失恋 3.
文字数 3,340文字
「今日も自主練すんの?」
蓮が、ボールをコロコロと軽く蹴りながら、僕のほうへ近づいてくる。
グラウンドには、部活を終えた、あしながおじさんのような細長い人影たちが、気だるそうに歩いている。
「んー? するよー」
僕は小さなカラーコーンを並べながら、空返事をした。その間を縫うように、ボールを転がしながら蓮が付いてくる。
自主練と言えば、聞こえはいい。けど僕の場合、ただ体を思い切り疲れさせたいだけだった。何も考えられないくらいに。起きていられないくらいに。そうすれば、一人になったとき、余計なことを考えなくて済む。
「もう体調いいの? 風邪?」
蓮は昨日、体調を崩し、お昼前に早退していた。
「あぁ、知恵熱だよ」
「知恵熱って!」
真顔で言う蓮に向かって、僕はぷっと吹き出した。
「なぁ。……朝霧と別れたん?」
僕のすぐ後ろまで来ると、蓮は横へずれ、足元でボールをもてあそぶように転がした。
「うん。昨日の放課後にね」
カラーコーンを並べ終えて顔を上げると、僕を見る蓮と目が合った。
「落ち込んどる?」
「いや。わりと大丈夫」
「そか」
蓮は、足元のボールに視線を移した。
「変? 落ち込んでないのって」
「んー、別にそこまで好きじゃなかったってだけじゃね?」
「うん……。朝霧さんいい子だし、一緒に居て楽しかったんだけど……」
それだけっていうか、友達っていうか……。
「そういう対象として見れなかった、っていうか……」
自分の中のもやもやしたものを、はっきりと言葉にできないことがもどかしかった。
「手、繋いでも、なんとも思わなかったって言ってたもんな」
朝霧さんと、何度か手を繋いだことがあった。それはいつも朝霧さんからで、僕から手を繋いだことは一度もなかった。そのとき僕は、ただ手を繋いでいるという現実を受け止めていただけで、嬉しいだとか幸せだとかという感情は、少しも無かった。おそらく朝霧さんは、それ以上の関係を望んでいたと思う。そのことに、なんとなく気付いてはいたが、あえて気付いていない振りをしていた。そういう態度が、別れを決心させた理由の一つなんだろう。
「お前……ゲイとか?」
僕の顔を覗き込むようにして言った。蓮は、にやけるわけでもなく、普段どおりの表情をしている。
「それ、倉橋にも言われたよ。お前ホモか? 不能なのか? って」
「倉橋らしいな」
蓮は、ははっと短く笑った。
ホモではなく、ゲイと言ったところが、蓮らしいなと思った。
「まっ、でも、いい子と好きは別だろうし、お前は可愛けりゃ誰でもいいってタイプでもないしな」
僕は、蓮と話をするのが好きだ。どんな話であっても、いつもちゃんと向き合って話をしてくれる。
もし、学校にとって良い子か悪い子かだけで簡単に判断するなら、蓮は確実に悪い子だ。遅刻の常習犯で、こそこそする様子もなく、授業中に堂々と教室に入っていく。そして、無言で教師の前を通り過ぎると、一番前の席で、机に突っ伏して寝てしまうらしい。蓮と同じクラスの藤堂が、蓮が開ける扉の音に、いつもびっくりして起きてしまう、と文句を言っていた。
たとえ朝、ちゃんと登校したとしても、校門前に立つ生徒指導部の教師に、学ランのボタンを閉めてから校門をくぐれだとか、前髪が長すぎるだとか注意されると、表情ひとつ変えずにそのままUターンして帰ってしまう。焦った他の教師が、蓮を追い掛けていく情けない後ろ姿を、何度も見たことがある。でも蓮は、自分を強く大きく見せようとしたり、怒鳴ったり、暴れたり、喧嘩をしたり、という目立つ行為はしない。いつも冷静で、僕なんかよりよっぽど大人だと思う。
「好きって、なんなんだろうね?」
細長く伸びていた影は、いつの間にか色を暗くしたグラウンドに、溶け込もうとしていた。
「はぁっ? なにっ……」
目を丸くした蓮が足を止めると、ボールはあらぬ方向へそろりと転がっていった。
「んー……」
蓮は目を細め、眉間に浅いしわを寄せながら、視線を横へ向ける。
たぶん、はぁっ? 何言ってんの? と言おうとしたんだと思う。こんな呆れてしまうようなことでも、いつも真剣に考えてくれて、ちゃんと僕と向き合ってくれる。だから、僕は蓮と話をするのが好きだ。
「正直、好きって気持ち、よく分からなくて……」
僕は口を噤 んだ。
僕は、人を好きになることができない。そのことに、ずっと劣等感を持っている。
小学生のときは、「よく分からない」で通じていたが、中学生になると、それもだんだん通じなくなってくる。男同士で、「俺、○○ちゃんのことが好きなんだ」「じゃ、告白しろよ」「えー、でも自信無いし」「大丈夫だって! 俺、協力するし」……なんて恋バナをすることは、なかなかないけど、誰が可愛いだとか、どっちが好きだとかの話にはなる。正直、興味は無い。けど、そんなこと絶対に言えない。言う勇気も無い。自分なりにではあるけど、可愛い、綺麗、の判断だけはできているつもりなので、適当に話を合わせて、なんとか切り抜けている。これが、誰とヤリたいだとか、どこまでいっただとかの話になると、更に付いていけず、顔の表面だけで、薄っぺらな笑顔を作るのが精一杯だった。そして一人になると、パチンと音が聞こえるくらいはっきりと、スイッチが切れてしまう。体の中が全部、灰色の砂で埋め尽くされていくようだった。どんよりと重く、気だるい。
なぜ僕だけ、みんなが当たり前のようにするたわいない話でさえ、周りをうかがって、考えて、悩んで、苦しまないとできないんだろう。なぜ、自分を偽らないとできないんだろう。
「んー……。意識してなるもんでもねぇしなー。興味無いなら、興味無いで別にいいだろ。もしかして、気にしてんの?」
蓮は、足元に戻したボールの上に左足を載せ、その場でコロコロと前後に転がしながら言った。
僕には、蓮にも話せていないことがある。もし今、僕の奥底で、ぐちゃぐちゃに絡み付いている真っ暗な感情を、全て言葉にして発してしまったら、蓮はどんな顔をするんだろう? 僕のことをどう思うんだろう? そんなことを考えると、恐怖で全てをさらけ出すことを躊躇 ってしまう。
「いっ……たっ!」
突然、ドンッ! という鈍い音と共に、背中に激痛が走った。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。が、すぐに蓮が僕の背中を思いっきり叩いたんだと分かった。
「お前はお前なんだからさ、そんままでいいんじゃねぇの!」
そう言って僕に背を向けると、カラーコーンの間を縫うように素早くボールを転がしていく。
鼻の奥が、じわじわと痛くなり、涙のスイッチの寸前まで迫ってきた。
蓮が掛けてくれた、短くぶっきらぼうな言葉。そこには、僕が欲しかったものが、たくさん含まれているように感じた。この先、たとえ僕がどんなことを言ったとしても、蓮は全て受け入れてくれるんじゃないかと思えた。そして、そうであってほしいと思った。
少しずつ離れていく、蓮の背中。ゴール前で左腕を横へ大きく開き、体を傾けると、右足を後ろに曲げる。そして腕を右太もものほうへ振り下ろすと同時に、膝下を大きく振りぬいた。ボールはきれいな弓なりの軌道を描いて、ゴールへ飛び込んでいった。まるで、最初からそこへ飛んでいくことが、分かっていたかのように。
「なあっ! 腹減ったぁ! なんか食いに行こ!」
振り返ってそう言うと、ボールを小刻みに転がしながら、僕のほうへ向かって来る。横を通り過ぎる瞬間、
「お前のおごりでな!」
蓮はわざとらしくニヤリと笑った。
「なんでっ! 蓮がおごってよ!」
背中にはまだ、蓮の手の形をした熱と痛みが残っている。
「つーか、片付け手伝ってよっ!」
振り向きもせず、一人去っていこうとする蓮の背中に向けて言った。
蓮の存在は、いつも僕に大きな影響を与えてくれる。
蓮が、ボールをコロコロと軽く蹴りながら、僕のほうへ近づいてくる。
グラウンドには、部活を終えた、あしながおじさんのような細長い人影たちが、気だるそうに歩いている。
「んー? するよー」
僕は小さなカラーコーンを並べながら、空返事をした。その間を縫うように、ボールを転がしながら蓮が付いてくる。
自主練と言えば、聞こえはいい。けど僕の場合、ただ体を思い切り疲れさせたいだけだった。何も考えられないくらいに。起きていられないくらいに。そうすれば、一人になったとき、余計なことを考えなくて済む。
「もう体調いいの? 風邪?」
蓮は昨日、体調を崩し、お昼前に早退していた。
「あぁ、知恵熱だよ」
「知恵熱って!」
真顔で言う蓮に向かって、僕はぷっと吹き出した。
「なぁ。……朝霧と別れたん?」
僕のすぐ後ろまで来ると、蓮は横へずれ、足元でボールをもてあそぶように転がした。
「うん。昨日の放課後にね」
カラーコーンを並べ終えて顔を上げると、僕を見る蓮と目が合った。
「落ち込んどる?」
「いや。わりと大丈夫」
「そか」
蓮は、足元のボールに視線を移した。
「変? 落ち込んでないのって」
「んー、別にそこまで好きじゃなかったってだけじゃね?」
「うん……。朝霧さんいい子だし、一緒に居て楽しかったんだけど……」
それだけっていうか、友達っていうか……。
「そういう対象として見れなかった、っていうか……」
自分の中のもやもやしたものを、はっきりと言葉にできないことがもどかしかった。
「手、繋いでも、なんとも思わなかったって言ってたもんな」
朝霧さんと、何度か手を繋いだことがあった。それはいつも朝霧さんからで、僕から手を繋いだことは一度もなかった。そのとき僕は、ただ手を繋いでいるという現実を受け止めていただけで、嬉しいだとか幸せだとかという感情は、少しも無かった。おそらく朝霧さんは、それ以上の関係を望んでいたと思う。そのことに、なんとなく気付いてはいたが、あえて気付いていない振りをしていた。そういう態度が、別れを決心させた理由の一つなんだろう。
「お前……ゲイとか?」
僕の顔を覗き込むようにして言った。蓮は、にやけるわけでもなく、普段どおりの表情をしている。
「それ、倉橋にも言われたよ。お前ホモか? 不能なのか? って」
「倉橋らしいな」
蓮は、ははっと短く笑った。
ホモではなく、ゲイと言ったところが、蓮らしいなと思った。
「まっ、でも、いい子と好きは別だろうし、お前は可愛けりゃ誰でもいいってタイプでもないしな」
僕は、蓮と話をするのが好きだ。どんな話であっても、いつもちゃんと向き合って話をしてくれる。
もし、学校にとって良い子か悪い子かだけで簡単に判断するなら、蓮は確実に悪い子だ。遅刻の常習犯で、こそこそする様子もなく、授業中に堂々と教室に入っていく。そして、無言で教師の前を通り過ぎると、一番前の席で、机に突っ伏して寝てしまうらしい。蓮と同じクラスの藤堂が、蓮が開ける扉の音に、いつもびっくりして起きてしまう、と文句を言っていた。
たとえ朝、ちゃんと登校したとしても、校門前に立つ生徒指導部の教師に、学ランのボタンを閉めてから校門をくぐれだとか、前髪が長すぎるだとか注意されると、表情ひとつ変えずにそのままUターンして帰ってしまう。焦った他の教師が、蓮を追い掛けていく情けない後ろ姿を、何度も見たことがある。でも蓮は、自分を強く大きく見せようとしたり、怒鳴ったり、暴れたり、喧嘩をしたり、という目立つ行為はしない。いつも冷静で、僕なんかよりよっぽど大人だと思う。
「好きって、なんなんだろうね?」
細長く伸びていた影は、いつの間にか色を暗くしたグラウンドに、溶け込もうとしていた。
「はぁっ? なにっ……」
目を丸くした蓮が足を止めると、ボールはあらぬ方向へそろりと転がっていった。
「んー……」
蓮は目を細め、眉間に浅いしわを寄せながら、視線を横へ向ける。
たぶん、はぁっ? 何言ってんの? と言おうとしたんだと思う。こんな呆れてしまうようなことでも、いつも真剣に考えてくれて、ちゃんと僕と向き合ってくれる。だから、僕は蓮と話をするのが好きだ。
「正直、好きって気持ち、よく分からなくて……」
僕は口を
僕は、人を好きになることができない。そのことに、ずっと劣等感を持っている。
小学生のときは、「よく分からない」で通じていたが、中学生になると、それもだんだん通じなくなってくる。男同士で、「俺、○○ちゃんのことが好きなんだ」「じゃ、告白しろよ」「えー、でも自信無いし」「大丈夫だって! 俺、協力するし」……なんて恋バナをすることは、なかなかないけど、誰が可愛いだとか、どっちが好きだとかの話にはなる。正直、興味は無い。けど、そんなこと絶対に言えない。言う勇気も無い。自分なりにではあるけど、可愛い、綺麗、の判断だけはできているつもりなので、適当に話を合わせて、なんとか切り抜けている。これが、誰とヤリたいだとか、どこまでいっただとかの話になると、更に付いていけず、顔の表面だけで、薄っぺらな笑顔を作るのが精一杯だった。そして一人になると、パチンと音が聞こえるくらいはっきりと、スイッチが切れてしまう。体の中が全部、灰色の砂で埋め尽くされていくようだった。どんよりと重く、気だるい。
なぜ僕だけ、みんなが当たり前のようにするたわいない話でさえ、周りをうかがって、考えて、悩んで、苦しまないとできないんだろう。なぜ、自分を偽らないとできないんだろう。
「んー……。意識してなるもんでもねぇしなー。興味無いなら、興味無いで別にいいだろ。もしかして、気にしてんの?」
蓮は、足元に戻したボールの上に左足を載せ、その場でコロコロと前後に転がしながら言った。
僕には、蓮にも話せていないことがある。もし今、僕の奥底で、ぐちゃぐちゃに絡み付いている真っ暗な感情を、全て言葉にして発してしまったら、蓮はどんな顔をするんだろう? 僕のことをどう思うんだろう? そんなことを考えると、恐怖で全てをさらけ出すことを
「いっ……たっ!」
突然、ドンッ! という鈍い音と共に、背中に激痛が走った。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。が、すぐに蓮が僕の背中を思いっきり叩いたんだと分かった。
「お前はお前なんだからさ、そんままでいいんじゃねぇの!」
そう言って僕に背を向けると、カラーコーンの間を縫うように素早くボールを転がしていく。
鼻の奥が、じわじわと痛くなり、涙のスイッチの寸前まで迫ってきた。
蓮が掛けてくれた、短くぶっきらぼうな言葉。そこには、僕が欲しかったものが、たくさん含まれているように感じた。この先、たとえ僕がどんなことを言ったとしても、蓮は全て受け入れてくれるんじゃないかと思えた。そして、そうであってほしいと思った。
少しずつ離れていく、蓮の背中。ゴール前で左腕を横へ大きく開き、体を傾けると、右足を後ろに曲げる。そして腕を右太もものほうへ振り下ろすと同時に、膝下を大きく振りぬいた。ボールはきれいな弓なりの軌道を描いて、ゴールへ飛び込んでいった。まるで、最初からそこへ飛んでいくことが、分かっていたかのように。
「なあっ! 腹減ったぁ! なんか食いに行こ!」
振り返ってそう言うと、ボールを小刻みに転がしながら、僕のほうへ向かって来る。横を通り過ぎる瞬間、
「お前のおごりでな!」
蓮はわざとらしくニヤリと笑った。
「なんでっ! 蓮がおごってよ!」
背中にはまだ、蓮の手の形をした熱と痛みが残っている。
「つーか、片付け手伝ってよっ!」
振り向きもせず、一人去っていこうとする蓮の背中に向けて言った。
蓮の存在は、いつも僕に大きな影響を与えてくれる。