本編

文字数 17,758文字

ここはどこ?
私は誰?
真っ暗闇の中で、私は目覚める。
怖くはない。
ただ、私の心は空っぽだ。
意識の始まりから、その場でしばらく佇んでいると、
目の前に小さな光が見えた。
手を伸ばしても、届かない。
私は、光の方へ歩み始める。
歩く度に、どんどん光が大きくなっていく。
しばらく歩いていると、光のある場所へとたどり着いた。
私は、光の中へと入っていく。
すると、地面に黒い物体が落ちているのを見つける。
私は、その物体をそっと拾い上げる。
それは、とても綺麗な欠片のようなもので、
私が触れた途端、崩れるように消えてしまった。
辺りを見渡すと、それと同じ物が幾つも地面に落ちていた。
私は、それを踏みつけながら進む。
バキっ、バキっ。
と、踏みつける度に良い音が鳴る。
「こんばんは、お目覚めですか?」
声のする方に視線を向けると、
四つ足の白い生物が一匹。
「よかったら案内しましょうか?
とはいえ、何もないですが…」
「そうだ、ないなら作りましょう。
あなたなら出来ますよ。
さぁ、思う存分描いてください」
私は、白い生物を抱きかかえて考える。
まずは手始めに、何もない真っ白な世界に色を塗る。
赤、青、黄色、緑、紫…。
色とりどりに染まった世界を見て、
美しいと思いながらも、物足りなさを感じる。
私は次に、形を作る。
丸、三角、四角、五角形、ひし形、大小様々な物体を眺めながら、かっこいいと思いながらも、
やっぱり、物足りなさを感じる。
私は次に、小さな生き物を作る。
耳も尻尾も、手足もない謎の生き物。
動くだけで笑いもしない生き物を見つめながら、
可愛いと思いながらも、つまらないと感じる。
私は次に、音を作る。
低い音、高い音、明るい音、暗い音…。
様々な音色を奏でるソレを耳で感じながら、
美しいと思いながらも、やっぱり寂しいと感じる。
私は次に、言葉を作る。
きつい言葉、優しい言葉、色んな言葉を口で表す。
面白いと思いながらも、
やっぱり、物足りなさを感じる。
私は次に、自然を作る。
草木や海、色とりどりの風景を辺り一面に描く。
綺麗だと思いながらも、物足りなさを感じる。
私は次に、天気を作る。
晴れ、雨、曇り、雪、風、春、夏、秋、冬。
色んな季節を目や肌で感じながらも、
やっぱり物足りないと思ってしまう。
私は次に…。
もうこれ以上、足りないものはない。
けど、それでも私はひとりぼっち。
「もう終わりですか?」
違う、これじゃない。
「では、どうしますか?」
もういっかい。
…………………………………………
ここは、天国と地獄の狭間にある空間。
私は今日、自殺した。
死ぬのが怖くて、今まで躊躇していたが、
いざ死んでみると、意外とあっけなかった。
私は、天使達(スタッフ)の誘導で列に並ぶ。
果てしなく続いているのかと思いきや、
私の並ぶ側は、かなり空いていた。
あっという間に前の人の番が終わり、
自分の番が来た。
私は、机に置いてある数枚の用紙に、
個人情報や、今までしてきた事、
来世の志望とその理由を記入し、
扉の中へと入る。
酷い人生だったとはいえ、
神への冒涜とまで言われた自殺をしてしまった私は、やはり地獄行きなのだろう。
目の前には、大きな図体の閻魔様がいるかと思いきや、ごくごく普通の、何処にでも居そうな白猫がいた。
白猫が口を開き、人の言葉で私に話しかける。
「“青空ひとみ”さん、あなたは…」
白猫は、先ほど私が記入した用紙に一つずつ目を通しながら読み上げる。
「来世の志望は、猫になりたいそうですが、
本当によろしいのですか?」
私は、白猫を睨みつけながら言う。
「もう、どうでもいいよ。
野良猫でもなんでも…
なんなら、この場で私を消してもいい」
「いじめ、虐待と、散々な人生だったから、
今更何が来ようとも怖くはないという事ですか…」
「どうせ、神の気まぐれで作られた辻褄合わせでしかない命なんでしょ?
違うと言うなら、神は私をどうしたかったの?
どうして欲しかったの?
幸せにしたいなら、なんで助けてくれなかったの?
答えもしないくせに、天国だの地獄だのって、
いい加減にしてよ…」
思わず、いつもの弄れた本音が漏れ出す。
「不平不満はそこまでにしてくださいね。
まだ面接は終わってませんから」
そして、呆れたようにため息をつく白猫。
「“期待はするな”
これ、あなたの口癖ですよね?
神も所詮は人間です。
あなたの仰る通り、期待はしない方がいいですよ」
「その言葉、言ってもいいの?」
「構いません」
身も蓋もない一言だ。
神をなんだと思っているんだ?
一応この猫は、神に仕えているのに。
「人はね、汚い現実を見て、
少しずつ大人になっていくんだよ。
だから、綺麗な大人なんていないの。
神様でさえ、無慈悲なの」
ふと、幼い頃に聞かされた母の言葉を思い出す。
今思い返せば、
母は、自分以外の人間が嫌いな人だった。
私にさえ、希望も持たず、期待もせず、
まるで家族以外の他人だった。
そして、そんな母の口癖は、
「期待はするな、自分だけを信じろ。
どうせな人生だ。
どうせいつかは消えてなくなる。
だったら、やりたいようにやる方がよっぽどいい。
他人の為に生きて何になる?
お前はお前、私は私。
所詮、自分以外は他人事」
「そんな身勝手は、人から嫌われると思うけど…」
「問題ない。
嫌われる事には慣れている。
お前も、いずれわかるさ。
生きることのくだらなさを…」
それが、私と母が交わした最後の会話だった。
「それでどうします?あなたなら、
やり直しも可能ですが…」
「どうせまた、同じルートを辿るだけなんじゃないの?」
「いいえ、それはあなた次第です」
「自分次第って、無責任な占い師かよ…」
「占い師はみんな無責任ですが?
所詮、他人ですし」
「うるさいな、分かったよ」
「では、右側の扉へお入りください」
白猫に言われるがまま、
私は、関係者以外立ち入り禁止と書かれた紙が貼ってある右側の扉を開けて中に入る。
扉の先は何も無く、ただ白い空間が広がっていた。
しばらく空間の中を歩いていると、
地面に落書きをしている一人の少女と出会った。
落書きの絵は、下手ではあるものの、
どれも人間を模したなにかだった。
「あなたは誰?」
私は、少女に問いかける。
「知らない」
と、興味がなさそうに少女は答える。
「どうしてここにいるの?」
「分からない」
「もしもあなたが神様なら、一つお願いがある」
「なあに?」
「あのくだらない世界を終わらせて」
少女は、これ以上何も答えなかった。
私の顔を見向きもせず、ずっと落書きに夢中だった。
「もういい、私が馬鹿だった」
呆れた私は、少女の横を通り過ぎ、
再び白い空間の中を進んだ。
果てしなく続く虚無の中をひたすら歩き続けた。
そして、気づけば真っ暗闇の中にいた。
「帰りたいの?」
するとまた、私の目の前に先ほどの少女が現れる。
「違う、消えたいだけ」
「もういっかい」
「何?」
「もういっかい、やってみる?」
「何を?」
「あなたを」
「もう、なんでもいい…」
「わかった」
少女が私に手を翳すと、視界が徐々にボヤけ、
やがて意識が消えていく。
あぁ、今度こそ終わったんだな。
本当の死を覚悟した私は、ゆっくり目を閉じた。
…………………………………………
ここは…?
目を覚ますと、見慣れた光景が広がっていた。
懐かしい匂いと、懐かしい人影。
携帯を片手に、丁寧な言葉で見えない相手と話している。
あれはきっと、若い頃の母だ。
ようやく全て思い出した。
これは、私の中で一番古い記憶。
赤ん坊の頃の記憶。
この頃の母は、生真面目で、育児をする暇もないほど仕事が忙しかった。
その生真面目さが続いたのは、五歳までだったけど、
何やかんやで、この頃の母が一番好きだった。
「おんぎゃー、おんぎゃー」
お腹がすいた。
言葉が話せないから、泣いて伝える。
母は通話をしながら、急いで私にミルクを与える。
その次は、オムツを替えて、
とにかく母は、寝る暇もないほど多忙な日々を送っていたのだろう。
そりゃ、これだけ疲労とストレスが溜まれば、
人間辞めたくなるよね。
私も私で、人の気も知らずに馬鹿ばっかりして…
そうか、母になるというのはこういう事か。
それにしても、父親の姿がない。
私が生まれる頃には、離婚していたのかな?
写真立てには、私と母の姿しかない。
私はまた、同じ悲劇を繰り返すのだろうか?
またあの日のように、母の死に顔を見るのだろうか?
………
過去に戻ってから数年が経過した。
小学校に通う私は、相変わらず過去と同じ日々を過ごしていた。
勉強は同じ内容を繰り返すだけだから何とかなるけど、問題は人間関係だった。
女子特有の陰湿な虐めを受けた。
唯一の友達だった子も、
前と同じように虐める側へ加わった。
家に帰っても誰もおらず、
テーブルに五百円が置いてあるだけだった。
冷蔵庫を開けても、調味料以外は空っぽで、
料理が出来ない私は、今日もコンビニ弁当で夕食を済ませた。
今日の弁当の中身は、
白米、梅干し、野菜の煮物、らっきょう、ゆで卵が入っていて、税抜き価格が三百円。
美味しいけど、育ち盛りの私には、
少々物足りない一品だった。
その後も、
宿題を終わらせ、シャワーも済ませたが、
まだ寝るには時間があった。
とりあえず、自分でも稼ぐ方法を探そうと考える。
株の投資は、未成年でもできるし、
口座さえあれば、誰でも始められるが、
手続きとか、取引とか、色々面倒くさそうだし、
だからといって、自分の体を売る事だけはしたくない。
そもそも、投資のやり方なんて知らないし…
バイトをするにも、高校生にならないとできないし、
何の才能もない自分を雇ってくれるような知り合いはいない。
転売をするにも、お金がない。
なら、どうする?
私は、これからどうすればいいの?
考えが纏まらないまま時は経ち、
気づけば、死んだ日付も過ぎていた。
成長しても、私や私の周りは前と同じで、
一つだけ変わったのは、
母がまだ死んでいないという事くらいだ。
バイトを出来る年齢にもなり、今は、
同じ学校の生徒のいない自宅近くの駅から
二駅隣の場所にあるカフェで働いている。
仕事量も多く、大変ではあるが、
学校での憂鬱な時間よりは何倍もマシだった。
「いらっしゃいませ」
なるべく明るい接客を心がけながら、
注文に対応する。
「エスプレッソ一つ、ホットで」
「エスプレッソのホットがお一つですね、
ご注文は以上でしょうか?」
「はい、以上です」
「出来上がり次第、お席にお持ち致しますので、
少々お待ちください」
テンポ良く事を進め、また次の注文の対応をする。
「抹茶キャラメルシロップバタークリームチョコチッホワイトマシュマロフラペチーノを二つ下さい」
「二点で、合計六百二十円です」
メニュー欄にある商品の名前は、一日で全部覚えた。
接客も、それなりにやれていると思う。
最近は、物事が順調に上手くいっているものの、
やはり、将来への不安もあった。
だから、この状況が崩れる前に、
やれるだけやろうと思った。
仕事が終わり、帰路へと向かう途中、
私はふと、都会を見下ろす夜空の星を見上げた。
見える数は少なくても、街の街灯に負けないくらいに
キラキラと光輝いていた。
「ただいま」
家に着くと、いつもは居ない時間に母の姿があった。
テレビも付けずに、
缶ビールを飲みながら、家計簿と睨めっこしている。
「おかえり」
普段は滅多に言わないくせに、
今日は随分とご機嫌が良いみたいだ。
「ヒト、あんたさ、変わったね」
「え?」
「なんつーか、悪かった…」
「急に、どうしたの?」
「なんでもない…」
初めて聞いた母からの褒め言葉。
ちょっとだけ嬉しい気持ちになった。
「ヒト…」
「なに?」
「期待してる」
「本当に、どうしたの?」
「なんでもねーよ」
「嘘だぁ」
「うるせぇ、ガキは飯食って寝ろ」
「口悪…」
母は、赤面しながら目を逸らす。
そんな母を見て、私は少しだけ、
母を可愛いと思った。
……………
私は今日、夢を見た。
普段は滅多に見ない、不思議な夢だった。
とある街に、言葉を食べる少女がいた。
少女は、街中を歩き回りながら、
吸い取るように言葉を食べ続けた。
少女は手始めに、いじめっ子の言葉を食べた。
「マジでキモい、死ねばいいのに」
次に、部下を叱る上司の言葉を食べた。
「甘えるなよ、これだからゆとりは…」
散歩中の野良猫の言葉を食べた。
「にゃー」
自信がない学生の言葉を食べた。
「どうせ私なんて」
世間話をしているおばさん達の言葉を食べた。
「ねぇ知っている?三丁目のお家の子が父親から…」
日中暇なクレーマーの言葉を食べた。
「あんたのところの商品がさ…」
コンビニ店員に暴言を吐くおばさんの言葉を食べた。
「あんたのせいよ、責任くらい取りなさいよ」
綺麗事好きな熱血教師の言葉を食べた。
「ネガティブは敵、ポジティブに生きよう」
他宗教を嫌っている信徒の言葉を食べた。
「祈れば報われる」
何かに取り憑かれている占い師の言葉を食べた。
「手放さなきゃいけない、早く手放さなくちゃ…」
仕事に疲れたアイドルの言葉を食べた。
「頑張れじゃない、頑張ったねって言って欲しいだけ」
未だに売れない無名歌手の言葉を食べた。
「いっその事、全てを無かった事に…」
ベンチに座って俯く女性会社員の言葉を食べた。
「死にたいじゃない、消えたいだけ」
部屋でネトゲをする引きこもり少年の言葉を食べた。
「どうせ自分以外には分からない」
飛び降りようとしている少年の言葉を食べた。
「それでは皆さん、さようなら」
喧嘩をしている二匹の犬の言葉を食べた。
「わんわん、バウバウ」
そして、いじめられっ子の言葉を食べようとした。
「どうしていつも、‪私ばかり…」
彼女の言葉を聞き、少女は食べるのをやめた。
同情したのか、面倒くさくなって飽きたのかは分からないが、ここでこの夢は終わった。
それ以降、この夢を見ることはなかったけど、
今でもたまに、思い出す事がある。
………
また私は、母の死に顔を見た。
今度こそ、死なないと思っていたが、
どうやらその憶測は、私の勘違いだったようだ。
私は、あまりのショックに絶望し、
膝をついて泣き崩れた。
あんなに、あんなに大嫌いだった母なのに…
以前は死んでも泣かなかったのに…
幸せというのは、失って改めて気づくもの。
最初は、些細なものが幸せに感じ、
そして、次第に慣れてくると当たり前になる。
私も、私をやり直して改めて気づいた。
大切なものは、すぐ側にあったんだと…
勝手に憎んでいた私が、馬鹿だったのだと…
私は、抜け殻となった母の肉体に近づき、
冷めた母の手に優しく触れる。
前は確かに自殺だった。
けど、包丁の刺され具合いを見るに、
今度のは、自殺ではなく他殺だということは明らかだった。
だとしたら、殺した犯人は誰なんだ?
母の性格上、人から恨まれたりすることはあるだろうけど、少なくとも人前では殺される程の恨みを買う様な人ではなかったはずだ。
殺しの動機はなんだ?
私は溢れる涙を腕で拭き、急いで警察と救急車を呼んだ。
その後、真っ先に疑われた私は、
一晩中警察から事情聴取を受けた。
最終的に、無実が証明されて解放されたが、
心身共に疲労が溜まっていた為、
学校もバイトも休む羽目になった。
私は休んでいる間、これからの事を考えた。
アルバムや、ノート、家計簿など、
部屋中にあるありとあらゆる物をかき集め、
模索しようとした。
けど結局、何もわからないまま一日が過ぎた。
一応、母が遺した預金や生命保険があるが、
そのお金も、近いうちに尽きる事は、
家計簿を確認すれば明らかだった。
もう何もしたくない。
どうせな人生だ。
どうせな人生だったんだ。
理想は理想でしかない。
少しでも自分に期待した私が馬鹿だった。
母の期待にも答えられなかった。
もっと私が…
もっと私が…
そう思いながら、より一層現実から逃げるようになった。
当たり前が無くなった事で、
当たり前に居た時よりも、今まで以上の特別を欲した。
………
自殺は、神への冒涜だ。
自殺は、唯一の救済だ。
私は、デパートの屋上へと駆け込んだ。
現実から逃げたかった。
夢から覚めたくなかった。
どうやら今までしてきた事は、
何もかも無駄だったようだ。
自分よりも苦しい思いをしている人は何億もいる。
そんな事くらいは、私にもわかる。
けど、もう、生きることも死ぬことも疲れた。
こんな私でも、少しは変われたと思った。
結局、変わったつもりでいただけだった。
やっぱり今回も失敗だったようだ。
もう一度、もう一度死ねば、
またやり直せるかな?
今度はきっと…
「まだ駄目だ」
飛び降りようと、鉄格子に足を乗せた瞬間、
強い力で誰かに腕を掴まれた。
慌てて後ろを向くと、
そこに居たのは同級生の葉庭さんだった。
「葉庭さん!?どうしてここに?」
「たまたま見かけたから助けただけ」
「他人事の癖に、私にもっと苦しめって言うの?」
「違う…」
「なら、あなたが責任とってくれるの!?
「んなわけない」
葉庭さんは、呆れたように言葉を吐く。
「身勝手なのはわかってる」
「怖いんでしょ?自分の目の前で死なれるのが…」
「それもある」
葉庭さんも、学校での私を知っている。
けど、今まで助けてくれた事なんてなかった。
なのに、今日に限ってどうして助けようとしたのか、
私には分からなかった。
「偽善者ぶるのはこれが初めてだ」
「だから何?」
「あんたはそれでいいのか?」
「余計なお世話…」
「せっかくの人生なのに、勿体ないよ」
「…」
「仕事に家庭、なんでもテキパキとこなして、
自分の趣味や、やりたい事は後回し。
そして、誰かを幸せにしたい気持ちは人一倍ある。
まさに、完璧人間。
こんな私が言うのもなんだが、
自己犠牲ばかりしていると、いつか本当にぶっ壊れるぞ。
ソースはないが、十分に有り得る。
確かに、尽くす事は素敵なことだ。
けど君は、本当にそれでいいのか?
身を粉にしてまでやらなくては駄目なのか?
もっと頑張らなきゃって思いはわかるが、
周りは、自分が思ってるより身勝手だ。
だから、もっと自分にワガママになれ。
多少、人様に迷惑をかけてもな。
自分が幼い頃にやりたかったものはなんだ?
君の夢、できる限り私が叶えてやる」
他の人が聞けば、元気になるような立派な言葉。
それでも、ポジティブ思考が嫌いな私にとっては、
もはや、ただの言葉でしかなかった。
諦めるな。
生きろ。
頑張れよ。
全ては自分次第だ。
まともな生活ができるだけでも幸せだ。
自殺とか馬鹿な考えは辞めろ。
親や周りに迷惑をかけるな。
ネガティブ思考を手放せ。
自分を不幸にしているのは自分だ。
何度も、何度も、周りから言われた言葉。
先生にも、カウンセラーにも、
どれだけ自分の気持ちを伝えても、
返ってくるのは、こんな言葉ばかりだった。
そもそも、ポジティブになれと言われてなれるなら、とっくの昔になれてるし、
他人の理想通りになれるほど、完璧な訳でもない。
彼女もどうせ、知ったかぶって、
自分の正義を語っているだけなのだろう。
「どうして分かるの?」
「ただの勘だ。細かい事は気にするな」
「もういいよ!どうせ他人事なんだからほっといて!」
「ごめん…悪かった」
葉庭も葉庭さんで、葛藤とか後悔とかあるのかもしれないけど、自暴自棄になっている今の自分には、
相手の心情を察する程の余裕はなかった。
「それで、まだ死にたいの?」
「もういいよ、飽きた…」
「そうか…」
葉庭さんは、私の顔を見るや否や、
安心したかのように微笑んだ。
笑う理由は、私には分からなかった。
「ねぇ、今度の休み空いてる?
一緒にどっか行こうよ」
「空いていても、行かない。
今は、一人にして…」
「わかった、それじゃ、
また死にたくなったら私に言ってね。
ひとみが望むなら、いつでも相談に乗るから」
「ありがとう、気持ちだけで十分だよ」
………………………………………
「僕と代わってくれますか?」
そう言われたのは、自殺未遂から一ヶ月後の事。
七月の日差しが眩しく、こんな蒸し暑い日に、
放課後の帰り道で、見知らぬ小学生くらいの少年が、
私に声をかけてきたのだ。
「お姉ちゃん 死にたいんでしょ? じゃあ 僕と代わってよ」
少年は、私を指差しながら言った。
唐突過ぎて、何を言っているのかわからなかった。
まあ一応、死にたいとは思っているけど…
「なんで私なの? ていうか 君誰なの?」
私は、ジト目で少年を見下ろす。
そんな私を無視して、少年は話を続ける。
「僕は、元場裕太 、
実は 、訳あって数年前に死んだんだ。
この世でやり残したことがあって、
成仏できずに色々とさまよってたら、
ちょうど霊感があって死にたがりのお姉ちゃんとこうして出会った。
という訳でして…
それで、一ヶ月だけ僕と体を入れ替わって欲しいんだ」
裕太と名乗る少年は、人差し指を立て、少し真剣な眼差しで言う。
「ふーん、まあいいけどさ。
それで、やり残したことって何なの?」
「それは 後々わかると思うよ。
たまに代わってくれるだけで良いから」
「たまにでいいんだ…」
裕太は、ニコリと微笑んだ。
「さあ、早く帰ろう。両親に怒られちゃうよ」
「別に怒られはしないと思うけど…
って言うか、幽霊なのに人間に触れるんだ」
そんなこんなで 妙な疑問を残しつつ 、
裕太に腕を捕まれながら、家へと向かった。
帰宅後、
「へー、僕の家より広いんだね」
「別に普通だけど 、ここより狭いって、いったいあんたん家は何畳あるのよ?」
「まあまあ、それより、両親は家に居ないの?」
「うん、二人とも 共働きで帰りが遅くて、
だから 夕食もいつもひとりで食べてる。
それに 家族との関係も色々と冷めきってるし、
私は別に 慣れてるから良いんだけどさ」
本当は、二人共この家に居ないのだけど。
「ふーん」
「あんたはどうなの?」
「どうって?」
「家族の事、寂しく無いの?」
裕太は 少し戸惑った顔で俯いた
「まあ、全く寂しくないと言ったら嘘になるけど、
僕が五歳の頃、両親共に 病気で死んでから 施設で暮らしてた。
だから 親の愛とか よくわからないんだ」
「そうなんだ…」
私は 何も言いかえせなかった。
「ねぇ、なんで死のうと思ったの?」
「え?」
裕太は顔を上げ、真剣な表情を見せた。
「それはその…」
私は、上手く言葉が出せずに口を紡いだ。
「なんとなく…かな」
私は、嘘をついた。
理由がいじめや社会への不満だなんて 、
なかなか言い出せなかった。
「裕太は、どうして 死のうと思ったの?」
「僕は 別に死のうと思って死んだわけじゃないよ」
「じゃ 、どうして?」
「心臓病でね、一ヵ月前に…」
「そうなんだ」
「それで、最後に義理の家族と、親友に直接逢って伝えたいことがあるんだ」
「だから 霊感のある私の体を…
それで 、その 伝えたいことって?」
「それは、後でわかるよ。
それより、早くご飯食べないの?」
「あ、そうだった」
私は 、少年に促されながら慌てて夕飯の準備に取り掛かった。
夕飯を食べ終わり、食器を片付け、シャワーを浴びて 、自室へと戻り、布団にこもり 寝る体勢に入る。
「そうだ、明日休日だから どこか出かけようよ」
少年は布団の横に座ると、ニコリと笑顔を浮かべながら話しかけてきた。
「私、外に出たくないんだけど」
「まあまあ、そんなこと言わずにさ、
少しは散歩でもして、気分転換しないと」
「はいはい 、じゃ、おやすみ」
「うん おやすみなさい」
私は電気を消し、しばらくしてから深い眠りについた。
…………
翌日、目を覚ますと、隣に少年の姿はなく、
寝ぼけた顔で、二階建ての木造階段を降り台所へ向かうと、
少年はうつ伏せになり、椅子に腰をかけていた。
「どうしたの?」
私が声をかけると 少年は顔をあげ おはようと眠たそうに呟いた。
「幽霊も眠るんだ、てか 普通に座れるんだ…」
「まあね、死んだと言っても完全じゃないし、
物は触れるけど、人は無理。
それに、肉体は今も病院で眠っているよ」
少年はニコリと笑って見せるが、
その顔は無理をしているようにも見え、
また、どこか悲しそうにも思えた。
「えーと、そういえば昨日、どこかに行きたいと言っていたよね」
「うん 」
私は元気のない少年を慰めようと手を伸ばしたが、
その手を止めた。
きっと 昨晩 嫌なことでも思い出したのだろう。
私が知らない、少年の抱える問題。
そして、この世でやり残した 死んでも家族や友人に伝えたかった事が、
少年の心の中に きっとあるのかもしれない。
「それじゃあ、 行こっか」
今日は土曜日、
普段なら、一日中家でゴロゴロしているところだが、
いざどこかへ出かけるとなると、何処へ行けば良いのかわからない。
とりあえず、裕太と私は 外出の準備をし玄関をでた。
「どこいこっか?」
私は、裕太の傍にそっと寄り添いながら歩いた。
住宅街を抜け、駅近くのショッピングモールへと向かう途中、
偶然、クラスメイトに遭遇してしまった。
しかも、その中心にいるのが、よりにもよって
いじめの主犯である有紗だなんて、
今日は厄日か?一雨降るんじゃないのか?
脳内であれこれ独り言を妄想していると、
私に気がついたのか、有紗が私の元に寄ってきた。
「あっれー、ひとみじゃんw」
「奇遇ね、一人でお出掛け?w」
有紗は、裕太を通り越して 私に近づいてくる。
きっと彼女達には裕太の事が見えていないのだろう。
「うっ、うん…」
「この人たちが、お姉ちゃんをいじめていた人達…」
できればこんなところで逢いたくなかったけれど
裕太に変なところを見せたくないし
あまり事を荒立てないように 穏便に 立ち去ろう。
「へえー、逃げるだーw」
「うっ…」
有紗は、声を荒げながら私をせき止めた。
「お姉ちゃん、こんな人ほっといて 早く行こう」
「う、うん…」
「ちっ」
私は、有紗の舌打ちを無視して、
裕太に言われるがまま、その場を去った。
「あの、さっきはありがとう。
気を使ってくれて」
「それより、さっきの人達」
「ああ、ただのクラスメイトだよ、
本当に、ただの…」
「あまり無理しないで欲しい」
「うん」
私は、少し驚いた。
そんな事を言われたのは生まれて初めてだ。
でもどうして急に、そんなことを言ったのだろう…
突然の裕太の言葉に疑問を感じながら、
私は、限られた所持金で今晩の買い物を済ませ 、
寄り道せずに帰宅した。
………
次の日。
今日は日曜日、二度目の休日だ。
私は 昼食を終え、部屋のベットでのんびり読書をしていた。
すると、裕太が私に近き、まじまじと見つめながら質問してきた。
「ねえ、どうして死にたいと思ったの?
そろそろ本当の事、話してよ」
裕太は、真剣な表情を浮かべ 、しつこく問い詰めてくる。
あまりにしつこいので 、私はとうとう折れて、
本当の事を 話した。
「私は いじめられてた、
有紗やクラスの皆から。
最初は無視されたりとか、それほど辛くはなかった。
けど、日に日に酷くなって、最終的には暴力を振るわれたり、
恥ずかしい写真を撮られて、ネットにばら撒かれたりと、
精神だけじゃなく、肉体までボロボロになって、
小学校から一緒だった唯一の親友にも裏切られたし、
先生も知っていたけど 見て見ぬふりで 、
気づけば、私の周りには誰もいなかった。
家に帰っても誰もいない。
父は母と離婚して、母は色々あって他界した。
バイトもやってたし、
母の貯蓄や、
生活保護を受けながらひとり暮らしてた。
消えたいって、死にたいって、
頭の中で何度も叫んだ。
心が張り裂けそうな思いだった。
だんだん生きている意味も、
ここにいる理由もわからないまま過ごしていた。
もう 何がなんだかわからなくなって…
まあ、ざっとこんな感じ」
他にも言いたいことは山ほどあるが、
それ以上は言わなかった。
「辛かったよね、いままでよく頑張ったと思う」
裕太は、慰めるように私をそっと抱きしめた。
触れられないけれど、少し暖かく感じた。
上から目線で何様だよと思ったけれど、
それでも、ちょっぴり嬉しかった。
「ねえ、今から家族と友人に会いに行かない?
伝えたい事 、あるんでしょ?」
私は、とうとう例の話を切り出すことにした。
いつまでも、このままじゃいけないと思ったから。
「え、今から?」
裕太は、少し驚いた顔をした。
「だから、そう言ってんじゃん」
「うん、わかった」
決心がついたのか、真剣な表情で頷いた。
私と裕太は、早速外出の準備をして家を出た。
「それで、何処へ行けばいいの?」
「義父母は 国分寺駅から歩いて十分のところにある
なぎさ病院に入院している。
友人のたけるは…行方がわからないんだ」
「それって、どうゆうこと?」
「僕が病死してから一週間後に、
家から出ていったきり、
ずっと戻って来ていないらしい。
最近 、近所で噂になっているらしい。
なんだか、彼の事が気がかりで…」
「それじゃあ、先にその子を探しに行こう。
何が良からぬことに巻き込まれているかもしれない」
「わかった」
ひとまず私達は、手がかりを求め、
裕太の記憶を頼りに街中を歩き回った。
かれこれ四時間以上探したが、
やはり、簡単には見つかるわけもなく、
いつの間にか日もくれていた。
「今日はもう遅いし、帰ろうか」
「そうだね」
私達は、最後にビルの中を見て帰ることにした。
すると、ビルの屋上で男の子が今にも落ちそうな位置に立っていた。
「あれ、あの子 どうしてあんなところに立って…
というか、危ない!」
「たける!」
裕太が少年を呼びかける。
どうやら行方不明になった裕太の親友らしい。
私達はすぐさま今にも飛び降りそうな彼の元へと駆け寄った。
「ちょっと君、そこで何してるの?」
少年は私の声が聞こえないのか 先程から何か
ひとり事をブツブツと呟いている。
「僕は…僕にはもう…」
「ねえ!」
やっと私に気がついたのか、
呼びかけると 少年はゆっくりと後ろを振り向いた。
「お姉さん、誰…」
「そんなことより 、まさかここから飛び降りる気!?」
「お姉さんには関係ないことだ
ほっといてよ」
「どうして 死にたいと思ったの?」
「僕は、もう嫌なんだ。
母の浮気が原因で両親が離婚して、
周りからも避けられるようになって、
仲の良かった友達も僕から離れていって、
独りぼっちなって、
そんな僕を唯一理解してくれた親友が病気で死んで…
だからもううんざりなんだよ…
大人もこの世界も大嫌いだ!」
この少年もきっと、誰にも理解されず、
ずっと孤独で寂しい思いをしてきたのだろう。
私には、そんな少年の気持ちが少しわかる。
私も 今まで、誰も信じられずにずっと独りで生きてきた。
それに、こんなに苦しい思いをしているのは自分だけだと思っていた。
「それは違うよ」
「うるさい!あんたなんかに僕の何がわかるって言うんだ!」
少年が叫んだ瞬間 その勢いで 足をくじいて 落ちてしまった。
「危ないッ!」
とっさに裕太が私の体に入り、少年の後を追って屋上から飛び降りた。
「届けー!」
裕太は、私の体で少年の手を掴み、少年が上に来るように体制を変え、そのまま地面へと落下していく。
「間に合った!」
その瞬間、地面に勢いよく叩きつけられ、
私は気を失った。
気が付くと 私はビルの前で倒れていた。
「ふたりは!」
少年を心配して あたりを見渡すと すぐ近くに
裕太と少年が地べたに転がっていた。
「大丈夫!?」
ふたりとも息をしている。
どうやら無事のようだ。
良かったと思い、少年に触れようとすると、
私の手が少年の体をすり抜けた。
「これって…
そうか、私 死んだんだ…」
二人が同時に目を覚ます。
「あれ、裕太?どうしてここに…」
「えっ、たける 僕の事が見えるの?」
「見えるも何も、お前
1週間前に病死したはずじゃ」
突然 姿を表した裕太に驚いているようだが、
どうやら私の姿は見えていないようだ。
「お姉ちゃん、無事だったんだね
よかった」
「いや、そうでもないみたい」
「それって…」
裕太は何を思ったのか、自分の体を確かめる。
「僕は生きているのか!?」
「どうやら 落下の時に入れ替わったみたい」
「そうなんだ…」
裕太は悲しい表情をみせた。
どうしてそこまで私の事を思ってくれているのか 正直わからなかった。
「大丈夫、それより、早く義父母の所に行かないと」
「裕太、一体誰と喋ってるんだ?」
少年は、不思議そうな顔で裕太に尋ねる。
やはり、 私の姿は見えていないようだった。
「さっきのお姉ちゃんだよ、
たけるをかばってくれたんだ」
「そうか、ごめん、僕のせいで…」
「いいよ、君が生きていて安心した」
「裕太」
「とりあえず 一件落着ね」
「うん」
しばらくして、途中まで少年を見送り、
私達は、そのまま裕太の義父母に会いに、国分寺のなぎさ病院へと向かった。
病院へ着き、
病院の受付カウンターで事情を話した後、
義父母の眠る部屋へと向かう。
気がつくと、いつの間にか空が明るくなる時刻になっていた。
病室の前にたどり着き、裕太がドアを二回ノックしてから中へと入る。
「失礼します」
そこに居たのは、変わり果てた裕太の義母らしき人物の姿だった。
「義母さん…」
裕太が一声かけると、義母は驚いた顔でこちらを見た。
「ゆう…た…」
あまりの衝撃に、義母は言葉を詰まらせる。
無理も無い、病死したはずの我が子が今こうして
自分の目の前に立っているのだから。
「義母さん、義父さんは…」
「先日事故で…」
どうやら義父は、仕事帰りに交差点で交通事故に会い
他界したらしい。
「そうなんだ…
あの、実は、義母さん達に伝えたいことがあって」
「なぁに?」
裕太は深く深呼吸をし、義母も冷静になり聞きの体制に入る。
「僕は…」
それからも、しばらく裕太と義母の会話は続いた。
微笑みながら裕太の話を聞いている義母の顔は、
まるで 夢物語でも見ているようだった。
これが現実だとは、これっぽちも思っていないようだった。
内容は 主に 裕太が幼い頃の話や いままで義父母に明かせなかった事など、
どれもこれも 、私と出会う前の話で、
私にはよくわからなかったけれど、
こんなに 小さい子が 自分以上に苦しい思いをしていたのに、
なのに私は あんなことくらいで 死にたいなんて
世の中には 生きたくても 生きられずに 死んでいく人たちが大勢いるのに、
なのに私は…
自分の身勝手で ちっぽけな 理由に対してなんだか恥ずかしい気持ちになった。
「じゃ、私はそろそろ行くよ」
「待って、その前に お姉ちゃんを元に戻さないと」
「私はいいや、幽霊のままで
どうせ居場所も悲しむ人もいないし」
「でも…」
「いいの、いいの、
じゃ、家族と元気でね。
たける君にもよろしくね」
そう言って私は 幽霊の体でその場を去った。
「そうか、いつかまた 出会えるといいね」
気がつけば 時刻は昼を過ぎていた。
裕太は私が去った後も、窓の外をしばらく眺めていた。
…………………
八月の蒸し暑い日差しが降り注ぐ午後四時頃。
私は、いつものようにこの幽霊の体で家の近くの住宅街をさまよっていた。
すると、反対方向から何やら暗い顔をした少年がこちらへ歩いてきた。
私は 、
「私と代わってくれますか。」
私は 、一ヵ月前に出会った幽霊少年の裕太と同じセリフを、目の前にいる別の少年にも言っていた。
こうして見ると、なんだか不思議な感じだ。
少年は 警戒しているのか 顔がこわばっている。
無理も無い、それはそうだ。
初対面の女に、いきなり私と代われなんて言われたら
誰だって引く。
「なーんて、 冗談だよ、
そこら辺をウロチョロさまよっていたら 、
たまたま、私が見える死にたがりの君に出会っただけ」
「あのなんですか?急に、死にたがりとか、
代われだとか…
というか、お姉さん誰?」
少年は 先ほどから 警戒しながら ジト目でお姉さんを見上げている。
「私の名は青空ひとみ、十七歳。
訳あって交通事故で死んだの。
それでさ、やり残した事があって、成仏できないから 、成仏できるように手伝ってほしいんだ」
私はまた嘘を付いた。
本当はそんなつもりはないのに…
「まあ一応、死にたいですけど、
今までろくなことなかったし…」
「ふーん」
「それで、やり残したことってなんですか?」
「うーん、 今はお教えられないかな。
まあ、後でわかるよ」
「はあ…」
少年は、呆れた様子でため息を付く。
「じゃ 行こっか。
あ、そういえば 君の家ってどこ?」
「こっちですよ、とりあえずきてください。
詳しいことは帰ってから話します」
「わかった」
私は少年の後を追い、少年の自宅へと向かった。
少年の自宅に着いた。
木造建築で、私の家より少し狭い。
「へー、思っていたより狭いのね」
「文句言わないでください。
一応自分の部屋があるだけマシですよ」
少年は 呆れ顔で一言つぶやく。
「両親は、居ないの?」
「母さんは 仕事で今日も遅くなる。
父は、僕が三歳の頃に母親と離婚して今はいない。
母さんは、少しでも生活が楽になるよう必死に新しい父親を探しているようだけど、
僕は 義父なんて必要ないと 思っていた。
昔母さんが元父親によく暴力をふるわれているのを見ていたから、
それがトラウマとして、今も残っている。
だから怖いんだ、
新しい父親ができたら きっとその人も元父親と同じように暴力を振るうのではないかと
思ってしまうんだ 」
大人の都合で子供の自由が、権利が剥奪される。
私は、少年の姿を見て なんだか切ない気持ちになった。
恐らくこの少年は、ずっと一人で孤独に生きてきたのだろう。
「それで さっきの話の続きなんだけど 、
どうして君は 死のうと思ったの?」
少年は俯いたまま口を開いた。
「もういいかなって…
これ以上生きた所で、何が変わるわけでもないし、
もう疲れたんだよ。
それに母親も、僕さえ居なければって。
だから…」
話の途中で言葉が詰まった。
もうこれ以上 喋る気にはなれない。
色々と嫌な事を思い出して 吐き気がする。
不思議と少年の心がそう叫んでいるように思えた。
少年は 込み上げる涙を グッと堪える。
「もういいよ、無理しないで、
辛かったよね 、わかるよその気持ち」
「お姉さんも 同じなの?」
「うん、まあ色々と」
「なんで死んだの?」
「なんでかな…」
私は これ以上言わなかった。
言う気はなかった。
あれから一週間以上が過ぎた。
少年はいつも通りに 朝食も食べずに学校へと向かう。
私も それについて行く。
私には 簡単で退屈な授業を受け、
放課後、少年が借りた本を返したいと、
図書室に寄り道してから 家へと向かう。
家に帰ると、少年はいつものように部屋で宿題を始める。
「ねえ、どうしていつも 一人なの?
友達は居ないの?」
「まあ、友達と呼べる人もいないし、
それに、ひとりの方が気も楽だし、
それに…」
「もういいよ、無理して話さなくても…
ごめんね、余計なこと聞いて」
「いや、いいんだ」
少年と話していると、 一階の玄関からドアの開く音がした。
下へ降りると、少年の母親の横に若い男の人が居た。
「やあ、はじめまして 俺は 平井研二。
これから 君の父親になる者だ」
そう言って、優しそうな顔でにっこりと笑って見せる。
どうやら、少年の母親が新しい父親を連れてきたらしい。
少年は、警戒しながら軽く会釈をした 。
おそらくこの人も、前の父親と同様 はじめはみんな 優しいけれど、日に日に素を表して、
最後は、人が変わったかのように怖くなる。
私にはそれがわかっていた 。
もちろん少年自身にも…
「なんか あの人 怪しい気がする」
「僕も そう思う」
少年の手は震えていた。
私は 震えている少年をどうにか慰めようとするも、
どうしていいのかわからなかった。
しばらくして母親に呼ばれた少年は、
一階の台所へと向かう。
どうやら、夕飯の準備ができたらしい。
少年と母親、男の人がそれぞれ向かい合ってテーブルに座る。
テーブルには、白くて暖かいご飯と味噌汁、焼き魚が並ぶ。
いただきますの一声で 少年も食器に手を付け 食べ始める。
普段はご飯どころか、五百円玉一枚置いて、
自分は他の男と遊びに行くのに、
今日に限って妬けに気を使っているようだった。
きっと この男の人がいるからだと思うけど
「そういえば、真守君の事は お母さんから聞いているよ。お母さんと大変だったね。
けど、もう大丈夫 。
これからは俺が家族を支えていくから」
「え、あっ…」
少年は 戸惑いを見せる。
心にもないことを...
あの母親は一体どんな嘘をついたのか。
おおよそ検討はつくが 、おそらく少年も気いているのだろう。
「こら 真守、黙って無いで何か答えなさい」
いつまでも戸惑い 口を開かない少年に 母親が叱りつける。
「いいよ 別に、きっとまだ慣れてないんだよ」
「そっ、そう?ごめんなさいね」
「あははは、いいよ、いいよ、
それより 昨日…」
それからも 母親と男の たわいもない会話が続き
少年はそれを黙って聞いていた。
食事が終わり部屋へ戻ると、
少年は大きなため息をつき、思いつめた表情でベッドに横たわった。
「どうしたの?」
「やっぱり僕は あの人の事を好きになれない」
「私もそう思うよ
けれど、あまり深く考えすぎても辛いだけだよ
今日はゆっくり休んで、また明日 考えよう」
「うん」
翌日の朝、
いつものように 学校へ行き、 少年が教室のドアを開け中に入ると、
何かあったのか、外から聞こえていた 喋り声とは裏腹に 突然 教室中が静まり帰った。
少年の机を見ると 白の百合の花が添えてある透明の花瓶が置いてあった。
クラスメイトたちが、ひそひそと笑い出す。
少年は俯き、拳を固く握りしめ、歯を食いしばりながら涙を堪えた。
少年の顔は、悔しさと悲しさが滲み出ていた。
以前私も同じ経験をした。
その頃の私も、今の少年と同じ心境だった。
その者自身を 存在事 なかったことにする 悪質ないじめの一つ。
有紗はこれを、幽霊ごっこと呼んでいた。
人はどうしてこんなにも残酷になれるのだろう。
少年の顔を見ると悲しくて、
やりきれない思いに私の心がひどく痛んだ。
少年は、
チャイムが鳴るのと同時に、俯いたまま席についた。
しばらくして 担任教師が教室に入ってきた。
机の花瓶に気づいたが 見て見ぬ振りをし、
何事も無かったかのように 話し始めた。
当然 担任教師はクラスでのいじめのことは知っていた。
大人と個人の事情なのか、問題にしたくない関わりたくないといった感じだった。
できるのなら、みんなに一言
言ってやりたかったけれど、
幽霊の体じゃ何もできないのは目に見えていた。
放課後、
帰りの会も終わり、少年は、 学校を出てからも
暗い顔で俯いていた。
少年の表情を見るたび 、今朝の事や先週までの自分を思い出す。
「大丈夫だよ、これからなんとか…」
「お姉ちゃん、ごめん
僕、もう ダメみたいだ」
少年が住宅街が並ぶ信号の前で立ち止まったところで
突然 口を開いた。
「えっ?
それって、どうゆう…」
あまりの出来事に私は 少し驚いた。
「今までずっと辛かった。
それでも、お姉ちゃんと出会えて 少しは 楽になれたと思った。
けど、やっぱり…僕には 無理だ…」
嫌な予感がした。
少年が何か良からぬ事を考えているのではないかと思った。
「真守!」
「じゃあね、」
その瞬間、少年は 赤信号の横断歩道に飛び込んだ。
少年の飛び込んだ横には大型のトラックが 少年を目掛けて
突っ込んでくる。
「まーにーあーえー!」
私は とっさに少年に駆け寄り 腕を掴むと
少年を 力いっぱい 歩行者の方に投げ飛ばした。
「お姉…ちゃん…」
いつの間に私の体は元に戻っていた。
そして私は 横からくる大型のトラックに轢かれた。
地面に倒れ込む私の周りには 口から吐き出た真っ赤な血が広がり、
真っ暗な視界の中で、救急車のサイレンの音と 人々の声が聞こえてくる。
私は今まで幸せだったのだろうか。
いや、きっと
これでよかったんだ。
頭の中で今までの記憶が走馬灯のように蘇る。
私は、この世界にサヨナラを告げ、
ひっそりと息を引き取ったのであった。
……………………………………
ここは、天国と地獄の狭間にある空間。
私は、また死んだ。
この列に並ぶのも、これで二回目だ。
またあの白猫と対面する。
「お久しぶりです、青空さん」
「久しぶり、白猫さん」
「今度は事故ですか…」
白猫はまた、呆れたようにため息を吐く。
「もう、消えたいとは思わないのですか?」
「それもさ、どうでもよくなったんだよね」
「では、これからどうするつもりですか?」
良い行いをすれば、
一つだけ望みを叶えられると白猫は言った。
だが、私はもうこれ以上特別を望む気はなかった。
「今はただ眠りたい」
私は、一つだけ白猫にお願いをする。
「お願い、私を消して」
涙は枯れ、後悔も忘れた。
ようやく、私の心も晴れたような気がした。
思わず溢れた笑みは、本物だった。


END
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