第1話

文字数 20,887文字

戦友【新選組】
1860年。のちに新選組局長となる近藤勇は、松井つねと結婚する。
1861年8月27日には、府中六所宮にて、天然理心流宗家四代目襲名披露の野試合を行い、晴れて流派一門の宗家を継ぎ、その重責を担うこととなった。
勇は天然理心流の門人同士で交流を持ち、特に兄の音五郎や惣兵衛、寺尾安次郎、佐藤彦五郎、小島鹿之助、沖田林太郎、粕谷良循らがいる。沖田林太郎は沖田総司の義兄である。

勇は、ツネが待つ家に気まぐれに帰ってきた。
「あなた、外で女の人が待っているの?」
「別に待ってないよ。」
勇はヨウジで歯の掃除をしながら言った。

4日帰らなかったある日、突然勇が帰ってきた。
「おーい、ツネ!いるか!」
「はーい。」
ツネが顔を出すと、男の連れがいた。土方歳三、沖田総司である。佐藤彦五郎は立って、笑っていた。
「俺達、これから仲間やから。」
「はあ、そうですかぁ‥。」
「そうですかって、なんよお前!」
勇はツネの頭を軽く叩いた。

1863年正月、江戸幕府は旗本の松平忠敏、出羽国庄内藩出身の清河八郎の献策を容れ、14代将軍・徳川家茂の上洛警護をする浪士組織「浪士組」への参加者を募った。
勇ら試衛館の8人はこれに参加することを決める。
正月16日に勇は小野路村の小島家で鎖帷子を借りている。2月8日、浪士組一行と共に京都に向けて出発した。勇は宿割りを命じられ、本隊より先行して出発した。
「お願い、一晩だけ止めてやってください。」
勇は宿主に困り顔で手をすり合わせた。
「お代は、○○円多く払います。一人‥。あ‥、やっぱり、宿代はそのままで、朝飯ぬきでいいです。」
「朝飯は用意しなくていいだね?」
「はい、構いません。」

2月9日に本庄宿に止宿した際に宿の手配に漏れが生じ、水戸藩の芹沢鴨が激怒して大篝火を焚き、勇と池田が詫びた。

一行が京都に到着した23日夜、清河は新徳寺において浪士組上京の真の目的は朝廷に尊王攘夷の志を建白することであると宣言し、浪士組の江戸帰還を提案し、翌24日に清河は学習院国事参政掛に建白書を提出した。これにより浪士組は清河ら江戸帰還派と勇・芹沢ら京都残留派に分裂し、異議を唱えた勇や芹沢ら24人は京に残留した。
清河八郎という男は、新選組を作る流れを作り、虎尾の会を率いて明治維新の火付け役となった。

3月10日、二条城において京都守護職を務める会津藩主・松平容保は幕府老中から京都の治安維持のため浪士を差配することを命じられ、勇・芹沢ら17名の京都残留組は会津藩に嘆願書を提出し、3月12日に受理され会津藩預かりとして将軍在京中の市中警護を担う「壬生浪士組」が結成された。浪士組24名のうち試衛場出身者は勇ら8名を占めている。

結成当初の壬生浪士組は運営がスムーズに行かず、勇は仲間を暗殺したり、切腹させたりした。浪士組は近藤派と芹沢派5名の二派閥体制となった。

3月25日、勇・芹沢ら浪士組が狂言を見物しているのを、遅れてきた土方と沖田が目撃する。揃いの羽織を着ているので、土方が声をかけた。
「なんだよ、それ。俺たちにはねぇの?」
「うーん、まだ。」
勇はニヤニヤと笑い、曖昧な答えをした。
「えーなにそれ。」
土方と沖田は驚いた。仲間外れになったようで、恥ずかしかった。

「近藤天狗になり候。」
4月17日、土方・沖田・井上は、井上松五郎に相談している。

8月18日、長州藩を京都政局から排するために、中川宮朝彦親王・会津藩・薩摩藩主導の八月十八日の政変が起こると、壬生浪士組は御花畑門の警護担当となるが、目立った活躍もなく長州勢の残党狩りに出動する。
「どういう事ぜよ、それは!」
沖田は言った。
その後、働きぶりが認められ、武家伝奏より「新選組」の隊名を下賜された。勇・土方らはまず、副長の新見錦を自殺させた。
「お前は人の女を殺したからだ。切腹を命じる。」
土方は冷静に述べ、勇はごくりとつばを飲んだ。
9月13日には勇の意に応じないとして、田中伊織を暗殺した。

9月、芹沢鴨が懸想していた吉田屋の芸妓小寅が肌を許さなかったため、立腹した芹沢が吉田屋に乗り込み、店を破壊すると主人を脅して、小寅と付き添いの芸妓お鹿を呼びつけ罰として2人を断髪させる狼藉を行っている。その時、芹沢は小寅の前で小刀をちらつかせ脅してみせて言った。
「俺はもうお前を抱いてやらねぇ。」

朝廷から芹沢の逮捕命令が出たことから、会津藩は芹沢の所置を命じたと言われるが、確証はない。また13日には、芹沢は、土方・沖田らと有栖川宮家を訪れ、壬生浪士の「交名」と警護の用があれば何事に限らず申し付けてくださいと記した書付を渡した。

9月16日あるいは18日、新選組は島原の角屋で芸妓総揚げの宴会を開いた。芹沢は平山五郎・平間重助・土方らと早めに角屋を出て、壬生の八木家へ戻り、八木家で再度宴会を催した。その席に芹沢の愛妾のお梅、平山の馴染みの芸妓・桔梗屋吉栄、平間の馴染みの糸里が待っていた。

土方歳三が刺客だった。
前日、八木家に訪れた土方は言った。
「吉栄います?」
「は‥?吉栄ならまだ‥。」
「いえ、じゃなくて、明日用意しておいてもらえます?平山さんの馴染みですので。」
「はい。他には‥?」
「糸里。それから、お梅。芹沢さんが来ますから。お願いします。」
土方は、糸里の名を言った後、迷ったようだった。
「土方さん、あなたのお気に入りは誰でしょうか?」
主人は手をすりあわせて聞いた。
「ええと、僕は‥もう、いいですから。」
土方は両手を下で組んで言った。土方はもうすぐ切腹される令状が出ているかのように、八木家を堂々とだましてみせた。

八木家での宴会が終わるとすっかり泥酔した芹沢らは女たちと同衾した。
糸里は、土方の体に添いなでてみたが、土方は固い表情のまま、頭の下で手を組み、天上を見上げていた。土方は全員を殺すつもりだったが、飲み会の席で、平間や平山、芹沢に良い言葉をかけられ、好きになってしまっていた。糸里は土方の股間に手をかけたが、土方は糸里の手を握り、作り笑いで言った。
「も、もういいから。俺、本当、もう行くね。」

大雨の夜、外で待っている沖田総司、原田左之助、山南敬助の下に走った。
「遅い。」
「すまぬ。あのさ、芸妓は殺さないで。」

敬助が聞いた。
「何、お前だけいい事してたの?」
「ちがうよ!お梅は鴨の相手だからやっていいけど、他の女は殺すな。なぁ、頼む。」
土方は沖田の手を握った。
「はい。御意。」
「そうか。よろしく。」
土方は沖田の顔をのぞきこんだ。

走りながら、土方は念のため、左之助と敬助にも言った。
「女の命は助けてくれよ。お梅以外。な?」
「お梅って誰?」
「わからねーなら、誰も殺さんでいい。女のことは。」
「はい。」「へーいへい。」
ブッ
左之助は屁をした。

深夜、4人は芹沢の寝ている部屋に押し入り、同室で寝ていた平山を殺害すると、沖田が芹沢に斬りつけた。
「小寅の仇をとってくれる。」
「ひぃぃ。」
芹沢は息を飲んだが、
「小寅と俺は何もやっとらんぞ!小寅はお前が好きやったから、俺には肌を許さんかった。」
そう言うと、真っ裸のまま、隣の部屋に逃げた。左之助と敬助が追いかけた。

土方は隣の部屋で平間と向き合っていた。
平間は腰巻のまま刀を持ち、歳三と向き合っていた。女2人はすみで震えている。
「よい、逃れよ。」
土方は言った。
「女を連れて、逃れよ。」

「うわあああーー!!!!」
芹沢は逃げ、真っ裸のまま八木家の親子が寝ていた隣室に飛び込むが、文机につまずいて転び、そこをよってたかってずたずたに斬りつけられた。
目が斬られるまで、まだ意識があった。

沖田は布団をかぶりぶるぶる震えている梅子を見た。
沖田は布団をとると、梅子は何かを求めるかのように沖田を見た。

沖田はお梅を助けてやろうと背を向けて歩き出したが、このまま生かしておくと、お梅の短剣で、大切な兄さんが殺される気がした。ここで一人の女を殺したからといって、今まで自分はたくさんの嫌な奴らを斬ってきたのだから罪に変わりはない。

土方は、沖田が梅子を殺したのを聞いて、顔をしかめた。
「だって、梅子はいいって言ってたじゃん。」
「まぁ、そうなんだけど、女を殺すなんて、俺にはちょっとできないから。」
「好きな女じゃないなら、俺は殺せる。‥好きな女がいたんだろ?兄さん。」
「ああ‥。そういうわけじゃないよ。」
土方は、糸里にもう一度くらいは会えるだろうと期待していた。でも、沖田に見破られた時、もうダメだと分かった。

4人は肩膝をつき、芹沢の暗殺に成功した事を勇に告げた。
「よし、よくやった。」
勇は赤い顔で驚いたように言った。土方は立ち上がり、勇に耳打ちをした。
『それと、沖田がお梅という芸妓一人やった。平間には逃げられましたけど。』
「お梅をぉ!?」
勇は大きな声を出した。
「だから、お梅って誰ぇ?」
左之助と敬助が言った。

「沖田、女でもやれるんだな。」
「うん‥。なんで?どうしていけないだ?」
「いや‥。相手は武器も持っていないのに。は、裸やったんやろ?」
「うん。でも、兄さんがいいって言っていたから。」
「ふーん。」
勇は腕組みをして、歳三をじろじろ見た。
「それにさ、俺の女だって、もう殺されてんだぞ。」
沖田が言った。

「ああ。お前のことはもういい。しかし、平間に逃げられた事は赦さんぞ。」
「けれど、糸里がいたんですよ。そいつを逃がしてもらったから、仕方ないじゃないですか。」
「へぇ、お前の女を?」
「うん‥。」
タタタタ‥
走る音がしたので、土方は外を見た。
「走り出したら止まらん奴らだから、仕方ないわ。」
勇が言った。

「え、糸里、殺されちゃうの?」
土方が沖田に聞いた。
「知らない。俺は、兄さんの人なら殺さないぜ。知ってんだろ?」
沖田は答えた。沖田は生意気だったが、強いので許されていた。


渋沢栄一は京都に来ていた。新選組が仲間を切腹させたようで、葬式をするために道をぞろぞろと歩いてくる。尊王攘夷を否定する言葉が書かれた旗を持っている。
もともと尊王攘夷派だった栄一は、口を抑えてぶるぶると震えた。
『尊王はヤバいぞ。攘夷派は殺されるんだな。‥し、新選組に!!』
「こわい。」
栄一はさっそく実家に報告をし、一橋慶喜に仕える事となった。



八月十八日の政変で、長州藩が失脚し、朝廷では公武合体派が主流となっていた。尊王攘夷派が勢力挽回を目論んでいたため、京都守護職は新撰組を用いて、京都市内の警備や捜索を行わせた。
1864年(元治元年)5月下旬頃、新選組は、炭薪商を経営する古高俊太郎の存在を突き止め、捕縛した。
沖田総司は男も相手にしていた。ヤバイ事をよくした。捕まえられた男の布団に入って自白させた事もある。
「やーれ、やれ、もっとやれー。」沖田総司は扇子を持ち、踊ったり、舞ったりした。そして、拷問の上に古高を自白させた。
「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉、一橋慶喜、松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ動座させる。」というものだった。

1864年7月8日(元治元年6月5日)亥の刻、近藤勇率いる部隊は、池田屋で謀議中の尊攘派志士を発見した。20数名の尊攘派に対し、当初踏み込んだのは、近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の4名で残りは屋外を固めた。
屋内に踏み込んだ沖田は、戦闘中に病に倒れ、戦線から離脱した。また藤堂は血液が目に入り、戦線離脱した。

裏口を守っていた新撰組のところに、土佐藩脱藩、望月亀弥太らが必死で斬りこみ逃亡。
望月は負傷しながらも必死で走り、長州藩邸まで逃延びた。
望月は口から血を流しながら、扉を叩いだ。
「おねげえです、開けてください!!おねげえいたします!!」
しかし、長州藩邸は扉を開けなかった。

門の内側では槍を構え、応戦に備えていた。
「うわああ‥。」
望月は自刀した。

新撰組は、一時は近藤・永倉の2人となるが土方歳三の部隊の到着により、戦局は新選組に有利に傾き、方針を、「斬り捨て」から「捕縛」に変更した。9名討ち取り4名捕縛の戦果を挙げた時、会津・桑名藩の応援が到着した。
土方は手柄を横取りさせないように、一歩たりとも近づけさせなかったという。

近藤勇は目を開けたままの死体をちらりと見て、気まずそうに目をふせた。新撰組は、夜のうちに帰ると闇討ちの恐れがあるために夜が明けるまで待機した。
沖田総司は仲間にはさまれて、白い顔でぶるぶる震えている。死体の中には、前に優しくしてくれた大人の男もいたのだ。
近藤勇は腕組みをして、不信そうに沖田を見た。何ももらしていないのを不思議に思った。人殺しをした後は必ずイライラしてしまう。本当は斬り捨てた後、潔く去るのが理想だった。父親もそうしていた。
祖父は首をちょん切られて死んでいる。反逆で処刑されたのだ。昔、酒に酔った父親が赤い顔で話していた。父親は楽しそうに笑っていて、子供ン時の自分はそれがなんだか情けなくて、家の影で泣いた。その時、黒い犬が見ていたような気がする。

新撰組は、死体がゴロがる池田屋で寝た。近藤は横になって眠り、目の前に死体がいる夢を見て、声をあげて目をさますと明け方だった。
辺りは明るかった。沖田たちは座ったまま眠っている。
近藤は10分ほど眠った後、「おい。」と言って、足元に転がる死体を足で小突いた。
仲間の遺体にはしっかりと布がかけられている。
潔く寝ている紳士を、仲間に入れたかった。

仲間が目覚め、おしゃべりを始めた。勇はまだ、狸寝入りをしている。
「いさ。」
仲間の一人が呼び、沖田と土方が睨んだ。
「局長、起きなよ!」
結局、沖田が言った。

「あー、眠れんかった。」
そう言って、勇は体を起こした。
「ぐっすり眠ってたやん。」
2人の仲間が目を丸くして、笑い始めた。
『きもくせぇ。』『小便くせぇ!!』
近藤は声を出さずに言い、口を横に広げて、鬼の目で死体に向かって怒鳴った。
「何?」
仲間が聞いた。
「いや、なんでも。」

「ちょっと小便してくら。」
『朝飯どうするかい?』
勇は口をつぐんだ。
「あー、くらくらする。」
空腹で頭と体がからっぽになっていた。

壁に腕をつき、その上に額をのせた。用を足す準備をする。あの場でもらしてもかまわなかった。いや、一度してしまった気がするが、もうその形跡はなかった。
小便の湯気が顔にかかる。
「アー俺ぁ、小便くせぇわ。」
用をすませると、一気に情けなさがこみあげて、赤い顔で泣いた。
そして、涙を拭き、赤い厳しい顔で、仲間の元に戻った。

朝飯はどこで食べたか覚えていない。確か、土方が持っていた甘いヤツだけを口にふくみ、噛み砕いた気がする。アン時ァ、昼過ぎまで何も食べれんかった。
みんな怖がって、作り笑いをしておったわ。そして、店の中に向かい入れた。
誰も毒殺なんて、企んでおらん。


桂小五郎(のちの木戸孝允)は、会合への到着が早すぎたため、一旦池田屋を出て対馬藩邸で大島友之允と談話しており、難を逃れた。談話中に外の騒ぎで異変に気づいた桂は、現場に駆け付けようとしたが、大島に制止されたため思いとどまった。
『だけど、新選組の局長の近藤勇は良い奴だよ。』
桂は口をつぐんだ。だって、あん時、俺に襲撃の計画がある事教えてくれたじゃん。

『すれちがいざまに、局長は教えてくれた。にゃあ、龍馬。』



新撰組はこの日までにたくさんの仲間を暗殺してきた。後になって、『しまった』と思う事もある。新選組は息一つせず隠れるのがすごくうまかった。それができない男などいらないほどに。そして、背後から襲うのが新撰組の暗殺の手段だった。


一橋慶喜の下に、池田屋事件の連絡が入る少し前から、慶喜は新撰組についてぼんやりと考えていた。
『新選組の組長って、坂本龍馬でしたっけ‥?』


翌朝、慶喜は会議をする事になった。美賀子をちらりと見る。美賀子も慶喜がこちらを求めるように見てきたので、驚いてまゆをあげた。そうやって気分を晴らして、庶民の夫婦を演じられれば面白い。『こんなの贅沢だ。』そう言って、家来が慶喜の着物を蹴るのを見た。
こんな暮らしをしているので、庶民を演じられない。
緊張の瞬間が続いて、汗がにじみ出る。黒ひげだらけの小柄な家来は、口から泡を吹く寸前でかなり動揺しながら、慶喜に話しかけた。
「どういたしましょう、殿。」
『お前、よくそんなんで、この職についておるな。』
でも‥。慶喜はその男が、切腹させられる時の事を想像した。なんとかやってのけられる男であるが、口ひげをそればおしまいだ‥。一度、美賀子が切腹をする時の想像をした。なんとも立派な物で、それで、少し好きになった。
『守りたい。』
黒ひげだらけの男が言った。
「殿、なんとか言ってください。」
「ええと‥。焼き討ちにするか?」
「ええ‥。」
家来がどよめいた。
ガラガラ
「失礼いたしやす。ずいぶん遅れてしまいやした。」
西郷隆盛である。
「西郷さん、今、殿下が焼き討ちと‥。」
家来の一人が隆盛に耳打ちをし、西郷隆盛は慶喜をまっすぐ見た。
「それでようござんす。」
隆盛は言った。

禁門の変は、池田屋事件で襲撃を受けた長州藩と、江戸幕府・新選組の戦いである。
長州藩の指導者の中には、久坂玄瑞(吉田松陰の妹の夫)もいた。
1864年8月20日(元治元年7月19日)の出来事である。
戦闘そのものは一日で終わったものの、長州藩屋敷と中立売御門付近の家屋から火があがった。
もちろん慶喜はその場にはいなかったが、火を放つ現場に、隆盛はいた。
この大火「どんどん焼け」により、京都市街地は21日朝にかけて延焼し、北は一条通から南は七条の東本願寺に至る広い範囲の街区や社寺が焼失した。
有名な寺院では、東本願寺、本能寺、六角堂が焼失している。
京都が焼ける姿を見た隆盛は、煙で大きくむせこみ、手で口を抑えて、涙をながした。憐れな青年だった頃の顔に戻り、悲しい気持ちで炎を見上げた。
女子を炎の中からさらって持ってきたい、ああ、そうやって自由にできたのなら。本能寺が焼けたと聞いて、一度この目で見たかったと思う自分がいて、よけいに涙が出た。

隆盛は死んだ後に天国から一度降ろしてもらって、この世にきた。もう一度あの人に出会えるのかと菩薩に聞いたが、許してはくれなかった。一人でじめじめした山の寺院に来て、祈らねばならなかった。その後で赤い鳥居を見て祈った時に、あらためて自分の命の意味が分かり泣いた。
『わしは、あの時の事で、許してもらえなかっただねぇ‥。』
『よけいにわしはくだらなく思えてくる‥。』
『神さん、あんたがたの事だよ。』
隆盛は赤い目で神社を指さした。


1864年9月、「新選組局長近藤勇と沖田総司を向かい入れよ。」
慶喜は栄一に命じた。『え‥?沖田総司?沖田総司って誰だ?確か、新選組の二番は土方歳三のはずだぞ。』
「ええでも、殿。エー・・、近藤の右腕は土方では?」
「そう聞いておる。でも、活躍したのは沖田の方が多いから沖田だけでよい。」
『ええ‥。』

「あああ!」
栄一は新選組の本部に行かねばならない上に、二番の土方を抑えて、沖田だけを慶喜に会わせる事を近藤に告げなければならず、とても苦しい思いをした。
『もう最悪だ。本当に最悪だ。誰かの家来になるのなんか、これで終わりにしてやる!!』

「ちくしょう‥!!」
当日が来た。栄一は近藤に会った。
「会ってみると存外穏当な人物で、毫も暴虎馮河の趣などは無く、よく事理の解る人であった。しかし近藤は飽くまで薩摩を嫌いな人で、薩州人とは俱に天を戴かざる概を示しておったものだから、薩州人に対してのみは過激な態度を取ったりなぞしたので、一件暴虎馮河の士の如くに世間から誤解せらるようにもなったのである。」
1866年12月5日、慶喜は将軍職につく。

1865年2月、山南敬助は「江戸へ行く」と置き手紙を残して行方をくらませた。新選組の法度で脱走は切腹とされており、勇と土方は直ちに沖田を追手として差し向けた。
「追い付かれんでいいよ、兄さん。追い付かれんでいいよ。」
そうつぶやきながら、沖田は馬を走らせた。
大津で沖田に追いつかれた山南はそこで捕縛され、新選組屯所に連れ戻された。
2月23日、切腹。介錯は山南の希望により、沖田が務めた。

1867年10月13日、公武合体の考えを捨てた下級公家の岩倉具視らの働きかけにより、倒幕及び会津桑名討伐の密勅が下る。この動きに対し、翌14日、徳川慶喜は大政奉還を上表した。
武力倒幕の大義名分を失った薩摩藩の西郷隆盛は、浪人を使い江戸市内を攪乱させ、旧幕府を挑発することによって、旧幕府側から戦端を開かせようと画策した。

11月15日、坂本龍馬が暗殺される。
朝、新選組にも知らせが入った。
「手柄は入らない候。」
沖田が言うと、「まあ、ええやん。」勇が笑った。
土方が言った。
「坂本龍馬なんて名前、聞いたこともねえ。」
「俺は知っとったぞ。へこへこしとって、女っちゅう噂やったから、目ぇつけへんかったんよ。」
「剣術が弱いと聞いてましたわい。だから、うち、勝負ならんと思って、命狙わんかったんです。」
沖田が言った。

『嘘こけ。龍馬は俺らの味方だって、言ったやんか。』
勇は命を奪いたくない龍馬の気持ちをつかんでいた。

12月18日、沖田総司が療養のため滞在していた近藤の妾宅を、元御陵衛士・阿部十郎、佐原太郎、内海次郎の3人が襲撃した。前月に彼らの指導的立場であった伊藤甲子太郎を殺害した新選組への報復だが、沖田は伏見奉行所へ出立した後で、難を逃れた。阿部らは二条城から戻る途中の近藤勇を狙撃し、重傷を負わせる。

12月23日夜、エスカレートしていた薩摩藩の浪人たちの挑発行為で、江戸城二ノ丸が炎上し、遂に堪りかねた旧幕府側は薩摩藩上屋敷の浪人処分を決定し、12月25日に薩摩藩に浪人たちの引き渡しを求めたが、薩摩側が拒絶したため、庄内藩等による江戸薩摩藩邸の焼討事件が起きる。
この報が、28日に大阪城に移っていた慶喜の下に届くと、「薩摩討つべし。」慶喜は言った。
慶喜は隆盛の事を思い出しては、気味悪がった。

同じく28日、京都にいる西郷隆盛は、退助あてに、「討幕の開戦近し」の伝令を出した。

1868年元日、慶喜は「討薩表」を発し、朝廷への訴えと薩摩勢討滅のため、2日から3日にかけて京都へ向け近代装備を擁する約1万5千の軍勢を進軍させた。
1月3日午前、鳥羽街道を封鎖していた薩摩藩兵と旧幕府軍先鋒が接触した。
戊辰戦争の初戦となった「鳥羽・伏見の戦い」である。

3日、朝廷では緊急会議が召集された。大久保利通は「旧幕府軍の入京は新政府の崩壊であり、徳川征討の布告と錦旗が必要」と主張したが、春獄は「これは薩摩藩と旧幕府勢力の私闘であり、朝廷は中立を保つべき」と反対を主張。会議は紛糾したが、議定の岩倉が徳川征討に賛成したことで会議の大勢は決した。

鳥羽・伏見の戦いの結果は新政府軍の勝利であるが、これは新政府軍が圧倒的な重火器を擁していたことが大きい。

1月7日、朝廷より「徳川慶喜追討」の勅が出され、これに対抗する勢力は「朝敵」であるとの公式な判断が下った。

1月10日、慶喜、松平容保、松平定敬をはじめ幕閣など27人の「朝敵」の官職を剥奪し、京都藩邸を処分するなどの処分を行った。

1月11日、慶喜は品川に到着する。12日、江戸城西の丸に入り、今後の対策を練った。

1月13日、迅衝隊は土佐城下致道館前で出動祈願を行う。その最中も土佐藩門閥派の重鎮・寺村左膳らが「行ってはならぬ」と止めに入るが、それらの制止を振り切って出陣。その直後、「讃岐高松、伊予松山両藩及び天領川之江征討」の勅を拝し「錦の御旗」を授けられた。皇威を畏み、正式に官軍としての命を奉じ、また、いよいよ坂本龍馬、中岡慎太郎らの仇討ちができると喜び勇んで進軍した。迅衝隊が高松、松山に到着すると両藩は朝敵となることを恐れて一戦も交える事なく降伏した為、無血開城となるが、その最中も京都からは佐幕派の土佐藩士らの妨害から進軍を阻止する伝令が出された。しかし情報を得て川路、陸路の食い違いから、阻止派の動向を巧みにかわして京都への上洛をはたす。
山内容堂は当初、鳥羽・伏見の戦いを私闘と見做し土佐藩士の参戦を制止したが、「薩土討幕の密約」に基づいて初戦から参戦した者が数多くおり、追討の勅が下がった後は、もはや勤皇に尽すべしと意を決した。京都で在京の土佐藩士と合流した迅衝隊は、部隊を再編し軍事に精通した乾退助を大隊司令兼総督とした。退助はさらに朝廷より東山道先鋒総督府参謀に任ぜられ、2月14日京都を出発し東山道を進軍した。
この京都を出発した火が乾退助の12代前の先祖とされる、板垣信方の320年目の命日にあたる為、天領である甲府城の掌握目前の美濃で、武運長久を祈念し「甲斐源氏の流れを汲む旧武田家家臣の板垣氏の末裔であることを示して甲斐国民衆の支持を得よ」との岩倉具視等の助言を得て、板垣氏に姓を復した。

2月28日、近藤勇は幕府から「甲陽鎮撫」を命じられ、幕府から武器弾薬を、幕府や会津藩から資金を与えられると3月、近藤は『大久保剛』の変名を用いて新選組は甲陽鎮撫隊と改名した。また、日野宿では佐藤彦五郎が一行に加わっている。
「俺達も命落とす覚悟しておかなければ。」
土方は言い、勇はうなずいた。新撰組の名と自分の名を改名することで、自分によくしてくれた人達に迷惑がかかるのをやめさせたかった。

3月4日花咲宿にて、勇は可愛い娘と出会う。妻ツネの事はいつでも思い出していたが、戦いですさんだ男の心は癒された。娘も勇に声をかけられることを期待したが、板垣退助の率いる迅衝隊が甲府を制圧した連絡が入ってしまった。
近藤はハチマキをつけ、娘をじろりと睨むと、戦いに向かった。隣にいる沖田総司は娘をちらりと見もしない。土方も娘の存在など完全に無視をした感じで、ハチマキを強く巻きなおした。

娘は足元を見た。
「サチ、うちも危ないので、もう逃げますよ。」
母が言った。
「え?」
「うちは新選組を泊めたから、きっと狙われる。」
「ああ、はい。」
サチは素直に寺に逃げた。

土方は馬に乗り、援軍要請に向かったが成功しなかった。
3月6日に勃発した甲州勝沼の戦い(柏尾戦争)で迅衝隊と戦うが破れて敗走する。
勇らは敗走し、3月8日には八王子宿において江戸引き上げ宣言した。この頃、永倉新八、原田左之助らは勢力を結集して会津において再起を図る計画を立て、3月11日には江戸和泉橋医学所において勇と面会するが、勇は永倉・原田らの計画に対して勇の家臣となる条件を提示したため両者は決裂し、永倉・原田は離脱した。勇・土方は会津行きに備えて隊を再編成し、旧幕府歩兵らを五兵衛新田で募集し、隊士は227名に増加した。
勇は変名をさらに『大久保大和』と改めた。

4月には下総国流山市に屯集するが、新政府軍は3月13日にすでに板橋宿に入っていた。
新政府軍は流山に集結した新選組が背後を襲う計画を知る。新選組側に、新政府軍のスパイが混ざっていたのだ。大久保が近藤勇だとバレ、そのため総督府が置かれた板橋宿まで勇は連行されてしまう。
「だからー、ちがうって言っているやろ。」
「うーん。それもちがう。俺はぜんぜん分からない。」
「あのぉ、もうやめてくれませんか?知らないって何度も言っているでしょう。」
バン
「なんなんですか!僕の父は農家でノミを扱っていたんですよぉ!!」
勇は幽閉され、連日取り調べが行われたが、勇は大久保の名を貫き通した。
「僕は大久保ですけど、幕府軍の大久保さんとは違う男です。」
「あー。家は京都ですけど、ドンドン焼きでね、焼けちゃいましたぁ。」

幽閉されている牢屋に、かつての仲間が会いに来る。
「わしちゃん‥。」
「ほらぁ!!やっぱり、近藤勇じゃないかぁ!!」
「きよちゃん。ちがう。俺は本当に近藤勇じゃないんだよ。」
「わからない!!俺たちに向かって威張り腐っていたあの近藤局長だろう!!」
「2人とも、お願い。この事は誰にも言わんといて。」
近藤は手をのばして、仲間の手を握った。
一瞬ひるんだが、2人は大きな声を出した。
「汚らわしい!!」
「二度とさわらないでくれ!!」


土方は江戸に向かい、勝海舟らに直談判し、勇の助命を嘆願した。
「お願いです、勝さん。近藤局長の処刑を取りやめてもらえませんか?」
「それは、できん。」
「なぜですか?」
膝をつき、手をすり合わせていた土方は立ち上がった。
「あの男がいくら人を殺したのか分かっとるのか?」
「は?言っている意味が分かりません。局長は幕府のために戦ったんですよ。」

「気味悪ぃ。」
土方はそう吐き捨て、屋敷を出た。

土方は新選組を斉藤一改め山口二郎に託して会津へ向かわせ、島田魁ら数名の隊士のみを連れて大島圭介らが率いる旧幕府軍と合流。4月11日に江戸開城が成立すると江戸を脱走し、歳三は秋月登之助率いる先鋒軍の参謀を務めた。
下館・下妻を経て宇都宮城の戦いに勝利、宇都宮城を陥落させる。しかし壬生の戦いに敗れ、新政府軍と宇都宮で再戦した際に足を負傷し、本軍に先立って会津へ護送される事となった。


土佐藩と薩摩藩との間で、勇の処遇をめぐり対立が生じたが、結局土佐藩が押し切った。


4月25日、処刑当日までの間、勇は妻あてに手紙を書いて過ごしていた。書いた手紙を目の前で、看守がビリビリに破いた事もある。手紙は全て燃やされてしまっている事は、聞こえてくる笑い声で知っていた。
『ツネ、俺の事、最後まで愛してくれるやろう?』
『もちろんよ、あなた。』
勇とツネは心の中でいつでも愛し合った。

「本当に、俺はお前だけなんやから。」

外で女と男の大きな声がして、その後、赤い顔の看守が俺の様子を見に来た。
きっと、ツネが会いにきたんとちゃう?ついに、看守に言い出せなかった。
俺の女の哀れな事を、どんなに憐れで可哀想かという事を、聞きたくなかったんぜよ。
この頃俺は、命が恋しくて、デタラメな長州弁を使うようになっておった。こんな事になるんなら、もっとしっかりと、あいつらの話に耳を傾けるべきだったわい。

「ツネにも男がついておる、よかったわ。」

絶対に来ないと恐れていた4月25日の朝が来て、看守が迎えに来た前で、勇は牢屋の中で後ろを向き、いないはずのツネに向かって話しかけた。
「ツネ、本当にお前は最高の女だった。」
「そんなこと言わんといて~。」
勇は口にグーを当てて、空笑いをしてみせた。
「あれぇ、ツネ、お前はこんなに小さかったかのぉ。」
「ほんまに、可愛らしゅう。」

「もう、よいか?」
「え?まだ‥。」
「ならば、よし。」
勇は連行された。

勇は白い服に着替えなければならず、お坊さんのような人が手伝った。
お坊さんは足袋をはかせてくれた。勇は良い気持ちになった。
板橋刑場には、醜い遺体がたくさん置いてある。
『みんな同じよ、局長。みんな同じ。同じ。ね。』
沖田総司の声がする。
『打ち首かぁ~‥。ううう。』
土方歳三が身震いをするのが見える。
『局長、亡くなったら、俺の事を守ってね。』
「最後は勇でいい。」
『勇。死んだ後は、俺たちのことをよろしく。』
「分かった。」
『今までありがとう。愛してた。』
「ずっと一緒だぞ。」
『うん、永遠にね。』

「最後はやっぱり男かよ。」

「ん?」
勇は執行人の男が昔処刑した仲間に見えた。心のどこかでは、処刑してあげれば俺たちのようなヤクザではなく、立派な人物に生まれ変われると思っていた。
もう一度見上げると、看守は別の男だった。

退助は、憎き鬼、近藤勇の最後を見届けに行くか悩んだ。これから立派な大将になるんだから、処刑くらい見に行かないといけない気がした。盗人の処刑を見てもつまらない。でも、近藤勇なら。近藤勇の命が枯れる所を見て見たかった。近藤勇の赤い血がほしかった。
こんなに立派な剣士の処刑は二度と拝めないだろう。
退助は刀を置き、命を投げだすつもりで、よろよろと立ち上がった。

わぁー!わぁー!
野次馬がたかっている。女や子供までいた。
退助は白い襦袢姿でよろよろと、野次馬の後ろについた。

勇は切腹用の剣が置いてあることを驚いた。今まで、手下たちが勝手に切腹なしで打ち首にしたことがあったのだ。それでもべつによかった。
『手が汚れずに済んだのに。』

勇は最後に女について想いたかった。今まで愛した女とツネの事を想い、短刀を手にとった。短刀をしげしげと眺め、前に使った男の事を想った。すると涙がこぼれ、刃の先に雫が落ちた。
やっぱり、新選組の仲間の事を思い出した。池田屋で死んだ男も思い出した。
次に、この刀を使う男の事を想った。
『俺が先にいってやるでな。』
勇は腹を一文字にかき切った。
一秒、二秒‥、そんなもんだったわ。もう少し、苦しませてほしかったけれど、倒れ込んだら、もうおしまいや。以前な、介錯に失敗して、切腹した男と目が合ってしまってな、男が首を振ったんで、布団に寝かせて、3日目に死なせたんよ。それで、女が会いに来て、男も意識があったんで、手をとりあって、最後のお別れをしたらしいよ。そんな事があったらしいわ。
すぐに介錯が入った。上手かったわ。
仕方ないぜよ。

退助は勇が首をはねられる姿を見た。みんな声も出なかった。
ピョーンと飛んで、それでおしまいだった。

勇の首は、京都の三条河原で、粘度で固定されてさらし首になった。
みんなが見物に来たが、多くの人が白い花を持ってきた。
近藤の首は美しかった。凜と目と口を結んでいた。黒い髪の毛はたなびき、額に巻いた透明な白いたすきには、大日本帝国と書かれていた。


勇と会った事もある芸妓でさえ、お花を置きにきていた。
「あたいの事、お気にでしょ?ねぇ、いさちゃん。」
芸妓たちは白くて細い指で、勇の頬に触れた。

ツネは、勇の首が綺麗だと言われた事がショックだった。
「わいだけの、勇でいて‥!!」
ツネは勇の首の所まで走った。ツネがつくと、勇は黒目を開き、口を半開きにし、かけた歯をのぞかせた。
ツネは勇の首を盗んで、風呂敷に包み、家に帰った。

ツネは勇の首を枕元に置き、眠りにつくと、勇に抱きしめられているような心持がした。

新選組が、ハチマキと水色の正装で勇の首を見に来た。夢の中で、土方と沖田も来た。
「いざ。」
新選組がカゴを開けると、勇の首がなかったので、みんな慌てふためいた。そして、走り出す。どこなのか、見当はついていた。

「ツネー!!!!」
土方は激走した。土方と沖田たちがツネの寝床に押し入り、勇の首を奪った。
その時には、美しい勇に戻っていた。

目を覚ましたツネは、勇の首が消えていたので、ハッとした。
「なぜないの?」
「もういいから。ツネはしっかり休みなさい。」
ツネの世話人が言った。
「土方さんが来たの?」
「そう。新撰組が全員で押し掛けてきたんだぞ。」
「そうなんだ。」

『土方が来たから、喜んでいる。仕方ない女やのぉ。俺のツネは。』




1868年、泣きはらした後の新選組は寺で話していた。天寧寺に勇の墓を建てたのだ。
「俺達が盗んだのならまだしも、ツネに盗まれるとはな。」
「本当、まさかですよねぇ。」
「愛には叶わんね。」
腕組みをした土方が言った。

その頃、沖田総司は幕府の医師・松本良順により千駄ヶ谷の植木屋に匿われていた。
沖田総司は剣の達人だった。日野の八坂神社に奉納された天然理心流の額には、4代目を継ぐことが決まっていた近藤勇より前に沖田の名前が記載されている。
沖田の剣技で有名なのが「三段突き」であり、平晴眼の構えから踏み込みの足音が一度しか鳴らないのに、その間に3発の突きを繰り出した。

書き物をしている松本に、沖田が声をかけた。
「局長、死んじゃったんだろ。首をはねられてさ。」
松本は何も答えず、うなだれた。
沖田は、畳の縁を歩いている。
「そんな所、歩いちゃ危ないよ。」
松本は声をかけた。
「大丈夫。」
沖田は歩き続けた。
「別に危なくないか。」‥『なぜ危ないと言ったんだ?』
松本は首をかしげた。

「局長さ、歌とか書いたのかなぁ?」
「さあ。歌って、辞世の事?」
「うん。」
「まぁ、書けないでしょう。近藤さんには。」

「なんでそんな事言うの?」
「いや‥。」
松本は書き物をしながら、首をかしげた。

孤軍援け絶えて俘囚となる 顧みて君恩を思へば涙 更に流る

一片の丹衷 能く節に殉ず 睢陽は千古是れ吾が儔

他に靡き今日復た何をか言はん 義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所
快く受けん電光三尺の剣 只に一死をもって君恩に報いん

「これ、書いた。局長のために。」
沖田は勇の辞世を書いて持ってきた。
「なんでこんな事を。やらなくていい。」
松本は辞世をゴミ箱に捨てようとした。
「嫌!何するの?」
「これさ、あんたの詩だろ。近藤さんなんかもう死んでるから、こういうことはやらないでちょうだい。」
沖田は背を向けて、泣いているようだった。
今まで人を50人殺した男がこんな事で泣くか?普通‥。
「総ちゃん。」
松本が声をかけた。
「いい!」
沖田は布団に行き、猥褻な書を読んでいるようだった。
松本は、沖田の事が可愛くて手放せなかった。もうこの男には人を殺す力はない。

「先生、一生のお願いです。僕が死んだら、局長の便りを預かっていたと言って、この辞世を局長の物としてください。」
沖田は言い、松本は黙って沖田を見つめた。
「これが唯一の、僕の遺言です。だから‥。」
「あんたは最後まで師匠を思うんだな。」
「はい。」

庭に黒猫が来る。誰もいない時は、よく俺に話をした。
「それがしの名は黒ベえ。そなたの名を何と申す。」
「それがしは、沖田総司と言います。」
「へえ、良い名だ。よろしくな。」
「よろしくって‥どうして?」『人殺しの依頼かな。』
「友達としてだよ。」
黒べえは垣根に登り、消えてしまった。

黒べえはまた来た。俺は刀を持ち、待ち構えた。
にんまりと笑い、黒ベえをなでる。
黒ベえはごくりと唾を飲み、沖田をまっすぐ見た。
「それがしはただ、総司と地獄の話がしたかっただけだよ。」
「地獄なんていいんだよ。俺には関係ない所だから。殺された人が行く所だからね。」
「総司は変わっちゃったな。子供の頃とは全くちがう。」
「子供の頃の俺なんて、どうして知っているの?」
「川でなでてもらった事があるから。」
黒べえは言い、沖田はあの時の事を思い出した。
「ああ、お前、あの時の子猫かぁ!」
「うん。」
沖田は黒ベえを抱っこした。黒ベえは驚いた顔をして持ちあげられる。もうすぐ死ぬというのに、沖田に猫を抱くほどの力が残っていると思わなかった。
沖田は黒べえを抱きながら言った。
「あの頃の事はね、ほとんど覚えていないんだ。その時一緒にいた男も、もう戦争で死んでしまったから。」
「総司とあいつらはずっと仲間だったの?」
「ううん。あいつらは攘夷派だったから、敵になっちゃったんだよ。」

「俺にはもっと良い仲間がいたんだ。一人はもう死んでしまったけど。」
「そうなんだ。総司はさみしいんだな。」
「うん、もう誰も見舞いにきてくれない。」
『俺が殺したからさ。』
総司は黒ベえを抱きしめると、涙を流した。

「じゃあもう行くぜよ。」
「うん、さいなら。」
総司は笑顔で黒ベえにお別れを言うが、後ろを向くと、自分の中から冷徹な鬼が顔を出した。そういうのが本当に辛かった。
また黒ベえが来たが、総司の中に冷徹な鬼が顔を出したままだった。
松本の前でも、総司は冷酷な目をすることがあり、松本は内心、沖田に剣を握らせればまずいのではないかと自分の身を心配した。でも、剣は置き場所に置いてある。沖田が剣さえ持たなければ、力では自分の方が上だ。夕食は美味しい物を用意した。すると、総司は笑顔を見せ、機嫌をよくした。

黒ベえはまた来店した。そして、総司は冷徹な鬼の目を向けた。剣を持つことは禁止されている。黒ベえは遊びを提案した。総司は、最初は冷酷な目で笑っていたが、黒ベえが提案した遊びをしているうちに本当に元気になった。

最後に黒ベえが来た時、総司はまた冷酷な目をしていた。
「剣を持っていいよ。」
「ええ、でも、もう俺は持てないから。婆さんが持っちゃダメだって。」
「いいさ。ほら。」
黒ベえはまじないで、総司に剣を持たせた。
「俺を斬ってごらん。」
黒ベえはぴょんぴょんと飛び回る。総司は瞳孔を開かせて、剣を振り下ろしたが、一向に斬れない。
「総ちゃん?」
総司が何度か剣を振り下ろしている間に、松本の妻が帰ってきた。
「危ないじゃない、刀なんか持っちゃ。」
「え‥。」
「ダメ、刀はしまいなさい。」
「でも‥。」
もう一度、総司は刀を振り下ろした。
「ああ、斬れない。婆さん、俺は斬れないよ。」

刀をしまった総司は、ぼんやりと黒ベえを抱いた。
「全然ダメだったな。」
「うん、全然切れなかった。」
総司は空を見上げた。
「でも、俺は安心したんだ。死ぬ間際の総司が、自分で自分を斬っちゃうんじゃないか心配していたから。」
「大丈夫、斬らないさ。自分で自分を斬れば、もう人を斬れなくなってしまう。」
やはり、最後に沖田は冷酷な目をした。
沖田の死は真夜中に来た。松本も薄々感づいたが、体が動かなかった。
沖田が今まで犯した数々の殺人を思い出すと、恐かった。
あの愛しの総ちゃんが‥。松本の目から涙がこぼれ、体は温かくなり、松本は起き上がった。

総司の下に阿弥陀如来は来ない。金の蓮華だけが現れた。しかし、どこかさびている感じがする。沖田は乗るのをためらったが、「にゃ~ん。」という少し気味の悪い黒ベえの声がして、体が動かされた。沖田は胸が痛かった。
「新選組一番隊隊長、沖田総司!」
見上げると、局長がいた。
「よく頑張ったな。」
局長は笑い、総司を金の蓮華に載せた。

総司の息を確認した松本は妻と共に泣き崩れた。

金の蓮華の旅は楽しかった。思うより長く、旅をしたと思う。局長の霊はすぐに消えてしまい、黒ベえと一緒に旅をした。局長に対し、『消えてしまえ。』とも言った。
地獄の渦の上に来た時、とても疲れていた。地獄の悪魔が、総司を蓮華から落とそうとしている。すると、声が聞こえてきた。

「少し休ませてやれ。」

その声はお釈迦様の声だった。今まであんなに嫌いだった人の声だ。でも、自分を助けてくれるのはお釈迦様しかいなかった。
だから、信じて従うことにした。
それで幸せになれるのなら。

総司の魂は休み、お釈迦様の指示に従い、地獄の渦の中に落ちていった。


『水の北 山の南や 春の月』
好きだった人を殺した。春の月がまだ出ない頃である。土方は切腹へと向かう山南の猫背を忘れられなかった。
天保6年5月5日生まれの薔薇餓鬼は、新撰組の二番になった。

天の世界ではツボミという女神がもうすぐ人間になると言われていた。菩薩様と共に人間の様子を眺めている。
「人間になればどんな問題が起こりますの?」
「まずはそなたの体が痛んだり、心が苦しくなったりする。」
「体が痛むのは問題ありませんわ。私は何度だって治療をしていますもの。心の痛みは心配ですわ、いまだ未経験なんですから。」
「心が痛むのは、人を愛した時だよ。」

「さっきから何をご覧になっているの?」
「日本の様子さ。そなたも降りる事になる。」
「素敵ね。美しいサムライさんだわ。もしも人間を愛するなら‥あんな方がいいでしょうね。」
「よしておけ。そなたには向かん。」
「あら、私が愛する人まで、菩薩が決めるのですか?」
「いや、そうではないけど‥。」
「私、行って見てきますわ。」
ツボミは飛び立った。


新選組の副長、土方歳三は少し笑いながら木箱を持ち、走っていた。多数の女性からの恋文を親戚の家に送るのだ。
「へぇ、それで。これ何だい?」
「大事な物だよ。俺にとってはね。」
土方は満面の笑みを見せた。

ふわふわと飛び、土方を眺めていたツボミは、ふわりと地上に降り立ち、土方にピッタリとついて歩き出した。土方にはツボミの姿は見えないが、土方は頭をかいた。

ツボミはずっと土方を見守ることにした。池田屋事件の後、沖田総司は吹っ切れたように土方について一人で話すようになった。沖田はもう少し女について知りたかったが、許されない。しかし、兄さんは‥、どこかで隠れて女を抱いているようだった。
沖田は一人で話した。
「お前、土方歳三さんの何がいいんだ?あの人な、剣は結構弱いぜ。剣だけでやり合えれば、俺の方が上だけどさ、あの人は卑屈なんだよ。おい、卑屈。目に砂をかけたりさ、血をながして倒れ込んだ敵の首を絞めて殺したりさ。そんな事なんてしていいか?ある時は、こうだぜ?瀕死の敵にむかって、うわぁーって。」
沖田は、土方が敵を殺す際に見せる鬼の顔をした。
『はぁ‥。』
ツボミはため息をついた。
「お前、人を愛するなら、俺にしてみろ。」
沖田は親指で自分を指した。「でも、無理だ。そんな事をしたら‥。」
沖田は立ち上がり、隠し持っている春画を見て、想像をふくらませた。しかし、ある晩、沖田はそれを燃やしてしまった。
『どうして?それをまだ見ていればいいのに。』
「ううん、見られたらおしまいだ。俺昨日、三人もやったんだぜ。」
『大丈夫?』
「うん‥。小寅。」
沖田はそう言って一人芝居を始めたので、ツボミは土方を見に行くことにした。

土方は女といた。時には女二人といることもある。土方の手は温かすぎず、白くて太い指だった。その手と握り合っても決して愛を感じられない。土方の吐息を感じ、女はようやく愛を感じられた。土

しかし、ツボミという御守りがついていなければ、土方が戊辰戦争最後の戦いまで生き延びることは不可能だった。近藤・沖田が貞操を守っていた頃に、土方はまだ女の吐息を感じていたのだから、2人に追いつくためには、生き延びる事が必要だった。

勇の死から3カ月後、足の怪我から全快して戦線に復帰し、会津の防戦に尽力するが、8月に母成峠の戦いの敗戦に伴い会津戦争が激化。歳三は援軍を求めて庄内藩に向かうが、すでに新政府軍への恭順に転じていた庄内藩においては入城さえ叶わなかった。歳三は会津から仙台藩へ向かうことを決めた。
土方は、会津藩領では新選組に復帰していなかった。そして、城下に残る山口らと、仙台へ天寧寺から離脱した隊士たちとに新選組は分裂する。

土方は仙台に至り、榎本武揚率いる旧幕府海軍と合流。榎本とともに奥羽越列藩同盟の軍議に参加した。まもなく奥羽越列藩同盟が崩壊し、同盟藩が次々と新政府軍に降伏したあとは、新選組生き残り隊士に桑名藩士らを加えて太江丸に乗船し、榎本らとともに10月12日仙台折浜を出航し、蝦夷地に渡った。
10月20日、蝦夷地鷲ノ木に上陸後、歳三は間道軍総督になり五稜郭へ向かった。新選組は総督大鳥圭介のもとで本道を進んだが、歳三には島田魁ら数名の新選組隊士が常に従っていたという。

ツボミは歳三に話しかけた。
『大丈夫?ケガしてない?』
「うん。大丈夫だけど、もしも俺がケガしてたら、治してくれるんすか?」
『うん。』
「え?じゃ、これ。」
ツボミは土方の足の怪我を消した。
「ありがとう。お前、使えんだな。」
『ええ。私はあなたの御守りよ。』
「ひどい。」
土方はツボミの言葉に笑った。

「よくそういう言葉を平気で言えるもんだよな。」
土方はなんとなく深い優しさを持っている男で、ツボミが消えた後もツボミに話しかけた。

箱館・五稜郭を占領後、歳三は額兵隊などを率いて松前へ進軍して松前城を陥落させ、残兵を江差まで追撃した。このとき、榎本武陽は土方軍を海から援護するため、軍艦「開陽丸」で江差沖へ向かったが、暴風雨に遭い座礁。江差に上陸して開陽丸の沈没していく姿を見守っていた榎本と歳三は、そばにあった松の木を叩いて嘆き合ったと言われ、今でもその「嘆きの松」が残っている。江差を無事に占領した歳三は、松前城へ一度戻り、12月15日に榎本が各国領事を招待して催した蝦夷地平定祝賀会に合わせて五稜郭へ凱旋した。

その後、幹部を決定する選挙が行われ、榎本を総裁とする「蝦夷地共和国」が成立し、歳三は幹部として陸軍奉行並となり、箱館市中取締や陸海軍裁判局頭取も兼ねた。箱館の地でも歳三は冷静だったという。
ツボミが歳三の胸に手をのばしても、少し赤くなる程度で、構いはしなかった。
酒を一口飲み、歳三は言った。
『何、お前死んじゃっだ?』
『誰の事を言っているの?私はあなたの恋人じゃないわよ。』
「ふーん、じゃ、いいけど。」
やっぱり、歳三は優しい所があった。

1869年1月から2月にかけては箱館・五稜郭の整備にあたり、3月には新政府襲来の情報が入ったため、歳三は新政府軍の甲鉄艦奪取を目的とした宮古湾海戦に参加。しかし作戦は不運続きで失敗。多数の死傷者が出るも、歳三は生還する。

4月9日、新政府軍が蝦夷地乙部に上陸を開始。歳三は、二股口の戦いで新政府軍の進撃に対し徹底防戦する。その戦闘中に新政府軍は鈴の音を鳴らし、包囲したと思わせる行動をとった。これに土方軍の将兵は動揺したが、歳三は「本当に包囲しようとするなら、音を隠し気づかれないようにする」と冷静に状況を判断し、部下を落ち着かせた。

『よくやったな。』
「はい。」
ふいに勇の声が聞こえて、歳三は振り返った。今では自分の方が勇よりも上だと見ていたが、久しぶりに聞く勇の声に、歳三は涙が出た。

『歳三さん、これ、お酒よ。』
「おう、ありがとう。」
ツボミが持ってきたお酒を、歳三は笑顔で受け取った。

歳三は部下たちに自ら酒を振る舞って回った。
「酔って軍律を乱してもらっては困るので皆一杯だけだ。」
「ありがとう。」
部下は笑い、礼を言った。

土方軍が死守していた二股口は連戦連勝したが、もう一方の松前口が破られて退路が断たれる危険が起こったため、やむなく二股口を退却、五稜郭へ帰還した。

そして5月11日。
仕度をする土方の下へツボミがやってきた。
『今日がお別れの日よ。』
「今日は俺が死ぬ日?なんで決めんの?お前がさ。」
歳三は見えないツボミをじろりと見上げた。

歳三は鏡の前に来た。戦闘の傷で、右頬だけがこけている。
『いい男ね。歳ちゃんって。』
「そう、前の方がもっといい男だったんだぜ。‥なんであんな風にしちまったんだろうな、お前のこと。」
『大丈夫よ。』

5月11日、新政府軍の箱館総攻撃が開始され、島田らが守備していた弁天台場が新政府軍に包囲され孤立、歳三は救出のためわずかな兵を率いて出陣。新政府軍艦「朝陽丸」が味方の軍艦によって撃沈されたのを見て「この機を逃すな」と大喝、箱館一本木関門にて陸軍奉行添役・大野右仲に命じて敗走してくる味方を押し出し、「我この柵にありて、退く者を斬らん」と宣告した。歳三は一本木関門を守備し、七重浜より攻め来る新政府軍に応戦。馬上で指揮をとった。

バン
大きな音だった。歳三は腹部に銃弾を受け落馬した。馬は歳三のそばに座り込み、歳三の匂いをかいだ。歳三はふいに子供の頃のことを思い出した。あの時の兄ちゃんは、田舎の賊に入って、死んじまった。父ちゃんは生まれる前からいない。打ち首とは無縁な家に生まれたから、こうして死ねる事ありがたいかもしれない。
歳三はうっすらと目を開け、曇り空を見上げた。美しくいつまでも見ていたい空だった。ふわりとホコリが舞い、歳三の頬に落ちた。
こんなに痛くて無感覚になる、これが死だと分かった。人が最期に経験する感覚は無感覚なのである。

透明なツボミは、歳三にすがり泣き、天界からそれを眺めた菩薩はツボミをからかってやろうと笑った。

歳三はよく歌を書いた。そういう事が好きだった。
『鉾とりて 月見るごとに おもふ哉 あすはかばねの上に照るかと』
これは歳三の辞世の句である。

5月14日、相馬主計が新選組局長に就任し、弁天台場の新選組が降伏をする。
5月18日、旧幕府軍が降伏し、戊辰戦争は終結した。

-参考資料 Wikipedia

勇はあなたの手にお金を握らせた。
この美しい人達のために、耐えなければならない。

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