第1話

文字数 1,196文字

 庭にむけ開かれた和室で、二人の男が対峙している。

 上座は近江国の武将、浅川長政《あさかわ ながまさ》。向かいに座る男はその部下で後嶋賢豊《ごしま かねとよ》という。二人のほかに人影はない。お互いに一言も発することなく、相手をにらみつけ、一瞬の隙も逃すまいと集中している。何も知らぬ人がこの場に立ち入ってしまったとしたら、バッサリと切って捨てられてもおかしくない。和室にはそんな殺意にも似た、張りつめた空気が充満していた。

 浅川の左手側、後嶋との間に置かれているのは、浅川家に代々伝わるカブト。全体は朱色に染め上げられ、金色のシカの角を模した立物がイヤでも目に入る。戦場で使ってもさぞかし目立つ代物だろう。
 右手側に置かれているのは、ほかならぬ浅川自身が後嶋家に贈った竹光《たけみつ》だ。生涯の配下となる誓いを立てた後嶋に、その心意気をほめたたえ贈られたものだ。どちらも金額には換算できぬ珠玉の一品である。

 吹き抜ける風に誘われたように、庭先のししおどしにスズメがとまる。
 1羽……そして2羽がとまった。そして、ししおどしがゆっくり傾きはじめる。竹筒と水受けがぶつかり、「ゴトン」と音を立てた、その瞬間。




 張りつめた空気が、――変わる。
 先に動いたのは後嶋。その呼吸。大きく、ゆっくりと、吸い込む息。ただようエネルギーを余すところなく取り入れんとするかのように、吸う。

 そして。――腹からの声で叫んだ。







「叩いて!かぶって!ジャンケンポン!!」

 差し出された手は、浅川がチョキ。後嶋がパー。

 瞬間、空気がはぜる。日々鍛錬してきた己の肉体に、これでもかとばかりにムチをいれる。ある者は目前の敵に一太刀入れるため。ある者はその凶刃から逃れるために。座布団に接した両ひざがこすれケムリが上がる。よこっ腹の筋が切れる音が響く。より早く、より正確に。まばたきよりも短い、刹那の時に、互いの意識はビック・バンとでも言うべき膨張をとげる。

 チョウのはばたきが往復する。時間にして0.1秒にも満たないその時はすぎる。守ろうとする後嶋の腕間をぬい、浅川の痛烈な一撃が後嶋の脳天に炸裂、――勝敗は決した。




 実力は互角だった。だが浅川の利き手の右側に竹光があったことが勝敗を分けたといっていいだろう。打たれた頭をなでながら後嶋は言った。

「いやーさすがに殿はお強いですなー」

「いやなに、運が良かっただけのこと。ではもう一度だ」

「わかりました。今度はカブトと竹光の場所変えても良いですかな?」

「それはいかん」

「――わかりました。ではもう一度まいりましょう」

 ししおどしがまた音を立てる。
 近江国では戦がなくなってしばらくになる。戦がないと新しい娯楽がはやり、その中でもすぐに勝ち負けがつくものが特に人気だ。そんな彼らの娯楽は午前中だけでもう35回を数えていた。そろそろ飽きてくれないだろうかと、五嶋は腹の底で思っていた。
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