第1話 父の日

文字数 1,084文字

 夕暮れ時。
 太陽はゆっくりと西の空に沈み、空の色は徐々に濃くなっていく。微かな風が心地よく頬を撫で、夕焼け空にはささやかな涼しさが感じられた。
 その風は柔らかく、優しい香りを含んでいた。どこか懐かしくもあり、心の奥底まで癒してくれるような気がした。
 街の喧騒を離れた下町で、黒いセーラー服の少女が歩いていた。
 ストレートベースで大人っぽいポニーテールの髪型。
 キリッとしていて凛々しい雰囲気は、どこか冷たく感じる瞳をしていた。
 背筋がピンっと伸びておりスタイルが良いため綺麗な姿勢に見えるが、可愛いというよりカッコイイという言葉の方が合っている少女。
 だが、同時に水のように清らかで透き通った美しさも兼ね備えていた。
 まるで芸術品のような少女。
 名前を風花澄香(かざはなすみか)と言う。
 澄香はラクロスケースを左肩にかけながら、学校指定の鞄を手に持って歩いている。
 彼女は向かい側に、幼女と母親が楽しそうに話しているのを目にした。
 子供は興奮気味に母親に話しかけていました。
「お母さん。今日は父の日だって。わたし、お父さんを描いた絵をあげるの」
 母親は嬉しそうな顔をしながら子供の頭を優しく撫でる。
 すると、子供が満面の笑みを浮かべて言った。
「ねえ。お母さんは何をあげるの?」
 母親は娘の小さな手を握ったまま、やさしく微笑む。
「お花をプレゼントしようか」
 親子は嬉しそうにして過ぎ去る。
 それは何気ない日常の一コマ。
 澄香は、その親子を見て、自分の幼い頃を思い出したのか、少しだけ切ない表情をした。
「そっか……。今日は父の日だっけ」
 澄香は今は亡き、父のことを思い浮かべた。
 彼女の父・角間道長は剣士だった。
 剣術の腕前はかなりのもので、数多くの武勇伝を持っていた。
 そして、そんな父はいつも言っていた。
 剣の道に終わりはない。
 幼い頃の澄香はその言葉の意味がよく分からなかったけど、今なら少しだけ分かる気がする。
 人生と似てるかもしれない。
 終わりがあるからこそ、また次の始まりへと向かっていく。
 だから決して立ち止まらない。
 前へ……前へ進むしかない。
 澄香は一人歩きながら考える。
(そういえば私も、昔は父さんに似顔絵を描いてあげたことがあったっけ)
 父の日の贈り物として、一生懸命描いた似顔絵。
 父はそれをとても喜んでくれた。
 今でも覚えている。
 あの時の父の笑顔を―――。
 ふいに懐かしさが込み上げてきて、澄香の目元に涙が滲んだ。
 澄香は一人だ。
 父だけでなく母も居ない。
 二人を失い未だに寂しいと思うことはあるが、今では悲しみを乗り越えることができた。
 戦い(かたき)を討ったから。
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