第1話

文字数 1,942文字

 百メートルほどの小さな商店街の一角に建つ、タイル張りのレトロなフランス洋菓子店が私の職場。専門学校を出て、ホテルやレストランで働いたあと、二十六になった去年、家に戻った。祖父の代から創業五十年、昔気質の父に叱り飛ばされる毎日だが、私には案外、スパルタ式が肌に合う。
 七月半ばのその日、私が店番をしているときにパティシエ志望くんがやってきた。もちろんあだ名である。来店頻度は月に二、三度。毎回、別のスイーツ店のレジ袋や紙袋を持っていることから、スイーツ研究男子だろうというのが、学生バイトのカナちゃんの見立てだった。
 学校帰りなのか、今日は制服姿。長身で短髪だから、私服だと大学生ぐらいに見えた。制服のズボンのすそをまくっているのは、丈が長いからではなくて、暑さに耐えかねてだろう。
 今日は気温が高いようで、熱に浮かされたみたいに顔が赤かった。ショーケースを一分ほどながめたあと、少年は言った。
「宝石のケーキってありませんか?」
 宝石のケーキ?
 私はとっさに、宝石にちなんだ名前のケーキを考える。
 グルメ雑誌などでは、きらびやかなケーキを宝石とたとえることがある。もちろん、宝石のケーキなんて商品名のケーキだってあるだろう。でもうちにはそういう商品を扱ったことはない、と思う。
「少々お待ちください」
 と、言いおいて、売り場に隣接した調理場にいる父に聞きに行く。
「宝石ぃ?」
 と、父は苦虫をかみつぶしたような顔で言う。昭和の亭主関白を地でいく父には、そんなロマンチックなネーミングセンスはない。
 売り場に戻って、私は謝った。
「すみません、うちではそういうケーキを扱っていないんです」
「あの、宝石のケーキって名前ではないと思います。この間、ここのケーキを持ち寄って食べたとき、……友達、友達が、宝石のケーキをまた一緒に食べたいと言って、だから」
 なんだかかわいそうになってくるほど、少年は、あわあわと言う。
 たぶんだけれど、彼が言う『友達』は、おそらく『友達』ではない。『好きな子』だ。まだお付き合いはしていないけれど、お付き合いしたい子じゃないかな、なんて邪推する。
 そうなると、ぜひとも協力してあげたい。
「季節限定ケーキのどれかかもしれません。確認してもらってもいいですか?」
 レジの横から、見本用のアルバムを取りだす。少年に見てもらっている間、私は私でスマホで『宝石のケーキ』とインターネット検索をした。
 宝石のケーキと呼べそうなケーキってどんなのだろう?
 ずらっと検索結果が並ぶ。やはり華やかなケーキを『宝石』とたとえているものや商品名が出てくる。
 ジオードケーキという見出しの記事をクリックした。その名の通り、結晶をデザインに取り込んだケーキで、写真を見た瞬間にハッと思いついた。
「もしかして、アジサイのケーキのことでしょうか?」
 冒頭の一月ぶんから確認していた少年からアルバムを受け取って、六月のページを開く。白いムースにきらきらした赤や青のクラッシュゼリーをのせて紫陽花をイメージしたケーキ。すっきりとした甘さのふわふわムースと、クラッシュゼリーの粒粒感の組み合わせが楽しいケーキだ。
「あ、これかもです!」
 うれしそうに少年は言う。
 なんとなくだけれど、彼はスイーツ男子どころか、スイーツ研究男子でもないかもしれないと思った。研究男子であれば、多少なりとも、ケーキへの知識があるはずだ。スイーツ好きの子を好きになって、とりあえず話を合わせるためにスイーツを買ってまわったのだろう。
「でも、季節限定なんですよね……。オーダーってできませんか?」
「ゼリーに使うシロップがもうなくて」
「そうですか」
 途端に少年は、しゅんとする。
「季節限定商品をまた食べたいってことは、来年も一緒にいたいってことじゃないの?」
 そうフォローしておくと、少年は両目を見開いた。そんな可能性には気づいてなかったらしい。
 私は彼の好きな子がどんな子かは知らないが、一緒にケーキを食べる間柄なのだ。この暑い日に顔を真っ赤にして買い物に来てくれるような誠実な彼なら、常連さんである欲目を差し引いても、好きになるだろう。
「ありがとうございました! また来年来ます」
 笑顔でお礼を言ってくれた少年に、いや来年と言わずにすぐにでも買いに来てよと言いたくなったけれど、我慢した。次は、ふたりでいらしてほしい。
 彼を見送ったあと、私はスマホを手に取る。ジオードケーキのページが表示されたままだ。『来年』ぐらいであんな喜ぶならば、このページを見せてあげればよかったかもしれない。
 宝石のケーキは、海外では、ウエディングケーキとして人気らしい。
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