第1話

文字数 2,000文字

11月25日。18年前、僕がこの世に生まれてきた日だ。世間の人々は、ただ誕生日というだけでやたらとその人の事を祝福したがるが、正直その心理がよく分からない。ただ、それでも祝われるというのは気分の良いもので、大抵誕生日の日は心地よく過ごすことができる。
ふと思い立ち、メッセージアプリのバースデーカードを見てみる。小学校や中学校の知人からもカードが贈られてきていて、懐かしい気分になったが、その感慨はすぐに消え去り、代わりに苦々しい記憶が脳をよぎる。かつての部活仲間であり、同時に自分が夢を諦める最大の原因となった人物から、バースデーカードが送られてきていたのである。
僕は一年生の時、剣道部に所属していた。僕が通っている高校は剣道の強豪校と呼ばれており、その中でも自分はトップクラスの実力を有していた。だから、表向きは自らの事を低く評価しつつも、内心では剣道を極め、剣道で生きていきたいという野心を持っていた。
しかし、その野心は脆くも崩れ去ることとなる。7月ごろ、1人の新入部員が入ってきたのだ。彼は剣道の未経験者。基礎中の基礎から少しずつ学ぶ必要があり、当初実力は自分達の方が遥かに上だった。そして、彼の入部から半年後の部内の練習試合。

僕は、完膚なきまでに彼に叩きのめされた。

彼が持つ身体能力や学んだ事を吸収する力ーいわゆる才能、という点において、僕は彼に完敗していた。しかしそれにしたって、腐っても剣道を9年続けている僕がたった半年しか剣道をしていない、言ってしまえば一般人のような相手に負けるというのは普通はあり得ない事だ。その「あり得ない」が現実になってしまっているわけだが。
その出来事は、僕の剣道への意欲を削ぐには十分過ぎるほど衝撃的な出来事だった。僕は井の中の蛙だったのだ。その後は練習も雑になり、実力がどんどん失われていく一方で、結局3月には部活を辞めてしまった。それ以来、剣道との関わりはない。
そして今、その彼からバースデーカードが送られてきたのだ。カードには、「また一緒に剣道をやりたいな。今は受験で忙しいかもだけど、終わったら戻ってきてね!」と記されている。何が一緒に剣道をやりたい、だ。剣道をやめたのは、彼のせいだというのに。ーもしかしたら、それも全て知っていて、か?全て察した上で、それでも戻ってきてほしいと言っているのか?
ーまさか。そんな事を人に勘付かれるほど、態度には出していなかった。ただ、その事を勘付いていたとしても、勘付いていなかったとしても、辞めたやつにそんな言葉をかけるという人間性自体が、僕にはとても眩しく感じられる。
そう思った途端、空が光ったような気がして、僕は思わずベランダに出て空を見上げた。一瞬未確認飛行物体の類かとも思ったが、空にはヘリコプターが飛んでいるのみ。恐らくヘリのライトか何かが点灯したのだろう。そういう眩しいじゃないんだよな、と思いつつ、部屋の中へと戻ろうとするが、ふと目に入った夜空の光景に、思わず足が止まる。
そこにあったのは、満天の星空だった。この辺りは建物も少なく、星空がよく見える。昔は毎日のように眺めていた事を思い出す。最近は星を見るなんて機会もなかったが、久しぶりにゆっくりと眺めることにした。

何分経っただろうか。分なんて単位じゃ済まないほど空を眺めていたかもしれない。久しぶりに見る夜空は言葉では言い表せないほど美しく、心が洗われていくような感覚がした。長いこと外にいると、体もかなり冷えてくる。流石にそろそろ戻るか、ということで部屋に戻ったが、それでも僕はまだ星について考えていたかった。その時、ある存在を思い出した。誕生星である。誕生日1日ごとに、対応する天体があるのだ。自分の誕生星は何だっただろうかと思いつつ、スマホで検索をする。
グラフィアス。さそり座の天体だ。前にさそり座をちゃんと見たのはいつの事であろうか。そんな事を思いつつ、意味の部分へと目をやる。グラフィアスの意味は、「野心を秘めた穏やかさ」。穏やかさ、というのは間違いなく自分に合っているだろう。剣道から身を引いて以降はこれといった目標もなく、淡々と過ごしている。穏やか、というよりも空虚、と言った方が近いかもしれないが。
そして、野心。とっくに捨て去った、自分とは無縁のもの。そう思っていたが、本当はどうなのか。昔の、強くあれた頃の記憶。2年前の、屈辱の記憶。数多の剣道に関わる記憶が蘇る。ーその時、気がついたら僕は竹刀を探していた。2年前に決別したはずの、あの竹刀を。
竹刀を見つけ手に取ったところで、はっとした。あの時、剣道への思いは完全に捨て去ったものだと思っていた。だが、本当はー
(まだ僕にも、野心というものが残っていたんだな)
推薦入試に受かっていたら、また剣道部に行こう。そして、今度こそ彼に勝つ。そんな決意を抱きながら、僕はもう一度夜空を見上げた。
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