マジックの効用

文字数 2,284文字

「ねえ、駆け落ちしてくれない」
 僕が、びっくりして言葉を探していると、
「今の仕事は、嫌いじゃないけど、もっと夢見たいのよ。意外性ってやつ? 前にやってくれた切符のマジックみたいにさ、自分の可能性を楽しみたいのよね」

 今では廃線で残っているのは線路の一部くらいのものだが、昭和の終わりの頃には僕の住んでいた田舎と、県庁所在地をつなぐ電車の路線が通っていた。
 僕は、東京の大学を卒業し、地元に戻って働き始めていた。彼女もできて、休みの日は、その電車に乗って、街へ出て、映画館や遊園地、水族館や美術館といろいろなところに行った。自動車でのデートも考えたが、デートの最後には、酒も飲むので、電車の方が都合が良かったのだ。それに、それぞれの自宅が駅から近くであったこともあり、遊びに行くときはいつも、駅で待ち合わせだった。
 車両の中では、向かい合うシートで、流れる窓の外の風景を眺めながらとりとめなく話を交わした。僕は、郷土の田園風景を愛で、彼女は、景色など無視して都会の憧れを語った。時にはあまりに話が噛み合わないものだから、思い余って、彼女にマジックを披露したことがあった。
 当時、僕には、たった一つだが、得意なマジックがあったのだ。道具は、電車の切符が最適だった。あの頃の切符は、今と違って、厚紙で手のひらに収まるサイズ——正確に云うと、長辺が57・5ミリ、短辺が30ミリ——で、その切符の二つの長辺を親指と人差し指で表が見えるように挟む。そして、それを裏返すように、手首を返すのだが、裏が出るかと思いきや、表になっている。タネ明かしをするほどではないが、手首を返す時に、二本の指で、切符をパチンとさらにひっくり返すのだ。切符は、一瞬で二重にひっくり返され、表が提示されるものだから、見ている人は、両面が表であるのではと不思議がる。
 彼女に、得意げに披露すると、
「なんで、なんで」
と、興味を示したので、惜しげもなく、やり方を説明し、目的地に着く頃には、コツを掴んだようだった。
 数週間後、彼女が、友人らの前で、得意げに、
「切符の大きさは、鉄道発祥の地、イギリスの小さな駅の駅長さんでトーマス・エドモンソンさんが、作った時のままなのです」
と、トリックから目を逸らす口上までして、披露しているところを微笑ましく見ることになった。

「うちの親が、あなたのこと意外と信頼してるのね。だから、あなたとならあまり反対されずに出て行けるんじゃないかと思って。もちろん、向こうに着いたら別行動で。なんならあなただけ帰ってきてもいいのよ」
 僕は、自分は単なる口実なのかと少し憤慨した。それで、ちょっといじわるになって、
「東京に行くことに反対はしないけど、そこでの仕事や生活にあてはあるの」
「そんなの行ったらなんとかなるでしょう。大都会なんだから」
「ちょっと甘いんじゃないか。それに……」
「ああ、わかった。田舎に逃げ帰って来たあなたを頼ったわたしが馬鹿だったわ。もうこの話はおしまい」
 その後、二人は、電車に乗って帰った。その間、一言も会話はなかった。
 僕は、四年間の東京での気ぜわしい生活に疲れて、地元に戻ってきたのだが、彼女は、ずっと地元だったせいか、僕の都会生活の話を聞きたがり、
「あなたはなんで帰ってきたの、居ればよかったのに」
と、最後に彼女のため息で話は打ち切られるのだった。
 こんな交際が半年ほど過ぎた頃、二人で、映画を観た後、居酒屋で唐突に彼女から、駆け落ちの話が出たのだ。その提案に回答できず、連絡を取らないまま、ひと月が経った頃、共通の友人から、彼女が今日の終電で東京に向かうと知らされた。
 僕はどうして良いかわからないまま、駅に向かった。時間が早かったせいか、駅には誰もいなかった。ホームに出られたら話もできないと思い、とりあえず入場券を買って彼女を待った。
「白線の内側にお下がりください」
と、アナウンスがあり、ホームに電車の停車音が響いた。その時、彼女が、駅に姿を現した。彼女の隣には、見たことのない男が寄り添っている。切符はすでに購入済みだったようで足早に改札を抜けた。僕は、彼女の名前を呼んだが、振り向いたのは連れの男だけ。
 なすすべもなく、僕は、入場券を握り締め、電車を見送った。
 彼女を心配しているのか、嫉妬しているのか。東京で何も見つけられず、田舎に帰った自分を肯定したいことだけは確かなことだと思えた。
 それから、手の中の切符に目を落とす。切符は裏になっていた。つい、いつものように二本の指で裏返すと、切符は、裏から、再び裏となる。何もない裏の裏は、やはり何もないのだ。

 数年後、テレビをつけたら彼女が映っていてびっくりした。テレビの中で、彼女は、一瞬で箱から抜け出すマジックや限りなくカードが出てくるマジックで観客から拍手をもらっていた。ステージが終わり、司会者が彼女にマイクが向けた。
「どうしてここに来て、マジック・ショーをしようと思ったのですか」
「あの地震があって、被災者の皆さんは、辛い思いをされたのに、私に出来ることはマジックだけです。ですが、マジックには、不可能と思っていることが可能になるという夢があり、そのことが観ている人の勇気につながると信じています。かつての私がそうであったように……。今こそマジックだと思いました」
「ありがとうございました。仮設住宅から中継を終わります」
 テレビは次のニュースに移っていった。
 彼女は、日常の幸せが裏返っても、そこにまた幸せがあるという夢をマジックで見せたかったのだと思う。それがマジックの効用だと。
(了)
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