櫻色の学園(花曇り)

文字数 4,748文字

 仙台櫻華はその名前の通り、春には校内が桜色で満たされる。
 染井吉野が散る中、私は体育館で校長センセのありがたいお言葉を耳に入れていた。
 「では、担任の先生の発表に移ります」
 ――つまらないなぁ。
 こういう茶番を私は嫌いだ。クラス替えの名簿の上に書いておいてくれればいいのに。
 担任の名前が読み上げられ、歓声と落胆の入り混じった声が聞こえてくる。
 「2年I組」
 ――ああ、私のクラスだ。
「――三浦綱紀先生」
 とは思いつつも、知った名前だと何とも言えない気持ちになるわけで。
「今年も三浦センセか…お小言はヤダな」
 周りを見回すと右側に大きなメガネが見えた。優子は文系を選択していた。
 さらにその奥には華やかな雰囲気。亜里沙がいる。彼女は櫻華大進学コースを取っていた。私は―というと、理系コースの列にいた。
 特に理由はないけれど、父さんと同じ道には行きたくなかった。
 なし崩し的に退場が始まり、人ごみにもまれながら体育館の入り口で上靴を取り出していると
 「ミコト!」
 亜里沙がうしろから抱きついてきた。
 「亜里沙! 重いよ」
 「えーこれでも3kgやせたんだよ」
 口をとがらせる。
 亜里沙は落とした上靴に履き替えながら「行こっか」
 私は体育館履きを袋に入れながらうなずく。
 「でもさー、意外だった」
 「何が?」
 「ミコトが理系取ったこと」
 「あぁ…そうだね」
 「ミコトって数学得意だったっけ」
 「ううん」
 「じゃ、理科?」
 「うーん。あんまり好きじゃないな」
 「大丈夫?」
 「大丈夫にするしかないよ」力なく笑った。
 「やだよー。赤点取って補習受けたミコトと一緒に帰るの」
 「そだね。そうならないようにするよ」
 「担任誰だっけ?」
 「三浦センセ。二年目のお付き合い」
 「あー。ミコト、愛されてるから」
 「そんな愛はいらない」
 「あれでも心配性だからね。綱紀は。じゃなきゃ、毎週呼び出して、あんた守らないって」
 「守る? 私を?」
 「他の先生の目を自分のお小言にそらしてたんだよ、あれ」
 「うそだーっ」
 「まぁ、あたしも星崎先生に聞いただけだから」
 「今年はどう? 吹部は?」
 「今年はねー、星崎先生が中学校回りをして足りない楽器の子スカウトしまくったらしいから、ちょっと期待かな。公立受かって逃げられてなきゃいいけど」
 「出場できるといいね」
 二年生になって教室が一階下がった。二年生は三階だ。
 2Aの前で少し立ち止まって
 「じゃね」
 亜里沙は手を振って教室に消えた。
 私は手を振り返して2Iの教室へと歩き出した。
 2Iの教室は少しきゅうくつだった。理系選択者は42人。女子校では少し多いくらいかもしれない。他のクラスが30人くらいなのに、なぜかI組には42人が押し込まれていた。
 黒板を見てがっかりする。
 ――やっぱり三浦センセだね。きっちり席次が書いてある。
 私は〝修明〟と書かれている、右から3列目、前から4つ目の席に座った。
 知っている顔は2、3人いた。あんまり仲のいい子たちじゃない。
 ――ま、いいか。去年と同じだけだから。
 黒のスクールバックから文庫本を取り出した。窓から吹き込んでくる風が前髪を時々揺らした。
 ――ちょっとねむい。

―◆―

 「…ト…コト…ミコト」
 目の前に亜里沙の顔がある。
 「もう終わってるよ」
 「あぁ…」
 寝ぼけ眼で時計を見ると一時ちょっと前。
 「三浦センセは?」
 「綱紀ならあきれて出てったよ。『中野、起こしとけ』だってさ」
 よだれでべちょべちょになった文庫本を服の袖でふきながら、私はへへへと笑った。
 「あたしはこの後の入学式でビラ配りするけど、ミコトはどうする?」
 「…帰る」
 「ま、そうだろうと思った」
 亜里沙は肩をすくめると、机の脇にかかっている私のスクールバックを取ってくれた。
 「なら、ビラ配りが始まる前に帰りなよ。出られなくなるよ」
 去年の入学式のビラ配りの列を思い出して、私は立ち上がった。
 外に出てみると、すでに列は出来上がっている。出られそうにない。
 ――大学の方から出よ。
 正門とは反対の方向に進みながら、プールの脇を通り過ぎようとした時、パァンとはじけるような音が響いた。
 音の方を見ると、いつかの女の子が弓道場にいた。
 どこかで見たことがあるようで、見たことが無いような不思議な感覚に襲われた。
 ――誰なんだろう。
 あの時にいた顔を思い出してみる。小羽さんではない。優子はメガネをかけているし。となると他の二人のうちのひとりか。
 ――ちょっと優子の姿を見たかったな…
 視線を戻して、見覚えのある古いラシーンを見つけてイヤな気分になった。
 ――父さんのだ。

 父さんの事を少し話そうと想う。
 父さんは東京文政大学文学部文科国文専攻というところを卒業していて、ずっと国語の教員として働いていた。酔うと苦労して出たとかいう大学院時代の話を始めるのでウザったかった。暴力を振るわれた記憶はない。
 でも、父さんを毛嫌いする理由は何よりも私の名前にある。
 【美】古都や【美】琴なら、よくあるし、誰も間違わずに読んでくれると思う。けれども、私は【御】古都だ。そして、この漢字を選んだのが外でもない父さんなのだ。
 小学校で自分の名前の由来を調べるという授業で母さんが教えてくれた。なんで【御】なのかまでは分からなかったけれど。
 随分大きくなるまで私は『み古と』と書いていた。そのうちめんどくさくなって『みこと』とひらがなで書くようになった。最近は正式な書類以外で、『御古都』と書くことはない。

 ――こんな大変な字を押し付けておいて…
 でも、なんとなく気になってラシーンをのぞいてみる。
 ――きったない。
 いつのものか分からない飲みかけのコーヒーがあって、助手席の足元にはペットボトルが2個くらい転がっている。うしろには毛布が丸めてある。
 ――きったな。
 私は大学の校舎を見上げた。

―◆―

 7号棟の2番教室…ここか。
 「しっつれいしまぁす…」そうっとドアを開けてみる。
 ――うわ。大学の教室ってこうなってるんだ。
 階段の一つ一つに席がある。座っている人は…まばらだ。
 一番下の舞台みたいとなところに、うらぶれた男が一人で話し込んでいる。
 〝うーん。つまらないですか? 全体的に下を向いているひとが多くなっているような…〟
 確かにいる人の半分くらいは寝ているような。
 手近な空いている席に座った。黒板に細々と字が書いてあるけれど、この位置からは読み取れない。
 ――何やってんだか。
 〝えー、じゃあ、少しお休みできるように違う話を〟
 ――って、何考えてるの!? 休み与えてどうすんの?
 私はバックからノートを取り出すと顔の前に持って、その影に隠れた。
 ――恥ずかしい。
 そういえば、この人の仕事してるとこ初めて見るな。
 〝何か質問はありますか?〟
 ――って、それかよ。自分で話題考えろよ。
 〝そうですね…あなた方が僕を質問攻めにして、時間が来たら終わりにしましょうか〟
 ――何考えてんだ、アイツ。
 と思ったら右側から「センセ―」と声が上がった。
 〝なんでしょう?〟
 「センセーは結婚してるの?」
 〝してますよ〟
 「奥さん可愛いですか?」
 ――オイオイ、それを聞くか?
 〝えーっと。そうですねぇ…カワイイ…と思いますよ。ハイ…〟
 「年下―?」
 〝8つかな〟
 「えーっ。ロリコンだーっ」
 〝えっ、え? ち、ちがうと思います…〟
 ――やめてくれ。こっちが恥ずかしい。
 「なにしてる人ー?」
 〝看護師です。彼女を尊敬してますよ〟
 「うっわーのろけてる! キモッ」
 ――キモイと思うなら聞くな。バカ大学生。
 「子どもはー?」
 ――って、ここにいるわ!
 〝いますよ〟
 「いくつー?」
 〝16歳になりました。この四月に高校二年生です〟
 「女の子?」
 ――だから、ここにいるって。
 〝女の子です〟
 うわっ。女子高生だってー。とか言う声が聞こえる。さらには修明センセの子どもでしょ、カワイソーなどという声も。
 ――そのカワイソーな人間がここにいます…
 「名前はー」
 ――それは個人情…
 〝みことです〟
 ――って、言い切ったよ。あのバカ。
 「どんな字を書くんですか?」
 〝えっと…〟
 そう言いながら黒板に大きく『御 古 都』と書いた。
 「美しいじゃないんですか?」
 〝うーん。一般的にはそうなんでしょうけれど…これには意味がちゃんとあるんです。皆さんも辞書を引いてみてください〟
 私は電子辞書をそっとバックから取り出した。
 ――えーと。漢字ってなに辞典だっけ?
 「センセー。なに辞典引けばいいの?」
 ――って、大学生だろ?
 〝漢和辞典です〟
 ――漢和辞典っと…これどうやって調べればいいの?
 とりあえず、いじっていたら手書き入力があったので、画面に『御』の字を書いてみた。
 ――なんか上手く入らないなぁ…
 〝どうですか? ありましたか?〟
 何人かから声が上がった。
 〝では。多分ほとんどの辞典で、そうだと思いますが、『御』の字にはもともと美しいもに対する敬称という意味があるんです。美しいものをさらに美しくするという事ですね。古典において「御」吉野などという言い方があるように。都の枕詞は【たましきの】となり、これは玉を敷いたように清らかで美しいの意味があります。古都が持つ、淑やかさや清らかな美しさを持った女性に育って欲しいと願ってつけました〟
 「センセーってロマンチスト?」
 この質問には答えなかった。壇上で静かに笑っている。
 〝『御』には、美しいものをさらに美しくする意味があるんです〟
 この言葉が妙に耳に残った。
 ……バカ。
 ぽつりとつぶやいて席を立った。

―◆―

 「ねぇ。母さん」
 夕飯を作っている母さんに、カウンター越しに話しかける。
 「なぁに、御古都」
 「私の名前って誰がつけたの?」
 「弥生さんよ」
 「やっぱり父さんなんだ…」
 「まだ、イヤなの?」
 「……う、ん…」
 「あれ? いつもと違う反応ねぇ」
 「母さんは何で「美」の字じゃないのか知ってる?」
 頬杖をついて母さんの方を見ると、楽しそうに笑っている。
 「それはね、弥生さんが押し切ったのよ。母さんは「美」が良いって言ったんだけど、どうしても譲らなくって。母さんもイライラしてきて、思えば初めてのケンカ。三日間話さなかった。でも、御古都はちっちゃかったから、保育器に入れないといけなくって。そうなるとね、早く名前をつけないとだったの」
 「で、結局、押し切られたんだ」
 「そうね」
 母さんは笑顔を崩さなかった。
 玄関のドアが開く音がした。
 「本人に聞いてみたら?」
 「ヤダ」
 私はカウンターから離れて、テーブルの上のリモコンを取り上げた。父さんにチャンネル権を取られたくない。つまらない情報番組で止めたところでリビングのドアが開いた。
 「ただいま」
 「おかえりなさい」
 母さんの明るい声が響いた。
 「みこと、ただいま」
 私は応えなかった。無言のまま父さんの脇をすり抜けて廊下に出た。
 ペタペタと自分の部屋へと歩きながら、空気がやわらかくなっている事に気が付いた。
 ――春なんだ。

 ―櫻色の学園(花曇り)―了

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登場人物紹介

修明 御古都(しゅうめい みこと)

仙台櫻華学園高等学校 1年生


誕生日は3月15日

若生 優子(わこう ゆうこ)

仙台櫻華学園 2年生


いつもおどおどしているのは、世を忍ぶ仮の姿とか!?


誕生日は4月16日

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