第1話

文字数 1,994文字

ミサちゃん人形が欲しい。幼稚園のお友だちはみんな持ってるし、買うとミサちゃんとお話ができる電話番号も手に入ると聞いた。

ユカは何度もお母さんに買って、とお願いした。

でもユカの両親は買ってくれない。どうせ大きくなったら捨てるに決まってるから、と言って取り合ってくれない。電話にしても、どうせ機械が回ってるだけなのよ、と。それより、ユカが将来に活躍できる大人になれるように英語や芸術を身につけるためにお金がかかるから、そんなものを買う余裕はないのよ、というのがお母さんの口癖だ。

ユカのクラスでまだミサちゃん人形を持っていない女の子は、とうとうユカ一人になってしまった。仲間外れにされたらどうしよう、とユカは恐れている。そのため、ユカは友だちにはミサちゃん人形を持っている、と嘘をついている。

仕方なくユカは毎日、近所のオモチャ屋さんに行き、売り物のミサちゃん人形を眺めている。そこはおばあさんが一人で切り盛りしている古いお店だ。ユカの両親曰く、定価販売しかしていないから割高な店であるらしい。だからユカが持っている玩具(といってもユカは計算や英語の知育教材しか買ってもらえない)は、割引があったり、ポイント特典のある量販店でしか買わない。

店主のおばあさんはかなり高齢で、いつ店に行っても居眠りばかりしている。ユカが店に入って、来客を知らせるベルが鳴っても目覚めない、なんてこともしょっちゅうだ。

この日もユカが店を訪れると、やっぱりおばあさんは眠っていた。ユカはまっすぐにミサちゃん人形が置いてある所に向かった。

幼い女の子の手に届きやすい位置に、ミサちゃん人形はいる。金髪のロングヘアで、ピンクのワンピースを着たミサちゃん。この店ではこの一体だけだ。ユカが数日置きにやって来ては手に取っているため、透明なプラスチックケースにはユカの指紋と爪痕が何箇所かについてしまっている。それでも店主はそれを修復したり、ということもしていない。

あのばあさん、ボケてるよね。

そうユカの両親は口にしていた。

ボケてるおばあさんが寝てる。

ユカは手にしたミサちゃん人形を胸に抱きながら、じっとレジに座るおばあさんを見た。

きっと気づかないんじゃない。ひとつぐらいなくなっても。

本当は買わなくちゃいけないんだ。それはわかってる。でもまだお小遣をもらってないユカは買うお金がない。

おばあさんは起きない。

ミサちゃんを抱えたまま、ユカは踵を返し、走って店を後にした。



ミサちゃん人形がユカの家に来てから、数日が経った。お人形はユカのおもちゃをしまっているクローゼットの奥深くに隠してある。本当は早く出して遊びたいと思うけれど、お母さんの前では出すわけにはいかない。夜みんなが寝静まった後やまだ赤ちゃんの弟がぐずった隙に、少しだけ見つめてはニヤついた。

今日は幼稚園から帰ると、弟が泣き出した。お母さんはお乳をあげるから、といってベッドルームへ入って行った。

ユカはミサちゃんを取りにクローゼットへ走った。

ミサちゃんダイアルに電話しよう。ミサちゃんとおしゃべりするんだ。みんなみたいに。

人形ケースの後ろ側に書いてある電話番号をリビングの電話を使って押した。数字の勉強をしていてよかったな、とちょっと思った。

電話はすぐにつながった。

「こんにちは。ワタシ、ミサ。お電話、ありがとう」

甲高いアニメ声が響いてきた。

「あなたはもう、ワタシのオトモダチよ」

「ありがとう。私、ユカ。よろしくね」

「今日は雨だけど、お元気かしら?」

「ミサちゃんのところも雨降ってるの?」

「そうよ。雨だと、ヘアスタイルが決まらなくてユウウツよね」

お母さんの嘘つき。やっぱりミサちゃんは機械なんかじゃないじゃん。こうして私とおしゃべりしてくれてるよ。

ミサちゃんを手に入れてよかった。そうユカが思ったその時だった。

「ねえ、ところで、あなたはなんでワタシを箱から出してくれないの?」

「えっ...?」

「ワタシはあなたとオトモダチになったのよね?でもなんでワタシの手足は縛られたままで、暗い所に入れっぱなしで、箱の中にしまったきりなの?」

ユカはミサちゃん人形を抱えている左手が震えるのを感じた。

「ねえ、どうして?」

「そっ、それは...」

ピンポーン。

インターホンが鳴った音にユカは心臓が飛び出るかと思った。お母さんが起きてきて、リビングに来ようとしている気配がした。

慌ててユカは受話器を置き、ミサちゃん人形をクローゼットに隠した。

「嫌だ、何かしら」

お母さんは眉をひそめている。誰が来たのだろうか。

玄関のドアを開けると、知らない女の人が二人立っていた。お母さんはセールスの人を追い払うような口調で話した。

「心あたりないのですが、なんの用でしょうか?」

「いえ、お母様ではなく、お嬢様にお話がございます」

女の人たちは廊下にいるユカに向き直った。

「豊洲署です。ミサちゃん人形のこと、わかるかな?」



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