第1話

文字数 3,750文字

 生命が誕生してから悠久の時が経った。これは現在の人類が観測可能な範囲に限った話であり、遠い宇宙のどこかにいるかもしれない、所謂未確認生命体のような存在は考慮に入れていない。
 また、悠久の時という時間が具体的にどれほどの期間を示すものであるのかも定かではない。これは人類史においてというより、私という個人が把握していないという意味合いが強い。だが、長いことは確かだろう。お湯を注いでからカップラーメンができあがる時間よりも、冷凍食品を解凍する時間よりも長いことは間違いないと断言できる。
 答えはこの星のどこかに散らばっているのかもしれない。少なくとも一定の期間に絞れることは、人類の英知が保障してくれることと思う。
 しかしながら、学術的な研究に身を捧げることはおろか、検索エンジンを使って調べる気も起きないというのが実状だ。
 なぜなら時は六月。真夏が目前にまで迫り、人類にとっての適温は遠い過去のように過ぎ去ってしまった。
 湿度の高いNIPPONのこのうだるような暑さは、人間から全ての活力を奪っていく。例外と言えるのは童心に帰ってアイスクリームをペロペロと舐めている時くらいのもの。

 活力の低下。そうなると人間はまともに行動することができなくなってしまう。
 エネルギー量が問題なのではない。蓄えたエネルギーが膨大なものであったとしても、活用することができなければ、それは無意味となる。
 一言で表すならば「仕事にならない」状態に陥ってしまう。

 さて、ここで一つの疑問が浮かび上がってくる。
 仕事。と簡単に言ってしまったが、仕事とはいったい何を指す言葉なのだろうか。
 検索エンジンを頼って調べることは可能だ。おそらく、一定の説得力を持つ定義が見つかることだろう。
 だが、私は自らの頭を使い仕事について考えてみようと思った。何を隠そう、私の首の上には頭が乗っかっているのである。うだるような暑さによって検索する気力も奪われている現状において、これを使わない手はない。何しろ目を瞑ったまま寝っ転がってだってできることなのだから。

 おそらくは現代の社会において、仕事とはお金を稼ぐための行為という認識が一般的なのではないだろうか。言い方を変えると「金銭を得るために支払う対価」である。
 しかし、通貨や貨幣という概念は生命の誕生と共に生まれたものではない。それがいつから存在していたのかは知らないし、例によって検索して調べる気も起きないが、生命の長い歴史の中においてはごく最近のことだろう。言うなれば赤子のようなものだ。いや、赤子は言い過ぎたかもしれないが、幼児期は過ぎていないことと思う。

 では、通貨という概念の誕生以前、我々の祖先は仕事を一切していなかったということになるのだろうか。人類総無職時代だったのであろうか。
 否、そうではない。
 生命を維持するためには仕事が必要だった。
 食糧を確保し、喰らう。そのためには食糧を求めた移動、あるいは田畑を耕し、作物を実らせるための労働が必要となる。狩猟に出向くのだって同じことが言えるだろう。安定的に確保するとなれば尚更だ。
 自然に対応するためには環境の整備もいる。時には外敵から身を守るため、戦うことだってあったはずだ。
 生きていくというのはそういうことだった。そうした生きるための活動が、通貨という概念が生み出される以前から人類が営んできた仕事だったのだ。
 そしてそれは、何も過去に限った話ではない。現代に当て嵌めても同じことが言える。


 話は変わって、私はアイスコーヒーが好きだ。この蒸し暑い気候に苛まれる季節において、コップの中に透明度の高い純氷を落とし、そこに注ぎ込まれたアイスコーヒーを浴びるように飲んでいるとき、この上なく生きていると感じる。牛乳を混ぜたってそうだ。

 生きていると感じる。すなわち、生命活動という観点において、仕事をしたことによる達成感と置き換えることもできる。そう、これは大切な仕事なのだ。

 あの日。勤労意欲に溢れた私は、勇ましく冷蔵庫のドアを開けた。目的はもちろん、アイスコーヒーを飲むという仕事のためだ。
 だが、冷蔵庫のドアを開け、そこに広がる光景を目の当たりにした私は、その場に膝から崩れ落ち、愕然とした。言うまでもなくご理解いただけていることかと思うが、言及を避けることはできまい。
 そう。冷蔵庫の中にアイスコーヒーがなかったのである。

 アイスコーヒーがないとアイスコーヒーを飲むことができない。その純然たる事実に震え、言葉にならない声を発した私であるが、どれだけ渇望しようとも現実は変わらない。
 また、厳しい世界の理を反映したように、変わらない現状はそれだけではなかった。
 私はアイスコーヒーを浴びるように飲むつもりでいた。その態勢は出来上がっていたのである。
 喉は渇き訴え、流し込まれるアイスコーヒーを胃腸が今か今かと待ち構えている。そうして身体が、全身がアイスコーヒーを欲していた。

 アイスコーヒーが欲しい。アイスコーヒーを飲みたい……。もはやその気持ちはアイスコーヒーなくして抑えることは不可能に思えた。放っておけばいずれ、自分でも予期せぬ形となって爆発してしまうだろう。それを避けることができるのは、他ならないアイスコーヒーだけなのである。

 だからこそ私は意を決し、うだるような暑さだってーのに、最寄りのコンビニまで買い出しに出向くことにしたのだ。
 空調の利いていない外へ出る。この覚悟がどれほどのものか、冷蔵庫にアイスコーヒーの在庫を抱える人間にはわかるまい。
 移動手段には徒歩を選択した。運動不足を意識した。
 血の巡りが悪くなると血栓ができる。血栓が血管を詰まらせるとどうなるか、恐くて考えたくもないが、恐いからこそ想像してしまう。それを避けるためにも徒歩なのだ。これも一種の仕事と言えよう。
 幸い、私の仕事をアシストするかのように日は陰ってくれていた。代わりにジメジメと湿った空気が身体にまとわりつく仕事をしてはくれたが、直射日光に晒されるよりは幾分かマシと言えた。

 暑さに耐え、やっとの思いでコンビニに到着した私は、空調の利いた店内に感動を覚えながら、一目散にアイスコーヒーの陳列された棚のもとへと向かった。炭酸水を頭から滝のように被りたい衝動にも駆られていたが、私の身体が一番に求めていたのはアイスコーヒーなのである。

 アイスコーヒーを電子マネーで支払う最先端の仕事をこなした私は、来た道を通って帰宅するという重労働を果たすと、砂漠で見つけたオアシスに向かうような足取りで台所へと移動し、事前に用意しておいたコップの中に透き通った氷を入れた。そしてそこに購入してきたばかりのアイスコーヒーを注ぎ込む。これで仕事の大部分は完了したと言っても過言ではない。あとは仕上げの作業をこなすだけだった。

 喉から手が出るほどアイスコーヒーを欲していた私がキンキンに冷えたそれを前にすると、躊躇いなく喉に流し込んだのは当然の道筋だと言えるだろう。冷たい飲み物を一気飲みすることは健康上よろしくないとは思ったが、そうも言っていられないような事情があった。そう、これは仕事なのである。仕事だから仕方ないのだ。

「んンン⁉ んんんんン~⁉」

 コップに注がれたアイスコーヒーを僅か数秒で飲み干した私はある異変に気付いた。
 液体を喉に流し込む際、多くの場合液体は口に含まれる。それにより、液体は舌に触れ、味覚が刺激される。今回も例外ではない。
 流し込まれた液体に触れた私の舌は、即座にアイスコーヒーの味を感じ取っていた。

「何っっっだコレ⁉ すっげえ旨いゾ‼」

 私は手にしたコップを叩きつけるような勢いで置くと、急いでアイスコーヒーのパックを確認した。そして、本来であればあるはずのないその二文字に目を留めた。
「微糖……」
 微量の糖質を含んだアイスコーヒー。それは、根拠には乏しいが糖質は取り過ぎない方が良いという情報を鵜呑みにして無糖原理主義を標榜していた私が、これまで一切手を出さずにいた商品だった。であるにも関わらず、暑さによって正常な判断力を失い、アイスコーヒーを渇望するあまりに急ぎ足になっていた私は、誤ってそれを購入し、あまつさえ勢い良く喉に流し込んでしまったのである。

 だが、後悔はなかった。いやむしろ、これまでの凝り固まった自分の価値観を反省し、清々しい気持ちにさえなった。
 異なる何かを認めるということ。それが心をこんなにも穏やかにしてくれるなんて、この仕事をしなければ知ることはなかったかもしれない。

 私は外へと駆け出て空を見上げた。

 最前まで太陽が覆い隠されていた空は、今はまるで私を祝福するかのように雲の隙間から光を差し込み、地上を照らし出していた。

「感動した!」

 私はワールドカップを終えて帰国したサッカー選手たちを出迎えるミーハーなファンのように諸手を広げ、この瞬間をもたらしてくれた仕事に感謝した。

「感動をありがとう‼」

「感動をありがとう‼」
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