半分冗談で、半分死

文字数 1,596文字

 汗の味って知ってる? 
 ……いや別に全然気持ち悪い質問をするつもりでは毛頭なくってさ。まぁいきなりこんな問いを投げかけたら、気持ち悪さ抜きで思考を巡らすなんてことはできっこないよね。恐らく、いや確実に、順序ってのを間違えたと思う。仕切り直そう。
 陸上競技の長距離走って知ってる? 
そうこれだよこれ。この質問なら皆すんなりと耳から頭に入ってくるだろうし、知ってる! という答えが返ってくるだろうね。万が一を懸念して一応説明しておくと、陸上競技の長距離走ってのは、長い距離を走る種目ってことだ。……そしてそうとも、大体話の流れは読めてきたと思うけど、この僕、松林涼斗は高校で陸上競技部長距離部門に所属しているんだ。
 さて、改めて、僕が長距離を毎日死に物狂いで走っているということを想像して、最初の質問に華麗に舞い戻ろうではないか。
 汗の味って知ってる? 
 ……いやしかし、結局のところ、最初に質問しようが今質問しようが、皆の答えは変わらないんじゃないか。だって、汗の味なんて、皆少なからず経験していて、経験していなくても想像や知識で、一つの答えに辿りつ……かないことなんてあるのか。しょっぱい。ただそれだけ、体の塩分が出ているんだから、そりゃそうなるだろうって話。そりゃそうなるよね。そりゃそうさ。当然、間違いない。
 夏は暑い季節だ、ということは知ってる? 
 バカにするなって言われるかな。ごめんね、そんなつもりはないんだよ。どうか僕を許してほしい。
 夏は暑いよね。八月に入って数日経った現在、夏はまだまだこれからだって言うのに、昼間は三十七度を超え、道端でミミズは干からびてるわ、花はしおれてるわと、すっかり人間の居住環境を逸脱した温度が導き出されている。なのに高校は夏休み。陸上部という名の単細胞の集まりでできた部活の、頭のねじがひん曲がった熱血鬼顧問は、授業がなくてせっかく一日中部活ができるんだからと、暑さに耐える体を作らなければならないんだからと、自分は傘の下でドリンクを両手に座っていながら、日中の一番暑い二時ごろに長距離軍団を壮絶なるロングランに送り込む。
 で、今に至るわけ。気づいた、皆? 僕、今、走っているんだよ。校庭のグラウンド、真昼、気温三十七度、体感百八十度の灼熱地獄を、十キロ先のゴールに向かって走っているんだ。正直に申し上げますと、しんどい。
 前を走っている仲間の背中がおぼろげで、実体があるのかわからなくなってくる。手足に痺れを感じて、これは危険信号だってのはよく理解しているんだけど、乳酸が溜まってもう止まってくれと泣き叫んでいる足は、実際に止まろうとすると、恐ろしい程の執念で抵抗してくる。それは恐らく僕自身の根性や負けず嫌いの性質も関わっているのだろうけど、やっぱり強くなりたいなら苦しくてもやり遂げろ、というマニュフェストを掲げて独裁政権を敷いている監督の激怒が怖くて仕方がないからだろう。既にノロノロとした走りになっているから、今も怒声が飛んできているし、走り終わった後も怒られるんだろうけど、途中で練習をやめたことに対する怒りよりかは何十倍もマシなんだ。
 暑さを言い訳にしちゃいけないんだ。暑さに負けている僕たちが弱いんだから。来年のインターハイこそいい結果を出すために、強くならなくちゃいけないんだ。全く、いつから僕は監督の熱意をあたかも自分が持っているもののように扱うようになっていたんだろう。監督に洗脳されたのか。いや、これはチームで話し合って納得して辿り着いた結論だ。いやいや、チームごと洗脳されているじゃないか。
 ところで、汗の味って知ってる?
 額から滴り、鼻の横を通り、唇を乗り越えて、汗が口の中に入った。その時、僕は驚いた。目の前の砂漠のような黄土色のグラウンドに、楽園が見えたからだ。
「甘い!」

 僕は甘味で満ちた楽園に頭から飛び込んだ。
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