プロローグ 新志(1)

文字数 2,592文字

【言語】
一定のきまりに従い音声や文字・記号を連ねて、意味を表すもの。また、その総体。
【震源】
①最初に地震波を発生した点。
②ある事件などの起こったもと。また、そのもととなる人。

◆◆

「〝震言語〟……ですか? 編集長」
日本ではもはや珍しくもない、壁や仕切りを取り払ったオープンなつくりのオフィス。
ワンフロアの広い敷地面積には、各部署のスタッフ達がそれぞれのデスクで仕事と向かい合っている。
天井からピアノ線で吊り下げられた表示板には「広告・宣伝部」「制作部」等書かれている。そして、その下にある比較的大きな事務机の向きは、他とは違い目の届くスタッフ達を見渡せるように配置されていた。その机の上には、存在感溢れる卓上ネームプレートが、名前と役職をアピールしているかのように置かれていた。
「そうよ、新志(あたらし)君。あなたの初仕事、期待してるわ」

出版不況という言葉が当たり前となりつつある、2000年代前半に蘭絆社(らんはんしゃ)は誕生した。
元は大手出版社に就職していた現社長は、「新しい挑戦をしたい」という思いから独立し、彼に着いてきた僅か五人で出版社を立ち上げた。
それからわずか数年で、週に五冊、月に六冊の雑誌を刊行する会社に育て上げ、その勢いは今や大手にも引けを取らない。スタッフも当初とは比べ物にならないほど増え、編集者を目指す若者にとって憧れの企業の一つとなっている。
僕も数年前まで、その一人だった。

「……ですが、降谷(ふりや)さん。〝エルムタウン〟のジャンルは、ホラー・ミステリーですよね? これって違うんじゃ……しかも企画書を見た感じ、漫画じゃなくてレポート(調査報告)なんですか? 読まれない可能性も……」
「何言ってんの、新志君!!」
両手を卓に叩き付けてから、前のめりで僕に顔を近付ける。互いの鼻の頭が付きそうな距離に、僕は仰け反る。
「漫画雑誌に連載小説なんて、今や当たり前。それに、オカルトっていうジャンルはどの雑誌社もすぐに飛びつくわ。読書はこういうの好きだから。でも、最近のホラー系はネタが似たり寄ったりの飽和状態。〝都市伝説〟ですら、もう廃れかけてるわ……だからこそ、新しいジャンルを必要としてるのよ!!」
四十代とは思えない顔立ちの彼女の熱弁は、非常に絵になるが……両肩にかかったウェーブパーマの髪が揺れ、シャンプーの匂いが鼻をくすぐり、さらにベストの下からでも分かる豊かな胸が目の前にあるせいで、僕の心臓の鼓動は分かりやすく高鳴る。
「それに面白そうじゃない? 辞書に掲載されないけれど、若い子の間やネットとかで密かに噂になった言葉の発生源を辿り、そのルーツを探る……なんてさ、まだ若いのにページを持たせてもらえるなんて、そうそう無いわよ。じゃあ、再来月から始めるから。さぁ、行った行った!!」
上司にそう言われたからには、部下の自分には何も出来ない。手でバイバイと追い払われた僕は、自分の机に戻るとひとまずパソコンを立ち上げる。
そしてたった今、編集長から受け取った企画書の一番上に書かれている題を見つめた。

『震言語録』(仮)

◆◆

……震言語とは、言葉を意味する〝言語〟と、物事のきっかけになった出来事、元となる人を意味する〝震源〟を組み合わせた造語である。即ち、一時期噂話やネットを中心に広まった、よく使われていた言葉のルーツを探るドキュメントレポートである……

「何が、ドキュメントだっての……」
1LDKの部屋の電気は消えることはない。簡易ベットに仰向けに倒れ込んだ僕は、クシャクシャに丸まった下書きの山をチラと見つめ、溜息を吐いた。
「何をどう調べたらいいのか、サッパリ分からない……」
月刊誌『エルムタウン』は、伝説のホラー映画に由来する、その名の通りホラー漫画を中心に掲載される成人女性向け雑誌だ。近年は、新たな読者の獲得のためにミステリー系の作品も増えてはいたが、ここにきて体験ルポとは。
ホラー物なら、やはり怖い言葉がいいのか?
それとも、都市伝説寄りの調査をすればいいのか?
そもそも、インタビューの経験すら数える程しかない自分で大丈夫なのか?
何より問題は、近年有名になった新語の殆どが、発生元は明らかになっているため当然使えない。
逆に一般大衆が知らないような言葉を調べたところで、興味をそそられるのかーー。
(クヨクヨしてても仕方ない)
睡魔に負けそうになった目をパッチリと開き、青光りするノートパソコンの画面の前に向かう。

〝今年の新語とは?〟
〝噂話の紹介〟
〝一流塾講師による、視点と感性から言語を見つめ直そう〟

何をどう検索すれば、こんな興味の湧かないページに辿り着くのか。
えぇい、もうこうなったら。

『遊びごコロン』

何となく今、頭に浮かんだ言葉だ。「遊び心」と「コロン」(香水)をくっ付けた、まるでダジャレのような造語。
これならどうだ、とエンターキーを押した。
すると。

〝検索結果 1件ヒットしました〟

「え?」
画面に表示された文字の羅列。
僕はごくりと生唾を飲んで、キーカーソルを動かした。
そのページを開いてみると、真っ黒な画面。かと思いきや、ジワジワと文字が浮かんでくる仕掛けがされていた。まるで、アングラな闇サイトのような印象だ。サイトの上部には、
『あなただけの知ってる、あの噂話の秘密を教えて』
とある。
匿名で奇妙なエピソードを共有する、掲示板のようなものだろうか。下にスライドすれば、「名前(ペンネーム)」「書き込み」「体験談」「コメント入力」という文字が目に入る。
僕は「書き込み」のリンクをクリックした。
(何だよ、これ……?)

『目覚ましい時計』
『退靴』
『遊棒』
『我ン慢』
…………

出るわ、出るわ。聞いたこともない言葉がザックザク。しかし、本当にこれが一時期流行った……というか、噂になった言葉なのか。
個人で勝手につくった嘘話かもしれない。
しかし、僕はその一つ一つの言葉から目を離せなかった。
例え嘘でもいい。
本当にこんな言葉が存在するとしたら、誰が、いや何が原因で生まれたのか……知りたい。
僕はスレッドの一番上にある言葉を、まずはこのページに行き着くきっかけとなった言葉をクリックした。

『遊びごコロン』
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