静謐な金属の向こうから彼は人と世界を傍観する

文字数 18,177文字

 とある国の郊外、隣国の国境付近にある田園地帯に囲まれた小さな村が僕が生まれた場所だった。物心ついた時から母親はおらず、僕は父さんと二人で暮らしていた。父さん曰く、僕が生まれて間もなくして出て行ったらしい。
 僕の父さんは村で唯一の彫金師で、毎日アトリエにこもってシルバーのリングとかネックレスを製作したり、金槌やタガネを用いて意匠を彫り込んでいた。
 繊細な仕事をしているくせに父さんは人使いが荒く、容赦なく僕に仕事を手伝わせた。無理やりやらせるくせにちょっとでもミスをするとすぐ怒鳴るのだから理不尽だと常々思っていたけど、できるようになってくると父さんの顔にも笑顔が浮かぶようになってきた。僕はそれが嬉しかった。
 父さんはたまに、アクセサリー以外にも変わった銃に装飾を施す仕事を請け負っていた。依頼主は大抵軍服を着て胸に勲章を着けた将校達で、父さんは銃に装飾を施す事に関してはあまり肯定的ではなかったが、将校達は羽振りだけはよかった。 持ち込み依頼なんてそんな毎日入ってくる訳でもなく、ましてや郊外の小さな村となるとなおさらで、生活費と僕の学費、何より自分の酒代の為にはなりふり構っていられず、『なんでこんな物騒なモンを掘らなきゃならねぇんだ』とボヤきながら仕事をしていたけど、その仕事を手伝っていたおかげで僕は基本的な銃の仕組みを覚える事が出来た。
 僕がだいたい小学校を卒業した頃、戦争が激化した。優勢だったのは僕たちの国だったけど、隣国がなんとか戦況を覆そうと躍起になった結果、協定を無視して小さな村や街に銃口を向けるようになった。
 そんな知らせが村に届いた三ヶ月後、ついに僕達の村に戦火が降り掛かった。初夏にさしかかった六月の夜。その日は雨が降った後で蒸し暑く寝苦しかった。父さんの手伝いを終え、ベッドの上でまどろみかけていた時、突如轟いた爆音で僕の意識は無理矢理現実に引き戻された。
 飛び起き、窓を開けてみると村の広場に巨大な穴が穿たれ煙が立ち上っている。それを機に村に次々と砲弾が降り注いだ。
 雑貨屋の壁が崩れ落ち、教会の屋根が弾け飛んだのが窓から見えた。巨大な鐘が地面に落ちたのか重たい金属音が轟く最中、部屋のドアが開き、父さんが部屋に飛び込んでくるなり僕の腕をつかんで家の中から引っ張りだした。
 逃げる村人の真ん中に砲弾や弾丸が降り注ぎ、容易く人間をただの肉塊へと変えて行く。隊列をなした小型の戦車が悪魔のごとく行軍し、妙に光沢を放つ真っ赤なキャタピラの跡を残して行く。
 外は地獄絵図が広がっていた。
 父さんが突然僕の体を突き飛ばした。それと同時に地面が内側から爆発し、爆風で吹き飛ばされ、無様に地面の上を転がった。
 頭を強く打ったみたいで後頭部がズキズキと痛む。視界は焦点が合わず、すべての物がぶれて見えた。轟音で耳がやられ悲鳴と怒号がどこか遠い物に感じる。
 声が出ているかなんて解らなかったけど、僕は必死に父さんの名を何度も叫んだ。しかし、いつまでたっても父さんの声は返ってこなかった。
 再び僕の近くで爆発が起こり、吹き飛ばされる。
 神なんていなかった。そんな都合のいいものなんて存在しなかった。地面の上をのたうち回り、グルグルと回る世界を見た僕は死を本能的に感じ取り、津波のように押し寄せてくる物理的な恐怖に支配された体は動くどころか、冷たく硬直していった。そんな僕の視界に映っていたのは、砕けた地面と夜中なのに朱に染まった空と、巨大な飛行船の姿だった。
 僕が意識を取り戻したのは、村外れに設けられた野戦病棟の地面にマットを引いただけの何ともお粗末な寝床で、あれから二日が経っていた。僕をここまで運んだのは父がよく資材の調達に行く金属工房で働いていた、ベーゼルという男だった。
 それから一週間後、夜戦病棟から病院のベッドにうつされ、看護師から包帯を交換されている途中、ベーゼルさんから終戦の話を聞いた。
 結果はそのまま押し切り僕達の国が勝ったけど、僕は喜びもしなければ、歓喜もしないし、ましてや憤りや苛立ち哀しみもなにも感じず、ただただ虚無感にうちひしがれていた。
 家も失い、唯一の家族も遺体が確認されず行方不明。僕に残されたのは父から受け継いだ彫金と意匠を掘る技術と、奇跡的に焼け落ちずに残っていた家の看板に加え、何の役に立つか解らない銃の知識だけだった。

 お世辞にも広いとは言えない店内にはコーヒーと料理の良い匂いが漂っている。
 ほらよ、とぶっきらぼうな物言いと共に、僕の目の前に赤く色づいたパスタの皿とフォークが置かれる。僕は彼にありがとうと言うと彼はふん、と鼻を鳴らしてグラス磨きの作業に取り掛かった。
 パスタをフォークに巻き付けて口の中に運ぶと程良く酸味のきいたトマトと香ばしいひき肉、濃厚なパルメザンチーズの味が口の中に広がり、スッキリとした香草の匂いが鼻から抜ける。シンプルだからこそ素材の味が生きているここのミートパスタは、僕の一番のお気に入りだ。
 あっという間にパスタを平らげた僕は席を立つ。すると、
「おい、お代」
 背後から低い声が掛る。振り向いてみるとパスタの皿をテーブルから持ち上げながら彼が僕をジッと睨んでいた。
「あぁごめん、忘れていたよ」
 ポケットの中に手を突っ込んで僕は硬貨数枚をテーブルの上に置く。
「全然足りないんだが……」
「今回はこの前のオムレツの分。今日のはまた今度持ってくるよ」
 そういうと彼は露骨に顔をしかめて溜息をつき、
「おいまたかツケか。だいぶ溜まってるが、ちゃんと払ってくれるんだろうな?」
「大丈夫だよ、払う気なかったら毎日来ないって。今回の仕事が片付いたらある程度まとまった金が入ってくるからそしたら払うよ」
「本当に頼むぞ?」
「任せてよ」
 後ろ手に手を振りカフェを出た僕は店の隣にある非常階段を上る。鉄でできた階段は長年雨風にさらされ続けたせいかぼろぼろで、ギシギシと不安げな音を立てるが気にしない。階段の最上段に足をかけると同時に木製のドアが目に入ってきた。
【デュランの店】
 文字はかすれて、所々に焼け焦げた跡がある看板が貼り付けられているだけのドアのノブに手をかけた僕は薄暗い店の中に足を踏み入れる。
 明かりのついていない薄暗い部屋の中を進み、バーのカウンターを改造した作業台の前に座るとデスクスタンドのスイッチを入れた。バイスに横向きで固定された銃が現われる。
 作業台の上に無造作に転がっていたチェッカーリングツールを手に取り、刃をデスクスタンドの光を反射して輝くベークライトのグリップにあてがうと勢いよく引く。
 ゴリゴリゴリという感触とともに綺麗だったグリップの表面に、荒々しい溝が斜めに掘り込まれる。しかし、まだ浅い。刃をスタート地点に戻した僕はさらにもう一度、しっかりと力を込めて溝を彫り込んだ。
 この工程を繰り返す事数十回、脂ぎった光沢を放っていたベークライトのグリップにかつての面影はなく、無数の小さいひし形に埋め尽くされていた。
 ふっ、と息を引きかけ溝を埋めている削りカスを吹き飛ばし、溝の深さや細かいところをニードルファイルで整えると銃をバイスから外し、何度か構えてその握り心地を確かめる。
 チェッカーリングが施されたばかりのグリップはしっかりと僕の手の肉を噛み、滑る気配は全くない。これならば、ホルスターから取り出した時にすっぽ抜けたりすることはまずないだろう。
 いましがた仕上げたばかりの銃をカウンターの上に並んでいるスタンドの上にそっと置いて、席に座りなおした僕は作業台の傍らに並んでいる銃を手に取ると、またバイスで固定する。
 残っている銃はこれを含めて五丁。全てオーダー通りにカスタムなり、アキュライズなり済ませている。あとグリップにチェッカーリングを入れたり、エングレーブを施してやるだけ。今日の午後はこの作業だけで終わりそうだ。
 三つ目の銃を仕上げ、息抜きがてらコーヒーを啜りながらカウンターに並んでいる銃を眺めているとギィとドアが軋んだ音を立てて開き、誰かが店の中に入ってきた。
「いらっしゃい」
 コツコツと足音が近づいてくるにつれ、デスクスタンドの明かりに照らされ浮かび上がってきたのは背広を着た男だった。
「店主はいるか?
「僕が店主だよ。そこの椅子へどうぞ」
 男は無言の促されるまま椅子に座ると重そうな鞄をカウンターの上に置き、帽子を取った。短く刈りあげられた鮮やかな金髪が姿を現す。体は程良く鍛えられているようだったが、それとは逆に頬はややこけて少しばかり弱々しい印象を受ける。しかし蒼い双眸の眼光は鋭く隙が無かった。
 なるほどね、と呟いた僕はマグカップを置いて作業台の裏に数個並んでいるカップを一つ取るとそれにコーヒーを注ぎ、ソーサーに乗せ、シュガーとミルクとマドラーを添えて男の前に置いた。
「…………」
「ん? 私の顔に何か?」
「いや、何でも。ごめんね、ずっと同じ体勢で作業をしてたもので体強張っているみたいでね」
 ソーサーの淵から手を離し、僕は椅子に腰を落とすと作業台の上で頬杖をつき、
「で、今日はどんなご用件で?」
 バッグの口を開けた男は静かにカウンターの上に静かにとりだした物を置いた。布に包んであるそれはボディーが木製のカウンターの表面に触れるとゴトリと大きさの割には重そうな音を立てる。
 僕はそれを躊躇なく手に取ると、包んである布を静かにといた。
 布の下から現れたのは見なくなって久しい形をしたオートマチックピストルだった。
「コイツを、直してもらいたい」
「ちょっと見せてもらいますね」
 銃を手に取り、じっくりと眺めまわす。
 グリップのチェッカーリングはすり減り、フレームもスライドも傷だらけだが、よく手入れされている。
 何回かハンマーを起こしてトリガーを引く度に、チッ、チッと金属音を奏でる。内部の構造もイカれてしまっているようには思えない。にもかかわらず、直してほしいという言い回しをしたという事は、もっと別の場所に欠損が生じてしまっているのだろうかと思いつつ、手元の銃を反転させ、僕は納得した。
「なるほど、これを直してほしい訳だね」
 今まで下になって見えなかった反対側のフレームにはびっしりと、恐らくナイフで彫り込んだであろう荒々しい傷が何本も入っていた。深く頷いた男は、カップのコーヒーを一口含んで嚥下した後、
「ああ。できれば形を変えずその傷を消して、装飾を施して欲しい。そいつはもう使わないから飾りにしたいんだが、どうせなら綺麗な形で保存しておきたいんだ。しかしどうやら生産が終了してしまったようでね。作り直すのことも出来なければ、傷だけを消すのも無理だと断られてしまったよ。ここならば可能だと聞いたもので」
 どこか思いつめた様子の視線で僕の双眸をジッと見つめた。作業台の上に銃を置いた僕は息を吐きつつ椅子の背もたれに深く寄りかかると、
「出来なくはない、かな。作り直す上に彫金も施すとなると時間がかかりますが」
「……時間はどのくらいかかる?」
「一週間あれば」
「金額は?」
「フレームは七から八。彫金は範囲によります。スライドだけなら三、全体にするなら六です」
 男は眉間に皺を寄せ、顎に手を当て思案する。僕はそんな男から視線を離さず自分のマグカップに静かに口をつけた。
「まぁそのくらいの金額は覚悟していた。フレームを作り直して全体的に彫金を入れてくれ」
「了解しました。出来上がった物は銃として組み立てて渡した方がいいですか? それともバラした状態?」
「組み立ててくれ。その方が手間が省けて助かるよ」
「それでは、言われた通りにやらせていただきます。それでで、図柄はどういたしましょうか?」
 銃や工具を一度脇に退けて、代わりに作業台の下から引っ張り出した厚いファイルを開く。中に綴じてある彫金のサンプルスケッチはほとんど僕が描いたものだった。父さんが作ったものは小さい頃、家を焼かれてしまった時に焼失してしまったから一から作り直した。
「一番ポピュラーなのはリーフ柄で、オリーブや月桂樹などがあります。他にも波やコスモスをはじめとした花など様々」
「こんなにあるのか……そうだな……ちょっと、限定するのは難しいから草柄をお願いしたい。なるべく大き目で目立つように。モチーフは、店主に任せてもいいか?」
「施してしまった場合、やり直しが効きません。万が一お気に召さなくても、金額を頂戴することになりますが、それでもよろしいですか?」
 男の目を見据えながらなるべくはっきりとした口調で確認の念押しをすると、彼は確かに頷いてみせた。事前に作っておいた契約書の空欄に金額を書き込んで渡しても彼の意思に揺らぎは無く、文面をざっと眺めつつ署名欄にサインを施した。
「ああそうだ、古いほうのフレームはいかがいたしましょう?」
「それは……そちらで廃棄してくれると助かる」
 鞄のチャックを閉め、帽子を被り、椅子から立ち上がった男の口から出たその言葉は力強く、決意めいていたがそれとは逆に目から鋭さは消え、何かを逡巡しているかのように揺れていた。
「出来上がったらここへ連絡してくれ。取りに来る」
 それを払うかのように、懐からカードケースを取り出し、男は一枚の名刺を僕へ差し出した。
「ご心配せずとも、一週間後には完成させて起きます。気が向いた時にでもお越しください。アイザックスター商会のヴァルヘルトさん」
「あ、ああわかったそうするよ」
 名刺を受取った僕の返答が予想と違ったのか、ヴァルヘルトは一瞬面くらった表情を浮かべたがすぐに真顔に戻ると、
「それでは、失礼するよ」
「……本当に、このフレームは捨ててもいいんですね?」
 ノブに手をかけ、ドアを半分開いた所で僕は最後の確認を男の背中に投げかける。
「ああ。捨ててくれ」
 ヴァルヘルトの答えは変わらなかった。

 ドアを開け外に出ると太陽が眩しかった。ポケットに手を突っ込んだ僕は鍵を取り出すと、カギ穴に差し込んで右に捻る。ノブをガチャガチャと鳴らし、しっかりと鍵が閉まったことを確認した僕は、四日ぶりに浴びる太陽の光に顔をしかめつつ階段を降りるとカフェの裏に回った。
 全体的に丸みを帯びたデザインの車は、当時鮮やかだったであろうマットなイエローのボディーは埃や泥ですっかりと汚れ、バンパーやミラーもくすんで、シルバーのメッキが所々がはがれてサビついている。
 僕はその車に鍵をさしてロックを外すとドアを開けるなりバッグを助手席に置いて乗り込んだ。
 エンジンをかけると車全体がブルリと大きく揺れ、ボンネットから喧しい音が上がる。いつもなら必ず一回はエンストすると言うのに、一発でエンジンがかかった。今日はこの老いぼれの機嫌がいいらしい。
 サイドブレーキを外しクラッチを放すと同時にアクセルを踏み込むと、今にもくたばってしまいそうなビートルはその外見とは裏腹に、力強く走り出した。
 街中をしばらく西の方に走らせていると詰所が見えてきた。表情一つ変えず、番兵が三人道の真ん中へ歩み出てくるとこちらに向き直る。そんな番兵達の少し前で、僕は車を止めた。
 三人のうちの一人だけバイヨネット付きのライフルではなくペンとクリップボードを持った番兵がすぐにこちらに歩み寄ってくると、コンコンと運転席側の窓を叩いた。
「やぁ、ご苦労様です」
 窓を開け、僕は番兵に向かって作り笑顔を向ける。
「免許証か何か、身分を証明できるものはお持ちで?」
「ちょっと待ってくださいね」
 サイドブレーキを倒し、僕は運転席で身を捩ると助手席側のダッシュボードを開けて中から小さいプラスチックのカードを取り出して、まだ年若い番兵にそれを差し出した。
「うん、確かに。国民番号を控えさせていただきますが宜しいですね?」
「ええどうぞ」
 同意の意を示すと、番兵はクリップボードにペンを走らせつつ、
「今日はどちらまで?」
「この先に親戚が経営している農園がありましてね。丁度野菜が収穫の時期を迎えるのでそれの手伝いがてら、少し分けてもらおうかと思いまして」
「なるほど、いい出来だとよろしいですね。それではこちら、お返しします。お気をつけて」
 番兵から返してもらったカードをまたダッシュボードの中に入れ直すと、サイドブレーキを起こした。ペンとクリップボードを持った番兵が車から離れ、通せんぼしていたライフルを持った二人の番兵が道を開けると、僕はアクセルに掛けた足に力を込めた。
 街を出てのんびりと車を走らせて一時間が経った頃だろうか。まず最初に顔を現したのは巨大な貯水塔だった。続いて青い屋根と赤い壁の巨大な工房、その隣に建つ三階建ての細長い母屋が順々に見えてくる。
 敷地の中に入り、貯水塔の端に車を停めるとエンジンを切り助手席のバッグを持って車から降りた所で倉庫の方に向き直ると、木箱の上にどっかりと座り水を飲んでいたツナギ姿の初老の男の姿が見えた。
「よぉ、アレック!」
「ベーゼルさん」
「ハッハッハ、元気か!」
 ズンズン、と力強い足取りで歩み寄ってきた老人はハムのように太い腕でもって僕を抱擁する。その力強さと、汗の臭いでむせつつも何とか老人の腕から抜け出し、
「頼んでおいた物はできてるかい?」
「そう急ぐな。まぁ母屋の方へ行こうじゃないか。話も、出来た物を渡すのもそっちにしよう」
 ベーゼルさんは僕の前にコーヒーの入ったマグカップを置くと、真向かいの席に座った。小さな部屋は雑貨や家具などで埋まっており、この狭い空間に二人もいるとどこか息苦しさを感じる。
 コーヒーの中に角砂糖を二つ、ミルクを少し入れてティースプーンでかき混ぜるとそれを一口、口に含んだ。マイルドな甘さの中に包まれたほろ苦い刺激が運転で疲れた体にジンワリと染み込む。
「美味い……けど、いつものじゃないね。豆変えたの?」
「ああ。買い出しに行った時ちょ~ど売り切れちまっててなぁ」
「ちょっと酸っぱいなぁ」
「悪いが、今日の所はそれで我慢してくれや」
 言いつつもう一口コーヒーを飲んだ所で、
「さてと、本題に入ろうじゃないか」
 そう切り出したベーゼルさんはテーブルの上に手をつき、軽く身を乗り出す。僕は無言で足元に置いてあったバッグの中に手を突っ込むと、持ってきた物をテーブルに置いた。それを手に取ったベーゼルさんは布を解いたところで、むっ、と小さく声を漏らしたあと、静かに銃をテーブルの上に置いた。
「前もって連絡した通り、本体の新しいフレームを作って欲しいんだとさ」
「なぁアレック、コイツをお前さんの所に持ってきた奴ぁ」
「背と体が大きめで、ガッシリしていたよ」
「おい……そいつぁ軍人じゃないか。言っただろうが、俺は奴らを相手に商売はしねぇって」
 そう漏らしつつ、ベーゼルさんは銃に刻み込まれた傷に冷たい視線を向ける。彼の推測はおそらく、的を射ていた。ヴァルヘルトの厳つい体つきといい、律せてはいるけれどそこはかとなく漂う孤独の風格は、退役した軍人が醸せる孤高さだった。
「なにも決めつけなくても。名刺には軍人なんて書いてなかったし、客の素性なんて気にすることでもないじゃないか」
 アクセサリーを作る以外にも日常的に銃に触れていることもあり、僕は別に軍人や軍人らしき一般人からの依頼に対してさして抵抗は無かったが、かつて自分の家を焼かれ行き場を失った過去があるベーゼルさんは彼らを毛嫌いしていた。
 ヴァルヘルトが元軍人なことには一目で気づいたけど、一般人だと濁して伝えたからこそ、ベーゼルさんはフレームの削り出しを引き受けてくれたのだが、ヴァルヘルトの銃を見て真実に気がついたようだった。
 口の端から息を漏らしたベーゼルさんはツナギのポケットを弄り、取り出したものを静かにテーブルの上に置いた。黒光りしている銃のフレームは、切り出し口がまだ鋭利に尖っているだけでなく、ビスやパーツをはめる穴もまだ空いていなかった。
「戦時中は何回も作らされた形だからな。スライドをはめる溝なり、セイフティやらマガジンキャッチやらをはめる穴なり開けてやるだけ。どちらも夜になる前頃には終わるだろうが……こんな事をしやがる奴が持っていた銃のリペアだと解ってりゃ断ったってぇのに。次やったらゆるさねぇからな」
「こっちも最近不景気で金が無かったんだ。どうか、許して欲しい」
 フンッ、と鼻を鳴らしベーゼルさんはズボンのポケットから葉巻を取り出して、一本口に加えると火を付けた。
「……まぁ仕事を途中でほっぽり出すのは主義に反するし、何より材料が無駄になっちまう。引き受けた以上、かっちりやらせてもらうがな」
「解ってるよ。もうしない。そんな事より禁煙してたんじゃなかったのかい?」
「ほっとけよ。一服したら吸ったら作業に取り掛かろうじゃないか。まぁ気が進まんがな」
「そっくりそのまま作ってほしいっていうのが条件だよ」
「解った。じゃぁコイツは預かっておくぞ。サンプルは欠かせねぇからな」
 テーブルの上に鎮座していた銃を、ベーゼルさんは自分の方に引き寄せ、
「で、今夜はどうする? 泊まっていくか?」
「お言葉に甘えさせてもらう」
 すっかり冷めてしまったコーヒーを一気にあおり、僕はバッグを持って席を立つ。
「おおいどこ行くんだ」
「ちょっと気になる事があってね。少し三階を借りるよ。出来たら呼んで」

 ファイリングされている、所々が焦げたり抜け落ちたりしている新聞のスクラップから顔を上げ、時計を見てみると資料の閲覧を始めて三時間が経っていた。几帳面な性格のベーゼルさんは趣味として読書を有しているだけでなく、本や気になった新聞記事まで収集しているおかげで、気になったことがあればすぐに調べられるのはありがたいの一言に尽きる。
 資料をいったん閉じ、大きく伸びる。緊張していた背中と肩の筋肉がほぐれていく。バッグから財布を取り出し、さらにその中から三日前に手渡されたばかりの名刺を引っ張り出して、名前を小さく読み上げてみる。
 《ロックスター商会 経理部 アール・J・ヴァルヘルト》
 名刺に書いてあるのはこれと、後は下に小さく電話番号と住所が並んでいるだけ。端的な感じがするが、名刺なんて所詮こんな物なのかもしれない。
「……しかしロックスター商会なんて、実際にあったとしても、もうちょっとましな名前を考えられなかったのかねぇ」
 まぁ、会社の名前なんかはどうでもいい。問題なのはどうした訳か、初対面だったにも関わらず、あのヴァルヘルトとかいう男の顔を、僕はどこかで見た記憶があるということだった。
 三日前あの男が店にきて以来、なんだかおぼろげで似たような顔が頭の中で出てきては消えを繰り返して行く。知らないはずの人間の顔が勝手に浮かんでくるなんて、想像以上に気色の悪い感覚だ。
 顔つきを見た限り新兵ではなく、かといってふんぞり返っている将校でもない。それに、あの眼光を見る限り恐らく現役だと思う。十年前の戦争に出兵していたとするとおそらく、前線にいた筈だ。
 たまたま顔写真が映った記事やヴァルヘルトに関して何らかの手がかりがないかと、フレームの加工を待つついでに来てみたが、あまり期待しないで正解だった。
 僕は、いつあの男の顔を見たのだろうか。少なくともここ数年に見かけた顔ではない。ヴァルヘルトは初めての客だった。そうすると話は自動的に店を開く前か、それよりもさらに前となってくる。
「そんな昔の事、覚えてるわけないじゃないか」
 軽く息を漏らしながらシャツの胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。一呼吸の半分で煙を吸い、もう半分の呼吸で煙を肺に入れて一気に吐き出す。
「ヴァルヘルトさん、アンタはいったい僕の何なんだい?」
 頬杖をつき紫煙を吐き出しつつ流し目で名刺を見やるが、もちろん何も答えてはくれない。早々に今のタバコを吸い終わるとすぐに二本目に手を付ける。
 だいたい半分くらいの長さになった頃、ふとスクラップに目を落とすと銃の記事が目に入った。
「ん?」
 タバコを灰皿に置き、その記事を取ってよく見ると記事の銃の写真には、預かった銃と同じような傷がいくつも刻まれていた。


 西日がささし、夜の帳が近づいてきた頃にベーゼルさんから工房へ呼ばれた。
「そらよ」
 光沢を放つ完成したばかりのフレームが手の中に落ちると、ずしりとた確かな重みを手のひらに伝えてくる。
「うん握り心地も大差ないし、見た所、穴の位置も問題なさそうだ
 こちらを向き、額から足れてきた汗を拭いつつベーゼルさんは、にやりと黄色い歯を見せた。
「ごめんね任せっきりで」
「お前さんに機械が扱えたら問答無用で手伝わせるさ。さぁ、ここからはお前の仕事だ」
「解ってるよ。そこの机、使わせてもらうね」
 ベーゼルさんの脇を通り過ぎ、複雑な機材の群れの中を抜けた僕は片隅に、ポツンと置いてある作業台に座るとライトをつけてフレームを置いた。部品をはめ込み組み立てていくと新品同様、とまではいかないが、無駄が無い完璧なフォルムが出来上がる。
 バッグの中からカーボン紙と刻印の下書きが描かれた紙を取り出し、二つを重ね合わせて留め、さらにパーツごとに大まかに切り取って銃に重ねていく。
 場所が決まったら端をマスキングテープで留め、図面用の細いペンと作図定規を使い、下書きを上からなぞり、定規に開いた穴で意匠にあった曲線を転写する。
「……そんな地道で神経使う作業がよくできるな」
「唯一の取り柄だからね、これが。そっちも、金属を削ったり穴を開けるなんて一発勝負を毎回やってのけるじゃないか」
「お前の作業はもっと精密だろう。しかし、リングやペンダントトップに装飾を施すのはわかるが、争いの道具にそんなものがなぜ必要なのか理解できん」
「もう使わないから観賞用にしたいんだってさ。僕はその気持ちがわからなくもないんだ。こいつを動かすのはたった数個の部品で、一つでも欠けたら動作しない繊細な一面を持っているくせに、動力はなんと弾に込められた火薬で、爆発の衝撃に耐えうる剛性も兼ねている。脆くて、だけど硬くて、そんな矛盾に惹かれてやまない人間がいたっておかしくない」
「飾り付けて欲しいなんて言うその銃の持ち主も、銃にそんな哲学を見出すほど考え込むお前さんも物好きな奴だ。今に始まった事じゃないからいいが。それじゃ、母屋に戻ってるよ」
「お疲れ様。代金は作業が終わったてから支払うよ」
「あいよ。そうだ、お前さん飯は?」
「冷蔵庫にあった物で勝手に作って食べたよ。ベーゼルさんの分もあるから」
「勝手に漁りやがって……せいぜい頑張れよ」
 最後の図案をなぞり切り、紙を順繰り銃から剥がしていく。部品の色は黒く、転写した図案は半ば色味の中に溶けてしまってはいるが全く見えないわけではなく、フレームからスライドを外し、加工しやすいように二つに分けた。
 ペンと定規を置いた代わりにタガネと小さいハンマーを取る。タガネの先を転写した絵柄に合わせて切っ先を立たせると、尻をハンマーで小刻みに叩き、ゆっくりと刃を入れた。
 ベーゼルさんが言っていたように転写する作業もそれなりに神経を使うが、この作業に比べたらそんなもの序の口だ。ここからは一切の修正が効かなくなる。
 出たところの一発勝負だからこそ、精神をなるべくフラットに保つ必要があり、その為にもある意味、感情を捨てなければならない。作業に没入する快感は溝を深くし品を損ね、散漫になると不安で溝が浅くなるばかりかタガネが滑って余計な線を引きかねない。浅すぎず、深すぎず、同じ力と速度を維持しなければ、装飾に意匠は宿らない。
 彫り込むものが人を傷つけることに使われる道具だとしても、自分の仕事には一切妥協したくなかった。彫りの本質とは、意匠を凝らすと同時に細部に宿る神をも内包させる作業であるというのが、倒産の口癖であり、幼少の頃から聞いていたのそ言葉は僕の頭の中にすっかり刷り込まれていた。
 しかし、ミスは絶対に許されないと言う中でも、様々な欲が内から湧いてくる。同じ姿勢を保っていると尻や腰が痛くなってくるし、タバコだって吸いたくなるばかりか、満たされた腹に何か食べ物を詰め込みたくなってくる。それも、普段は口にしない強烈に甘い物が欲しくなるのだからタチが悪い。肌を舐める外気の些細な温度変化にだって意識は向くし、衣服の繊維が肌に刺さる痒みは何よりも鬱陶しい。
 いくら存在を否定しようとも、えてして人間は感情と欲求に苛まれる生物ということを否応無しに認識させる。そういう時に武器になるのは、意識だった。
 体が自我に訴えかける欲求は直接性が強い分、いろいろなことで簡単にごまかしが効く。銃なんかは特に、リングやペンダントトップなんかよりも気を紛らわしやすい対象だった。
二つに分けたフレームとスライドを合わせ、ズレや彫り込んだ意匠のバランスの確認は、わかりやすく対象の形が変わるだけでなく、作業を進めるたびに新鮮な印象を僕自身に抱かせることができる。掘る面積が大きい分、表面をなぞれば指先から感覚を刺激できた。
 別段、意匠を凝らす掘りの作業や、金属を何かに加工する作業といった彫金の仕事を僕は愛しているわけではなかった。更に言えば、この世に存在するあらゆる仕事や金儲けに、愛や喜びを見出せるタチではない。そこまで単純でもなければ生命力に溢れているわけでもない、という自己分析はとっくの昔に完了していた。
 そんな中で彫金をやり続けているのは、仕事をして金を稼がなければ生活が維持できない、という理由の他に、父さんが生業としていて幼少から携わっていたという、ある種の取っ掛かりがあったのと、自分の時間が停まったままだからだ。
 父さんがやっていたからといって別に、僕まで彫金を生業とする必然性は無く、他にも、いくらでも取れる選択肢はある。どうとでもなれてしまう分、選んだ選択肢と得られるであろう付加価値に、時間と体力といった代償を払うに値する程の魅力を見出そうとすることに疲れて、結局振り出しに戻ってを繰り返しているだけ。
 地味だしパッとせずとも、彫金はなんだかんだそこそこのやり甲斐と対価を得られるし、まぁいいか、と落ち着いているに過ぎない。
 物心ついた時にはすでに母親は姿を消し、父さんが死んだ時には僕の自我はもうそこそこ確立されていた。育ての親であるベーゼルさんはとても裕福だったとはいえず、機能不全の環境の中でしか育ってこなかった人間が自立し、一念発起するかしないかという選択肢を与えられた中で、留まるという選択を選び続けているのが自分であると、僕は客観視した時の僕を評価している。
 それに格別の満足感も特別な虚しさも無い。ただただ僕の時間は静謐を保ちながらも進み続け、その分予想外な外的要因が入り込む余地が無く、たまらなく居心地が良い。
 結局、僕にとって何よりも価値があることは、物事を通して得る金銭や能力的な付加価値よりも、静かでハンマーがタガネを打つたびに響く規則的な軽音がもたらす安心という二つの点だけだった。
 彫り込んだ意匠にヤスリをかけ、息を吹きかけると削りカスが宙に舞う。角が取れ溝の淵が滑らかになったそれの触り心地は良く、足元に放置していたバッグの中から速乾性の塗料と筆を取り、墨入れを施すと黒い銃全体に施した銀色の若草模様がより際立ち、無機質な武器から一つの工芸品へと、はっきりと存在が消化されたのがわかるようになった。
 机の隅に積まれた部品の山を真ん中へと引き寄せるとその中からパーツをひとつひとつ発掘し、新しいフレームと既存のスライドへはめていく。
 穴の位置、溝の深さ、突起部分の長さの全てが寸分たがわぬ出来栄えで、パーツは吸い込まれるように自分の所定位置へと治っていった。
「あの人、ほんといい仕事するなぁ」
 簡単を漏らしつつ、スライドとフレームの溝にグリスを塗り、乾拭きしつつなじませ帳尻を合わせると、計算し尽くされた場所にあるパーツや溝同士が噛み合った手応えを感じた。最後にストッパーを押し込めば、完全な形となった銃が作業机の上に姿を現す。
 作業が一段落し、気が抜けたと同時に大きなあくびが出た。ライトを消した瞬間こそ暗く見えたが、目が慣れるにつれてぼんやりと朝日に照らされ白く輝く工房の姿が浮き上がってくる。もうすぐ夜明けだ。長くなるとばかり思っていた夜は、あいも変わらず停滞したままの僕を置き去りにしていってしまった。
 コツコツと響く足音に振り向くと、両手に湯気の立つコーヒーカップを持ち、こちらに歩み寄ってくるベーゼルさんの姿が見えた。
「おはよう。いい朝だってのに、清々しいんだか眠そうなんだかわからねぇ顔しやがって」
 飽きれたようにため息をついたベーゼルさんからコーヒーカップを受け取り、一口含む。酸味が強いコーヒーは昨日飲んだときより美味しく感じた。
「今何時だい?」
「母屋を出たときに見た時計は五時半を過ぎた所だった。しかし、こんな時間まで作業が終わらなかったのか?」
「一息に仕上げていたからね。それでも早い方だよ。銃の彫刻は大体二日、三日は掛かるんだ」
 言いつつカップを机の上に置いた僕は、タバコを二本取り出して一本はベーゼルさんに、もう一本は自分の口にくわえて火をつけた。
「どれ、出来た物を見せてくれ」
 今さっき完成した銃をベーゼルさんに渡してやると、グリップをひとしきり握り、スライドを動かし、トリガーを引いてカチンカチンとハンマーを何回か鳴らし始める。
「ん、作動自体には問題は無いみたいだな」
「銃は嫌いなんじゃないの?」
「仮にも自分が作ったもんだ。正常に動くかどうかは気になるよ。しかしまぁなんだ。彫刻が施されたこいつはもう武器では無く一種の芸術品だ。これ使って人を殺そうって奴は、相当な悪趣味の持ち主か、プライドが高過ぎて狂っちまったバカとしか思えん。そして、そういう人間はそういない」
「人間はそう簡単には狂えないからね。でなけりゃ今頃、世の中は狂人で溢れかえっているよ。まぁでも念の為、試し撃ちしておこうか。持ち主が狂人で無いとは言い切れないし」
「おいおい今からか? 少し寝てからの方がいいんじゃないか?」
「徹夜明けだからテンションがあがってるんだ。この状態で寝ちゃったらもったいないよ」
 紫煙をくゆらせながらかがんだ僕は、バッグの中をあさると赤いパッケージの箱を引っ張りだした。さいの目の仕切りの一つ一つに丸い弾丸が収まっており、数個取り出したそれを弾倉の中へ押し込んでいく。
 工房を出たところにある茂みに銃口をむけつつ、弾倉を本体に戻しスライドを引いた。引き金を引くと銃内部で激針が弾丸の雷管を叩き、その衝撃で爆発した火薬が鉛弾を音速で射出する。
同時に僕の腕が意思とは反するように跳ねると同時に破裂音が朝靄を裂き、千切れた草が葉と共に夜露を散らした。
 続けて数回、引き金を引く度に銃と僕の腕は同じ動きを繰り返す。最後の一発を撃ちだした銃は空薬莢を排出するなり、スライドがあがった状態でロックがかかった。
「どんな具合だ?」
「申し分なく完璧だよ。撃てるし、多分暴発の心配も無い。ほら、安全装置をかけると引き金はビクともしない」
 ストッパーをおろしスライドを元の位置に戻しつつ、ポートを押し込むと銃から滑るように外れ、手の中に落ちてきた空の弾倉は僅かに暖かかった。
「なぁアレックよぉ、さっきちらっと見えたんだが……」
「ん?  どうかしたの?」
 ベーゼルさんに言われるがまま手元で銃をひっくり返し、示された部分を表側に向ける。
「型番だかなんだか知らないが、この引き金の上に掘られている『don't forget 32s』ってのは何だ?」
「依頼主の頼みだよ。僕にも何だかわからないけど。ベーゼルさんはこれから作業?」
「ああ、つってももう少ししてからだけどな。朝飯がまだなんだ。お前はどうする……って、聞くまでもないな」
「うん、ちょっと休ませてもらうよ」
 短いやり取りをかわしながら再び工房に戻り、銃を布で包んでバッグに突っ込むと母屋へ向かう。二回に登り一番奥の部屋へ踏み入ると、ベッドが一つ置かれているだけで、ベッドの脚にバッグを立てかけると靴と靴下をほっぽり出しそのまま倒れ込んだ。
 程よい高さの枕に顔を埋め、ベッドに体を委ねて目を閉じる。間をおかず眠気が押し寄せてくる。僕はそれに素直に身を任せた。

 ギィ、と軋んだ音を立てながら開いたドアに顔を上げる。
「いらっしゃい」
 客に声をかけつつ、一週間前と同じように僕はカップを手に取るとその中にコーヒーを注ぎ、ソーサーの上に乗せると砂糖とミルクとマドラーを添え、足下に鞄を置いて帽子を取りつつ椅子に座ったヴァルヘルトの前に置いた。
「やあしばらく。頼んだものはできているかな?」
「もちろん」
 答えるなり僕は作業台の片隅置いておいた箱を手に取るとヴァルヘルトに差し出した。蓋を開き、中身を目にするなり彼の顔がハッとしたのが見て取れた。
「……まさか、ここまで同じに作ってもらえるとは思っていなかったな」
「それが依頼の条件でしたからね。代金は十二だよ」
「解った」
 小脇に抱えていた滑らかな革製のバッグからヴァルヘルトが取り出した封筒には紙幣が詰まっていて、丁寧に数えてみると確かに、そこには僕が提示した額がぴったりと収まっている。
「うん、十二ちょうど。確かに受け取りました」
「ありがとう。それでは私はこれで失礼するよ。また次の機会があったら」
「まぁまぁそう急ぐ事もないじゃないですか。少し話をしましょうよ、軍人さん」
 銃を箱に戻し、蓋を閉めにかかっていったヴァルヘルトを引き止めると彼のまゆがピクリと動き、次いでハハハ、と諦めたように破顔する。
「やっぱりバレていたね。まぁ私も本気で身分を偽っていた訳ではないからね。いいだろう、で、話をするにしても何の話だい?」
「その銃なんだが、修理をしたのは僕の育ての親なんです。その人は金属加工技師をしていて、趣味は読書や新聞のスクラップを集めることなんだ。だからその人の家には大量の蔵書や資料が保管してある。銃の部品を作ってもらう間に、少し面白い記事を見つけましてね。何でもその記事によると、十年前の戦争であなた方兵士の間では、自分が殺した人間の数を銃に彫り込む風潮が流行ったそうじゃないですか」
 一度席を立った僕は、作業台に置きっぱなしだった自分のマグカップと雑に丸めた布を持ち、再びヴァルヘルトの前へと戻る。コーヒーで口の中を湿らせながら布を開くなり、彼は長く、深いため息を漏らした。
「……先日、家の中を掃除していたんだ」
 一、二分たっぷりと間を置いてようやくヴァルヘルトは口を開く。
「その際、当時私が使っていた銃が出てきてね。それとともに昔の記憶が、平然と人を殺していた頃の記憶が一気に戻ってきた。怖くなった私ははじめそれを捨てようかと考えたが、その銃は私が前線に出る前に父親から譲ってもらった物だったんだ。父はもう死んでしまった。その銃は私にとって父の形見であり、さすがにそれを捨てる訳には行かなかった。……戦争終盤の我々の軍はある意味で常軌を逸していた。戦況を覆す事に躍起になり無茶な攻撃命令や、非人道的な作戦を兵士に強いるようになっていた。それでなんとか君たちの国の戦意を削ごうと考えたのかもしれないが、その行為は、知っての通り、ただ火に油を注いだだけ。少し考えれば解る筈だったが、民衆は自分たちが優勢であると信じて疑わず、現状を知る我々兵士達にはそもそも反論の余地は無く、国は戦争に勝てないとわかるや否や、目的は攻撃では無く嫌がらせへと方針を変えた。たとえその嫌がらせの期間が短く、それを実行する兵士がよく訓練されていると言えど、精神に異常をきたす者が出てくるのは当然だった。私もそのうちの一人で、小さな村を虱潰しにして虐殺を繰り返すうちに私は、快楽を覚えるようになっていた。狂ったように逃げ惑う人々を後ろから撃ち殺し、殺した人数分だけ銃に傷を付けてスコアをつける。もはや私たちの戦争は戦争の形をした別の何か、それこそ一種の遊びのような感覚にまで落ちていた」
 一気にまくしたてたヴァルヘルトはカップの中身をあおり、口の中を湿らせる。僕は何も言わず、タバコを一本取り出すと口にくわえて火をつけた。
「君たちの国は空軍が優秀で、飛行船や航空機でよく奇襲を仕掛けてきた。度重なる攻撃で対空兵器が次々と潰されてしまい、私たちは敗走するばかりだったよ。空から聞こえてくるエンジンの音や近づいてくる巨大な黒い影に何度、畏怖したかわからないし、戦争が長引くほど空からの攻撃は苛烈になり、爆撃から逃れようと、とある村を強引に突っ切ろうとしていた時に、何というか張り詰めていた糸が切れたんだ。それで私は、自ら閉じ込めてしまった良心を思い出した。こんな惨い事を、こんな人でなしのような行為を、私は楽しみながらやっていたのかと思うと、今でもその念に苛まれるよ」
「……だったら、尚更これはあなたが持っているべきだ」
傷が入ったままの、かつてヴァルヘルトの銃を構成していた部品を僕は彼の方へと押しやる。彼はある意味、国を守るという大義名分を掲げ戦争で敵となった国と兵士と民衆を否定する罪を背負う覚悟ができたから、軍人となった。 銃の部品を交換するばかりか彫刻を施し、武器では無く工芸品とすることで、自身が自身に下した決意から逃れられる程、事実は決して甘いものではない。
「部品を交換し、形を変えれば逃れられた気にはなれるかもしれないけど、あなたの過去は一生ついて回る事にはかわらない。これを持っていてもいなくても、事実はかわらないんだ。こんな曰く付きな物、他人に処分させないでくれませんか?」
「それは……解っている事なんだが……あぁ、こう目の前に出されては否定することも叶わないよ。君の言う通りだ」
 観念するように頭を振り、ヴァルヘルトは彫刻を施した銃の箱と一緒に、カウンターの上の部品をバッグへ穏やかな手つきでしまい、ベルトの金具を留め直した。
「申し訳ない。今しがたの長話といい、気分を害してしまったことは謝ります。戦争で僕の父は死んでしまったけど、あなたやあなたの祖国に関して何も思ってなければましてや、今しがた明かされたあなたの胸の内に僕は何も思っちゃいません。ただ、あなたが事実から目を背けていそうだったから、ちょっとだけ悪戯をしてみただけだったんです」
「いいやいいんだ。気にしないでくれ。ちょっとにしてはなかなか深い所を抉られたがね」
してやられたと言う表情のまま帽子を被ったヴァルヘルトは最後に一つ、困り顔のまま笑みを浮かべ、ドアへと歩んでいく。そんな彼の背中は、初めて彼に会った時よりも幾ばくか小さく見えた。

 その日の夜、僕は子供の頃の夢を見た。戦争中の夢だった。夢の中で僕は爆風で吹き飛ばされ、ボロ雑巾のように地面の上を転がっていた。
体のあちこちが痛み、意識は朦朧としている。突如、そんな僕の体が宙に浮いた。ついに僕は死んだのかと思ったが、この全身を揺さぶる荒々しい揺れとなおも鳴り響く轟音に混じって聞こえてくるのは、息づかいだろうか。それらが僕の意識にまだ生きているという現実を訴えかけている。
 頭から流れた血で左目は塞がっていた。なんとか右目だけを開けて見ると敵か味方か解らない兵士の顔が見えた。どうやら僕はその兵士に抱えられているようで、荒い呼吸音は僕のものではなく彼が立てている者だった。
「アレ……じゃ……!」
 聞き覚えのあるような声が聞こえ、強張ってしまった首を動かしてみるとトラックに荷物を乱雑に積んでいた初老にさしかかった男の顔が見えた。
「ベーゼルさん……」
 裂けて、枯れてしまった喉で僕は寝間着姿の金属加工技師の男の名を呼んだ。ベーゼルさんの後ろには崩れかけた工房が見え、トラックの荷台には日用品や非常食、薬品以外に急いでかき集めただろう、数冊の本や資料があった。
 兵士はベーゼルさんと二、三やり取りをかわし僕の体を預けた。その際に僕の目に映ったのは炎で紅く輝いている、歳若い兵士の蒼い目と金色の髪だった。
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