黒髪の鬼

文字数 6,771文字

 望月(もちづき)()に 岩に座す
 赤き毛の鬼 ありけるを
 童の鬼 笛吹きて
 月夜をしばし めでにけり
 望月の夜に 赤き毛の
 童あひなば 物言ふな
 衣剥がれて 死にたらむ


「今日は本当に綺麗なお月さまだ」
 山頂に差し掛かった山道、木々を縫って大きな満月が見えた。ふと赤毛の鬼の歌を思い出して口ずさむ。山道には月光が差し込み空気中の埃がきらきらと煌めいていた。男が歌を口ずさみながら歩いていると、本当にどこからか笛の音が聞こえてきた。あまりにも綺麗な音だったので、ついついそちらの方へと足を進める。

 ちょうど山道と斜面の堺に大きな岩が鎮座していた。その上に何者かが座り、月の方を見ながら笛を吹いている。目をこらしてみると子供のようであった。しかしその風貌は人間とは異なっていた。獅子の(たてがみ)のような髪が腰まで伸びており、色は鮮血を思わせる赤だった。それは一流品の着物を纏い、手に持った黒い笛が光に照らされている。

「美しい笛の音だね」
 男はその子供が何者であるかを気にする様子はなく話しかける。声に驚き振り返った子供が歯を剥きだし威嚇した。野獣のように尖った歯をぎらつかせる。
 子供が振り返った先にいたのは長い髪を緩く纏め、真っ白の法衣を纏った男。男は朗らかな笑顔を浮かべていた。月明りに照らされた白い法衣はほわっと光っているように見えた。男は輝く目で子供を見ている。

「君は鬼の子かな。すごく綺麗な笛が聞こえて来たんだ。よかったらここで聴いていてもいいかな」
 鬼は牙をしまい、訝しげに男を見る。
()は子供ではない。それは沙門(しゃもん)か。鬼を退治しに来たか」
 この頃、鬼を退治して旅をする僧を沙門と呼び、鬼が出たとの(しらせ)があれば赴き鬼を退治して回っていた。全国各地に沙門と呼ばれる者がいたが、沙門を生業(なりわい)とする者もあれば、片手間に行う者もある。果ては、沙門を名乗る詐欺師まで現れる始末。その活動は各人各様となっていた。

「私は真面目ではないからね。鬼を見つけたからってどうこうしようと思ってないよ。ただ困っている人を助けたいだけ」
 男が近づき、月明りで露わになった鬼の姿を見る。
「君の着物は上等品と見えるけど……」
「何日か前に行商が通りかかったから奪った。なかなか気に入っている」
「ああ、あの噂は君だったのか」
 男はそれでも気にすることなく岩にもたれかかり腰を下ろす。
「さあ、聞かせてくれないか。満月の夜にこんなにも美しい笛が聞けるなんて、私はついている」
 鬼はますます男を不思議な目で見る。

?」
 男はふっと微笑み問いには答えなかった。
「君は美しいね」
 そういって瞼を閉じるものだから、鬼はそれ以上追及せず、笛を吹き続けた。

 いつの間にか眠りに落ちてしまった男が陽の光で目を覚ますと、岩の上の鬼はすでに姿を消していた。
「しまった。お礼も言わずすっかり眠りこけてしまったな」
 男は立ち上がり法衣についた土を払うと、また山道を歩きだした。



波兎(わと)、そろそろ陽が落ちてきたが夕餉はよいのか」
「ああ、もうそんな時間か。じゃあ今日はそこの宿屋に泊まろうか。ついでに鬼の情報も尋ねてみよう。それにしても紋紋(もんもん)が私のお腹事情を心配してくれるようになったとはね」
 波兎が紋紋に笑顔を向けると、ふいと顔を逸らす。
「人間は難儀よの」

 鬼が出ると聞いた村にやってきた。昏昏(こんこん)とした空が村に降りかかり、その空気は陰陰(いんいん)として重苦しい。
 夕刻にも関わらず外に出ている人が少ない。丁度仕事が終わり帰路に就く頃でもあるのに奇妙だと波兎は感じていた。
 宿に入るとさっそく番頭が二人を出迎えた。番頭は白い法衣の波兎を見ると歓迎した表情を見せたが、その隣の男を見て表情を曇らせる。
 獅子のような黒髪は腰まで伸び、崩して纏った着流し姿。百八十はあろうかという背丈はこの時代では大柄で珍しい。紋紋のそれは一見盗賊にも見える出で立ちであった。

「あのう、貴方様は沙門様とお見受けいたしますが、お連れの方はご一緒で……」
「ああ、私の用心棒で鬼退治の連れ合いといったところですよ。今日はこちらに泊まりたいのですが。あと夕飯もお願いしたい」
「そ、そういう事でしたら、ご用意いたしましょう。夕食はこの一階で準備させていただいております」
 番頭が食事処ともなっている座敷の一角へと案内する。隣の座卓では地元の民が酒盛りをしていた。

「店主、酒を一合もらえますか。それとこの辺りで鬼が出たと聞いたのですが、詳しい事をご存じでしょうか?」
 波兎と店主が話しているのを隣で聴いていた客が口をはさむ。
「鬼といったらあそこの山で出たんだよ。もう何人も食われてる。この辺りは山に囲まれてるから猟をしたり木を売って金を稼ぐ者がほとんどだってのに。鬼が人を襲いだしてから山に入れやしない。沙門様よ、頼むよ。早く鬼を退治してやってくれ」
 酔っぱらっているのか、客が饒舌に波兎に絡む。
「人間は(まこと)に人任せよの。自分たちで生んだものよ。自分たちで何とかするのが筋というもの」
 紋紋がつまらなそうに頬杖をつき酒をあおる。

「おい、そこのザンバラ頭、俺たちが鬼を生んだってか? 鬼は俺たち人間を襲ってんだぞ。人間が生んだならなぜ生みの親を襲うってんだ」
 波兎が苦笑いし、慌てて酔っ払いとの間に割って入ろうとするが、紋紋はいよいよ身を乗り出し客を見据える。
「それみたいなのが美味そうなのよ。いい匂いがする」
「あー、あー、んんっ!」
 わざとらしく咳ばらいをした波兎が紋紋の服を掴み、抑え落ち着かせる。
「それでは私たちは今晩さっそくその山に行ってみます。教えて頂きありがとうございます」
 夕飯を食べ始める波兎の横で未だに紋紋は膨れっ面をしていた。

 陽もすっかり落ち切り、村は明かりを失い闇に包まれる。そんな中、波兎と紋紋が山へと向かった。山と言っても村人の話では鬼が麓まで降りてきて人間を襲っているらしい。その場までの道は宿の店主が貸してくれた提灯(ちょうちん)の灯りだけが頼りだった。波兎の先を歩く紋紋には灯りなど必要ないようで、暗い道をずんずんと歩く。波兎の持っていた(とぼし)が紋紋の後ろ影を照らしていた。

「すっかり髪が黒くなったね」
 背後から聞こえた波兎の声に紋紋がちらと振り向く。
「人を食うてないでな。吾の髪は血の色に染まるらしい。最近食うのは鬼ばかりよ。人を食うとお前が嫌がるだろう」
「紋紋も野菜や魚を食べられたらいいのに」
 紋紋は前に向き直り鼻で笑う。
「それをいくら食おうと腹の足しにはならんわ。なあ、波兎。お前は知っておるだろう。鬼は遺恨の念、物恨みの念を食うて生きておるのよ。それを内に持った人でないと鬼の血肉にはならん。辛うじて鬼は怨念でできて
おるから食えんことはないがな」
「共食いをさせてしまっているようで申し訳ないよ」
「はは。本当にお前は面白い。吾には他に対する憂いも哀情もない」
 
 波兎と紋紋が話しながら歩いていると、鬼が出ると聞いた麓に差し掛かっていた。普段ならば人が出入りしており、人間の跡があるのだが、今は生えっぱなしの藪で辺りが荒んでいた。波兎がわざと提灯を高く持ち上げ辺りを照らし、人間の存在を示す。
 すると狙い通り、奥の方から草をかき分ける音と共に何やら近づいてくる。
「あれ、一体と思っていたら二体もいた」
 波兎がさほど驚く様子もなく淡々と話す。黒く硬い皮膚を纏い、八重歯が口から突き出るほどにまで伸びた牙を持つ。顔面は紋紋のそれとは違い醜くひしゃげている。鬼は久しぶりの食料を前に涎を垂れ流し息粗く近づいてきた。しかし波兎の傍にいる紋紋に気付くと訝しむように足を止めた。

「波兎、一体は吾がもらう。先ほどから少し腹が減っていたのよ」
「うん、仕方ないね。わかったよ」
 紋紋が鬼に向くと、鋭い歯をぎらっと剥きだした。さすがの鬼もこれはまずいと後ずさり逃げ出す。それを追いかける紋紋は四肢を使い、それはまるで猛獣の姿だった。
 もう一体の鬼がこれは好都合と波兎に迫り襲う。波兎が丁寧に提灯を地面に置いたとたん、鬼の手が波兎の首にかかった。そして口を大きく開け波兎に食らいつこうとする。それでも波兎は冷静さを崩さず、首にかかった鬼の手首と迫りくる顔面を自らの手で抑えた。
 波兎が鬼に触れた瞬間、鬼が呻き悶えだす。手が触れているところからシュウシュウと煙が立ち、赤く熱を持ったかと思うと炭のように黒くボロボロと身体がこぼれ落ちていく。

「大丈夫。元の場所に帰っていくだけだから」
 表情を変えない波兎を見つめたまま鬼は何も出来ず、全身が炭になり、やがて地面に崩れていった。
「後は土におなり」
 波兎が炭の山に手を合わせる。
 少し離れた場所からはこちらは悲痛な鬼の悲鳴が聞こえ、肉を裂き骨が砕ける音が聞こえて来た。波兎もこの音には慣れないようで、終始聞かない

をしていた。
 紋紋が口周りのどろどろとした液体を拭いながら波兎の元に戻ってくる。黒い液体は着物にまで染みついていた。
「おかえり紋紋。随分派手に……食い散らかしたね」
「ああ、不味い。やはり恨みごとをつらつらと喋る人間が一番美味いわ」
「よく赤子が柔らかくて美味しいという話があるけど、鬼は赤子を好んで食べるというのは間違い?」
「赤子? あんなもの草木と同じよ。なんの臭いもせん。お前と同じよ」
 私と?と波兎は首を傾げた。

 二人が鬼を始末し村へと戻る。山麓から村への入り口となる大きな鳥居にさしかかった。鬼への心配もなくなり無防備に歩いていると、突然紋紋の後ろからうめき声が聞こえた。紋紋が振り返ると波兎が脇腹を押さえうずくまっている。その傍には刃物を持った人間の影があった。刃先からは鮮血が滴り落ちている。
「へへ、沙門といえば結構持ってんだろ、銭をよ。身包み剥いで持ってちまおうぜ」
「後を着いて行って宿を特定した方がよかったんじゃねえか? 金目のもんを持ってるかもしれねえ」
「なら今から案内させるか」
 人間の影は三つ。うずくまる波兎の襟首に手をかける。意気揚々と波兎に近づく二人に対し、一人が「ひっ」と悲鳴を上げる。
「どうしたんだよ、何突っ立って……」

 他の二人が顔を上げると、髪が逆立ち、目が赤く光る鬼が殺意を纏いこちらを見ていた。三人の頭には死の恐怖が鳴り響き、それが脳から体への命令を遮る。鬼が一歩、一歩と近づいてくると、ようやく絞り出した声で何とか手足を動かした。
「に、逃げろ!」
 転がるように走っていく人間。追いかけようとする鬼の裾を波兎が掴む。
「宿に連れ帰ってくれないかな。死にそうなんだ」
 止まらない血を圧迫し、抱きかかえると一散に宿へと走った。宿の者に医者を寄こさせ、波兎への処置が終わると、紋紋も一先ずは安堵した。
 刺し傷はさほど深くなかったが、すぐには動けそうもなく、数日は宿で過ごすこととした。

 その程は波兎も痛みと出血で辛そうな様子だったが、すぐにいつもの調子を取り戻した。
「いやあ、驚いたね。まさか沙門を狙う盗賊が現れていたなんて。これは総本宮にも報告が必要かな」
 相変わらず穏やかに話す波兎の横で、紋紋は窓から見える月を眺めた。
「のう、波兎よ。笛を聴くか?」
 波兎の話にはさほど興味がなさそうだったが、波兎が話終わるのを待って紋紋が聞いた。
「うん。久しぶりに聴きたいな。寝てばっかりで退屈してたんだ」
 紋紋が笛を取り出し手入れをする。

「ねえ、なんで紋紋は私に着いてきたの? 鬼退治の手伝いをする鬼なんて初めて聞いた」
「鬼退治の手伝いをしたいわけじゃない。お前は言ったろ、吾の笛が綺麗だと」
「うん、言った」
「吾の笛の音が聴けて幸運だと」
「うん」
「だからお前を探してみた。見つけたから声を掛けた。吾の笛を聴かせてやろうと思うてな」
 波兎が目をぱちぱちと瞬かせ、紋紋を見つめた。

「紋紋、それって

って言うんだよ」
 紋紋が不可解と言わんばかりの視線を返す。
「人間は、それを嬉しいって言うんだ」
「それが何かよく分からん。人間の感情を知ったところで血肉にもならん」
 波兎を背にし、満月に向け笛を吹き始めた。その音は部屋中を満たし、窓から外へ出ていくと空気中に溶け込んでいった。音が不純物を取り除くように空気が澄んでいく。軽くなった空気で呼吸がしやすい。波兎は耳を傾けながらすうっと眠りに落ちていった。

 波兎の穏やかな寝顔を見た紋紋は立ち上がる。小銭入れを持ち部屋を出ると、宿を後にした。鬼を退治した後は村の活気も戻り、日中は山と村を行き交う人々で賑わっていた。人間は安堵の元だとこうも変わるのかと紋紋には解せなかったが、夜ともなると変わらず村は静まり返っていた。紋紋が鬼を退治した山へと歩を進める。
 紋紋は山に入るわけでもなく、鳥居の近くまで来ると気配を鎮め、そろそろと歩いた。チャリチャリと銭を鳴らし、なるべく身を縮こませ歩いていると、鳥居の影から三人の人間が現れた。一人が刃物をちらつかせ、こちらへ向かってくる。紋紋は視線を下に向けたまま立ち止まる。

「なんだ、銭持ってそうな(なり)じゃねえな。その小銭だけ寄こして去れよ」
 刃物の男が手を差し出した瞬間、紋紋が手首を掴み長い爪で首を搔き切った。男の首から血しぶきが鮮やかに舞う。それを見た他の二人が逃げようとするが、一人は腰を抜かし座り込んでしまう。それを横目に紋紋は逃げた一人を追い、倒すと心臓を手で一突きしえぐってしまう。男が事切れると、へたり込んだ男の元へ悠々と戻ってきた。
「た、助けてくれ」
 もはや顔から血の気が引き、青白くなった男の目も見ることなく、頸椎を折るとそのまま男は絶命した。
 くたっと力なく転がった人間を見下ろすと、おもむろに腕を掴み胴体から引き千切る。持ち上げた腕を月越しに見つめ、紋紋は大きな口を開け牙を剥いた。

 宿に戻ると、穏やかな顔をして眠っていた波兎が物音で目を覚ました。部屋は暗く何も見えなかったが、気配で紋紋だと分かった。
「あれ、紋紋お出かけしてたの?」
 眠そうな目を薄く開けていると次第に暗闇に目が慣れて来る。
「食料を探しに出た」
「買い物するつもりだったの? 夜はお店は開いてないよ」
 ふふっと笑って紋紋から小銭入れを取り上げる。紋紋が波兎の傍に背を向けて寝そべる。目の前に紋紋の後ろ姿が現れた。波兎が鬣のような毛を指で()いて遊ぶ。
雄々(おお)しげな黒だね」
 紋紋は聞こえていたのか、聞いていなかったのか返事をせず、肘を枕にし、大きなあくびをすると目を閉じた。

 翌朝、ようやく波兎も元のように動けるようになったので宿を出ることにした。宿を出ると村の鳥居の辺りに人だかりができていた。波兎と紋紋が近づくと、村人が血相を変えて駆け寄ってくる。
「沙門様! 鬼は退治されたんじゃなかったんで? また鬼が出て三人も殺された!」
 波兎が(かばね)に近づき覗き込む。そばにしゃがみ込み手を合わせる。村人が波兎の言動に注目していた。
「これは鬼じゃないですよ。人間の仕業です」
「そんなはずあるか! こんなむごい殺され方……」
 村人の一人が声を上げる。他の村人たちもざわつき始める。

「もし鬼の仕業とすれば、食われていないのはどうしてでしょう。鬼は人を食うために襲うのに。それに私は


「じゃあ、これは……」
「私もこの間盗賊に襲われました。それの仕業でしょう。当分は夜の外出は控えて、一人では出歩かぬように。人が仕業であれば、怖い事はありません」
 無残な屍に村人たちに納得がいった様子はなかったが、波兎の言葉には反論ができないようだった。波兎は丁寧に頭を下げるとその場を去る。
「物騒な世の中だね」
 後ろを振り返ることなく紋紋の横を歩く波兎からはそれは本当に柔らかな空気が漂っていた。波兎が紋紋を見上げる。
「さて、次はどこへ行こうか?」
 波兎が紋紋に微笑みかける。



――あれから二百年ばかりが経ったのか。
 紋紋が腰掛ける岩の横には小さな石積みがあった。岩の上から見える空を眺める。陽が次第に落ちてきていた。
「おい、お前! 今日は満月だから早く帰れよ。この山には満月に鬼が出るんだぞ」
 遊びに山に入っていた子供たちが声を掛ける。しかしそれには答えずじっと空を見つめていた。
「何だこいつ。返事もしねえ。変な奴」
 行こうと言い、子供らは山を駆け下っていった。

「のう、波兎よ。最近は鬼も減ってきた。人間たちは晴れ晴れとしてまずそうよ」
 紋紋が岩の上に寝そべる。
「のう、波兎よ。吾は飢え死ぬならここでと決めておる。今日は明るい満月よ。笛でも吹こうと思うたが、聞いてくれるものはもうおらん」
 暗闇にぽうっと光る満月が紋紋を照らす。それは子供の形をした黒い髪の鬼だった。
 
 満月の夜。
 岩の下、石積みの辺りにぽとりと黒い笛が落ちた。

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