第1話

文字数 4,968文字

 フランク・R・ストックトンという作家がいた。
 彼の代表作をひとつ挙げるとすれば、のちの世にリドル・ストーリーという言葉を残すきっかけとなった短編「女か虎か」だろう。これは女をえらべば無罪、虎をえらべば文字通り死刑という賭けをさせられる物語だ。
 そしてここにも、目の前の選択肢で悩んでいる男子がいた。
「む、むむ……むむむ……」
 季節は冬。二〇二〇年も終わりをむかえ、めでたく新しい一年がやってきた一月。
 短かった冬休みがもう既に過去のように感じられる三学期。わたしこと大枝佳苗と、となりに座る前川大地はトランプをしていた。ゲームは誰でも知っているババ抜きである。
 向かい合って正面の後輩は、ところどころ跳ねた短い黒髪を、首の動きにあわせて揺らしている。今は悩んでいるため細まっているが、それでも大きくて吸い込まれそうな茶色の瞳は、宝石のようで綺麗だ。好き。
 しかしそんな自分の心の中でも隠すかのごとく小さな本音と、勝負は別問題。はたして空中をさまよう右手は、虎を選ぶのか。それとも最後のペアである女を選ぶのか。
「なあ、前川」
「なんですか、大枝先輩」
「いくらヒマだからとはいえ、やっぱり二人でのババ抜きはむなしくないか?」
「手札があと一枚でなくなるときに言いますか。それ」
 しかも既に四回目ときた。
「勝ち逃げは許しませんよ」
「勝ち逃げというか……なんでババ抜きを三回も連続で負けることができるのか、そっちの方が不思議なんだが」
「先輩が強いんですよー! オレだってババ抜きで、それも二人なのに三連敗するとか思ってませんでした……あ」
 悩んだ末に選んだカードは、ジョーカーという虎だった。
 あー、と嘆きコンビニの天井をあおぐ絶望になど構わず、左手に持たれたジョーカーではないカードをすっと彼の手から抜き取りゲーム終了。
 たしかにわたしは、ボードゲームやトランプみたいなカードゲームが好きだ。しかし好きだから強いというわけではなく、実力的にはむしろ弱い方だと思われる。具体的にいえばカードに触れる頻度としては修学旅行のときや、他にやることがないときに触れる程度。
 それで四連勝もしているのだから、これは間違いなく前川の方が弱いのだろう。犬みたいに「うー」とうなられても困る。
「もう一回! 次は別のゲームをしましょう!」
「ああ、構わないがなにをする? スピードでもするか?」
 ちなみにスピードとは、赤と黒に分けられたトランプを使うゲームである。めくったカードの数字が連なるように重ねていき、手持ちの山札を先に消費した方が勝ち。ババ抜きのようにターン制ではないため、勝敗を決するのは名前のままスピードだ。
「受けてたちましょう。スピードならオレ、自信ありますよ」
「お? 強気だな、前川。それならこっちも本気出すとするか」
「ふっふっふ、今度こそ勝ちます!」
 自信満々な連敗中の後輩へ、分けた山札を渡す。
 お互いに山札をシャッフルしたら、公平な勝負にするため交換して再びシャッフル。終わったら相手へカードを返し、手札となる五枚を広げる。
「いくぞ」
「はい、勝負です」
『せーえーのっ!』
 拡げられたカードを、わたしたちは勢いよく重ねていく! 結果!
「アイム、ウィナー」
 またわたしこと大枝佳苗が勝った。
 机に突っ伏す前川。気のせいか、その口からは魂が出ているようにも見えた。
「ずるいですよ、先輩。手の動きが速くて残像が見えるって何事ですか」
「そんなことはない。うちの兄は手が四本に見えるくらい速く動かすが、わたしはそこまでいかないぞ。残像なんて無理だ、無理」
「お兄さん、人間じゃないですね」
 まあ、あの廃人ゲーマーを人間と判定はできないと思う。いつもひとりでスマホ、パソコン、実際のトレーディングカード、テレビ、立体パズルとかを五つ同時にやってるし。実はわたしと血がつながっていない、人造人間なのかもしれないとはよく考える。
「しかしあれだな。ゲームに限ったことじゃないが、人生は選択の連続だな」
「あー、たしかに。今日の英語の抜き打ち小テストも選択肢問題ばっかりでしたし」
 長居している感じのコンビニのイートインコーナーだが、前川のホットコーヒーの湯気を見ると、まだあまり時間は経っていないらしい。あごをテーブルに乗せ、咥えたストローをぴこぴこと揺らすことは感心しないが、小テストがあったという情報に免じて黙る。
 こいつのクラスであったなら、同じ先生が担当しているわたしのクラスも近いうちにあるかもしれない。すこし勉強時間を増やすことにしよう。
「そういう究極の選択みたいなものを迫られる小説あったな。フランク・R・ストックトンの『女か虎か』というんだが、読んだことあるか?」
「女か虎か……? いえ、ないです。どんな話なんですか?」
 んー、と人差し指を唇に当てて考える。昔に一度読んだだけであまり覚えていないので、ここはスマホで調べながら説明した方がいいだろう。スマホでインターネットをひらく。
「えーと、簡単にいうとだな。ある国の身分の低い若者が王女と恋をしたんだが、それを怒った国王は、その国独自の処刑方法で若者を罰しようと考えるんだ」
 方法は二つの扉の一つを選ばせること。
 片方の扉の先には餓えた虎がいて、開けばむさぼり食べられてしまう。もうひとつの扉の向こうには美女がいて、そちらを開けば罪は許されて彼女と結婚することが出来る。
 国王の考えを知った王女は、死に物狂いで二つの扉のどちらが女で、どちらが虎かを探り出したが、そこで悩むことになる。
 恋人が虎に食われてしまうなどということには耐えられない。しかし自分よりずっと美しくたおやかな女性が彼の元に寄り添うのもまた耐えられない。
 父親に似た、誇り高く激しい感情の王女は悩んだ末に結論を出し、若者へ扉を示す。王女が示した扉は果たして……という、結末を書かなかった物語。それが「女か虎か」である。
 リドル・ストーリーと呼ばれる、結末を書かない手法だ。最後は読者の想像に委ねるというもので、結局恋人がどうなったのかは書かれていない。
 トランプを鞄に入れてから、わたしは椅子の背もたれに体重を預ける。
「ロミオとジュリエットみたいに明言はされてないが、叶わぬ恋だからといって死んだらダメだと思うんだ、わたし。死んだらそこで終わりじゃないか。大切な人の記憶も、思い出も、なにもかも捨てるということだろう?」
 もちろん、それが一番の見せ場だということはわかっている。
 だが仮に相手が自分以外の人と暮らすことになって、死ぬほど辛かったとしても。同じような苦しみを味わうなら生きた方がいいに決まっている。だから正直な話をすれば私はロミオとジュリエットをはじめ、こういう物語が嫌いだ。
「ふーん。じゃあ大枝先輩、結構この『女か虎か』は好きなんじゃないですか?」
 そう内心で呟いていた矢先の言葉に、思わず「は?」と声が漏れてしまう。すると前川の方も「え?」と声を漏らした。
「なんでそう思うんだ?」
「だってそれ、王女は恋人を助けたうえで結婚もさせなかったっていう話ですよね?」
 ……まったくこの後輩は、一体どういう思考回路をしているのだろう?
 通常「女か虎か」の結末を考えた場合、パターンはふたつだ。恋人が虎に食べられてしまう結末と、助かって王女ではない美女と結婚するというもの。
 しかしこの男は、今の説明を聞いただけでこれ以外の読み方をしたらしい。想像力が豊かであることは知っていたが、ときどき呆れてしまうほどである。
「聞かせてくれるか? なんでそう思ったのか」
「はあ。――まず、王女は恋人を助けたかった。だから虎と美女が、どちらの扉にいるのかを知っていた。そして王女は恋人が死んでしまうことも、自分以外の美女と一緒になるのも嫌だった。ここまでは本文にあるんですよね?」
「ああ」
「もうひとつの前提条件として、扉は分厚いものだったということが想像できます。これもいいですか?」
「待った。なぜそんなことがわかる?」
「だって中の音が聞こえるほど薄い扉だったら、息とか爪の音とかで、どっちに虎がいるかわかるじゃないですか。ということは、そういう音が聞こえない分厚さがあったはずです」
 なるほど。
「それから、王女というからには教育も質の高いものを受けていたはずです。つまり頭が良かったと考えていい。さらに、父親に似て激しい感情の持ち主でもあった。……ここまで条件がそろっているなら、答えは明白じゃないですか」
「どういうこと?」
「つまり、王女はふたつしかないように思える条件下で、美女を殺してしまうという三つ目の答えを見つけたんです。これなら恋人も助かり、自分の恋もまだ続きますからね」
 一瞬、呼吸を忘れた。
「どうしてそうなるんだ!?」
「だって王女は恋人に助かってほしかったし、自分以外の美女と一緒にいてほしくなかったんでしょう? なら、まず虎がいない方の扉を示せば助かる。そして同時に美女がいなくなれば、結婚もさせなくて済む。ここまで考えることはあり得ると思いますよ」
 あり得るかどうかでいうなら、あり得るだろう。
 だが、どうしてそんなことができたのかがわからない。
 そんなわたしの心を読んだように、前川は突っ伏したまま顔だけこちらへ向けて言う。
「王女はどちらの扉に虎と美女がいるのかを知っていた。なら、美女を殺害することもできたはずなんです。虎を扉の奥に入れることも、美女を扉の中に向かって歩かせることも、誰かの手が必要です。じゃあ、その誰かを買収すれば? あるいは自分がその誰かになりすませば? 方法はいくらでも考えられますが、とにかく王女には扉の中を操ることが可能でした。それなら恋人を助けたうえで、結婚させない方法を実行するでしょう」
「そんな残酷な……。美女にはなんの罪もないのに……」
「普通はしないと思います。でも、王女は父親に似て『激しい』感情の持ち主だった。ささいなことで殺人に発展する事件は古今東西めずらしくないですし、人によっては平気で実行することもあり得るでしょう。王女は、きっと普通ではなかったんですよ」
 頭の中を整理するため、わたしはあごに手を当てて考える。
 たしかにこいつの言うことは、正解ではないのかもしれないが、読み方の選択肢としては十分あり得るものだろう。王女が瞬間的にどちらの扉を指差すのか決められたのも、そういう裏があったなら納得できる。
 ……ん? だがそれだと……。
「それは厳しくないか? 王女がどんな方法で美女を殺したとしても、殺された痕跡があったら国王が気づかないか? 美女が殺されたことはすぐに、それも大勢の前でわかることだし、もし不正に国王が気づいたら処刑自体がもう一回行われそうなものじゃないか?」
「はい。それに王女の評判も国内でガタ落ちでしょうね」
「だったら」
「だからこそ『一発逆転』になる方法を王女は実行したんですよ」
 テーブルに体重を任せた頭は、辛そうに顔を歪める。
「先輩の言う通り、殺された痕跡があれば処刑自体がやり直しになると思います。だけど、それが不運な事故にしか見えない状況だったら? その結果として恋人が助かったなら、それもまた彼の運だと愛娘としての立場を利用して言えば? 国王が処刑をやり直す可能性は、かなり低くなるんじゃないでしょうか」
「待った、不運な事故に見せかけた殺し方って?」
 口元を押さえる彼の顔色は悪く、吐き気を耐えているようにも見えた。
 いつの間にか窓の外はすっかり暗くなっており、降り始めた雪がはっきり見えるほどに窓の外では日が落ちている。
 こんなに顔色を悪くした後輩がいるのだから、もうこの話はやめた方がいいのかもしれない……もしくは嘘でも察したフリをして、負担を軽くしてあげるべきなのだろう。
 だけど、わたしはその先を沈黙で促した。予想を上回る残酷な結末を聞くために。
 前川は、ゆっくり一音ずつ言葉を紡ぐ。
「――虎と美女を、同じ扉の中に入れたんですよ」

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