第1話

文字数 1,732文字

私は記憶喪失になった。
死にたくって、別の「何者か」に、「特別な人」になりたかったんだ。

高校2年の夏休み最終日。綺麗な青空だったことだけを覚えている。
ずっと、頭をよぎっていた、「今ここで死ねたらな」という感覚。それは小学生の時、坂道の上でよぎった感覚と似ていた。そしたら、特別な人間になれるのに。
私はビビりで、ついぞ死ぬところまでは至らなかったが、いや、そんな「死ぬ」なんてステージでもない、ほんの少しの気持ちが死に寄り添う瞬間があるだけだった。

一番最初の死は、「ひいばあちゃん」だった。葬式の日は、私が小学校に入って初めてのプールの日で、ものすごく楽しみしてたのにな、なんて能天気なことを考えていた。101歳の大往生。病院に行くと素敵な笑顔で迎えてくれた、ひいばあちゃん。私の肌と違って、しっとりとした絹のような手、そこに刻まれるしわ。その何もかもが冷たくなったひいばあちゃんが、お花に囲まれていた。
「なんで、みんなこんなに楽しそうにしてるんだろう」「ひいばあちゃんがいなくなったんだよ」
小さくなった、ひいばあちゃんの骨には青いあざがあった。

そんじゃ、毎回死にたくなるかって、そうとは言ってない。
友達と馬鹿をするとき、好きなアイドルにお熱なとき、私は「生きたい」とも感じていた。だけどその生きたいは、「死にたい」でもあった。私はこの程度の人間。到底主役にはなれない。ここが人生のピークなら、このまま、自分の人生を終えてしまいたい。

倒れるときの私が何を考えていたのかは、思い出せない。昨日までの合宿のことか、今から治療に向かうはずの足首のねんざのことか、それとも未だ終わっていない、明日までの宿題のことか、それとも、父に言われた数々の棘か。
地下鉄の駅、改札を抜けて、地上までの階段の途中にある踊り場で、私は生まれなおすことを決意していた。

3,2,1
さよなら、私。

間違って、ねんざしてる方の足から倒れてしまって、少し痛みが走る。
生まれ変わる代償がこの痛みなら、お安いもんね、なんて今なら笑って言えるかもしれない。

周りからかかる見知らぬ声、救急車のサイレン。
「聞こえるーー??お名前言える???」
聴こえてますとも。だけど私は、答えない。だって、生まれなおす最中だから。

病院について、少し寝ていた。こんな状況で寝ることが出来る私の図太い神経は、その力の使いどころを間違えている。それは、今でもそう。
少しして、親がそろって私に声をかける。そんな優しい声、久々に聴いたんだけど。もう、私の頭上で口論しないでもらいたい。

さて、新しい「誰か」の誕生の瞬間。それは寸分狂わず元の私のままだけれど、私はちょろくて思い込み激しいから、ここで生まれなおすことが出来る。まぶたをあけた。数時間ぶりの光。一世一代の舞台の幕が上がった瞬間だった。


結果として、その舞台が成功したかと言われると、そうとも言えるし、そうでないともいえる。今までと違う私を見て、扱いに困る人間もいれば、泣いてくれる後輩も、寄り添ってくれる友達もいた。私は、性格を一変して、清楚で身綺麗で、「女の子」となった。ため込んでいた仕事の割り振りも減り、学業のペースも落ち着いて、別れたかった彼氏とも別れることが出来た。あぁ、舞台は大成功だ。このまま、一生私の舞台は、この私のものだ。

けれど、辛い。辛かった。私になったことがそこまで周りに影響を与えていないこと。私は私の舞台の主役にはなれても、みんなの人生の主役にはなれないことを思い知った。私の芝居は、いつの間にか本物になって、私になじんで、私が消えていくんだ。
死にたくなった。

生まれ変わった私は、しょせん、偽物の主役だったのだろう。舞台に立ち続けることができなくなった。

私は徐々に記憶を取り戻し、私の舞台は、元の私が主役となった。

いっつも死にたくなるし、いっつも一生生き続けたいと思う。
それは、私の人生だから。私の舞台の主役は、だれにも取って代われない。
死にたくなって、舞台を降りたくなることも、それは、私の物語の深みになること。
間違っても、私の舞台を誰かに明け渡しちゃいけないこと。
「わが生涯、一片の悔いなし」なんて到底言えないけれど、私自身で生きたことだけは誇りとして。
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