第1話

文字数 1,960文字

 僕は怪盗である。でも、盗むのは金や財宝、ましてや人の心なんていうどこかの大泥棒じみたものじゃない。
 僕が盗むのは時間だ。厳密にいうなら目を盗むといった方が早いかな。僕が誰かの目を盗んでいる間に依頼者が目的を遂行する。僕の事を囮と呼ぶやつもいるけど、そんなかっこ悪い名前で呼んでほしくはないね。まあ、時間を盗む対象が警察だったりもするから大っぴらには言えない仕事なんだけど。
 そんな胡散臭い怪盗に、尋ねてきたのは一人の少女だった。絵本の中から出てきたかのような純白のワンピースを身に纏う彼女は、出会って挨拶もなしに要件だけを口にする。
「あなたが今まで盗んだ時間を私にちょうだい」
 思わず目が点になってしまったよ。目が点になるなんて表現は古臭いかもしれないけど、語彙力のない僕にはこれしか浮かばなかったんだから仕方ないじゃないか。
「お嬢ちゃんは、どうして時間が欲しいんだい?」
 僕は20センチくらい離れた彼女の身長に合わせるように腰を折ってから訊く。はたから見たら園児を宥める保育士にしか見えないだろう。
「病気だから生きる時間が短いの。私は死にたくない。だから、あなたが盗んだ時間を分けて」
 彼女は仏頂面のまま、いたって真面目なトーンで言った。どうやら、死への恐怖で頭がおかしくなったわけではないみたいだ。
 しかし残念なことに、僕は超能力を使えるわけじゃない。所詮、怪盗のまがい物にすぎないのだ。僕は真剣に頼む彼女の目を捉えて、頭の上に手を乗せた。
「ごめんね。僕は人に時間を与えることはできないんだ。だから、お嬢ちゃんを助けてあげることもできない。お嬢ちゃんが一日でも長く生きられるように祈っているよ」
 すると、一瞬悲しげな表情を作ったあと、「そう」とだけ呟いて、どこかに行ってしまった。どうにもできなかったにしても、一抹の寂しさを覚えずにはいられなかったな。
 だから数日経って、また彼女が来た時は安堵に似た感情を覚えたよ。数分しか同じ空間にいたことがないのにおかしな話さ。彼女は僕の顔を見るなり口を開いた。
「寿命が少しだけ伸びたの。ありがとう」
 そう言って、彼女は屈託のない笑顔を見せるが、とうの僕は頭の中が疑問符で埋め尽くされた。
「えっと、前も言ったけれど僕に時間は分けられないよ?」
「でも、あなたに出会った次の日に伸びたのだもん」
 僕は悩んだ末に、「もう一度寿命が延びていたらまたおいで」と言って、彼女を帰らせたよ。実際に偶然伸びたにしろ、そんな事が二度も起こるはずないからね。
 でも、数日経ったら、またまた彼女が来て寿命が延びたなんて言うんだ。しかも、今回はとびきりの笑顔と、自身の診断結果のおまけ付きさ。そこで、初めて僕と彼女の年齢が二つしか変わらない事を知ったんだ。そのことの方が驚いたな。
 兎にも角にも、僕は盗んだ時間を他人に分け与えることができるらしいんだ。これを利用して、彼女の為に僕は他人の時間を片っ端から盗み始めた。
 正直に言おう。最初は同情や憐みの感情で仕方なく動いていたよ。だって、しょうがないだろう。僕には何の得もなかったんだから。でも、だんだんと彼女が寿命の延びた時にする嬉しそうな表情が最大の見返りになっていてさ。怪盗失格だよ。ほんとにさ。
 この力のデメリットに気が付いたのは、僕が時間を盗んでいた老人が、突然目の前で死んでしまった時だった。後になって調べてみたら件の老人の寿命と、彼女の増えた寿命の時間がそっくりそのまま同じだったんだよ。
 そこで僕はやっと、自分のしていることに気が付いたんだ。頭が真っ白になったよ。善だと思っていたことが、急に悪になったんだから。
 罪悪感に苛まれた僕は逃げるように街を出た。いいや、それは正しい表現じゃないな。彼女を見捨てて街を出た。彼女のために他人の時間を盗むことは僕にはどうしてもできなかったんだ。それは、世間一般で言ったら正しいことだったのかもしれない。けど、彼女のためにできることがあったのに、それをしなかった自分がどうしようもないほどに憎かった。
 いま彼女が生きているのか、もう死んでしまっているかは分からない。あれから数年もたった今では確認のしようがないからね。それでも僕は時折、彼女と言葉を交わした場所に来てしまうんだ。それは、感傷的な気分に浸りたいとかいう薄っぺらな理由じゃない。
 僕の中でシュレーディンガーの猫のような存在になってしまった彼女が、今もしもこの場所に訪ねてきたら言おうと思っていることがあってね。それはきっと、数年振りに彼女と会うにしてはふさわしくないセリフだし、なんとも伝わり言い回しに違いない。それでも僕は彼女に言うと思うよ。
「僕は君の時間を盗む怪盗だよ」ってね。
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