新時代、彗星を待つ

文字数 6,558文字

「――ミライ」

 大好きなあなたが片手を持ち上げて、肌荒れした顔に笑顔を浮かべてみせる。あたしはいつものように、その隣の椅子を引いて、勝手知ったる顔で腰掛けた。あなたは白い紙にいくつも図形を描いて、矢印やイコールや、そのほかあたしが知ってるはずもない記号でそれらを関連付けているらしかった。

「新しい絵が増えてる」

 その意味なんて全然理解できないけど。片頬を膨らませたあたしが言うと、あなたは垂れ下がる前髪をかき上げて頬を引っ掻くのだ。ただでさえ肌が荒れているのだから止めておけば良いのに、それが癖らしかった。おかげでいつも、顔のどこかにカサブタが残っている。

「ねぇ――ミスナ」

 あたしはテーブルに両手をついて、あなたの名前を呼ぶ。あなたは無愛想に、まぶたの下の黒目だけをこちらに動かして、透けた茶色の瞳であたしを見た。

「で、今日は何の用?」
「ひっど」

 呆れて声が大きくなる。

「約束、したじゃん」
「ん、あぁ。今日だっけ?」
「そうだよ、バカ」

 あたしが勢いのままにあなたを小突くと、細いあなたはあっさり椅子から転げ落ちた。床に寝転がって天井を見ている。灯りはついていないけど、普通ならもう灯りをつけていい時間だ。こんな特別な夜に、部屋で考え事をしているのは多分あなただけだと思うけど。
 あなたは慌ただしく立ち上がって、身支度をする。なんだかんだ楽しみにはしていたのかな。一通り仕事を終えると、あなたは振り返って「ミライ」とあたしの名前を呼んだ。部屋の片隅に置かれた、今にも倒れそうなポールからストールを1枚取って、あたしに投げてよこす。風を含んでフワフワと飛んできたそれを、指先であたしは捕まえる。

「いらないよ。暑いもん」
「ずっと立ってたら冷えてくるよ。持っときな」
「ミスナは?」
「ミライと違ってでかいから平気」

 飄々とした語り口に、正直少しいらっとした。あたしの背があなたより小さいのは本当のことだけど、気にしているの、知らないはずがないのに。でも、それ以上にあなたがあたしを気遣ってくれたのが嬉しくて、トータルの感情はプラス。あたしはあなたの、痩せた腰に手を回して抱きついた。

 動きづらいから離れて、とあなたが言った。

 あなたの家を出て、等間隔に街灯が照らす道を歩く。あたしは借り物のストールを、大切に首の周りにぐるぐる巻いて、あなたの隣を歩いた。そわそわして落ち着かなくて、右へ左へ行ったり来たりしながら歩いたら「遅いよ」と言われた。

「もっと速く歩いて」
「ミスナだってあたしを待たせたくせに」
「それは良いでしょ。ミライにはいくらでも時間があるじゃん」
「ひっど」

 こういうときに、正論を言うあなたが大嫌いだ。

 あなたの言うとおりで、あたしはあなたよりずっと多くの時間を持ってる。でも、だからといって暇じゃないことを分かって欲しい。頭ひとつぶん以上も高い場所にある、色素が薄めの瞳をじっと睨んでみる。そうしたら左手が伸びてきて、機嫌を取るようにあたしの髪の毛をかき回したので、そうじゃない、と怒った。

 大通りまでやってきた。

 あなたは片手を上げて、止まったシェアワゴンの中に乗り込み、「静かで暗い場所へ」と言った。あたしはふわふわのソファに倒れ込み、仰向けになって寝転がる。

「他の人が乗ってきたら止めなよ」

 そう言いながら、あなたも隣に寝転がる。

 ざわめいて混んだ道の中を、滑るようにシェアワゴンが駆け抜けていく。たいていの混雑は通り抜けられるんだけど、途中で若者たちがひしめいている車道に出くわして、流石に通れなかった。シェアワゴンはターンして折り返し、違う道に向かった。外の騒ぎをチラリと見て、あなたが馬鹿にするように息を吐き出した。

「あれ、ミライより若い子でしょ、絶対」
「そーだね」
「騒ぐ意味がわかんないな。だってあの子たちなら、彗星なんかいくらでも見られるじゃん。私みたいな年寄りなら分かるけどさ」

 あなたはそう言って肩を竦めた。

 あたしはむかついて背を向ける。たった2年早く生まれただけのあなたが、自分のことを年寄りだなんて言うのが腹が立った。

 ただ――
 あたしとあなたの寿命がどうしようもなく違うのは、事実なんだけど。

 あたしは2041年生まれの20歳。
 あなたは2039年生まれの22歳。

 2年違う生まれ年の、その真ん中の年に起きたできごとは、どの教科書にもでっかく赤文字で書かれてる。キリ良く2040年、節目の年に見つかった、身体の老化を極限まで抑えるお薬。

 みんな喜んだらしい。
 不老不死って、人間の悲願なんだってさ。

 でも、一度老い始めてしまった人間には効かなくて、まだ人間がいくつかの細胞の塊のうちにだけ使える、とか何とか。それでみんな死ぬほどがっくり来て、一躍有名人になった開発者たちは怒った人に殺されたけど、大発見には変わりなかった。

 とにかく、その年以降に生まれた子供は『死なない魔法』をかけられている。
 あたしもそのひとりだった。

 新世代とか言われてるあたしたちの、身体の成長はゆっくりで、40年くらいかけてようやく大人の外見になる。でも、それから先はほとんど永遠の寿命が保障されている。75年に1回やってくる彗星なんて、これから先、いくらでも見られるだろう。あたしが死ぬより、彗星が燃え尽きる方が先じゃないかな。

 でもあなたは違う。

「ミスナ」

 あたしは甘えるようにその名前を呼んで、細いけど、自分よりずっと大きな身体に抱きついた。出会ったときは、見かけの年齢はそこまで違わなかった気がするけど、今はかなり差がついてしまった。これからあたしはゆっくりあなたに追いつき、背丈が追いつく頃には、もうあなたの頬にはしわがあるんだろうな。

「ミライ?」

 あなたは小さく目を見開いた。薄暗い中でも分かる、茶色い瞳にあたしが映ってる。冷たい指先がほっぺたを撫でていった。

「どうして泣くのさ」
「……むかついてるから」
「あの子たちに?」

 あなたは呆れたように笑って、小さく息を吐き出した。それは勘違いなんだけど、説明するのもなんかめんどくさくて、あたしは答えないまま、あなたの服に顔を押し付けた。

 あたしとあなたを、寿命っていう越えられない壁で区切った、この世界にむかついてるんだ。

 静かで暗い場所に辿りついて、シェアワゴンが止まった。あなたが会計してくれたので、ありがとう、って言ってあたしは外に出る。遅れて外に出てきたあなたは、少し唇を尖らせていた。

「奢る気はなかったんだけど」
「ミスナのが年上じゃん」

 ここぞとばかりに言ってみると、あなたは少し目を見開いて、まあいいよ、と笑った。

 道を外れて森に分け入る。鬱蒼と茂った草を踏みしめると、虫が飛び出してどこかに飛んでいった。わ、と悲鳴を上げながらも、あたしはずんずん奥に進む。途中でフェンスがあったけど、破れてるところを見つけて通り抜けた。
 辿りついた、街を見下ろす高台で、あたしは両足を投げ出して座る。あなたが隣に三角座りして、同じ角度で空を見上げた。片手を持ち上げて、夜空の中にひとつ、きらめく点を指さす。

「あれだね」
「え、あんなの?」

 あなたが指さした点は想像よりずっと小さくて、暗くて地味だった。正直、ちょっとガッカリした。インターネットで見たのはもっと綺麗で、それに長く尾を引いていたのに。途端につまらない気持ちになって、あーあ、と溜息をついてあたしは後ろに勢いよくひっくり返る。草むらが身体を受け止めてくれて気持ちよかった。

「ワンピースで変な格好しない」
「ミスナしかいないんだからいーじゃん」
「違うでしょ、うっかり風邪でも引いたらどうすんの。せっかくの永遠の寿命なんだから大切にしなよ」
「……別に欲しかったわけじゃない」

 ただ、生まれたときから永遠の時間があっただけ。

 あ、そう、と興味なさげに言って、あなたは鞄からカメラを取り出した。折りたたみの三脚の上に固定して、角度を調整している。あたしは暇になって、見るでもなしにあなたを眺めていた。すっかり大人になった顔立ちだ。出会った頃からずっと、道ばたで拾ってきたようなシャツとズボンを着ているけど、服装のダサさでは隠しきれないくらい大人になってしまった、あなただ。

「ほら、ミライ」

 あなたが私を抱き起こして、カメラの画面を見せてくれた。星空が大きく拡大されて映し出されている。その真ん中で光っている彗星は、肉眼で見るよりは綺麗だった。

「尾を引いてるでしょ、分かる?」
「……うん」
「よく見ると、こっちとこっちで2本あるでしょ。片方はプラズマで――」

 あなたの膝の上で、よく分からない説明を聞いた。あたしは眠くなってきたのでわざと欠伸をして、つまんないです、と意思表明をする。あなたの匂いのするストールに顔を埋めて、目を細めた。あなたの体温を感じると、お布団よりも気持ちよくて、そのまま、揺りかごに揺られるみたいに、意識を手放した。

 ヒヨコみたいだ、とあなたが笑った。

 ☆

「ミライ。起きて」

 揺すられて、あたしは目を覚ます。目を開けると、プラネタリウムの中にいた。違う、満天の星空の下にいる。光る矢みたいなものが空に浮かんでいた。

 わ、と息を呑んだ。

 あなたはあたしを膝から下ろして、立ち上がる。カメラの角度をチェックして、それからあたしの隣に戻ってくる。
 彗星の煌めきをあたしは目の中いっぱいに映した。

「こんな、綺麗なんて知らなかった」

 思わず素直に言うと、あなたはくすりと笑った。

「それ、普通は無理やり連れて来られた側の台詞ね。ミライが見たいって言うから来たんじゃん」
「ミスナこそカメラ持って来たくせに」
「貴重なものは記録に残しておきたいから」
「あ、そう」

 あたしが無愛想に答えると、あなたはちょっと笑った気配を残したまま、隣に座る。その胸にもたれかかって、心臓の鼓動と体温を感じながら、あたしは彗星の浮かぶ星空を見上げた。
 暗い背景に無数の白い点。あたしたち新世代の人間と同じで、永遠に存在し続けるきれいな景色。彗星はちょっと珍しいけど、何十年か待てばまたやってくる。あたしたちにとって、この世界はぜんぶぜんぶ、ありふれたものになったんだ。

 でも、あなたの体温だけは、有限。
 だから大切にしたいの。

「――ミライ」

 あたしの肩に手を回して、あなたが小さい声で話しかけてきた。息が掛かるほど、唇の動きが見えるほど近い距離で言う。

「次の彗星は、見に行くの?」
「75年後の」
「そう」
「んん……」

 あたしは少しの間、なんて言えばあなたが困るか考えた。

「ミスナがまだ生きてたら、一緒に見に行こ」
「分かった」

 あまりにもあっさりあなたは笑う。まだ生きてたらね、さすがに死んじゃったら約束守れないからね、とあなたは念を押すように言った。次の彗星が来るまでに、もしあなたが死んでたら、あなたのお墓から彗星を見ようかな。

 あなたは少し黙り込んだようだった。
 ねえ、と言って私の名前を呼ぶ。

「ミライ。ここだけの話をしていい?」
「うん」
「私は、次の彗星が見たいんだ」
「へえ」
「その次も。その次も次も見たい」
「――うん?」

 ちょっと不思議な感じがして、あたしは顔を上げた。垂れ下がる髪のすき間に見えた、茶色い瞳はほんのり濡れていた。あなたはいつになく悲しそうな顔をして、あたしの頬を両手で包み込んだ。

「どうして私には、無限の寿命がないんだろう」
「ミスナ?」
「どうしてミライと違って、私は、年老い、死んでしまうのかな。ほんの少し早く生まれただけで、私は永遠の時間を生きられない」

 抱きしめられた腕の中で、あたしはすごくびっくりしていた。抱きしめられたことにじゃなくて。有限の寿命を持つあなたが、無限の寿命を持つあたしを羨ましく思っていたなんて、今まで少しも気付かなかったから。

 悲しいのは、あたしのほうだけだと思ってた。
 そうじゃなかったの?

 あなたは私の頭を撫でて、いつになく悲しそうなのに、どうしようもなく優しい声で語りかけた。

「ミライ、どうして私がいつも勉強しているか、分かる?」
「……分かるわけないじゃん」
「せめて、この世界に何かを残して死にたい。生まれてから何十億年も経ったこの宇宙で、私だけしか知らない新しいものを見つけて、私の名前を残したいから」
「……ミスナの名前」
「私が死んでも消えないものがあるなら、それって永遠じゃない?」
「分かんない」
「だろうね、ミライは死なないもの」
「んー、そんなすごい発見なんてしなくても、あたしが覚えてるよ? ミスナの名前」

 我ながら名案だと思ったけど、あなたは苦笑した。

「それじゃダメなんだよ」
「なんでぇ!」

 あんまりにもそっけない返事で頭にきて、あたしはあなたの背中を両手で叩いた。ごめんって、と言いながら背中をさすられる。

「ミライの頭の中は、他の人には見えないから」
「他の人に見えなきゃダメ?」
「うん、ミライはあくまで世界の一部であって、世界そのものじゃないからね」
「ひっど」

 あたしは、あなただけいればそこが世界になるって思ってるのに、どうもあなたは違うみたいだ。世界中のみんなが、あなたっていう人間がいたことを覚えていない限り、納得できないのかもしれない。

 あなたの腕の中から身体を引いて、彗星を見上げた。

 すごく綺麗だ、でもありふれた景色だな。きっと、あと何回かこの彗星に出会う頃には、誰も見向きもしなくなるんだろうな。ああ、また今世紀もやってきたか、みたいな。

 そんなの。
 あってもなくても同じだ、と思った。

「ねえ、ミスナ」
「うん」
「あたしに教えて。彗星を壊す方法」

 あなたは一瞬息を止めて、それから大笑いした。あたしはあなたの隣に座っているから、その身体の震えやら熱やらが直に伝わってくる。ひとしきり笑ったあなたは、濡れた目元を拭いながらあたしを見下ろした。

「そんなの聞いて、どうすんの?」
「みんなが彗星に飽きたころ、ぶっ壊してあげるよ。そんで、ミスナっていう旧世代のバカな人が、壊し方を教えてくれました、って世界中に宣言してあげる」
「あんなに綺麗なのに?」

 あなたは空に指を向けて、長い尾を引いている彗星を指さした。そんなの、とあたしは唇を尖らせる。

「ミスナが満足して死ねるならどうでもいいよ」
「……そう」

 あなたは微笑んで、優しいね、と掠れた声で言って、あたしの頭を抱き寄せた。

 ☆

 草むらに寝そべって、星空を見上げる。
 カメラはまだ星空を捉えている。
 街の喧騒がわずかに聞こえてくる。

 あたしは、あなたの寝息を聞いている。

 この世界は綺麗だ、と思った。

 彗星は尾を引いて、少しずつ動いていく。さよなら、名も知らない遠方の燃えさかる星さん。75年後にまた会いましょう。あと5回くらいこの地球にやってきたら、そのときはあたしが、あんたの頭を吹き飛ばす。恨みはないけど、永遠に存在し続けるものに、価値なんてないんですよ。あたしたち新世代と同じです。だから、せめてあたしの大切な人のお願いを叶えるために、ちょっとだけ協力してください。永遠に名前を残すなんて、意味があるとは思えないけれど、この人との約束を守ることは、あたしにとって世界の全てよりも価値があるんです。

 あたしは横に転がって、眠っているあなたに寄り添った。暖かい手のひらに手のひらを重ねる。
 確かに時間を刻む、有限を感じとる。

 届かない憧憬を胸の奥に詰め込んで、あたしは臨界ぎりぎりの心を抱えたまま、宣戦布告したばかりの彗星を睨み付けていた。



『新時代、彗星を待つ』 了
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