第1話
文字数 5,746文字
夜の公園が俺たちの溜まり場だ。
ジャングルジムの辺りに座るのが日常となっている。
落ちこぼれ高校に通っている俺たちが暗い時間に出歩いていたとしても引き留める奴はいない。親は何をしているんだ、と教師に言われたことがある。そもそも教育熱心な親であったなら落ちこぼれ高校に通うことはなかっただろう。
ここにいる全員の親が放任主義である。
公園の外にある街灯が、微かに光を公園内も照らしてくれる。微かすぎてあってもなくても変わらないような光だ。
「爽ちゃん、明日何時に登校する?」
襟足を触りながら涼が訊ねた。
俺は何時に登校するかなんて考えたことはない。起きて、着替えたら登校する。今日は十時に起床し、学校に着いたのは十一時だった。遅刻が多すぎて何度も生徒指導室に呼ばれたが、今更目覚ましをかけるつもりはない。
「さあな。明日の俺が決める」
「またそんなこと言う! 僕が登校しても皆いないんだもん!」
「知らねえよ。朝早く登校するからだろ、昼過ぎに行けよ」
「だってぇ、早く皆に会いたいんだもん」
「早く登校したところでいなかったら意味ないだろ」
学校へ通っている理由は「なんか義務だろうし、親が煩いから」と「こいつ等に会いたい」の二つだけだ。
落ちこぼれ高校に馬鹿真面目に通う方がどうかしている。
「えぇー、僕寂しいよー」
うええん、と嘘泣きをする涼を放っておき、忙しなく指を動かしてゲームに熱中している夏也の後ろから画面を覗き込む。
白熱しているようで、集中している。
俺も同じゲーム買おうかな。
そんなことを思っていると、砂を踏む音が聞こえた。
前方から誰かがやってきたので、顔を上げるとそこには見慣れた服を着た男が立っていた。
「やあ、こんばんは。どこの学校の子かな?」
公僕である。お国の犬である。
面倒だ、という表情を隠しきれず答えないでいると再度「どこの学校?」と訊いてくる。
顔見知りにすらなっているというのに、わざとらしく学校名を訊いてくる。にこにこと貼り付けた笑顔で近寄ってきた。
「ふん、見て分からないの? この辺で一番の落ちこぼれ高校だよ」
これも何度聞いたことだろう。涼が胸を張って答えるが、世間からすればそれは恥ずべきことであって誇れることではない。
涼以外はお国の犬に興味がないようで、携帯をいじっていたりゲームをしている。
俺は警察と涼のやりとりを眺める以外、することがない。
「もう暗いから、早く家に帰りなさい」
「うるさいなー、おじさんよくここに来るけど、暇なの?」
警察官の制服を着た男はこの時間になるとよくここへやってくる。その中でもこの男は一番頻度が高い。
高校生を家に帰らせるよりもするべきことがあるだろうに、涼の言う通り暇なのかもしれない。
「暇じゃないんだよ。だから言うこと聞いてくれないかな?」
「えー、やだ」
「夜は危ないからさ」
「僕たちもう高校生だよ。危ないわけないじゃん」
暗いから帰れ。いつもそう言いに来る。
警察官は困ったように眉を下げる。これもよくやる仕草だ。
そして俺たちが帰るまでずっと話しかけ続けるのだ。面倒なことこの上ない。
「もうやだ! うるさい! 帰ろう!」
男の小言に嫌気がさし、涼はぷんぷんと怒りながら言った。
帰ると聞いた警察官は三度頷いて満足そうにしている。
負けた気がして良い気はしない。
五人でぞろぞろ帰ろうと警察官の横を通り過ぎると、一人が盛大な舌打ちをした。
警察官は気に留めることなく後ろで俺たちを見送った。
翌日、朝起きると七時だった。
随分と早い時間に起きてしまい、二度寝を試みたが頭は覚めており目を瞑っても夢の中に入ることができなかった。仕方がないので起き上がり、制服に着替える。
こんなに早く登校すればそれだけ長い時間授業に拘束されてしまう。
できれば昼過ぎに行きたい。
家に居てもすることがないので散歩をすべく家を出た。
こんな時間に外に出たのは久しぶりだ。
学校とは反対方向へ歩き、気づいた。制服で歩くとまた近所で変な噂を囁かれてしまう。
私服で出てくるんだった。
俺は噂を気にしないが、親は気にするだろう。そして「爽、あんたまた学校行かずにふらついたんでしょ」と聞いた噂をそのまま教えてくるのだ。一応、学校には通っている。遅刻はするが、休むことは少ない。ふらついていたことも、多分ない。いや、今がまさにふらついているのか。
学校へは行っているのだから、勘弁してほしい。
歩道を歩いているとコンビニが見えたのでポケットの中に入っている小銭を確認し、入店した。
売り出されている商品を端から端まで見た後、軽く物色する。
焼きそばパンを掴み会計を済ませると、「お?」と聞き覚えのある声がした。
「やあ、少年」
「うげっ」
レジから離れようと体の向きを変えたところに、昨夜の警察官が立っていた。どうやらたった今入店したようだ。
あの公園から離れているこのコンビニに何故いるのか。
「学校はこっちじゃないだろ?」
「やっぱ高校どこか知ってんじゃん」
「そりゃあ、その制服は有名だからな」
あの貼り付けたような笑みを浮かべて「ちょっと話さないか」と誘ってきた。
嫌だと言って逃げてもいいが、追ってこられる方が嫌だ。
無言を貫いていると肯定と受け取ったようで、近くの公園まで案内された。
「この町は公園がたくさんあって便利だよなぁ」
「知らねえ」
「人目の多いところで警察官と一緒にいるのは嫌だろう?」
「別に」
この警察官と会うのは夜だったから分からなかったけれど、よく見ると結構若い。
二十代後半に見える。
夜会う時の喋り方はおじさんのようなのに、顔は意外と若かったのだから騙された気になる。
ブランコとベンチしかない小さな公園に連れ込まれ、並んでベンチに座る。
こんな朝から警察官と会うなんて厄日に違いない。
「少年はさ、どうして毎夜公園にいるの?」
「その少年ってやめろよ、ウザい」
「ごめんごめん、じゃあ名前教えて」
「……爽」
「爽くん」
「爽」
「よし、爽」
爽くん、と呼ばれると子ども扱いされているようで気に食わない。
「お前は?」
「お前って……目上の人には敬語を使うものだよ」
「歳が上ってだけだろ。で、名前は?」
「まったく、敬語は社会に出たら大事なんだからな。麻木だ」
「ふうん、で?」
「どうして夜、公園にいるの?」
笑うのをやめて、きょとんとした顔で訊ねられた。
その顔も作り物みたいで気に入らない。
「別にいいだろ」
「良くはないよ。結構苦情が入ってるんだよね」
「あっそ」
「公園に行くなとは言わないけど、夜は家に帰りなよ。不審者と遭遇するかもしれないし、不審者と間違えられるかもしれない」
「どうでもいい」
ふいっと顔を反対側に向けると苦笑する声がした。
「そういう年頃なのかな。夜に出歩くのが恰好いいと思ってる?」
「はぁ!?」
なんだそれ。
悩み事でもあるのか、親が心配しているぞ、そんな安い言葉を投げつけられると思っていた。
どんな顔して言っているのかと、麻木の顔を見るとにやけ面がそこにあった。
カッと一瞬にして顔が赤くなる。
「その反応は図星か?」
「なわけねえだろ!」
「分かる分かる。他と違う恰好よさを出したいんだよな」
背中を叩く手に苛つく。
「帰る」
「待て待て、悪かった」
不機嫌さを隠すことなくその場を立ち去ろうとすると、腕を引かれてベンチに座らされる。
麻木を睨みつけるが表情を崩さない。
「まあ分かるけどねぇ、そういう年頃だよねぇ」と、引き留めたくせに煽る。
こんな奴が警察官でいいのか。お国の犬は、公務員は、こんな人間を警察官として認めているのか。
もっと人間性を理解してから採用した方がいいんじゃないか。
「俺たちも気になってるんだよ。毎日のように公園にいてさ、何か事情があるのかなぁって」
「別に」
「親御さんは心配してないのか?」
親については教師にも聞かれる。
うんざりだ。
「別に」
「大丈夫なのか、虐待とか」
存外ストレートに訊くんだな。
遠回しな言い方があるだろうに、言いにくそうにしながらも「虐待」というワードはしっかり口にする。遠回しに聞かれていたならば、またこの話かと呆れて俺は帰っていただろう。
こうも直球で言われたのは初めてだったので、不意を突かれた。
「……はぁ」
「どうした?」
「俺が不真面目だから、親に原因があるかと思うんだろ。でも虐待なんてされてないし、親との関係が悪いわけじゃない」
放任主義というだけで、後は普通の親だ。
好きなように生きろ、と言われるので好きにしている。
「じゃあどうして?」
「学校が終わって、すぐ家に帰ろうと思わないから」
「どうして?」
「さあ?」
「……やっぱり、恰好いいと思ってるからだろう」
「しつこいな。その顔やめろよ、キモい」
にやにやとしつこくその話を持ち出す。
すぐ家に帰ろうとしない明確な理由なんてない。そうしたいからそうしているだけ。世間はそれがおかしいと言うけれど、別におかしくない。
なんとなく、で選択することなんて山ほどあるだろう。
なんとなく家に帰らない。俺にとってはそんな感じだ。
したいことがあるから、家に居たくないから、そんなことは思ったことがない。
それはきっとあいつ等も同じだ。
似たように放任主義の親がいて、俺と同じようになんとなく帰りたくない。
ボソボソとその話をすると、麻木は「ふむふむ」と真面目に聞いているのかいないのか分からない相槌をした。
「そりゃあ、仕方ないな」
「……は?」
「なんとなく帰りたいんだろ? 気分の問題ってわけだ、じゃあ仕方ないよな」
うんうん、と一人で頷いている麻木に呆れる。
こいつは本当に警察官なのか。
あれだけ毎日のように早く帰れと言っておいて、「なんとなくなら仕方ないよな」で済ますのかよ。
「ん? どうかしたか?」
「警察ってそれでいいのか?」
「いいだろ」
「もっとこう、厳しい指導するんじゃないのか?」
「厳しい指導がお望みなら、やってあげるよ。まあ、理由を知りたかっただけだからね」
「……麻木以外の警察官は怒ってたけど」
「それが警察官だからね」
「意味分かんねえ」
にこにこと貼り付けた笑みを向けられる。
気持ち悪い。
「なんとなくそうしたい、って年頃だもんね」
「年頃で片づけんなよ」
「毎度毎度注意されてるのに言うことを聞かないんだから、そのなんとなくは強いなんとなくでしょう?」
なんだよ、強いなんとなくって。
「夜道が危険なのは本当。警察官としては早く家に帰ってほしいんだよ」
「あっそ」
「でも不良少年だった身としては、その気持ち分かっちゃうなー」
「げぇっ、お前不良だったのかよ。俺等より悪いじゃん」
「もうちょっと自分たちを客観的に見ようよ。君たち普通に不良だよ」
「落ちこぼれ高校に通ってるだけだぞ」
「不良高校に通ってる、の間違いだろう」
確かに通っているのは見た目が派手な連中ばかりだ。
髪を染めたり、ピアスを開けたり、制服を着崩したり。
不良高校と言われて反論はできない。
それでも俺は黒髪で耳に穴は開けていない、制服を着崩すようなことはしていない。不良ではない。
「警察官としてはさ、早く帰らせたいんだよ。だから気が向いたら早く帰ってね」
「……気が向いたらな。ていうか、本当にいいのかよ。苦情まで入ってるならもうちょっと頑張って説得しようとか思わないのか?」
説得されたくはないけれど、これが警察官で本当にいいのかと思ってしまう。
「あぁ、あれ嘘」
「嘘!?」
「苦情なんてないよ。大声で騒ぐわけでもないし、ただ静かに公園にいるだけだから苦情なんて入らない」
「……あの高校の制服を着た男五人がずっと公園にいる、って苦情もないのかよ」
「ないねぇ」
「……あっそ」
「あ、ちょっと安心した?」
「うっるせえな」
手を伸ばして頭を触ってきそうだったのでその手を払いのけた。
「いたた」と、大して痛くもないくせに痛がる素振りをする。
「学校が終わってからあの時間までずっと公園にいるの?家に帰りたくない?」
「学校が閉まるまで校庭でサッカーしたりしてんだよ」
「部活の邪魔にならない?」
「落ちこぼれ高校にちゃんとした部活があると思うか?」
「それもそうか」
「納得すんなよ」
「俺が通ってた不良高校も、そんな感じだったから分かるー」
なんだか夜に会った時と印象が違うな。
暗い中で会うと老けて見えたが、明るい中で会うと若く見える。
「はぁ、じゃあ俺学校に行くから」
何で警察官と仲良く喋っているんだ、と我に返った。
登校するのは億劫だが、偶には普段より早く登校するのもいいだろう。
麻木は相変わらずにこにこしながら「そうか」と一言返した。
「そういえばお前、コンビニにいたけど何も買ってないのか?」
「あぁ、お陰で朝ごはん食いそびれた」
会計した後に、入店した麻木と出会った。
麻木は朝食を買う前にここへ来てしまったのだ。
俺のせいではないが、罪悪感がちくっと胸を刺した。
気乗りしないが、まあいい。
鞄の中から取り出して、麻木に投げつける。
「うおっ、何だ!?」
「やる」
投げたスナック菓子をまじまじと観察した麻木は、何かに気付いたようにはっとした。
目を丸くしてこっちを見る。
「ま、まさか爽……」
「何だよ」
優しい、とか入れると嫌だな。
「これ……コンビニで盗んだんじゃ……」
うっざ。
「爽、パンしか買わなかっただろう。こんなの買ってなかったはずだ……これは見過ごせない……」
「昨日買ったやつだわ阿保」
「あ、そうか」
さっきパンと一緒に買っていなかったからといって、盗品だと思い込む馬鹿がいるかよ。
俺だってそんな雑な思考はしない。
まさか、こいつ。
「お前もしかして、不良時代に万引きしたのか」
盗品だと思ったのは、自身が盗みを働いたことがあるからじゃないだろうか。
怪しんで訊ねると、麻木はあの笑顔を浮かべて黙り込んだ。
図星か。
マジかよ。
「夜は危ないから、真っ直ぐ家に帰るんだぞ」
何事もなかったかのように話を元に戻し、さっさと行けと言わんばかりに手を振り始めた。
それ以上互いに喋ることはなく、小さな公園を出て買ったパンを食べながら歩く。
警察官って、あれでいいのか。
ジャングルジムの辺りに座るのが日常となっている。
落ちこぼれ高校に通っている俺たちが暗い時間に出歩いていたとしても引き留める奴はいない。親は何をしているんだ、と教師に言われたことがある。そもそも教育熱心な親であったなら落ちこぼれ高校に通うことはなかっただろう。
ここにいる全員の親が放任主義である。
公園の外にある街灯が、微かに光を公園内も照らしてくれる。微かすぎてあってもなくても変わらないような光だ。
「爽ちゃん、明日何時に登校する?」
襟足を触りながら涼が訊ねた。
俺は何時に登校するかなんて考えたことはない。起きて、着替えたら登校する。今日は十時に起床し、学校に着いたのは十一時だった。遅刻が多すぎて何度も生徒指導室に呼ばれたが、今更目覚ましをかけるつもりはない。
「さあな。明日の俺が決める」
「またそんなこと言う! 僕が登校しても皆いないんだもん!」
「知らねえよ。朝早く登校するからだろ、昼過ぎに行けよ」
「だってぇ、早く皆に会いたいんだもん」
「早く登校したところでいなかったら意味ないだろ」
学校へ通っている理由は「なんか義務だろうし、親が煩いから」と「こいつ等に会いたい」の二つだけだ。
落ちこぼれ高校に馬鹿真面目に通う方がどうかしている。
「えぇー、僕寂しいよー」
うええん、と嘘泣きをする涼を放っておき、忙しなく指を動かしてゲームに熱中している夏也の後ろから画面を覗き込む。
白熱しているようで、集中している。
俺も同じゲーム買おうかな。
そんなことを思っていると、砂を踏む音が聞こえた。
前方から誰かがやってきたので、顔を上げるとそこには見慣れた服を着た男が立っていた。
「やあ、こんばんは。どこの学校の子かな?」
公僕である。お国の犬である。
面倒だ、という表情を隠しきれず答えないでいると再度「どこの学校?」と訊いてくる。
顔見知りにすらなっているというのに、わざとらしく学校名を訊いてくる。にこにこと貼り付けた笑顔で近寄ってきた。
「ふん、見て分からないの? この辺で一番の落ちこぼれ高校だよ」
これも何度聞いたことだろう。涼が胸を張って答えるが、世間からすればそれは恥ずべきことであって誇れることではない。
涼以外はお国の犬に興味がないようで、携帯をいじっていたりゲームをしている。
俺は警察と涼のやりとりを眺める以外、することがない。
「もう暗いから、早く家に帰りなさい」
「うるさいなー、おじさんよくここに来るけど、暇なの?」
警察官の制服を着た男はこの時間になるとよくここへやってくる。その中でもこの男は一番頻度が高い。
高校生を家に帰らせるよりもするべきことがあるだろうに、涼の言う通り暇なのかもしれない。
「暇じゃないんだよ。だから言うこと聞いてくれないかな?」
「えー、やだ」
「夜は危ないからさ」
「僕たちもう高校生だよ。危ないわけないじゃん」
暗いから帰れ。いつもそう言いに来る。
警察官は困ったように眉を下げる。これもよくやる仕草だ。
そして俺たちが帰るまでずっと話しかけ続けるのだ。面倒なことこの上ない。
「もうやだ! うるさい! 帰ろう!」
男の小言に嫌気がさし、涼はぷんぷんと怒りながら言った。
帰ると聞いた警察官は三度頷いて満足そうにしている。
負けた気がして良い気はしない。
五人でぞろぞろ帰ろうと警察官の横を通り過ぎると、一人が盛大な舌打ちをした。
警察官は気に留めることなく後ろで俺たちを見送った。
翌日、朝起きると七時だった。
随分と早い時間に起きてしまい、二度寝を試みたが頭は覚めており目を瞑っても夢の中に入ることができなかった。仕方がないので起き上がり、制服に着替える。
こんなに早く登校すればそれだけ長い時間授業に拘束されてしまう。
できれば昼過ぎに行きたい。
家に居てもすることがないので散歩をすべく家を出た。
こんな時間に外に出たのは久しぶりだ。
学校とは反対方向へ歩き、気づいた。制服で歩くとまた近所で変な噂を囁かれてしまう。
私服で出てくるんだった。
俺は噂を気にしないが、親は気にするだろう。そして「爽、あんたまた学校行かずにふらついたんでしょ」と聞いた噂をそのまま教えてくるのだ。一応、学校には通っている。遅刻はするが、休むことは少ない。ふらついていたことも、多分ない。いや、今がまさにふらついているのか。
学校へは行っているのだから、勘弁してほしい。
歩道を歩いているとコンビニが見えたのでポケットの中に入っている小銭を確認し、入店した。
売り出されている商品を端から端まで見た後、軽く物色する。
焼きそばパンを掴み会計を済ませると、「お?」と聞き覚えのある声がした。
「やあ、少年」
「うげっ」
レジから離れようと体の向きを変えたところに、昨夜の警察官が立っていた。どうやらたった今入店したようだ。
あの公園から離れているこのコンビニに何故いるのか。
「学校はこっちじゃないだろ?」
「やっぱ高校どこか知ってんじゃん」
「そりゃあ、その制服は有名だからな」
あの貼り付けたような笑みを浮かべて「ちょっと話さないか」と誘ってきた。
嫌だと言って逃げてもいいが、追ってこられる方が嫌だ。
無言を貫いていると肯定と受け取ったようで、近くの公園まで案内された。
「この町は公園がたくさんあって便利だよなぁ」
「知らねえ」
「人目の多いところで警察官と一緒にいるのは嫌だろう?」
「別に」
この警察官と会うのは夜だったから分からなかったけれど、よく見ると結構若い。
二十代後半に見える。
夜会う時の喋り方はおじさんのようなのに、顔は意外と若かったのだから騙された気になる。
ブランコとベンチしかない小さな公園に連れ込まれ、並んでベンチに座る。
こんな朝から警察官と会うなんて厄日に違いない。
「少年はさ、どうして毎夜公園にいるの?」
「その少年ってやめろよ、ウザい」
「ごめんごめん、じゃあ名前教えて」
「……爽」
「爽くん」
「爽」
「よし、爽」
爽くん、と呼ばれると子ども扱いされているようで気に食わない。
「お前は?」
「お前って……目上の人には敬語を使うものだよ」
「歳が上ってだけだろ。で、名前は?」
「まったく、敬語は社会に出たら大事なんだからな。麻木だ」
「ふうん、で?」
「どうして夜、公園にいるの?」
笑うのをやめて、きょとんとした顔で訊ねられた。
その顔も作り物みたいで気に入らない。
「別にいいだろ」
「良くはないよ。結構苦情が入ってるんだよね」
「あっそ」
「公園に行くなとは言わないけど、夜は家に帰りなよ。不審者と遭遇するかもしれないし、不審者と間違えられるかもしれない」
「どうでもいい」
ふいっと顔を反対側に向けると苦笑する声がした。
「そういう年頃なのかな。夜に出歩くのが恰好いいと思ってる?」
「はぁ!?」
なんだそれ。
悩み事でもあるのか、親が心配しているぞ、そんな安い言葉を投げつけられると思っていた。
どんな顔して言っているのかと、麻木の顔を見るとにやけ面がそこにあった。
カッと一瞬にして顔が赤くなる。
「その反応は図星か?」
「なわけねえだろ!」
「分かる分かる。他と違う恰好よさを出したいんだよな」
背中を叩く手に苛つく。
「帰る」
「待て待て、悪かった」
不機嫌さを隠すことなくその場を立ち去ろうとすると、腕を引かれてベンチに座らされる。
麻木を睨みつけるが表情を崩さない。
「まあ分かるけどねぇ、そういう年頃だよねぇ」と、引き留めたくせに煽る。
こんな奴が警察官でいいのか。お国の犬は、公務員は、こんな人間を警察官として認めているのか。
もっと人間性を理解してから採用した方がいいんじゃないか。
「俺たちも気になってるんだよ。毎日のように公園にいてさ、何か事情があるのかなぁって」
「別に」
「親御さんは心配してないのか?」
親については教師にも聞かれる。
うんざりだ。
「別に」
「大丈夫なのか、虐待とか」
存外ストレートに訊くんだな。
遠回しな言い方があるだろうに、言いにくそうにしながらも「虐待」というワードはしっかり口にする。遠回しに聞かれていたならば、またこの話かと呆れて俺は帰っていただろう。
こうも直球で言われたのは初めてだったので、不意を突かれた。
「……はぁ」
「どうした?」
「俺が不真面目だから、親に原因があるかと思うんだろ。でも虐待なんてされてないし、親との関係が悪いわけじゃない」
放任主義というだけで、後は普通の親だ。
好きなように生きろ、と言われるので好きにしている。
「じゃあどうして?」
「学校が終わって、すぐ家に帰ろうと思わないから」
「どうして?」
「さあ?」
「……やっぱり、恰好いいと思ってるからだろう」
「しつこいな。その顔やめろよ、キモい」
にやにやとしつこくその話を持ち出す。
すぐ家に帰ろうとしない明確な理由なんてない。そうしたいからそうしているだけ。世間はそれがおかしいと言うけれど、別におかしくない。
なんとなく、で選択することなんて山ほどあるだろう。
なんとなく家に帰らない。俺にとってはそんな感じだ。
したいことがあるから、家に居たくないから、そんなことは思ったことがない。
それはきっとあいつ等も同じだ。
似たように放任主義の親がいて、俺と同じようになんとなく帰りたくない。
ボソボソとその話をすると、麻木は「ふむふむ」と真面目に聞いているのかいないのか分からない相槌をした。
「そりゃあ、仕方ないな」
「……は?」
「なんとなく帰りたいんだろ? 気分の問題ってわけだ、じゃあ仕方ないよな」
うんうん、と一人で頷いている麻木に呆れる。
こいつは本当に警察官なのか。
あれだけ毎日のように早く帰れと言っておいて、「なんとなくなら仕方ないよな」で済ますのかよ。
「ん? どうかしたか?」
「警察ってそれでいいのか?」
「いいだろ」
「もっとこう、厳しい指導するんじゃないのか?」
「厳しい指導がお望みなら、やってあげるよ。まあ、理由を知りたかっただけだからね」
「……麻木以外の警察官は怒ってたけど」
「それが警察官だからね」
「意味分かんねえ」
にこにこと貼り付けた笑みを向けられる。
気持ち悪い。
「なんとなくそうしたい、って年頃だもんね」
「年頃で片づけんなよ」
「毎度毎度注意されてるのに言うことを聞かないんだから、そのなんとなくは強いなんとなくでしょう?」
なんだよ、強いなんとなくって。
「夜道が危険なのは本当。警察官としては早く家に帰ってほしいんだよ」
「あっそ」
「でも不良少年だった身としては、その気持ち分かっちゃうなー」
「げぇっ、お前不良だったのかよ。俺等より悪いじゃん」
「もうちょっと自分たちを客観的に見ようよ。君たち普通に不良だよ」
「落ちこぼれ高校に通ってるだけだぞ」
「不良高校に通ってる、の間違いだろう」
確かに通っているのは見た目が派手な連中ばかりだ。
髪を染めたり、ピアスを開けたり、制服を着崩したり。
不良高校と言われて反論はできない。
それでも俺は黒髪で耳に穴は開けていない、制服を着崩すようなことはしていない。不良ではない。
「警察官としてはさ、早く帰らせたいんだよ。だから気が向いたら早く帰ってね」
「……気が向いたらな。ていうか、本当にいいのかよ。苦情まで入ってるならもうちょっと頑張って説得しようとか思わないのか?」
説得されたくはないけれど、これが警察官で本当にいいのかと思ってしまう。
「あぁ、あれ嘘」
「嘘!?」
「苦情なんてないよ。大声で騒ぐわけでもないし、ただ静かに公園にいるだけだから苦情なんて入らない」
「……あの高校の制服を着た男五人がずっと公園にいる、って苦情もないのかよ」
「ないねぇ」
「……あっそ」
「あ、ちょっと安心した?」
「うっるせえな」
手を伸ばして頭を触ってきそうだったのでその手を払いのけた。
「いたた」と、大して痛くもないくせに痛がる素振りをする。
「学校が終わってからあの時間までずっと公園にいるの?家に帰りたくない?」
「学校が閉まるまで校庭でサッカーしたりしてんだよ」
「部活の邪魔にならない?」
「落ちこぼれ高校にちゃんとした部活があると思うか?」
「それもそうか」
「納得すんなよ」
「俺が通ってた不良高校も、そんな感じだったから分かるー」
なんだか夜に会った時と印象が違うな。
暗い中で会うと老けて見えたが、明るい中で会うと若く見える。
「はぁ、じゃあ俺学校に行くから」
何で警察官と仲良く喋っているんだ、と我に返った。
登校するのは億劫だが、偶には普段より早く登校するのもいいだろう。
麻木は相変わらずにこにこしながら「そうか」と一言返した。
「そういえばお前、コンビニにいたけど何も買ってないのか?」
「あぁ、お陰で朝ごはん食いそびれた」
会計した後に、入店した麻木と出会った。
麻木は朝食を買う前にここへ来てしまったのだ。
俺のせいではないが、罪悪感がちくっと胸を刺した。
気乗りしないが、まあいい。
鞄の中から取り出して、麻木に投げつける。
「うおっ、何だ!?」
「やる」
投げたスナック菓子をまじまじと観察した麻木は、何かに気付いたようにはっとした。
目を丸くしてこっちを見る。
「ま、まさか爽……」
「何だよ」
優しい、とか入れると嫌だな。
「これ……コンビニで盗んだんじゃ……」
うっざ。
「爽、パンしか買わなかっただろう。こんなの買ってなかったはずだ……これは見過ごせない……」
「昨日買ったやつだわ阿保」
「あ、そうか」
さっきパンと一緒に買っていなかったからといって、盗品だと思い込む馬鹿がいるかよ。
俺だってそんな雑な思考はしない。
まさか、こいつ。
「お前もしかして、不良時代に万引きしたのか」
盗品だと思ったのは、自身が盗みを働いたことがあるからじゃないだろうか。
怪しんで訊ねると、麻木はあの笑顔を浮かべて黙り込んだ。
図星か。
マジかよ。
「夜は危ないから、真っ直ぐ家に帰るんだぞ」
何事もなかったかのように話を元に戻し、さっさと行けと言わんばかりに手を振り始めた。
それ以上互いに喋ることはなく、小さな公園を出て買ったパンを食べながら歩く。
警察官って、あれでいいのか。