第2話

文字数 2,858文字

人を好きになるときいつも、顔から好きになる。え、顔めっちゃタイプなんだけど、と思うと好きになる。
たとえば、バレーボール選手。親が見ていたテレビの日本代表の試合のミドルブロッカーのきれいな肌ときれいなのにどことなくぬぼっとした印象を覚える顔に目が釘付けになった。
「えっ、めっちゃ肌きれいじゃない?」
私の言葉に母は「まあ、室内競技の選手はねぇ」とうわの空で応えたあとヘタクソ!なんて叫んでた。
バレーボールの好きな母について行って会場でその選手を見たりしているうちに彼が結婚を発表して泣いた。205cmと158cmのカップルの誕生に泣いた。自分が結婚したいわけじゃなかったのに。

サカイさんを初めて見たとき、なんてきれいな顔だろう、と思った。(あとから聞いたらメイクしたことがないと言っていた)肌は整ったキメと金色の産毛で輝くようにきれいだった。172cm(これもあとから聞いた)の長身の痩せてもなく太ってもない身体を猫背気味に曲げて、銀色のオーバルの金属フレームの、大きすぎず小さすぎないスタンダードな眼鏡をかけていた。
店長に連れられていって紹介された私に一言「よろしく」とサカイさんは言った。澄んだ高い声で少し驚いた。いや、体つきで女の子だとはわかっていたけど。思っていた以上に女の子の声で。
「サカイさんは素敵な眼鏡ですね」
思わず口からこぼれて、慌てて笑いかけた。目を合わせたらサカイさんは少し赤くなった。褒められ慣れていない人だった。

ラーメン屋に入ってまずは券売機で券を買う。シンプルにラーメンとだけ書かれたピンク色の券が機械から吐き出される。
私のあとに続いて入ってきたサカイさんも同じものにしたようだ。サカイさんの分の券も受け取ってカウンターの上に置き、「テーブル席空いてます?」と店員さんに聞く。
「空いてますよ!」
「じゃあそっちに行きます」
振り返って後ろのサカイさんに「で、良いですよね?」と聞いた。事後承諾。
頷いて私についてくるサカイさんの足取りにカルガモの母になった気分だった。

テーブル席に座るとお皿の上に置かれた鈍い銀色の器具でサカイさんの視線が止まった。
「あ、これ知ってます?こっちの人ってやっぱりこれ見たことなかったりします?これ、生のにんにくをこの丸いところに入れて、ギューって握って潰すやつなんすよ」
私が言い終わるともうラーメンが席に届いた。
「早い……」
サカイさんが呟く。
いただきます、と手を合わせてからまた私は口を開く。
「これ、麺が細いでしょ?たぶんゆで時間1分くらいですよ。この細さと背脂と生にんにくからして博多系のラーメンですよね、ここ。私の地元だともう少し麺が太い中太ストレート麺で、揚げにんにく、黒いマー油?かな?が浮いてて全体的にもう少し黒っぽい感じなんです」
聞かれてもないのにぺらぺらとラーメンの話をする。別に詳しいわけでもなんでもないんだけど。
へー、なんて言いながら聞いていたサカイさんがラーメンに箸をつける。
「あ、おいしい」
「でしょ」
まるで私の手柄のように言って、私も食べることに集中した。

「お腹いっぱーい」
店を出て伸びをしながら言う。
「結構夜には重かった」
「いやいや、私たち大学生ですよ?ピチピチっすよ?余裕でしょ」
バイト先から10分のラーメン屋から私の家まで歩いて10分ないくらいだろうか。サカイさん家までは少しだけ遠く15分くらいだろうか。
位置関係としてはまず私のアパートまでは道が同じで、その後大学とは反対方向に曲がってしばらくするとサカイさんのアパートだ。

「治った?ホームシック」
2人並んで歩き出すとサカイさんが訊いた。
「うーん、ちょっとは」
「ちょっとなんだ」
「やっぱり、食べものが全然違うんですよね。聞いたことありません?九州って醤油が甘いんですよ。私この間親に醤油送ってもらいましたからね。海外留学とかだと持っていくってよく聞きますけど同じ国で醤油送ってもらうことになるなんて思いませんでしたよ。あと、この間友だちと初めて駅の立ち食いそばに入ったんですけど、そばのつゆめっちゃ黒くないですか?すっごく驚きました」
サカイさんと話すときはだいたいこうだ。サカイさんが一聞いたことに対して私が十も二十も話す。サカイさんは別に気を悪くするようでもなく普通の顔で聞いて相槌を打っている。
「サカイさんは県内の出身ですよね」
「うん、南の方」
「通えないくらい?」
「うーん、同じ高校出身の子だと通ってる子も多いかな。電車に乗ってる時間だけだと1時間ちょっと、ドアトゥドアで2時間弱」
「いや、通えないっすね。私高校も自転車で12分くらいですよ」
それは近くて良いね、とやっぱり普通の顔の平坦なトーンでサカイさんは言った。あんまりにこにこしない、真顔ってほどでもない普通の顔。サカイさんのこの普通の顔がとてもきれいで私は好きだった。ちょっと吊り気味の切れ長の目、通った鼻筋、笑わなくてもやや上がった口角、程よく柔らかそうに肉のついた頬。どちらかというとすっきりとした薄めの顔立ちに笑わない普通の表情がとても映える。

「サカイさんは?ホームシックとかないんですか?あ、帰ろうと思ったらすぐ帰れるか」
私の問いに一瞬だけサカイさんがバツの悪そうな顔をした。けれどそれは一瞬でまたすぐ普通の顔に戻った。
「あんまり帰ってないなぁ。昨年もお盆と年末年始に帰ってこいって言われて帰ったくらい」
「え、ここら辺何もないじゃないすか」
「家で本読んだりゲームしたりずっと家で1人で過ごせるタイプだから」
「あー」
ここら辺は住宅地でところどころ学生向けアパートが点在している。街灯はそんなに多くなく、ぽつりぽつりと距離を置いて街灯の真下だけが丸く白い。この街灯の白い丸あと5つ分くらいで私の家だろうか。話しながら歩いているとあっという間だったように思う。
「私はねぇ、たぶんさみしがりなんですよね」
10cm上のサカイさんの横顔をじっと見つめる。夜の暗がりで白い街灯をさらりと跳ね返してまるで肌自体が発光しているようだ。
「ホームシックにもなるし、3ヶ月経っても1人の部屋に慣れなくて」
「私もたまにさみしいよ」
笑うでもなく慰めるでもなく普通の声でサカイさんは言う。バイト中に新刊が届いたからバックヤードに来てくださいと連絡するときとちっとも変わらない声だった。さみしい、という言葉にそぐわない声。
「今はどうですか」
「今はアヤナと一緒に居るし」
さみしくないよ、とやっぱり普通の声で言う。
「じゃあ、私はさみしいのでさみしくない人は手を繋いでいてください」
我ながらよく分からない理屈の提案だった。良いよとも嫌だとも言わないでサカイさんは手を繋いでくれた。さらりとした皮膚に、ああ、あのきれいな肌はこんな触り心地だったのかと思った。

そこから夜の闇の白い丸い街灯4つ分、私たちは手を繋いで歩いた。私は何だか泣きそうで、涙がこぼれないように少し上を見て、夜空を睨みながら歩いた。
梅雨が明けたばかりの7月の水分の多い夜風に背を押されながら。
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