少女は死にたがり

文字数 2,001文字

「心霊スポット興味ない?」
ふわふわに泡立てた真っ白なミルクを黒いエスプレッソに注ぎながら答える。
「行ったことないです。湊さんそういうの興味なさそう。」
「先輩の誘いでさ。一緒にサナちゃんもどうかな。」
サナは食器を下げながら少し考える素振りをした。彼女は来るだろう。
「湊さんが行くなら。」
カフェラテの表面に、ミルクの泡を乗せて、少しスプーンで整える。
「じゃあ週末空いてたら行こうね。」
「はーい!」
ニコニコと屈託のない笑顔でサナは頷いた。

この海は一年中穏やかな顔をしている。
かつて観光で栄えた時代の名残であるその廃墟は、潮風で黒ずんだ外壁を晒して静かに最期を待つ。ドライブインの看板は朽ち、窓ガラスは全て割れている。そこが僕たちの秘密基地だった。
「あれ、この落書き新しいね。」
真っ白なセーラー服の襟から、汗ばんだ首筋が覗く。
「昨日もあったよ。」
僕は興味無さそうに言って、コーラの缶を開けた。
「ボウソウゾクとか?」
「今時いるかな。まあ、鉢合わせしたら怠い。」
僕たちが居場所にする前は、荒れ狂った不良たちの発散の場だったのだろう。
「ねえ、湊。」
彼女は僕の隣に来て、ラムネの瓶を渡してくる。僕は黙って受け取る。
「いい加減、殺してくれる気になった?」
青い瓶にビー玉がゴロリと落ちる。彼女の唇が近づく。
「やめろよ。」
「ちぇ。何でよ。親友なのに。」
口を尖らせると、リップクリームが艶めく。
「早く、二人で死のう。」
「凪、ラムネ飲まないの。」
「死のうよ。」
僕は無視してコーラを飲んだ。
彼女とは、友人関係を作る能力が乏しい同士、ずっと身を寄せ合っている。高校3年になった春、彼女はここを発見した。僕はこの静けさを気に入った。

「ねえ、やりたいことできた。」
夏の初め、彼女は目を輝かせて言った。
「ここで死にたい。」
そして、「息止めて。」と言い、僕の唇を塞いだ。

「キスじゃ死ねないんだな。人間は。」
凪は諦めずに、ナイフを僕に託したり、首を締めようとした。
だけど、もうすぐ夏が終わる。
「夏の間に死にたかったのに~。」
凪がシャツに触れるほど近付く。
「一緒に死んでくれないなら、殺してよ。」
僕は、呼吸する喉元に手を伸ばした。凪は僕の肩に爪を立てた。それは遊びでしかなくて、思春期の僕たちは乱暴に肌を欲しがっていた。

キスの先に進んで、僕は秘密基地に行かなくなった。今でも、汗ばむ肌を覚えている。
「ここだよ、ここ。髪の長い女の子が出る。」
車を停め、先輩のタカがはしゃぎながら言った。
「嫌だな、雰囲気ある。」
助手席で、タカの恋人の、知らない女が呟いた。
「何か云われとかあるんですか?」
聞いてみたが、ここには何もない。
「若い女の子が殺されたんだって。」
「そんな話聞いたことないですけど。」
冷たい言い方になったが、高揚しているようで咎められなかった。
死んだ人間などいない。死にたくて仕方なかった人間はいる。

「昼に確認したけど、裏口から入れる。」
用意周到なタカは、恋人の手を強く握っていた。そういえば名前も聞いていない。映画なら真っ先に死ぬ役だ。
「なんか、本気の肝試しですね。」
消え入りそうな声でサナが呟いた。
大丈夫、そう呟いてサナの肩を優しく抱いた。ピクッと震える感触。僕は一つずつ、凪の感触を上書きしていく。

「ここからペアになっていこう。まず、俺らが一番奥にライターを置いてくるから、その後二人はこれを取って帰ってくる。」
賑やかに話ながら、二人は進んでいった。
「大丈夫。リラックスして待とうね。」
笑いかけると、サナは切羽詰まった表情で頷く。

タカたちを見送り、僕はサナを抱き寄せる。
大切な新しい友達。
サナは、ありきたりな花の香りがする。そっと額に口付ける。そのまま首筋に触れる。
「湊さん、あの、私。」
サナの言葉は、タカの大声に遮られた。
「やばい。見つけちゃったよ。」
息を切らしながら二人が走ってきた。
「死体だよ絶対!人だよあれ。」
喘ぎながら、タカが言った。
「動物じゃないですか?」
少し憮然として答えるが、タカは黙って首を振っていた。
「人なら大変でしょう。見てきましょうか。」
僕が一人で歩き出そうとすると、サナがシャツの裾を掴んだ。
「一緒に行きます。」
僕は少し微笑んで、サナの肩を抱いた。
セーラー服の襟の感触を思い出すが、ノースリーブのワンピースから直接触れた皮膚の感触が搔き消す。こうやって忘れていけばいい。

「一緒に死んで欲しかったのにな。」
幻聴を聞き流し、震えるサナの肩を強く抱いて歩いた。
「一人で死ねなかったくせに。」
言い返した言葉は潮風が搔き消す。
「いや、嫌だ!!」
サナが呻いて崩れ落ちる。
埃被った地面に、汚れたセーラー服。腐った四肢。僕は微笑んだ。
「湊さん、助けて。どうしよう。」
声が震えている。
「サナ。大丈夫。」
僕はサナを抱き締めた。疑い無く、目の前の死体に怯えている。滑らかな首筋。
「私とは死んでくれなかったくせに。」
拗ねた声が響いた。


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