第1話

文字数 1,987文字

『貸傘屋 丸吉(まるよし)ー傘で縁を探します』
 そんな不思議な店を見つけたのは秋雨が降りしきる十月のはじめ。営業まわりでくたくたになり、カフェを求め駅に戻る途中の住宅街にその店はあった。青い屋根に青い扉、そして見逃しそうな小さな看板に書いてあった。まじまじと見ていると扉が開き、「有り難うございました」という声と共に女子高生がポンと水玉の傘をさして出ていく。
「いらっしゃいませ」
 黒髪を後ろで束ねた、赤い縁の眼鏡をかけた女性が修吾に声をかけた。
「傘を貸しているお店なのですか」
「雨も降ってますし、どうぞお茶だけでも宜しければ」
 吸い込まれるように中に踏み出すと、様々な傘が展示されていた。
「こちらへどうぞ」
 一軒家を改装したらしい玄関で傘立てに傘をしまうと靴のまま上がるのを躊躇する。
「皆さん、そこで動かなくなっちゃうんですよね。どうぞ、そのまま靴でお上がりください」
「お邪魔します」
「珈琲は召し上がれますか?」
 すすめられた飴色のテーブルセットに座ると、奥のキッチンから珈琲の良い香りがしてきた。
「すみません、よく知らずに」
「こちらがお誘い致しましたので。挨拶が遅れましたがここの店主の青井です」
「はあ、どうも。館林と言います」
 出された珈琲はとても美味しく、もやもやしていたものが少し和らいだ気がした。
「女子高生、でしたね。傘をレンタルしたということですか」
 自分がさしてきたであろう傘が腕にかかっていた。
「はい、個人的な事なので詳しくは申せませんが、傘をお求めになられる方々は特別な理由がございます。初めて来られた方は信じられないと仰るんですよ」
「どんな風に特殊なのですか」
「雨の日にさして歩くと会いたい人に出会えるのですよ」
 ぽかんとする修吾を見て、「みなさんそんな反応ですよ」と笑う。
「具体的には何年も会っていない幼なじみに会いたいですとか、恋人だったひとにもう一度会いたいですとかーー理由は様々ですね。不躾で申し訳ないですが、お客様にもそういった方がいらっしゃるのではないですか? 偶然こちらにお見えになる方は、そういう思いを抱えていらっしゃるので」
 いつもなら、きっと腹を立てて席を立つだろう。しかし、この場所で珈琲を飲んでいたらそんな虚栄心など必要ないと思えてしまう。
「そうですね。そうかもしれません」
 三年前に付き合っていた恋人と些細なすれ違いで喧嘩になってしまい、そのまま別れてしまったことを話した。その間、青井は口をはさまず急かすことなく聞いていた。
「彼女ともう一度付き合いたいわけじゃないんですが、ずっと引っかかっていて。元気なのか知りたい」
 そう言いながら、本心がどこにあるか自分でも分からなかった。青井はポストカードを取り出して目の前に置いた。店の場所が分かる地図と住所など書かれてある。そして、傘のレンタルの料金が印字されていた。
「一度お帰りになられて、それでも御入り用でしたら。冷静に考えて頂きたいのは、良いことだけではないからです」
 会いたいひとに必ずしも会えるわけではない。病気で入院していたり、すでに亡くなっていたりする場合もあるからだ。
「その場合、会えない理由が分かったりするので、気持ちの整理が付くと仰る方が殆どで」
 中には辛くあたる人もいるそうだ。
「大丈夫です、お願いします」
 傘は一週間単位で借りられるが皆多くて一ヶ月らしい。延長も出来るということで、まずはお試しに一週間レンタルすることにした。思ったよりも手軽な金額で拍子抜けした。迷いに迷い、一番無難な濃紺の傘を借りて店を出た。
 雨が降ると仕事帰りや休日に彼女との思い出の場所をあちこち巡る。大学の近くの喫茶店や駅前の本屋、映画館などをぐるぐると歩き回った。一度、二度と傘のレンタルを延長して、そろそろ諦め時かと思ったとき、ふと彼女が小さい頃よく行ったという植物園のポスターを本屋で目にした。何となくここに行けば会えるような気がした。
 雨の日曜日、その植物園に足を運ぶ。これで会えなければ諦めよう。そう思ってチケット売り場に向かう途中、一人の女性が傘の下をのぞいた。
「あ、やっぱり。修吾くん。久しぶり」
 微笑んだ彼女は手提げにマタニティマークをつけていた。
「結婚、したんだ。おめでとう」
「有り難う、なんか変な感じね。今ね、実家に里帰り出産できていて」とお腹をさすった。
「お母さんか、すごいな」
「これからよ大変なの。声かけておいてごめんね、これから検診なの。修吾くん、元気でね」
 手を振り、あっさりと彼女は前を向いて信号を渡っていく。過ぎ去ってしまった三年はやはり遠い。
 何度か信号が変わる頃、雨が小雨になり、そして止んだ。
 修吾は傘を閉じ植物園に背を向け歩きだす。


 (了)
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