第1話

文字数 1,162文字

 罪だとは知っていた。しかし矢も盾もたまらず、やった。
 ピロリン。
 堕天使の烙印を押される音が響き、俺はほっと安堵の息を吐く。これできっと、手に入る。
 昨夜から風が近所の空き家の窓ガラスを小さく歌わせ続けている。そろそろこの街にも、ちびっこたちがエア煙草で遊ぶ季節がやってくる。
 太陽の光は日々航路を変えている。それを知ったのは、隙間風だらけ築五十年超の一軒家に引っ越してきて数カ月経った頃だった。そして、月もまた四季折々に表情を変えていく。周囲に二階建てより高い建物がほとんどなく、街路灯は必要最低限、夏にはカエルのオーケストラもサブスク視聴できる、そんな場所だからこそ享受できる幸福だ。
 窓辺の観葉植物に水をやり、さて、と俺はサンダルを引っかける。
 玄関を開ける音というのはそんなに響くだろうか。ものの数秒で愚連隊が大集結した。
「持ってるんだろう?」
「早く出せって」
 カツアゲの声に俺はデレデレになりながらしゃがみ込んで手を伸ばす。
「どうでもいいからさっさと寄越……ぐるぐるぐる」
 やった、大成功だ。これのためにさっき悪魔のボタン──給湯器のスイッチを入れたのだ。ガス代を犠牲にしてでも手に入れる価値のある、この柔らかな毛並み。寒がりな彼らは、こちらの手が冷たいとお代なしでさっさと食い逃げしてしまうのだ。
 まるで昭和初期のような雰囲気に惹かれて、この街とこの家を選んだのだが、賃貸契約書には記載のなかったオプションが付いていることに引っ越し当日に気づいた。
「地域ネコ、ついてます、って書いておいてくれよな。なあ?」
 そんなの知らんニャ、と、一直線だった目にごくわずかな面積をつけながら、サバ虎仔猫は無音で鳴いて頭の重みを全部手に乗せてくる。サバ虎よりは少し体の大きい、しかしまだあどけなさの残る黒猫が、釣りは要らねえよ、と手を舐め回してくる。痛い。背中には三毛猫母さんとその仔猫の温もり。完全にホストクラブ状態だ。
 聞くところによると、メインで彼らの世話や手術を担当しているご近所さん宅では、添い寝サービスもしているらしい。愚連隊の正体はエリート地域ネコ、エリーニャ集団だったのだ。
 さてそろそろ、と立ち上がると、足の間にぬるっとモフモフが2つ挟まる。参った。午後の仕事を再開しなければならないのだが。
 ここは奥の手を使うほかなかろう。玄関扉を薄く開いてスペシャルおやつの袋を取り出し、皿にあける。と、くっついていたモフモフ含めて一同一斉に獲物めがけて飛び掛かった。ネコまっしぐら。
 まあ所詮はこんなものだ。人間だって花より団子というではないか。モフモフ背中連峰を眺めながら苦笑し、そっと玄関に滑り込んで扉を閉める。
 テレビをつけると、ちょうど天気予報だった。どうやら明日もまた、悪魔のボタンを押す羽目になりそうだ。
 
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