(1) バビロンの王ネブカドネザル

文字数 5,231文字

 
 攻めにくい。
 バビロンの王ネブカドネザルは、ユダ王国の都エルサレムを見上げながら嘆息する。
 エルサレムの街は丘の上にある。地中海からは50kmほど離れた内陸の街だが、街道沿いに栄えた商業都市ではない。海抜800m以上の丘陵地に作られた、防衛に特化した軍事都市である。例えば、ハルマゲドンの語源となった古代幾多の戦場の地メギドに比べると、エルサレム占領の地理的価値はきわめて乏しい。
 しかし、それゆえに厄介である。かつての大国アッシリアは十万の大軍をもって包囲したが陥とすことはできなかった。難攻不落の天然の要害エルサレム。もし、この丘の街を攻め落とすならば、バビロン軍でも一年以上の歳月を要するであろう。
 そのエルサレムを首都に定めたのが、ミケランジェロの像で有名なダビデで、その王朝をユダ王国と呼ぶ。新約聖書福音書の読者はイスカリオテのユダを連想されるかもしれないが、ユダヤ人の語源となったのはこのユダ王国である。
 ユダ王国は小国でありながら北と南の大国に変節を繰り返してきた。ネブカドネザルがバビロン王に即位する四年前には南のエジプト側につき、四年後に北のバビロンに無血開城し、その三年後にバビロンへの朝貢を打ち切ってエジプトと組んだ。
 この紀元前五九七年、ネブカドネザル治世七年目にバビロンは大軍でエルサレムにせまった。するとユダ王国は戦わずして都の城門を開け放ち服従を誓った。バビロン王はこの信用できない小国の王の首をすげ替えたものの、次の王も面従腹背かもしれないと不安にとりつかれていた。
 ユダ王国の位置するパレスティナ地方は、中東とアフリカを結ぶ要衝に位置する。ユダ王国自体はバビロンにとって取るに足らぬ小国だが、南の大国エジプトと同盟すれば大きな脅威となる。そして、都は難攻不落。この地の利をいかし、ユダ王国は北と南に主人を変えながら独立を保っているのだ。
 その都エルサレムには独自の民族宗教があった。
 丘に建てられたエルサレムの、さらに小高い丘、ユダ王国の民がシオンと呼ぶ地に神殿がある。そこからは、のろしのような煙がのぼっている。中東の乾いた気候では、煙は遥か彼方まで見渡せたであろう。
 目ざわりだな、とバビロン王は苦々しく舌打ちする。
「あの煙がそなたらの信仰の源であるというのか、ユダヤ人」
「その通りでございます、王様」
 膝を屈するユダ王国捕虜がそれに応じる。
「ユダヤ人、そなたらの神の名はなんといったか」
「ヤハウェでございます」
「奇妙な名前であることよ」
 YHWH、かつてはエホバと誤読されていたユダ王国の神ヤハウェの名は、この紀元前6世紀初めには禁忌とされていなかった。同時代の歴史資料『ラキシュ書簡』では、その名が慣用的表現で使われていたことが記されている。
「煙を神聖視するということは、そなたらの神は火の神なのか。ペルシャ人のように」
「王様、それはちがいます。我らの神はヤハウェのみ。ヤハウェはすべてを司る偉大な存在なのです」
「神がひとりでは神話が成り立たないのではないか」
「ヤハウェは嫉妬深く、他の神々への崇拝を許さぬと我らの祖先が伝えております。そのため、我らの神話にはヤハウェのほかに神はおりません」
「その神はどんな外見をしているのか」
「ヤハウェを形どることは誰にもできません。だから、我らは偶像に向かって祈ることはありません」
「そなたらの神は生と死も司るのか」
「そうでございます」
「ならばユダヤ人は死後どこにいくのか」
「ヤハウェの元に帰るのみ」
「……そなたらの信仰はつまらんのう」
 ユダ王国捕虜の熱弁をバビロン王は適当に聞き流す。彼自身は女神マルドゥークを頂点とするバビロンの神々の熱心な信者である。バビロン神話は人類最古といわれるシュメール神話を受け継いだもので、その歴史は長い。
 他の神々を許さず、像を作ることすら認めないヤハウェ。そんな嫉妬深き神の信仰に文化が育つ土壌はあるのだろうか。
 その頑なさはエルサレムの街と同じだ、とバビロン王は思う。エルサレムは防衛に特化した街だが、平地がなく発展の余地はない。バビロンのような世界都市にはなりえず、それゆえにエルサレムを都とするユダ王国が大国になることは未来永劫ないであろう。
「王様、あの煙は聖なるもの、我らユダ王国の民と神ヤハウェを繋ぐしるしでございます。我らの祖モーセの時代から絶えることなく受け継がれたその儀式を、我らは燔祭(はんさい)と呼んでおります」
 ユダ王国捕虜が説明した燔祭という聞き慣れない日本語は、ギリシャ語でホロコーストと訳される。今ではこの物語の約2500年のちにドイツのナチスが行ったユダヤ人虐殺を指すことが多いが、元来は宗教用語である。
「何を焼くのか」
「初子を焼くのでございます。家畜の初子、作物の初穂。それらをヤハウェに捧げるために焼くのです」
「人間も焼くのか」
「……かつては焼いておりました」
「野蛮だな」
 バビロン王は驚くことなくつぶやく。
 パレスティナ地方の小国では、人身御供の風習があった。エルサレムを都とするユダ王国でも同様で、王が率先してみずからの子を焼いたことが、旧約聖書『列王記下』16:3や21:6に記されている。
 王が我が子を焼くことで、その国民はみずからの子を戦士として差し出すことを拒否できなくなる。また、王のもっとも大事なものを捧げることで、それ相応の神の報いを国民に期待させることができる。
 しかし、それが許されるのは文明が発達していない国家体制であろう。みずからの胎を痛めて産んだ母は、我が子が焼かれることに耐えられるであろうか。その嘆きを屈服させるには野蛮な力を用いるほかない。きわめて後進的な文明でしかできないことだ。
 バビロン王ネブカドネザルは多くの事績を後世に遺したが、もっとも有名なものが古代世界七不思議のひとつ、空中庭園であろう。この吊り庭は故郷を懐かしむ王妃アミュティスを慰めるために建てられたという。そんな彼にはパレスティナ地方の子を焼く風習は汚らわしく思えたにちがいない。
 ネブカドネザルの建築物は他にもある。フィロンが『世界の七つの景観』に挙げたバビロン城壁もその一つだ。その北入口の門であるイシュタル門は、遺構が発掘されドイツのペルガモン博物館で復元されている。
 このバビロン王の最大の事業はバビロンのマルドゥーク神殿の増築であろう。このジッグラド(聖塔)は七層からなる壮大なもので、後にユダヤ人がバベルの塔としてみずからの創世神話に織りこんだといわれている。バベルとはユダヤ人のいうバビロンのことである。
 バベルの塔という人類英知の限界に挑むプロジェクトを進行しているバビロン王にとって、のろしを上げることで神との繋がりを保とうとするヤハウェの宗教は、ひどく原始的に見えたであろう。
 ネブカドネザルはバビロンを世界一の都にしようと考えていた。逆らった異教の者を殺さず捕虜にしたのは、人道的理由ではなくバビロンに連行するためである。彼の満足する都を作るためには、もっと多くの人手がいる。
 その事業に参加した者はバビロンの神々の偉大さに敬服するはずだ。ネブカドネザルが目指していたのは、世界一の大都市バビロンの栄光に諸国の民が服従する平和である。
「……恐れながら王様、わたくしにはゲダルヤという名がございます。いつまでもユダヤ人と呼ばれるのは……」
「良いではないかユダヤ人」
 ユダ王国捕虜ゲダルヤの懇願を、バビロン王はにべなくはねのける。歴史的大事業に挑む彼にとっては、ユダ王国の神の名も、捕虜の名も興味に値しない。ただ、このゲダルヤの率直な物言いは、追従家に囲まれたバビロン王にとっては気に入るものだった。
 なお、ユダ王国の民をユダヤ人と呼び始めたのはバビロン人が始まりである。このユダヤ人が興した宗教がユダヤ教で、現在ではユダヤ教を信じる者をユダヤ人と呼ぶのだからややこしい。
「……それで王様、我らの民が人身御供をやめた理由ですか」
「ああそのことか、話せ」
 気乗りしないバビロン王に向かって、ユダ王国捕虜ゲダルヤは雄弁に話す。
「我らの王ヨシヤは、先祖代々から伝わるヤハウェの教えを見直し、数多くの悪習を取り払いました。民がヤハウェ以外の神々を信じるのを禁じ、エルサレム以外の祭壇を壊し、その命令に従わぬ祭司を滅ぼしたのです。人身御供の廃止もその政策のひとつです」
「それに、そなたらの民は納得しておるのか」
「もちろんでございます王様。我らはヤハウェの民ですから」
 このゲダルヤの祖父シャファンこそ、ユダ王国の宗教改革の中心人物となった書記官である。旧約聖書『列王記下』23章に記された多神教排斥政策を『ヨシヤ王の宗教改革』と呼ぶ。この物語の約三十年前のことだ。
 この改革によって、ユダ王国ではヤハウェ以外の神々への崇拝は禁止され、偶像は燃やされ、エルサレム以外の祭壇が破壊された。きわめて暴力的な多神教排斥政策である。
 背景には北の大国アッシリアへの脅威があった。ユダの王は祖先を守ったヤハウェの恩恵にすがるべく、他の神々を破壊することをいとわなかった。
 この排斥と同じくして、アッシリアの衰退が始まった。それはバビロン王ネブカドネザルの軍事的才能によるものだが、ユダ王国の民はそれがヤハウェの栄光のせいだと信じているのだろう。愚かなことに。
「しかしユダヤ人よ、あの煙が信仰の源であるとするならば、エルサレムに祭壇を限定するのはもったいないではないか」
「いえ、エルサレムこそヤハウェが約束された聖なる地でございます」
「初めからそなたらの神はエルサレムにいたのか」
「かつて我らの祖モーセは『幕屋』を聖なる祭壇としておりました」
「幕屋ということは移動できる祭壇ということか」
「それをエルサレムに定めたのが、ユダ王国を建国したダビデ王でございます」
 かつてエジプトを脱出したモーセとアロンの一行は、その『幕屋』の権威によって現地部族を従えながら放浪した。彼らの子孫は『レビ』という特権階級に属し、祭事を専有しただけでなく、従える部族から税を徴収していた。
 旧約聖書『出エジプト記』ではイスラエル十二部族すべてがエジプトから脱出したと記しているが事実ではあるまい。その後の『ヨシュア記』では、辻褄合わせのために連戦連勝と部族虐殺が繰り返されて現代読者を飽きさせるが、真相は一部の者が現地部族を宗教的権威で従わせただけであろう。
「その放浪する神をエルサレムに定住させたというわけか」
「ダビデの子ソロモン王によって現在のヤハウェ神殿が建立されて以降、我々はエルサレムを聖地としております。ヨシヤ王の宗教改革によって、エルサレム以外の祭壇はなくなりました。だから王様、あの燔祭の煙さえ許していただければ我らは満足なのです」
「……なるほど」
 バビロン王ネブカドネザルは腕を組む。ユダ王国が大国バビロンに変節を繰り返すのは、彼らが民族神をひとつにして、その権威を極限に高めたからであろう。
 これを滅ぼすにはあの目ざわりな煙を絶やすほかない。
 バビロンはユーフラテス河沿いに建てられた古代都市である。現在のイラク首都バグダッドの南方約90kmに位置する。
 歴代のバビロン王でもっとも有名なのは「目には目を」の法典を整備したハムラビであろうが、ネブカドネザルはその約1200年後の人物で、血縁関係はない。
 ネブカドネザルの王朝を現在の歴史学では、新バビロニア王国と呼ぶ。ネブカドネザルという名も500年前のバビロン王の勇名を借用したもので学術的には、ネブカドネザル二世となる。
 だが、出自が王族でないからこそ、ネブカドネザルはバビロン神話の熱心な信者であろうとした。バビロンの女神マルドゥークの栄光で、平和の秩序をもたらそうとしたのだ。前述したバベルの塔建設もその一つである。バベルの塔は世界恒久平和のシンボルであったのだ。
 そのバビロン王にとって、ヤハウェ以外の神々を排斥するエルサレムの人々は狭器にしか見えない。地方の神々を根絶やしにして自分の街を存続を願うエルサレムの人々を頑なな非文明人としか感じない。
 ユダ王国捕虜ゲダルヤの話を聞きながら、ネブカドネザルは決意する。やはりヤハウェという奇妙な名を持つ神は滅ぼさなければならぬと。エルサレムからのぼる目ざわりな煙は絶たねばならぬと。
「親衛隊長を呼べ。エルサレムに征く準備をせよ」
「王様、それはどういうことでしょうか」
「余興は終わったのだ、ユダヤ人」
 ユダ王国捕虜ゲダルヤを払いのけて、バビロン王ネブカドネザルはエルサレムの丘に向かう。すでにバビロンに服従を誓ったエルサレムの街に。
 
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