SHIBUYAロッケンロール

文字数 8,616文字

 空前の音楽不況だ。CDが売れない。今はみんなストリーミングに流れている。それでも、オリコンチャートはCDの売上を気にするし、俺みたいなコネのない人間には不利。実力はあるはずなのに、一位を獲ることができない。
「うあぁ~、くっそ。これは営業部とマーケティング部が悪い」
「諦めろ、陽月(ひづき)
 グローバルコミュニケーション合同会社は、原宿の近くにあるレーベルだ。俺、小森陽月とディレクターの亀有さんは、そこのスタジオで今度発売のアルバムのミキシング作業をしていた。
 亀有さんが俺をたしなめるが、貧乏ゆすりは止まらないし、親指の爪を噛むのもやめられない。
「前回のアルバムの煽り、なんだったと思う? 『今人気沸騰のシンガーソングライター、小森陽月!』だよ? 人気沸騰。でも、売上は三位! どういうことだよ。人気沸騰してたら一位になってるっつーの!」
「実力、と言っても、確かにお前の曲は一位獲れてもおかしくはないよな」
「でしょう?」
 亀有さんの言葉に、俺は机を叩いて同意する。そうなのだ。デビューして三年。最初出したミニアルバムから二枚目でオリコン十位とスマッシュヒット。それから五位、三位と上位に行くのだが、一位だけは獲れない。
「実力だけじゃないと思うんですよね」
「確かに。オリコンチャートは他のアーティストの発売日も関係するからなぁ。まぁ、うちのレーベルのマーケと営業も頑張っているけどもね」
「うぅ……」
 先ほど机を叩いたせいで、コーヒーが少しこぼれた。ティッシュで吹いていると、亀有さんがひとつ思い出したようにつぶやいた。
「そういえば、こんな噂があるな」
「噂?」
「野良クリエイティブディレクターの話」
「なんです? それ」
「通称・ベビーフェイス。彼か彼女かは知らんが、ベビーフェイスがプロモーションした作品は必ず売れるって、広告業界で噂になってるんだよ」
 亀有さんの人脈は幅広い。音楽関係のことはもちろん、広告業界のことまでよく知っている。友達や同じ大学だった仲間がいるのだ。
「じゃ、そのベビーフェイスに今度発売のアルバムのプロモーションをしてもらえば、一位も夢じゃないってことですか?」
「察しがいいな。その通りだよ」
「じゃ、紹介してもらえませんか? そのベビーフェイス」
また机を叩いて、食い気味に亀有さんに迫るが、マイペースにあごをさするだけだ。
「うーん……」
 なぜか歯切れが悪い。
「なんですか?」
「いやな、紹介したくてもできないというか……俺、ベビーフェイスのことを知らないのよ」
「知らない? 広告業界で話題になってるんでしょ?」
「そうなんだが、さっきも言った通り『野良』だから、どこの代理店にも所属していないんだ。それに関わったミュージシャンや企業は、決してディレクションしてもらったことを言わない。口外禁止にしているんだろう」
「そんな……じゃあ、つなぎつけられないじゃないですか。何かヒントは?」
 食い下がる俺だが、それでも亀有さんのマイペースは崩せない。ゆっくりとコーヒーを飲むと、足を組み替える。その仕草にまたじれったくなり、立ち上がって身を乗り出す。
「ヒントと言えるかどうかわからないが、ベビーフェイスは気に入ったアーティストには自ら接触を図るとは聞く」
「ちくしょう! なんで俺には接触してこないんだよ!」
「気に入らないんだろ」
「すみません、陽月さん。ファンレターなんですけど」
「ああ、そこに置いといて」
 アシスタントが山盛りのファンレターを置いていく。接触……もしかしたら。ごそごそと手紙を漁っていたら、見覚えのあるクローバーの封筒が出てきた。
「げっ」
「どうした?」
「アンチからの手紙っす」
「アンチから手紙が来るのか? そりゃあマメな……どんな内容が書いてあるんだ?」
「いつも『ギターリフが下手くそ』とか、『オルゴールバージョンはアルファ波にヘルツを合わせろ』とか、うるせぇんです」
「意外と細かく見てるな。それ、本当にアンチか?」
「え?」
「意外とそれが、ベビーフェイスだったりするかもしれんぞ?」
「まさか」
 俺は手にした封筒に目をやる。安全面から、封筒は開封済みだ。内容はまた口うるさい指摘かもしれないけども、もしかしてこれがベビーフェイス? でも、ただのアンチの可能性が高い。
 アルバム発売の予告はもうした。あとはプロモーションだけ。そのプロモーションが白紙
だから、ぜひベビーフェイス存在するとするならクリエイティブディレクターとして参加してほしい。今度のアルバムは絶対に一位を獲りたい。
 封筒の中身を取り出すと、きれいに折られた封筒とセットの便せん。開いてそれに目をやる。
 いつもと同じ、俺の音楽に対しての罵詈雑言が並べられたあと、なぞの数字が並んでいた。
「なんだ、これ」
『666*9990000333*』。何かの暗号か?
「亀有さん、これ、なんだと思います?」
「なんだ? 暗号か? 電話番号じゃないよな」
「ですよね、うーん」
 スマホを使って数字を検索してみるものの、郵便番号しか出てこない。しかもすべて検索ワードが一致したものじゃない。
「昔はポケベルなんてものがあったけどなぁ、それを思い出す」
「ポケベル?」
「携帯なんてものがなかった時代の連絡手段だよ。小型の機械でな」
 すぐにポケベルを検索してみると、サジェストに『暗号』と言うのが出てきた。もしかしたら。そう思ったが、すぐに亀有さんが否定した。
「でも、ポケベルの暗号とはまた違うな。ポケベルは「さ」だったら「あかさたな」の三番目、「さしすせそ」の一番目だから「31」ってことになるけど、これは連番だ」
「アスタリスクも気になります。っていうか、これは日本語なんでしょうか?」
「数字だろ」
「そうじゃなくて」
「まぁ……ところで、その送り主の名前はなんて言うんだ? 匿名か?」
「いえ、『らびらび』っていうんですけど。……あれ?」
 普段、住所は書かれていないが、名前は書かれている。しかし、いつも『らびらび』と書かれている場所には同じように数字が書かれている。『966*966*』だ。もし、これで「らびらび」と読ませるならば『*』は濁点ってことにはなるけど……。
「おっ、これはもしかして」
「何かわかりました?」
「スマホのキーボードをひらがなのまま、数字を入力してみろ」
 亀有さんに言われた通りにしてみると、文字が浮かびあがった。『ブルーズ』。その単語を見た亀有さんは、膝を叩いた。
「ブルーズ! こいつは驚いたな。このらびらびっていうのはもしかしたら本当にベビーフェイスかもしれん」
「ブルーズってなんですか? 音楽の?」
 俺の問いかけに亀有さんはため息をついて首を振った。
「これだから下積みなしの売れっ子は……。『ブルーズ』っていうのは、トワレコに置いてある無料雑誌のことだ。お前はまだ出たことがなかったな。主にバンドマンが表紙になるから」
「じゃあ、その『ブルーズ』を出している人が、ベビーフェイス?」
「十中八九そうだろう。あの雑誌も創刊者は誰か知られていない。今は『風とブルーズ』って会社の実働隊が動いているらしいが……」
「だったら、『風とブルーズ』って会社に行ってみたらいいんですよ! そうすればらびらび……いや、ベビーフェイスの正体がわかるかも!」
「そう簡単に行くかな……」
「何事も運とタイミングですよ。今だってタイミングよく、『らびらびがベビーフェイスかもしれない』ってわかったことだし」
「簡単に行くところがお前の怖いところだよ。オリコン十位のときもそうだった」
「えへへ☆」
「褒めてないからな」
 そんなやり取りをして、今日の仕事は解散となった。あとはマスタリングをすれば完成。だけど、その前にベビーフェイスを見つけなくては。今回のオリコン、絶対に一位を獲ってみせる。獲らないと、俺の実力が認められない。ずっとコネでここまで来たと思われているから、音楽業界のやつらをぎゃふんと言わせるんだ。

 四月十日。今日はオフだ。俺は変装してハチ公バスに乗っていた。『風とブルーズ』の住所を検索すると、原宿にあるということがわかった。でも、会社の近くではない。とりあえず住んでいる代官町から渋谷までバスで向かう。普段はタクシーでの移動が多いが、今日は変装して原宿まで繰り出す。渋谷まで、まずはバスだ。
 そこそこ混雑しているバスの中で、風とブルーズについて調べる。なになに、母体は『アドバタイズ』なのか。確か、表参道にある会社だったな。そこの会社のビルは、仕事で何度か行ったことがある。他のレーベルの持ちビルが近くにあったのだ。今は売却されてしまったが。
 ガタン。バスが止まって、みんな次々と降りていく。検索にすっかり夢中になっていた。俺はせかせかとボディバッグにスマホを滑り込ませると、バスを降りた。
 さて。原宿のどこだ? 住所だけじゃはっきり言ってよくわからない。会社が原宿にあるとは言え、そこで遊ぶことはほとんどないのだ。芸能人ってだけで、取り囲まれてはかなわない。
 ボディバッグからスマホを取り出そうとする。アレがないと住所が……ん? ない。どういうことだ? スマホは確かにしまったはず……まさか、バス内に落とした? バスはというと、折り返してもういない。どうしよう、困った。スマホを落とすなんて、なんてバカなことを! スマホがなかったら連絡も何もつかない。まぁ、万が一のときのために、大事な人の連絡先はばっちり手帳に書き写しているので、スマホはあとから機種変更すればいい。どっちにしろ、一度落としたスマホは使えない。誰にデータを見られたかもわからない。いくらパスワードを設定していたところで、解除しようと思えばできてしまうのがスマホ
だ。俺は若者のくせにスマホを信用していない、珍しい人間だ。
「さて、どうしたものか」
 落としてしまったスマホはどうしようもない。とりあえず今日はオフ。当初の目的だったベビーフェイスを探し出すことが先決だ。スマホを落としても、レーベルやマネージャーに連絡すれば関係者には説明できることだし。
 ヒントは、表参道のアドバタイズか。まずはそこに行ってみよう。もしかしたら、頼み込めば地図をくれるかもしれない。
 俺はすぐに銀座線に乗った。

 銀座線B5出口からしばらく歩いた東九不動産ビル、八階にアドバタイズはある。入り口の受付電話のところで、俺は止まった。どの部署にかければ……総合受付でいいか。案件は……ええい! 考える前に行動だ!
 おしゃれなデザインの受話器を取ると、俺はボタンを押す。
『はい、総合受付です』
「えっと……私、小森陽月と申しますが、どなたか風とブルーズの住所を知っている方、いらっしゃいますでしょうか」
『え? 小森様……ですか? お待ちください』
 俺が受話器を置くと、しばらくして鍵のかかったオフィスから女性が出てきた。それと同時に座っていたソファから立ち上がり、挨拶する。
「はじめまして、小森です」
「小森さん、今日は何かお仕事で?」
「いえ……風とブルーズの住所を知りたいんです。スマホを落としてしまいまして、場所がわからなくて」
「まぁ……わかりました。地図をお持ちしますね」
 女性は、防犯上の理由から鍵がいちいちかかるドアの中にまた入っていった。ともかくよかった。話がわかる人で。
 ガチャリ、と音がすると、女性が紙を持って出てきた。
「こちらが風とブルーズの住所です」
「あっ、ありがとうございます!」
「何か知りませんけど、頑張ってくださいね」
「はい!」
 俺は地図を手にすると、すぐにその場を立ち去った。
 さて、これからが問題だ。地図を見ると、近くにキャットストリートがあると書いてある。表参道からとりあえず原宿まで行くとして、そこからが問題だ。神宮前六丁目。どの辺りだ? くそう、スマホがないと場所のアタリがつかない。とりあえずキャットストリートまで行ってみよう。人に声をかけられないように、イヤフォンをつけると、ウォークマンのボタンを押す。いや、今日ほどストリーミングで音楽を聞いていなくてよかったと思うことはない。俺は音楽と一緒に、風とブルーズ探しを開始した。
 キャットストリートまでは簡単にたどり着くことができた。表参道からはあっという間だ。ただ、問題はここからだ。
「だいたいこの辺だとは思うんだけど……」
 神宮前六丁目の辺りをうろうろしてみるが、風とブルーズと書かれている場所はない。ビルの中にある表札にも。目の前にあるのはメンズの美容院だけ。これは困った。そのときだった。
「シンガーの小森さん、ですよね?」
 女の子ふたりが俺の肩を叩く。げ、まずい。イヤホンつけてるのが見えないのか、この女ども! ここで声をかけられて応対すると、間違いなく目立つ。会社探しどころじゃなくなる。どうしよう――。
「ボクの彼氏になんか用?」
 え? 横を見ると、金髪のショートカットにスカジャンのヤンキーみたいな女の子……? か男かわからない十代くらいの子が立っていた。その子は俺の腕を組む。お、おい、誰かわからないけど、いいのか?
「彼氏? あ、人違いかな? すみません!」
「ふん」
 女の子たちは去っていく。俺の腕から手を離すと、彼女? は冷たく言った。
「芸能人が何こんなところうろついてやがんだ。オレの遊び場を汚すんじゃねぇよ」
 この人、俺のこと知ってて庇ってくれたんだ。改めてお礼を言う。
「あ、ありがとうございました」
「それで? なんでこんなところうろうろしてるんだよ。危ねぇだろうが。さっさとおうち帰ってねんねしてろよ、ド腐れシンガー」
「ド腐れって……こっちだって好きでこんな場所にいるんじゃない」
「だったら帰れ、小童」
「小童? って、アンタのほうが年下だろ?」
「確実にちげぇ。それで、なんでここにいるんだよ」
「会社を探してるんだ。『風とブルーズ』っていう」
 その名前を出すと、金髪ヤンキーの女顔の男か、男勝りな女はにやりと笑った。
「ふうん、その会社を探して、どうすんの?」
「ベビーフェイスって人に用があるんだ。会って話がしたい」
「でも、お前ひとりでうろついてたら、また声かけられるぞ? 今みたいに助けられる可能性0%だ」
「うっ……」
 辛辣だが的を射た言葉に返事できないでいると、金髪は手を差し出した。
「ん」
「なんだよ」
「一万で今日一日、カップルのフリしてやる。二人連れなら声をもかけづらい。ついでにオレは合気道もやってる。護衛にはばっちりだと思うが?」
 日給か。でも、一万でガードされながら街を歩けるのなら、安いかも。変に警察を出動させてしまうと、大パニックになるだろうし。
 俺は財布から一万円を取り出すと、相手は勝手にそれを奪った。
「契約成立☆ オレは瑛琉(えいる)。よろしくな。それで、風とブルーズだっけか。住所はわかってるのか?」
「神宮前六丁目十二の七一……だったかな。この辺だと思うんだけど」
「ふん」
「瑛琉はこの辺詳しそうだけど、わからない?」
「教えるわけねぇだろ。お前がそこに用があるんであって、オレはただの護衛兼人除けだからな」
「むぅ……」
 地元のヤンキーのくせに、いじわるだな。まぁ、自分で見つけなけりゃ、意味ないか。自分の手で、運は勝ち取る!
 俺は瑛琉を連れて、街をうろつく。俺のとなりにヤンキーがいるせいか、目があった人はいても声はかけられない。これはいい。
 電柱や住所表示を見ながら、十二の七一を探す。が、ない。
 二時間くらい歩き回っただろうか。瑛琉が俺の袖を引っ張った。
「なぁ、喉乾かねぇか? 春って言っても水分補給大事だぞ? ほら、コンビニあるし、休もうぜ」
「そうだな」
 俺たちは近くのコンビニに入る。そしたら……。
「えっと、これと、これと、これな」
「え?」
 勝手に瑛琉はかごを俺に持たせ、中にカップ麺とチョコレート、ペットボトルの清涼飲料水を投げ込む。
「お前の支払いでよろ☆」
「はぁっ? 聞いてねぇ……」
「お次のお客様どうぞ」
 コンビニの店員が俺を呼ぶ。くそう、やっぱりヤンキーっていうのは昔からたかるものなのかっ!
 店を出ると、瑛琉は俺のぶら下げた袋を漁りながら、質問した。
「なんでさぁ、お前はそこまでその、ベビーフェイスってやつに固執してんの?」
「今度のオリコン一位を獲って、コネじゃないって認められたい」
「それって承認欲求?」
「だったら何が悪い」
「悪くはねぇが、人を頼るより自分の音楽聞き直したらどうだ? お前の曲、クソ曲ばっかりだぞ?」
「聞いてくれてるのか?」
「嫌でもラジオとかCM、街中で流れてんだろ」
 ペットボトルを取り出すと、俺に一本差し出して自分もふたをあけ、ラッパ飲みをする。
「お前は人のアドバイスを聞いてるのか?」
「聞いてる。それでもうまくいかないのは、プロモーションが悪いからだ」
「そうやって今までなんでも人のせいにしてきたんじゃねぇの? だからコネだとか言って嫌われる」
「…………」
 ぐさっときた。気にしていたことだったから。本心では気づいていたことだったから。同業者から嫌われるのは慣れている。どうせ、俺の足をひっぱりたいからだ。
「その意識が変わらないなら、どんなやつを雇おうが変わらねぇぜ」
「でもっ! 今度のアルバムだけは違うんだ。俺の全身全霊を込めて作った曲たちだ! 俺の子どもたちを、どうしてもいろんな人たちに届けたいっ! オリコン一位っていうのは、順位だけじゃないんだ。いろんな人に届けられた証拠……だから、一位を獲りたい。今ファンじゃない人たちにも、俺の歌を聞いてもらいたい!」
「――その言葉が聞きたかった」
「え?」
「ついてきな。六丁目十二の七一に連れて行ってやる。この辺は再開発で地番が交番の地図と一部違うんだ」

 瑛琉に連れてきてもらったのは、先ほどの美容院。ここには風とブルーズはないはずだけども……。
「こっちだ」
 裏手に回ると、細い通路に鍵のかかったドアがある。瑛琉はポケットから鍵を取り出すと、それを開ける。すると、目の前には地下へと続く階段。
「入れ」
 階段を下ると、そこには――古びた『風とブルーズ』と描かれた看板が落ちていた。
「風ブルは看板だけだったんだよ。実在しない」
「じゃあ、ベビーフェイスはここにいない……?」
「バァカ、話は終わってねぇよ。そこのドアを開けろ」
 言われるままに扉を開けると、だだっ広い空間があった。
「もともとここはライブハウスだったんだ。それを風ブルが買い取って、事務所の体だけ作った」
 瑛琉は手慣れた調子で空間のライトをつける。電気は通っているみたいだけど、どういうことだ?
「ド腐れシンガー。今回の新曲で一番自信のある曲を歌ってみろ」
「なんでこんなところで!」
「ここのライブハウスは、昔若者の登竜門的存在だったんだ。渋谷初のミュージックは大体ここ出身だ。お前もその洗礼を受けろってことだ」
「っ……」
 確かにここまで来て、何もしないで帰るのはもったいない。今日の思い出として、一曲歌って帰るか。
「わかった」
 俺はステージに立つと、アカペラで歌い始める。

『何もない廃墟でただ願うことが
許されないとは思っているし わかってることだけど
これだけは悲しい詩
夢を見ることはただ忘れちゃいけない』

 一曲歌い終えると、いつの間にかどこから出してきたかわからないイスに足を組んで座っていた瑛琉が、うーんと唸った。
「まぁ、七十点だな」
「そりゃどうも。お前に歌ったわけじゃないからな」
「いいや、オレに歌ったもんだろ。まぁいい、ギリギリ合格点だ」
「――え」
「MOCA、スタンバイ!」
「承知シマシタ」
 瑛琉が大声をあげると、電子的な声が返事をした。何もなかったくらい部屋に、ホログラムの画面が浮かびあがる。ど、どういうことだ? ここのライブハウスって……。
「ようこそ、小森陽月クン。オレのラボは気に入ったか?」
「ラボって……」
「お前は探してたんだろ? ベビーフェイスをオレだっつってんだよ、気づけ」
「え、えええええっ!」
「まぁいい。MOCA、陽月のアルバム、リリースまでは何日だ?」
「一カ月デス」
「よし、全広告制作会社に連絡しろ。戦略番号13のNB。バックアップ、風とブルーズ、渋谷のシリンダーに弾を込めるように」
「承知シマシタ」
「よかったな? お前のプロモーションは九十八%成功するあとの二パーは運だ」
「運……」
 ごくり、と唾を飲み込む。
「それで、報酬なんだが……」
「報酬? いくらだ……ですか?」
「オリコン一位じゃなくて、ビルボード一位を獲るように。それが報酬だ」
「お金じゃないんですか?」
「承認欲求」
 瑛琉……ベビーフェイスは意地悪そうな顔で、人差し指を突き出す。
「オレもな、昔男女っていじめた野郎どもを見返すために、この仕事に就いたんだ。だから、承認欲求は悪いもんじゃない。使い方によっては、だけどな」
「はぁ……」
 こうして、俺はベビーフェイスこと、瑛琉と契約を交わした。瑛琉が広告を打つ。そして、俺は最高のアルバムを提供して、ビルボード一位を獲得する。それが契約内容だ。
「やるからには、絶対一位を獲れよ?」
「も、もちろんだ! でも……あんたって実際、何歳なの? 男? 女?」
「見てわかんねぇのかよ」
「わからないから聞いてるんだけど」

 瑛琉は腕を引っ張ると、そのまま俺をぶん投げた。


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