Coffee

文字数 4,459文字


 私はいつもの様にコーヒーを飲みながらThe Beatlesを聴いていた。朝、仕事に向かう前の至福の時間である。コーヒーは必ず1杯だけ飲む。The Beatlesの曲は1曲、1曲朝の空気に染み込んでいく。
鏡の前で寝癖を直し、コンタクトレンズを付ける。視力が落ちて眼鏡からコンタクトに変えたのだがなんと便利なことか。今日も1日が始まっていく。

 本日も目の前の人に質問をする。表示されるデータを処理する。だけの1日である。アンドロイドと人間を見極めるためには、特別な機械によって脳波を測定しながらある10個の質問をする。その質問に対する脳波の動きによってアンドロイドか人間かを判別できるのだ。
 アンドロイドとは、生物の細胞から養殖された細胞を利用し作られた人工の生物の総称である。元々は牛や豚などの爆発的に増加した人類の食料の確保として利用されていたが、現在の多くのアンドロイドは急激に減少した人類の労働力として利用されている。アンドロイドをアンディなどとは呼ばない。
 「この個体は"Labor worker"である。」という報告を送信するのは何回目だろうか。著しく減少した人類の労働力となる人型のアンドロイドを"Labor worker"(レイバーウォーカー)と呼び、人々は親しみを込めて"レイ"と呼んだ。(レイの見た目は人間そっくりだがその中身は0と1でしかない事をうまく表現していると、私は思うが多くの人はそんなつもりでレイと呼ぶのではないのだろう。)レイの見た目は限りなく人間に近く作られており見た目ではレイか人間かはわからない。それと、レイは元となった細胞の持ち主の見た目とは異なるように設計されている。これは労働力として自分と同じ見た目のアンドロイドがいることに対し嫌悪感を抱くということがないようそう規定されたのだ。
1日の間にどれだけの個体のチェックをしているのか数えきれない。そんなに多くの個体のチェックをするわけではないのだが、「アンドロイドである」という結果が出た後のその個体のことを思うとやはり乗り気にはなれない。しかし、これが人間の安心、安全のためであると言い聞かせ作業を始めるのだ。
レイは現在見つけ次第処分しなければならない。表向きには、処分しているのではなく更生プログラムによる情報修正を行っているとしている。半年前、レイが人間を殺害したというニュースがあった。もちろん大ニュースであり、瞬く間にレイの製造に対する反対の声が上がった。しかし、すでに人間の生活はレイによって支えられていた。そのためその後もレイの製造は続けられた。レイの数は増え続けた。
その1ヶ月後、レイの総数が人口を超えた。もしかしたら、それが原因だったのではないかと私は考えている。レイによる人類への虐殺が始まったのだ。はじめに起きたのはアジアで1千人の死者が出た。その後アメリカや、ここヨーロッパでもレイによるテロのようなものが起きた。テロのようなもの。テロならば何が目的なのだろう?私はレイによるテロではなく虐殺であると考えている。奴らは「殺人を実行することが可能である。」と学習したのではないか。
その2ヶ月後、私の元に「人型のアンドロイドと人間を識別する装置を作って欲しい」という依頼が来た。殺人を犯したレイはすでに全て処分したのだが、それ以外のすべてのレイも一度処分を検討しているのだという。全てのレイが居なくなっては生活に不便が出て仕方ないとも考えたが国からの依頼ならばやらざるを得ない。なんだかありきたりなSF小説のようだ。オリジナリティがない。

そんなわけで、最近の音楽なんかと同じ仕事をしているというわけだ。(そう、つまらない仕事というわけだ。)レイはアンドロイドであるからオリジナルではない。しかし、彼らが働いている様子はどうだ。ニコニコとして生き生きしているではないか。(もちろんそうプログラミングされているのだが。)それに対し人間は、「人口が減少しこのままでは滅亡してしまう!」などと大声で喚いているのもいれば。若者の前で「人生は短いのだから、やりたいことをやらなくてどうする!」などと知ったような口を利いているのもいる。そんな毎週どこかで聞くようなセリフをよく我が物顔で言えたものだ。全くもってつまらない。退屈である。オリジナリティをなくした人類など居なくなって、レイだけの世界を作るべきなのではないか?いや、レイはそうするために人類を虐殺したのではないだろうか?「レイは世界を0から作り直すために生まれたのだ」これも使い古された文句だ。
だが、そのレイを処分するために私は仕事をしているのだ。「まったく、皮肉なものだ。」目の前のこの個体もきっとレイなのだろう。ならばきっと処分されてしまうのだろう。「レイではなかった」と嘘の報告をしようか。それで、しょうもない人間をレイとして処分した方が世界のためになるのではないだろうか。それこそ小説の世界だな。
「どうかしましたか?」と、助手の女性に言われ報告書の前でボーっとしていることに気がついた。ベタなよくあるあれだ。
「いや、少し疲れててね」「そうですか」という会話をした。
小説の世界か。予想される展開はオリジナルとは言えない。
今日、最後の個体の検査が終わった。「この個体は"Labor worker"である。」

また、朝だ。コーヒーを1杯飲む。鏡の前に立つ。これも繰り返しの1部だ。
The Beatlesの音楽は素晴らしい。彼ら以降の音楽は全て彼らの音楽からできていると言っても過言ではないだろう。全てのオリジナルはThe Beatlesなのだ。これは言い過ぎか。「レイは世界を0から作り直す」などという考えに私は賛成できない。彼は本当にそんなに危険な存在なのだろうか。
そもそも全ての始まりは0ではなく“1”である。“1”は始まりであり、それが人間にとっての個性というものなのだろう。何もかもが便利になってしまったこの世界では人間は苦労を知らない。“1”が訪れないのだ。誰も不幸になることの世界では個性という言葉が薄れてしまうのも仕方のないことなのかもしれない。The Beatlesがいた頃にはこの世界は多くの“1”が存在してそれらが世界だったのだろう。

次の検査対象は助手の彼女だった。
「まさかアイ博士と、このような形でお話しするとは」
レイかどうかを判定するのは全ての個体なのだから、いつかはと思っていたがまさか本当にやるとは。ということは私もいつかは検査されるのだろうか。レイは自身がレイであることを認識している個体としていない個体がある。この差は現在も検証中である。
「では、今から10個の質問をするのでなるべく早く答えてください。」
彼女がレイだった場合処分されるのだろうか。しかし、彼女は今までレイを処分する側にいたのだ。危険だとは考えられない。しかし、レイであれば処分されるのだろう。まあ、それはレイであったらの話なのだが。
検証の結果が出るのには時間がかかる。その間は特にすることもなく次の個体の検査を始めてしまうことも、よくあるのだがいち早く彼女の結果を確認するために研究室で結果を待った。目がやけに乾燥する瞬きを忘れていたようだ。コンタクトを外しに研究室の中で鏡を探した。脳波の測定にはストレスがかかるため彼女はすでに自宅に戻っている。結果は本人には通知してはいけない決まりになっている。
「なんともありきたりな展開だ」
私は肩を落とした。眼鏡もずり落ちた。彼女はレイだったのである。
さてどう報告するべきか。そんなことは考える必要などないはずなのに、ありきたりな展開ならばここでレイではないと報告しその結果トラブルに巻き込まれていくというものだろう。
ならば「この個体は"Labor worker"である。」他にないだろう。
翌朝、彼女を見ることはなかった。

人間が個性を失うことは必然だったのかもしれない。個性とは他の個体の個性の複製と複製の組み合わせであり、それではいつか限界がくるいうことを容易に想像できる。私も個性なんてものはないそこらに転がっているくだらない音楽と1つも変わらない。私の行動は全て決定づけられているものなのではないだろうか。
100mの高さから物体を落下させた時に4.5秒後に地面にぶつかることが計算できるように、私の今までも未来も計算で出た結果を踏襲しているだけではないだろうか。ならば私という存在はオリジナルではない。空っぽの箱に計算結果を入れているだけではないか。
私は、本当に人間として生きているのだろうか。

私に依頼された仕事はレイと人間を判別するという作業だけではない。今よりも簡単にレイと人間の区別を行うことのできる装置の発明というのが国からの依頼の内容だ。そして私はついに、その装置の開発に成功した。コンタクトレンズ型で、視界に入った生物をアンドロイドかどうか自動的に識別するという装置だ。これにより今まで以上に効率的に作業を行うことができる。
しかし、これにより今まで以上に多くのレイが処分されてしまう。生き生きと笑うレイがいなくなり、コピー&ペーストのような人間が残るのは本当に世界のためと言えるのだろうか。人間はいつから“自分の頭”で考えるという事をやめてしまったのだろう。
0と1の世界で完結するアンドロイドは“自分の頭”なんてものはない。では、人間ではどうだろう。最近やけにそんなことばかり考えている。
気分転換が必要なのだろう。助手の彼女の顔が何度も浮かんでくる気がする。実際にはどんな顔だったのかモヤモヤとうまく浮かんでこないのだが、きっと彼女の顔なのだろう。
試しにレンズを付けて外を歩いてみようと、レンズを付けた。
「まったく、皮肉なものだ。」

いつのまにか世界はレイだらけになっていた。
目に写るほとんどの人間に対し「この個体は"Labor worker"である。」とレンズが反応する。(実際に、レイかどうかを判定するためには判定する個体の顔を視界に入れる必要があるようだ。)国からの依頼も逆だったのか。レイを探すのではなく、人間を探していたというわけか。
あそこの若者に説教する中年も作り物だったわけか。最近流行のあのミュージシャンも、あの俳優も、あの映画監督も、あの小説家も。どうりで、目新しさのないつまらないものだと感じたわけだ。使い回しだったわけか。オリジナリティなんて始めからなかったわけか。
そして私も。
私はひどく安心していた。
レンズを付けるためには鏡を見なくてはいけないだろう。なんてベタベタなオチだ。
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