第1話

文字数 1,423文字

家の中にゴキブリが出たら、ぶち殺さないと気が済まない。
物陰に逃げ込まれたりすると最悪だ。下手したら一晩中、フルコースの模様替えぐらいの勢いで部屋をひっくり返すことになる。
病的にきれい好きとか潔癖症だとか、そういうわけじゃない。
ただ、自分の目の届かないところで何をされているか考えると、どうにも不安になってしまうのだ。
別に珍しいことでもないと思うけど、細かいことが気になる性質なのは事実かもしれない。
そんなわけでクソ重い本棚を動かして、見つけた奴を叩き潰してようやく息がつけた。
だいたい、この部屋の日当たりが悪いのからゴキブリが出るんだよな。
家賃が驚異的に安いのはありがたいが、一日中じめっとした感じは何とかしてほしいものだ。
そのおかげで扇風機だけでも寝苦しくないんだから、金がかからないのは確かなんだけど。
だが、一息ついた後に電気を消して寝ようとすると、扇風機が立てる低い動作音にまぎれて妙な音がする。

しゃわしゃわ。

かすかな衣擦れのような、柔らかな何かがこすれているような。
気のせいだろうか、それとも風にカーテンが揺れているのだろうか。

しゃわしゃわ。

一度気になると、どうにもその音に集中してしまう。
古いアパートだから家鳴りなんかはしょっちゅうだけど、この音は部屋の中から聞こえてる気がする。

しゃわしゃわ。しゃわしゃわ。

扇風機の動きに連動しているようにも思えるが、もし虫の足音だったらどうしよう。
一度その考えがよぎると、また落ち着かなくなってくる。耳栓をしたとしても、聞こえないところでこの音が続いてたらと思うと、やっぱり不安になる。
思わず電気をつけて辺りを探すが、幸いなことに奴の姿はない。それどころか、さっきまで聞こえていた音も消えている。

気のせいか。だったらいいんだけど。
だが、電気を消すと再びそれは始まる。

しゃわしゃわ。しゃわしゃわ。

電気をつける。止む。
電気を消す。始まる。
それを三度繰り返して、頭の中のスイッチが入った。
もうこの音の原因を確かめないと気が済まない。そのためなら夜を明かしても構わないくらいだ。
だが、勢い込んで部屋の捜索を始めてからすぐに、あっけなく原因は見つかった。
コンビニのビニール袋がベッドの陰に落ちていたのだ。
ゴミ箱に突っ込んだのが風で飛ばされ、壁にこすれて音を立てていたのだろう。
なんだ、この程度のことにびびってたのか。
安堵のため息をつきつつ、確認の意味も込めて、私はそのビニール袋で壁をこする。

かしゃかしゃ。

全然違う音だ。
その瞬間、正しいのはこっちだと教えるように、例の音が聞こえ始める。

しゃわしゃわ。しゃわしゃわ。しゃわしゃわ。

電気をつけてる間はセーフなんじゃないのかよ。そんなことを思っても、音の主が考慮してくれるはずもない。
まずい。もう、これは私の手には負えない。原因なんか探すより、無視して寝てしまった方が絶対にいい。
覚悟は決めたがせめてもの抵抗として電気をつけたまま仰向けになった時、天井に貼りついた長い髪の女と目が合うので、ようやく音の正体が分かる。
扇風機が動くたびに、垂れ下がった女の長い髪が床にこすれて音を立てていたのだ。

しゃわしゃわ。しゃわしゃわ。

分かったところで何も嬉しくないし、私の体は指一本動かないし、女はニタニタと笑ったままこっちを見ている。
けれど、もう目さえ閉じれない。
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