朝の事だからこそ、安い方を選んでいたの!」
そう言うと美樹は牛乳を飲み干し、コップにもう一杯注いで、それも一気に飲んでしまった。
「美樹、牛乳好きなの?」
と俺が訊くと
「好きかどうか訊かれたら普通って感じだけど、やっぱり胎児の事とか健康の事とか考えたら、そりゃ飲むでしょ」
「ふーん……。なるほどね……」
やっぱり母親になろうとしている人は違うな、と、ちょっと感心してしまった。
俺はといえば、酒は飲まないけど、どうしても炭酸飲料メインになってしまうからな……。
「あ、今お腹けった!元気な子だよねー」
美樹がでかくなった自分の腹を愛おしそうに抱えながら言った。
「ほんとに?」
俺も触らせてもらったけど、腹の中の子はシーンとしてしまった。
父親になる自覚があまりない俺には腹の子もあきれているのかも……。トーストをかじりながら、ちょっと反省する俺なのであった。
その日の夜。会社から帰ってきた俺は冷蔵庫の中を見てみた。
ドアポケットに3本のほがらか牛乳が並んでいた。本当に2本買い足したんだ……。
賞味期限を見るとあと5日となっている。大丈夫なのか?そんなに短期間で飲み切れるのか?と心配になったが、今日の晩ご飯はえびグラタンだった。確かグラタンに牛乳は必要だったはず。
美樹も結構考えているじゃないか。とちょっと感心していると……。
コップに注がれた牛乳が俺のそばに置かれた。
「は?俺、晩ご飯の時は牛乳飲まないんだけど」
と言うと
「ごめーん!なんか、ちょっと体重が増えた感じがして……。妊娠中に、あんまり体重が増えすぎるのも良くないんだよね」
と、きまり悪そうに美樹が言った。
「あんなに牛乳がぶ飲みするからだろ?まったく……。ていうか、牛乳出すなら、米じゃなくてパンにしてくれればよかったのに……。そもそもグラタンに白米って合わないんじゃないかって前から思ってたんだよな」と俺。
「今出したら明日の朝のパンがなくなるよ。しかも明日の朝も結局牛乳だし……」
はー……。
グラタンに米に牛乳というわけのわからない晩ご飯を食べながら俺は言った。
「やっぱりかわいい牛乳でいいよ」と。
おいしいと、どうしても飲む量も増えてしまうだろうし……。それに子供が生まれればその分支出も増えるだろうしな。俺もいろいろ考えていかないとならないのかもしれない、と思った。
「結局そういう事になるのよ」としたり顔で美樹が言った。
若干むかつくけど、美樹は今大事な時期だからな。仕方ない!
翌朝、俺は牛乳を2杯飲んで家を出た。くそー!腹が出ないようにカロリーゼロの炭酸しか飲んでいないっていうのに……。一駅分くらい歩くか?いや、そんな時間ないし。せめて駅はエレベーター使わずに階段にするか……。
めんどくせー!
駅の階段を上りながら俺は考える。
そもそも俺がかわいい牛乳を買ってくれば、美樹が買い足す事もなかったのだ……。
一見得したように思えても、結局こういう弊害が出ている……。
冷蔵庫の中の物くらいは把握するようにするか……。
それにしても、たかが冷蔵庫といっても結構いろんな物が詰め込まれているんだよな。
とりあえずドアポケットあたりを覚えておけば俺的にはセーフなのか?
考えながら上っていたせいか、うっかり足を踏み外しそうになる。
あっぶねー!けがでもしたらシャレになんねー。
今日も仕事は山積みだしな……。1か月ほど前から口うるさい上司に変わってやる事がどんどん増えてきたし、そのせいでメンタルやられて休職したやついて、そいつの仕事の一部も今俺がやってるわけで……。男だって大変なんだぞ……。
階段を上り切った所で、今度は上司から電話。
もー!!ほんっと勘弁して下さい!!
『帰りに牛乳買ってきて』
牛乳……。なんとも微妙な品だ。
俺は34歳で美樹は32歳。美樹とは結婚して2年で、妻は今妊娠7か月。パートもやめて、今は専業主婦をしているのだが、たまに俺に頼み事をしてくる。
まぁ、今日は残業もなかったし、会社帰りにスーパーに寄るくらいならたいした事ではないので、とりあえず引き受けるのだが、牛乳かー。
前に豆腐を買ってきて、というのがあったのだが、豆腐は俺にとっては、あまり馴染みがない。
料理は美樹が担当で、俺は一応皿洗いくらいはたまにしている。
だから、なんて豆腐?と、堂々と訊ける。
しかし、牛乳は……。
俺は一応
『なんて牛乳?』
と訊いてみた。すると
『いつもの』
と返ってきた。
いつもの……。
困るんだよな、これが……。
俺は毎朝牛乳を飲んではいる。
でも、いつも美樹が夏はコップに、冬はマグカップに注いで電子レンジで温めたのを出してくれている。それくらい自分でやれって?前に寝ぼけ眼でコップに注ごうとして牛乳をテーブルにぶちまけてから、仕事増やすな、と美樹に言われてそれ以来やっていない。
あと俺は、牛乳は朝以外には飲まない。だから、その飲んでいる牛乳の銘柄を、ほぼ知らないと言っていい。
まぁ、知らなくなはい。なんとなくぼんやりとパッケージのイメージはある。
しかし、本当に霞がかかったように青っぽかったような、ひらがなっぽい名前だったような、という程度だ。
それならば美樹に訊けばいいのだろうけれど、簡単には訊けないのだ……。
なぜなら、以前ロールパン買ってきて、と頼まれて、テキトーに選んで買って帰ったら、
「なんでこんな高いの買ってくる!?」
と怒られ
「だっていつものやつ知らないし」
と言ったら
「いいよね、ただ食べるだけの人は、名前すら知らずに済んでさ」
などと嫌味をたらたら言われてしまったのだ。
疲れて帰ってくるのに、いちいち文句は言われたくない……。
だから俺は、美樹に銘柄は訊かずに己のイメージを頼りに牛乳を買うことにした。
最寄り駅についたところで近くのスーパーに行く。
結構広いスーパーで品ぞろえが多い。
牛乳はたくさんあった。
ここから選ぶのか……。若干途方に暮れる。
まずは大きさ。確か1リットルだったはず。
そして青っぽい色。名前はひらがな……。
それを目安に探していく。
すると。
『ほがらか牛乳』
『かわいい牛乳』
『ぴかぴか牛乳』
の3つが目についた。
ほがらかが全体的に水色で、かわいいは注ぎ口付近が青、あとは薄いピンク、ぴかぴかは黄色。
ぴかぴかは却下していいだろう。
となると、ほがらかか、かわいいか……。
どっちだろう……。
家の冷蔵庫のドアポケットを思い出そうと俺は目をつぶった。
一番手前が俺がいつも飲んでいる炭酸飲料、それから野菜ジュース、あとオレンジジュースもあったような……。牛乳はそのオレンジジュースの隣りだったか……?
なんとか思い出そうとそこに立ち尽くしていると
「あのー、すみません……」
遠慮がちな女性の声が聞こえた。
「あ!すいません!」
俺が牛乳売り場の真ん前にずっと突っ立っていたせいで、他の客の邪魔になってしまっていた。
俺は速やかに横にどいた。
女性は、ほがらか牛乳をさっと取ると足早に去っていった。
ほがらか牛乳か……。
なんかうちのもほがらかだったような気がしてきた。
いつまでも牛乳売り場にいるわけにはいかない。
なので俺もほがらか牛乳を取るとレジに並び、会計後、ズボンのポケットから、ややくたびれたレジ袋を取り出すとそこに入れて帰宅の途についた。
「なんでほがらか牛乳買ってくるのよ!!」
俺から牛乳を受け取った美樹が、開口一番かみついてきた。
はー……やってしまった……。
「いつも飲んでるのってほがらか牛乳じゃなかったっけ?」
と、俺は言ってみた。
「違うわよ!冷蔵庫見てみれば?」
冷ややかに美樹が言った。
おそるおそるドアを開けてみると、そこには『かわいい牛乳』があった。
売り場にあった、あの注ぎ口付近が青でそれ以外は薄いピンク色のそれだった。
うちの牛乳ってこんな感じだったっけ?
俺は未知の生物でも見るようにまじまじと牛乳を見つめた。
「ほんっと修平って、うちの事には興味ないよね」
あきれたように美樹が言った。
「そんな事ないよ。それに、なんかほがらか牛乳の方が売れてたんだよ」
主婦っぽい人もなんの迷いもなく買っていたし、確かにほがらかの方が残りの本数が少なかった感じがする。
「まぁね。ほがらかの方が売れてはいるかもね。でも、高いの、ほがらかの方が」
「いくら?」
「5円くらい」
「5円ならたいした事ないじゃない」
「はー!?5円は大きいわよ!1円でも安い方を買う私からしたら、5円なんてありえないし!」
「ほがらかの方がおいしいんじゃないの?5円高くてもおいしい方が俺はいいな。そもそもかわいい牛乳って意味がわからないよ。かわいいって牛乳につける形容詞じゃないよね。かわいい味とか聞いたことないよ!」
「知らないわよ!それに、それを言うなら、ほがらかだって似たようなものじゃない!」と美樹。確かに、ほがらかな牛乳ってどういう牛乳だ?とはなる。でも、なんとなくかわいい牛乳よりはイメージ的に合っていそうな……。そんな事をぼんやり考えていると
「とにかく!そこそこおいしくて安いんだから、名前なんてどうだっていいの!」
と美樹がまくし立てた。かなりの権幕だ。
「ごめん、これから気をつけるよ」
俺は素直に謝った。そうしないと口論が延々と続いてしまうのだ。そっちの方が疲れる。
「まぁ、いいわよ、今回は。次からは気をつけてよ」
と美樹は言い、牛乳を冷蔵庫にしまった。
翌朝。
コップに注がれたほがらか牛乳を俺は飲んだ。
……おいしい……。なんかかわいい牛乳よりもコクがある感じがする。
「やっぱりほがらか牛乳の方がおいしいよ」
と俺は言った。
「まぁ、確かにね」
と美樹も認めた。
「これからはほがらかにしようよ。5円くらいならなんとかなるだろ?毎朝の事なんだしさ」
と俺。
「……」
美樹も迷っているようだ。そして思い出したように言った。
「昨日の牛乳のレシート持って帰ってきた?」
「ああ、うん」
俺はズボンのポケットからレシートを取り出すと美樹に渡した。
「安くなってる!いつもより安い!え?うそ?チラシにあったっけ?」
美樹は古新聞を入れている袋のところに行き、昨日のチラシを取り出した。
「あー!昨日と今日だけ特売だ!なんで気づかなかったんだろう?そうだ、チラシ見てるとき、急に宅配来て、それでバタバタしてその後見てなかったんだ……。昨日買い物行かなかったし……」
美樹が昨日の事を回想し始めた。知らんがな、そんな事情。しかし、
「修平お手柄だよ!修平が買ってきてくれなかったら気づかなかった。おひとり様2本までだから、今日2本買ってこよう!」
と、美樹は息巻いている。
「え?昨日のと合わせて3本になるじゃん。そんなに飲めないだろう?」
「妊娠中は、カルシウムはきちんと取った方がいいのよ。それに年取ってから骨粗鬆症になりたくないし」
まだ32歳になったばかりなのに、そんなこと気にしているのか……。なんかすげーな。
「それに、本当は私もほがらかの方が好きなの!でも、毎朝の事だからこそ、安い方を選んでいたの!」
そう言うと美樹は牛乳を飲み干し、コップにもう一杯注いで、それも一気に飲んでしまった。
「美樹、牛乳好きなの?」
と俺が訊くと
「好きかどうか訊かれたら普通って感じだけど、やっぱり胎児の事とか健康の事とか考えたら、そりゃ飲むでしょ」
「ふーん……。なるほどね……」
やっぱり母親になろうとしている人は違うな、と、ちょっと感心してしまった。
俺はといえば、酒は飲まないけど、どうしても炭酸飲料メインになってしまうからな……。
「あ、今お腹けった!元気な子だよねー」
美樹がでかくなった自分の腹を愛おしそうに抱えながら言った。
「ほんとに?」
俺も触らせてもらったけど、腹の中の子はシーンとしてしまった。
父親になる自覚があまりない俺には腹の子もあきれているのかも……。トーストをかじりながら、ちょっと反省する俺なのであった。
その日の夜。会社から帰ってきた俺は冷蔵庫の中を見てみた。
ドアポケットに3本のほがらか牛乳が並んでいた。本当に2本買い足したんだ……。
賞味期限を見るとあと5日となっている。大丈夫なのか?そんなに短期間で飲み切れるのか?と心配になったが、今日の晩ご飯はえびグラタンだった。確かグラタンに牛乳は必要だったはず。
美樹も結構考えているじゃないか。とちょっと感心していると……。
コップに注がれた牛乳が俺のそばに置かれた。
「は?俺、晩ご飯の時は牛乳飲まないんだけど」
と言うと
「ごめーん!なんか、ちょっと体重が増えた感じがして……。妊娠中に、あんまり体重が増えすぎるのも良くないんだよね」
と、きまり悪そうに美樹が言った。
「あんなに牛乳がぶ飲みするからだろ?まったく……。ていうか、牛乳出すなら、米じゃなくてパンにしてくれればよかったのに……。そもそもグラタンに白米って合わないんじゃないかって前から思ってたんだよな」と俺。
「今出したら明日の朝のパンがなくなるよ。しかも明日の朝も結局牛乳だし……」
はー……。
グラタンに米に牛乳というわけのわからない晩ご飯を食べながら俺は言った。
「やっぱりかわいい牛乳でいいよ」と。
おいしいと、どうしても飲む量も増えてしまうだろうし……。それに子供が生まれればその分支出も増えるだろうしな。俺もいろいろ考えていかないとならないのかもしれない、と思った。
「結局そういう事になるのよ」としたり顔で美樹が言った。
若干むかつくけど、美樹は今大事な時期だからな。仕方ない!
翌朝、俺は牛乳を2杯飲んで家を出た。くそー!腹が出ないようにカロリーゼロの炭酸しか飲んでいないっていうのに……。一駅分くらい歩くか?いや、そんな時間ないし。せめて駅はエレベーター使わずに階段にするか……。
めんどくせー!
駅の階段を上りながら俺は考える。
そもそも俺がかわいい牛乳を買ってくれば、美樹が買い足す事もなかったのだ……。
一見得したように思えても、結局こういう弊害が出ている……。
冷蔵庫の中の物くらいは把握するようにするか……。
それにしても、たかが冷蔵庫といっても結構いろんな物が詰め込まれているんだよな。
とりあえずドアポケットあたりを覚えておけば俺的にはセーフなのか?
考えながら上っていたせいか、うっかり足を踏み外しそうになる。
あっぶねー!けがでもしたらシャレになんねー。
今日も仕事は山積みだしな……。1か月ほど前から口うるさい上司に変わってやる事がどんどん増えてきたし、そのせいでメンタルやられて休職したやついて、そいつの仕事の一部も今俺がやってるわけで……。男だって大変なんだぞ……。
階段を上り切った所で、今度は上司から電話。
もー!!ほんっと勘弁して下さい!!