第1話

文字数 5,730文字

2020年以降、私たちはコロナ禍に陥った。
 年初に中国・武漢での発生が伝えられたかと思うと、そこからは文字通り瞬く間に世界中に広まった。
 長らくグローバル化の恩恵にあずかり、物質的な繁栄を極めてきた私たちは虚を突かれ、大変な恐怖と混乱に見舞われた。

 こうしたさなか、アメリカから度々、胸をえぐるようなニュースが届くようになる。
 在米アジア人に対するヘイトクライムだ。
 自分とよく似た見た目のアジア系住民が、突き飛ばされ、殴られ、唾を吐きかけられ、そして“自分の国に帰れ!”と罵られている。そして、被害者である彼らは、地面にひれ伏し、まるで亀のように首や手足を縮こませ、我が身に降りかかる肉体的・精神的暴力に、ただただ耐えている-。
 加害者は、同じアメリカに暮らす住民だ。
 平穏な日常においては、同じコミュニティーに暮らす者同士、支え合うこともあったはずだ。
 同胞から向けられる、激しい憎悪と暴力は、どれほどまでに彼らを蝕んだことだろう。
想像するにあまりある現実を、目の前のテレビ画面越しに突きつけられ、私は圧倒された。そして、かつてアメリカで暮らした頃、共に苦楽を分かち合った知人たちの身を案じた。 

平時には、理性により覆い尽くされ、押さえつけられている“何か”が、非常時には突如として牙を剥く。
私たちの身体を覆う、美しく滑らかな皮膚を一皮剥いてしまえば、その下に、国や人種に対する様々な偏見が存在しているのだと改めて気付かされる。こうした偏見は、愛する父母や祖父母などから、口伝えで、或いは目つきや態度といった非言語で伝えられ、まるで私たちの血や肉であるかの如く、容易にぬぐい去ることが出来ないものだ。

 日本人のアメリカへの移住、そして多文化共生を考える上で、足元で大きく2つの困難がある。

1つ目は、国際的な情勢だ。
新型コロナウイルス感染症の封じ込めを発端に、グローバル・サプライチェーンの混乱が生じ、物価上昇に繋がった。また時を同じくして、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発し、更なる上昇圧力を生んでいる。
 公衆衛生上の危機のみならず、経済危機までもが誘発され、私たちの日常の暮らしは、安心・安全の基盤を失いつつあるかに見える。

 2つ目は、私たち個人が内包する要因だ。
 民主主義が機能し過ぎているともとれる現在、私たちは個々人の単位に寸断されていっている。
 私たちの先祖が営々と受け継ぎ、大切に守ってきた家族やコミュニティーはかつての効力を失い、様々な社会問題が、自己責任として個人に帰結しつつある。
権威を否定し、旧態依然としたしがらみを断ち切るために、望んで獲得した自由や人権であったはずが、同時に私たちを傷つけてもいるのではないかと思えてならない。

 そして、アメリカは民主主義国家の盟主だ。
 近年顕著な、中国やロシアをはじめとする専制主義国家の台頭を抑止するため、民主主義という社会システムの優位性を強調する必要に迫られるが、このことがアメリカ人に内在する“何か”を刺激しているのではないか。
 “自由と人権を手にした不快な他者による、目に余る言動”は、アメリカ人のアイデンティティーを強く揺さぶると同時に、彼らの持つ伝統的な規範意識と激しくぶつかり合い、心の奥底に眠る差別感情を湧き上がらせる。

 “経験したことのない、途方もない脅威を、たった自分ひとりの力で克服しなければならない”―そうした思い込みに囚われた人々が、恐怖心に駆られ、感情をむき出しにし、耐えがたい暴力を生み出しているのだろう。

 他者は、自分と同じく、痛みは痛いと感じ、喜びを喜びと感じるー人としての共通基盤を取り戻し、「万人の万人に対する戦い」状態から抜け出すには、一体どうすればいいのだろうか。

 社会を構成するのは人だ。
 人が、お互いのことをどう認識し、どのように反応しあうか。
 これこそが、多文化共生を考える上で、社会システムに比しても重要であると私は考える。
 そこで以下では、アメリカに移住する日本人を念頭に、共生社会の根幹を成す、良識ある市民であるための手がかりとなる具体的な行動について、3つのステップで考える。

まず第1に「先輩に暮らし方の教えを請う」。

 異国の地で、日常生活を立ち上げるのは容易なことではない。
 万一うまく行かなければ、共生はおろか、撤退を余儀なくされる最初の関門だ。

 アメリカの移住に関して言えば、よく英語と車の運転が壁として挙げられるが、これらはほんの一例に過ぎない。
 移住に伴い、日常生活全てに劇的な変化が起こる。
例えば、日々の食材の買い出しについて。アパートの目の前にあるスーパーへ買い出しに出て(注1)、野菜コーナーに行く。すると、日本でもおなじみの野菜を目にするが、小さな違いにどこか違和感を覚える。トマトは色が茶色く、いびつな形をしている。大根やゴボウもあるにはあるが、細くて小さく、売れないのか干からびた感じ。肉はショーケースの中に入っており塊で売られているので、店員に必要な量をカットしてもらう必要があるが、声をかけようにも居心地の悪さを感じる。「この肉を10枚、薄切りで。」とは、どう言えばいいのか。塊で買って家でスライスしようにも、そもそも単位が違う。パウンドって何キロ?・・・。
日常生活の一事が万事、この調子だ。些細な不自由が、まるで地面にばらまかれた小石のように至る所に存在し、足を取られそうになる。
一方で、日本での暮らしの支えとなっていた人間関係や場所は脇に置いて、行った先で新たに再構築していかなければならないのだ。移住初心者にとっての大変な挑戦である。
 この挑戦の支えとなるのがアメリカ暮らしの先輩だ。
 先輩は、既にアメリカ社会に根を下ろしており、暮らし方を熟知している。彼らと共に過ごし、新生活に伴う不安や戸惑いについて相談してみるのだ。

 例えばアメリカ人は、日本人とは違い、見ず知らずの通行人が相手でも、笑顔で挨拶を交わす。
 日米の習慣の違いに戸惑いを感じていた私に対し、先輩はこう教えてくれた。
 「彼らにとって通行人に対する挨拶は、“私はあなたの敵ではない。あなたを受け入れていますよ”という意思表示ですよ。」
 アメリカ人の笑顔は、多様なバックグラウンドを持つ人々が、同じコミュニティーで共生するための知恵だったのだ。
 もしかすると、物事が思うように進まず、仏頂面をしていた私へのエールだったのかも知れない。
 
 郷に入っては郷に従え。
 このように先輩は、移住初心者に対し、アメリカ暮らしに必要な教えを授けてくれる。
 
 第2に「社会に踏みだし自信をつける」。

 アメリカでの暮らし方を学び、共生への第一歩が踏み出せたら、次の挑戦は、アメリカ社会と関わりを持つことだ。
就労や就学、或いはボランティア活動等、何でもいい。
アメリカ社会に貢献し、アメリカ人とも対等な経験を積むことが出来れば、市民の一員としてやっていく自信が持てる。
 
 アメリカには、移民が社会参加する上でのゲートウェイとも言える、アダルト・スクールがある。
 私は移住した最初の数ヶ月をここで過ごした。
 生徒の半数は中南米出身、もう半分はアジア出身(注2)という大まかな構成だ。
 設立の主な目的は、英語が分からない移民に英語を教え、就労を促すことだそうだ。それにより、コミュニティーの治安維持も期待出来るという。移民が、英語が分からないために就労出来ず、経済的困窮から犯罪に走るのを防ぐのだ。

 アダルト・スクールの生徒の中には、現地企業に就労する者や、地元のコミュニティー・カレッジに通い始める者がいた。各々が、アメリカ社会に根を張ろうと模索していた。

 そうした中、私はカリフォルニア大学バークレー校・エクステンションで会計学を学ぶことを決意する(注3)。
 このプログラムは、主に就労しているアメリカ人を対象としている。そして資格取得やキャリア・チェンジといった、仕事に直結する目標の実現に資するものだ。高い英語力が求められ、大卒程度の学歴が推奨されていた。

 日々、膨大な量の英文を読み、沢山の課題をこなすー海外経験に乏しく、大学受験レベルの英語力しか持ち合わせていなかった私にとって、苦しい挑戦となった。
 一方で、会社員時代に身につけた物事の進め方や考え方が大いに活かせることも分かった。
 英語力が劣っていても、進め方を工夫し、自分の頭で考え抜き、相手にそれを論理的に伝えることが出来れば、アメリカの教育機関であっても高い評価は得られるのだ。

 アメリカだろうと日本だろうと、根本は同じだという手応えを掴んだ。
後述する内容も含め、幾多の幸運に恵まれたことで、私なりの成果を上げることが出来たと思う。


 最後は「挑戦を通じて得た学びを次世代に受け継ぐ」。
 
  私には、学業への挑戦を支えてくれたひとりの恩人がいる。娘のベビーシッターを担ってくれた、アメリカ人女子大生である。
 彼女は、同じ志を共有する者として、大変さを理解し、万全なサポートを行ってくれた。
 いつも開始5分前には姿を現し、やむを得ず来られない時には、必ず事前に連絡を入れ、代理をよこしてくれた。娘はよく泣く子だったが、それに対し不平不満をこぼすこともない。彼女が抱っこ紐で娘をあやしているのを見たときには、強く心を揺さぶられた。
 この話を聞いた日本人の知人は、感心した様子で「まるで日本人だね。」と言った。

 彼女とは、日本人に頼もうとしていたときに断られ、途方に暮れていたときに出会った。
 藁にもすがる思いだったが、実のところ、不安の方が勝っていたと思う。
 “アメリカ人はすぐ仕事をすっぽかすと聞くし、ましてや大学生。それに育児の仕方だって日本とは違うだろうし・・・”―そのような考えは杞憂だった。
 彼女との関わりを通じ、私が知らず知らずの間に抱いていたアメリカ人に対する偏見は霧散した。
 やはり、実際に人対人で関わってみないと何も分からないのである。

 そしてこの体験を、日本に帰国した今も、時折子どもたちに話し聞かせている。娘は、彼女に頂いたぬいぐるみを、何かのしるしのように大切にしている。

実のところ、多文化共生は綺麗事では済まない。
何故なら、人はそれぞれに、国や人種にまつわる、必ずしも幸せとは言えない歴史を背負っているからだ。

しかし、ひとたび過去の歴史によって作られた壁を越え、必死にもがいていると、実は国や人種を越えた共通の基盤が存在しているのだと気付く。
まさに鍛錬によって、内在していた不純物が取り除かれていくのだ。
そして、挑戦する姿に共感し、手をさしのべてくれる人が、国や人種に関わらず必ずいるのだということを知る。
本質的な相互理解は、挑戦し、人と人とが関わりを持ち鍛え合うことで得られるのだ。
 自由と人権を盾に自分の殻に閉じこもり、安全圏から出ないのであれば、決して得られない。

 私がアメリカで経験した、時として厳しく、同時に温かさを帯びた実体験は、きっと子どもたちの血や肉となり、アイデンティティーの一部として残っていくだろう。
 そして、この挑戦の記憶が新たな歴史となり、どんな激動の時代にあっても、子どもたちを支え導いてくれるものと私は信じている。
 最初は小さな点かもしれない。だがそれが次第に線となり、面となって、共生社会を支える、良識ある市民の輪として波及していくことを期待している。

 最後になるが、資源の乏しい我が国は、諸外国との関わりなしには生きていけない。
 その点で、国の中にいようが外にいようが、私たち日本人にとって外国人との共生は必須なのだ。
 「大丈夫。まずは一歩踏み出そう。」
子どもたちにはそう伝えていきたい。

以上

<参考文献>

・「絶対悲観主義」(楠木建著、講談社+α新書)
・「週刊東洋経済 一億『総孤独』社会」(東洋経済新報社)
・「リヴァイアサン」(トマス・ホッブズ著、加藤節訳、ちくま学芸文庫)
・「脳には妙なクセがある」(池谷裕二著、扶桑社新書)
・「子どもが心配」(養老孟司著、PHP新書)



<注>

・注1)一般的なアメリカ暮らしからすると珍しいと思うが、移住当初住んでいたアパート(カリフォルニア州サンマテオ)には、一角にホール・フーズ・マーケットというオーガニック・スーパーがあり、日本と似て徒歩での買い物が可能だった。なお、本文に書いた茶色いトマトはHeirloom Tomato、ゴボウはgobo root、大根はdaikonとして売られていた。日系スーパーでもないのに、これらの野菜を含め、様々な日本食材が置かれているのは驚きだった。(2010-2011年頃)
その後、夫のアメリカ国内異動に伴い、ケンタッキー州に引っ越したが、そこでは通常通り、スーパーへの買い出しには車が必須だった。(2012-2014年頃)


注2)受講生の出身地域・国は実に多様で、少数だがロシア系やアフリカ系もいた。日本とは国交のない北朝鮮出身の老夫婦の存在には驚かされ、アメリカ社会の門戸の広さを感じた。
 なお、不法滞在者が紛れ込んでいるとの噂があり、母国へ強制送還されるのを見たという話もあったが、クラスのアメリカ人教師はいつも笑顔で、どのような出自であっても、受講生たちをおおらかに受け止めていたのが印象的だった。(2010年頃)

注3)退職時に人事部から、アメリカの大学での学位取得を勧められたことも一因だが、直接のきっかけは、アパートにパンフレットが投函されていたからである(街角にフリー・ペーパーのように積まれていたのも目にした)。日本でポストに投函されるのは塾の案内くらいなので、アメリカの大学の垣根の低さに驚嘆した。

また、
・取得単位は他大学の単位としても流用可能
・オンライン・コースも通学コースも同じ評価。そしてオンライン・コースは日本でも受講が可能(私はオンライン・コースを受講した)
・最終試験は、全米に点在するテスト・センターでの受験が可能
となっており、受講者の力を最大限発揮できる柔軟な仕組みが整っている。
この柔軟性が、転居や妊娠・出産・育児との両立を後押ししてくれた。





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