第1話

文字数 1,481文字

 「ヂリリリヂリリリ・・ヂリ・・ヂリ」
 佐藤明日香は六時半に携帯の目覚まし時計に起こされた。一定のリズムを刻むアラームにこの上なく不快を感じ、深い眠りを妨げられた怒りをぶつけ、止めた。
しばらく、もぞもぞと布団の中をミノムシの如く、あさ、眼をさますときの面白い気持ちを堪能する。まるで、程よいぬるま湯につかり、顔まで潜る、苦しくなって「はぁっ」と顔を出すような感じ、いや、ちがう、何とも形容しがたい感覚である。
携帯で、連絡やSNSを確認していると、飼い猫であるココが暖を取りにやってくる。ひとしきり、可愛がってから布団からようやく抜け出し、冷たい洗面台へと向かい、お湯にしてから洗顔をし、慣れないメイクではあるが、この日はいつも以上に頑張り、高校の制服を纏った。力を分け与えられようとココを思う増分に頭をガシガシすると、甘噛みをされてどっかへと逃げて行ってしまった。
「あんたは、吞気でいいわね。学校も行かなくていいし、メイクしなくても可愛い、悩み事はあるのかしら。」
明日香は冷蔵庫から昨日、手作りしておいたチョコレートを手に取り、家を出た。今日はバレンタインデーであった。
明日香は同じクラスの木島幸喜に恋をしていた。木島は無口で、クラスメイトと仲良く雑談する姿を明日香は見たことがなかったし、明日香とも話したことはなかった。クールでミステリアスなところに明日香は惹かれていた。明日香は本命のチョコであるというよりも、お近づきのきっかけになればという目的のチョコだと自身に言い聞かせ、渡すハードルを下げ、躊躇や羞恥の感情は取り払っていた。
 
 放課後、サッカー部である木島の練習終わりを狙い、校門前で待機していた。練習の時間の最中はハードルを下げたにもかかわらず、何食わぬ顔で帰っていいぞと天使か悪魔かも分からない自分が囁いてきた。だが、心とは裏腹に、足は重く動かないでいた。
 「キンコーンカーン」
 部活終了のチャイムがなり、体から力が抜け、どっと疲れがやってきたがここからが本番であった。ちらちらと出てくる生徒を確認して、背中にチョコを隠しながら待ち構えた。
 木島の姿が見えた。しかしそれと同時に、隣を歩く可愛い女子生徒も見えた。何回も脳裏で思い浮かべていた渡すシーンが、設定が違うことに一気に吹き飛んだ。さらには、その女子生徒が思い出したかのようにチョコが入っているのであろう小包を木島へと渡し、今まで見たことのない柔らかい笑顔の木島がいた。明日香は渡すことを諦めて、走って木島から逃げるように家へと向かった。
 幼馴染かもしれない、ただの友達かもしれない、しかし、明日香の見たことのない甘い表情を木島は名の知らぬ女に投げかけていた。完敗である。
家の近くの公園のベンチに腰掛けた。袋から作ったチョコを取り出すと、走ったせいか真二つに割れた不格好のものがでてきて、むなしさをより一層加速させる。半分になったチョコを口に放り込んだ。調理を失敗したのであろうか、とろけることなく苦さを口の中に残し、固くかみ砕くことを強制させた。「渡さなくて正解だった」と明日香は飲み込んだ。

「ヂリリリヂリリリ・・ヂリ・・ヂリ」
 定刻通りに目覚ましが鳴り響く。心に大きな穴をあけた明日香にとって規則正しさは苦痛以外なにものでもなかった。アラームを止めて、布団を頭まで覆うように被る。すると、ゴソゴソと布団の中を覗きにココが入ってきた。涙ぐむ明日香のもとに近づき、ココは目元の水分を軽く舐めた。行動の読めないココではあるが、私が一番欲しいものをくれた。
 「今日くらいは私も呑気でいさせて。」
 
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