第1話

文字数 1,728文字

他人は僕の容姿をうらやむ。
僕の出自(しゅつじ)をうらやむ。
歌の才をうらやむ。
(みかど)のおぼえめでたきこともうらやむ。

しかしながら僕は僕自身の汚らわしさを(いと)うていた。

欲望のままに僕を愚弄(ぐろう)するもう一人の僕。
心にもない甘い言葉を紡いで女房や姫君を口説き、身も心も根こそぎ喰らい尽くして(しかばね)のようにしてしまう。
そのあいだ、僕は閉じこめられて震えながら僕の所業を見ていることしか出来ぬのだ。
快楽は()の僕だけのもので、その後の苦しみは()の僕が一身に背負う。
風流人とうらやむ声と、まことの恋を知らぬ男よと(あわ)れむ声が、つむじ風のように僕を巻き込んで高みに押し上げ急降下して地べたに叩きつけんとする。
僕の中の僕が本当の僕なのか、僕を閉じこめる僕が僕なのかわからなくなる。
ああ汚らわしい。
威を振るう僕も、震える僕も消えてしまえ。

それでも僕は(かんば)しい香を()きしめた絹の(ころも)をまとい、優美な仕草(しぐさ)で扇を手に微笑む。
綺羅綺羅(きらきら)しい(おもて)の皮の下には、我が身の瘴気(しょうき)から生じた毒が満ちているというのに、誰一人そんなことには気付かずうらやむのだ。


ある日、僕は苦しさに耐えかね出家しようと思い立った。
縁の寺に参ろうと急ぐ途中、足を傷めて難儀(なんぎ)している姫と出逢うた。
大臣が掌中(しょうちゅう)(たま)のように慈しんでいる姫であった。
近いうちに帝のもとへ入内するはずの姫は、それまで喰らい尽くした女性と違い、清らかであどけなく、僕は密かに文を送り得意の甘い言葉(うた)を紡いだ。
帝などよりこの僕こそ姫に相応(ふさわ)しいと、この姫ならまことの恋を捧げてくれると、かように信じたのだ。
されど心のどこかで、僕は拒まれねばならぬ……との思いがあった。
それは最初ほんの小さなものであったに、姫からの返歌が届くたび大きく育ちて僕を(さいなみ)みはじめた。

姫は僕を容易に受け入れぬからこそ貴く清らかであるのに、逢瀬を重ねる仲などになってしまったら、(たちま)ちその意味を失うてしまうではないか。

(いな)、あの姫なら逢瀬を重ねることで僕の身も心も浄化させて救ってくれるはず。

僕の葛藤は日ごと夜ごとに激しさを増し、ついに僕は姫を試す決意を固めた。
入内を控え慌ただしい邸内に忍び入り、女房の手引きで姫の寝所へ。
姫ははらはらと涙をこぼし、入内などしとうないと僕に小さき手を伸ばした。
愛しい姫の願いとあらば応えぬわけにはいかぬではないか。
僕は姫をさらって逃げた。
都の外れにある我が別邸めざし牛車を走らせた。
姫は僕の(ふところ)で目を閉じ、幸せそうにまどろんでいた。
寝顔をしげしげと見つめるうち、僕はなぜこのような大それたことをしてしまったのだろうと思いはじめた。
よく見ると姫は平凡で、どこにでもいそうな乙女である。
僕が送った歌に比べると姫の歌は(つたな)く、それが()れていない証しのようで貴く感じていたが、思い浮かべようとしたとて、一つたりとも覚えておらぬ。僕の心に響く言葉がなかったからではないか。

僕を、僕の中の僕が裏切った。

大臣の愛娘、もうすぐ入内する、恋の手管を知らぬ姫。それらの事柄が僕に夢を見せたのだろう。
汚れていないのは、今まで僕のような悪い男の手にかからなかっただけ。
この姫のために帝を裏切ったとしても、僕は浄化されることも救われることもないであろう。


眠りこんでいる姫を置いて、僕は牛車を出た。
従者に命じて大臣邸へ引き返させる。松明(まつ)の灯りが遠ざかっていくのを、じっと眺めていた。
やがて、星のない夜が真の闇で僕を包みこんだ。


なにがしかの噂が流れたようであるが、姫は予定通り入内した。

僕はというと、なに一つ変わらない日々の中で汚れ続けているばかりである。
苦しみは相変わらず僕を苛んだが、夢などもう見ない。

他人がうらやむほど満ち足りてなどいない。
僕の前には闇路往くような日々しかなく、それは地獄へ続いている。
ただそれだけのことであった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み