第1話

文字数 2,312文字

 作家・詩人十七人が集まって作られたアンソロジー「それでも三月は、また」に掲載された「日和山」では、震災後すぐに佐伯一麦が友人のいる館腰公民館を訪問した時に月を見るようになったことが書かれている。「月のきれいさ」について、小説という形式を用いて強い印象を残すように読者に提示されている。

 その夜は、小学校に行ってた子供は小学校で、女房は公民館で、家族がバラバラになって避難してたんです。そっちの方も無事なのかどうか心配だし、ともかく目の前で起こったことに何も言えずに暗い床を見ながらぼうっとしてたら、夜中になってこの子が、お父さん、見て、星がきれいだって教えてくれて。こんなときに、星がどうしたって思いながら、顔を上げると、満天の星空が広がってました。周りが真っ暗だから、その光が見えなくて。地上は地獄みたいにすっかり変わってしまったのに、星だけは変わらないのかって-『日和山 209P』

 日和山は宮城県名取市閖上にある山であり、山から見た月は短編にあるように震災後でも忘れることができないような美しさだったという。日和山については短くだが「鉄塔家族」の、主人公の夫婦が山に向かうシーンに書かれており、そこには昭和八年に起きた津波記念の戒石が建っていることが述べられている。

 斎木は、日和山と呼ばれている、標高わずか十メートル足らずの山へ向かった。(略)
 日和山の石段の登り口には、昭和八年に起きた津波記念の戒石が建っていた。日和山と呼ばれる山は、全国各地に八十余ヶ所あるといわれ、いずれも外海に面した海の近く、それもせいぜい標高百メートル程度の山だという共通点を持つ。港町には、経験を積んだ日和見の専門家がいて、早朝に日和山へ登って雲行きや風向きを調べて天気を占ったというんだ、と斎木は奈穂に話した。『鉄塔家族 309』

 閖上にある日和山には宮城県沖地震もだが、このあたりで以前も津波の被害があったことが「鉄塔家族」では述べられている。また月を見ることが以前からの習慣であることが書かれている。「鉄塔家族」の月を見るシーンはまだ震災前の平凡な日々の様子が現れており、和やかな空気が流れている。

「さあ、もう少しで月が顔を出してくれそうです」
 琴の合奏が曲間の休憩となり、司会役の園長がマイクを通して言うと、おちこちから、雲よ流れよ、と念じる声が挙がった。
「あんなところに、去年までは鉄塔なんかありませんでしたよねえ」
「ちょうど、お月さんが見えるところに邪魔ですねえ」
 観客からそんな言葉も聞こえ始めて、斎木は自分は詰られているかのように、身が疎む思いがした。
 やがて、月がちょうど鉄塔の隙間に姿を表した。-『鉄塔家族 329』

「日和山」での月は震災後の暗がりの様子が書かれてはいるが、月自体の美しさは「鉄塔家族」での月と変わらないような形で描かれており、小説全体の空気とは対極的である。

「震災前のことは夢にまるで出てこないんです。全部震災後のことばかりで。別に、津波のときの悪夢を見るとか、そういうわけではないんですけど」
「そういえば、おれもそうだな」
「やっぱり茂崎さんもそうですか。……何だか、こっちの思いをよそに、周りはどんどん変えられてしまっていくみたいで、じっくりものが考えられなくて。せめて時間の流れを堰止めたいっすよ」-『日和山 216P』

 2020年の佐伯一麦についてはコロナウイルス問題もあってアスベスト「禍」との関係性で「石の肺」が岩波現代文庫で再版されていた(後はミチノオク 第三回 飛鳥が良かった)。気になったのは「一輪」の主人公が実際の氏の関係者がモデルだったのが書かれていたことだ。以前仙台文学館で文芸文庫の橋中氏と対談し「他人を書くことも私小説」と話していたと思ったが、このくらい近距離ならそうなのかなと感じた。長くは生きられない、と「一輪」新潮文庫などでは説明されていたが、他人だとはあまり意識していなかった。

 佐伯氏については評論で取り上げられることはあまりないのだが「すばる2016年7月号「温泉想(佐伯一麦は東日本大震災の際に外国人と温泉にいた)」大澤信亮」で「一輪」が引用されていて珍しく、今年と何か関係があるのかな、と思った。「小説の神」は災厄が起きた際に訪れてしまうのか、と書くと良い文芸作品など出版されないほうが良いかもしれない、と思われそうだが早世者などの統計を見ると、

東北の太平洋岸が大地震と大津波に襲われたあの日、自分がいかに日本各地で起きた災厄について無知だったかを思い知らされた作家は、水辺の災害の記憶を辿る旅に出たー「山海記 群像2016年4月号」

ではないが、災厄のない世の中などない、災厄を少なくし悲劇を生み出さないために、文学は必要なのだし力を蓄える必要があるのだと信じている。来年はアスベスト「禍」とウイルス問題路線の延長で「一輪」を再版すべきかもしれないし、再版されるかもしれない。「ななかまど、ローワンツリー」「野焼」なども短編集で出版してほしいが、もっと落ち着いてからしかないとは思う。

 私が一九八四年に海燕新人文学賞を受けたデビュー作について、選考委員のお一人だった三浦哲郎氏から、こんな選評をいただいたものだった。〈素材にも作風にも身に憶えがあって、親近感を持つと同時に、つい欲張りにもなるのだが、作品の構えの物々しさに比べて中身がすこし貧しいのではないかと思った。描かれている青春が貧しいというのではない。貧しさを表現する人間の心がもうすこし豊かであってもいいと思ったのだ〉。ー「三浦さんの思い出」佐伯一麦 三浦哲郎展図録(2020年9月30日発行)
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