第1話

文字数 3,425文字

 私は晴れ女だと思う。大切な予定は大概晴れる。雨が続く時期だって私が友人との予定に加わればその日は晴れてしまう。小さい頃から遠足や校外学習といった行事は快晴。真夏のキャンプや海の予定は雨予報でも晴れになる。

 そんな私の家には傘立てはなく、そもそも雨よけの傘すら持っていない。いつも外に出るときはタイミングよく雨が止む。それに少しの雨くらいなら気にせず濡れて帰る。何より荷物が増えることや身軽でいられなくなることが面倒なのだ。

 面倒くさがりの私は小さい頃から、体が重くなるのを嫌い、年中体操着は半袖半ズボン。髪が重い、乾かすのが億劫だと感じ中学生の頃にショートヘアにした頃から一切伸ばしていない。今でも冬のアウターを羽織るのが面倒くさくて厚手のスウェットやジャージを着る。
 とにかくとにかく目の前にある面倒くさいことは避けたいのだ。

 それは性格にも現れていて、争い事が面倒くさい、嫌われてやいのやいの言われるのが面倒くさいと思っていた。人に嫌われなければ、周りの人がご機嫌でいてくれれば、それで楽なのだ。
髪を切った友人がいればすぐ「かわいいね」と笑顔を向け、両親が喧嘩をすればおどけて笑いを取り、バイト先で店長が困り顔をしていれば意を汲み取り「私がその日のシフト入りましょうか?」と声をかける。
 その人が欲しがっている言葉や状況さえ差し出せれば、気の利くやつだと認識され必要とされるのだ。小さい頃からそんなもんか、と言葉にはせずとも感じていた。

 大学生の頃、一人暮らしを始めた私は最寄り駅から数十メートル先の家に住んだ。ほぼ1分で駅に着く。
 ある日、スーパーに行った帰り道に大雨に降られた。食材の入ったビニール袋を両手に持ち、これはどれだけ近くてもずぶ濡れになるな、と立ち止まって目の前の水溜りを眺めていた。
 よし、仕方ない、濡れるか。と雨の中へ駆け出そうとした瞬間、「これ、使いなさいね」と持っていた傘をを無理やり私の手に持たせ、母と同じ年齢くらいの女性は近くの駐輪場へと走り去ってしまった。お礼を伝える間もなかった。ネイビーの地に細かいドットが不規則に散らされた傘だった。
 うわー、面倒なことになった。そもそも両手に袋を持っているのにどう傘を差そうか。どこの誰かも分からないあの人にどうやって傘を返そうか。会える日まで、晴れの日だろうと毎日毎日傘を持ち続けなければならないだろうか。なんてお節介な人なんだろう。渋々その傘を肩に乗せ、バランスを取りながら家に着いた。
 これいらないな、趣味じゃないし。そう思いながらもその傘は、私が大学を卒業して引越しをするまで自宅の下駄箱に立てかけられていた。それ以来、一度もその傘を差すことはなかったが、それが目に入れば、そんなこともあったかあ、とその日を思い出したりしていた。


 大学からバス停まで少し距離があり、帰るタイミングで雨に降られた。
「うわ、めちゃ降ってる」そう口にした私に、友人は「これ使って」と赤色の折り畳み傘を差し出してきた。「え、いいよ、大丈夫だよ」と言ったが「いいから!」と傘を渡して彼女は雨の中を走って行った。
 私はその傘を差して無事濡れずにバスへと辿り着く。大学から出発してすぐに坂道があり、そこに差し掛かった時、窓の外を見た。傘を貸してくれた彼女が自転車で必死に坂道を登っていた。黄色いカッパを着ていた。その姿を見てなんだか申し訳ない気持ちになった。
 その申し訳ない気持ちというのも私にとっては面倒な感情なのだ。それを抱えて夜眠りにつくのが面倒なのだ。あー、あの子もお節介だな。と思った。



 それから社会人になり、ある友人と知り合ったばかりの頃。カラッカラに晴れた日、待ち合わせ場所に彼はビニール傘を持って現れた。その姿を見て私は茶化すように笑った。「なんで傘持ってんの」「地元じゃ降ってたから」そうやり取りをして目的地へ向かった。向かった先は公園で、ベンチに座ってしばらく話をした。
 何の話をしていたか詳しくは思い出せないが、その時期よく考えていた、友人との関係のことだったと思う。ふと気を許して「人に本音話すのって怖い」と口から出ていた。言葉に出してしまった後に、あーやってしまった、面倒くさいこと言っちゃった。と思った。
その言葉に対して彼は「人に嫌われるの怖がって、自分の本音話さない人っているよね」と言った。咄嗟にごめんなさい、と謝ろうとした。
 その隙も与えず立て続けに彼の口から出てくる言葉たち「嫌われる覚悟もなくて、嘘ついて友達と付き合うとか楽しくなくない?」「別に本音話して嫌われたらそこまでだよ」「自分の軸はどこなの?」終いには「自分がないんだね」と言われた。もういい、もういいよ。というくらいに胸どころかわたしのぜんぶを覆っている皮膚までもズキズキしてくるような言葉たちを、私はただ頷きながら聞いていた。だって本当だから。面倒くさくて避けてきたことだったから。

 途中で雨に降られた。しばらく出番のなかった彼の傘に入れてもらう。その間中ずっと恥ずかしいのか、悲しいのかわからない。今まで抱えてきた行き場のなかったたくさんの気持ちが言葉にならずにぐちゃぐちゃになっていた。傘の中にいるとき、ずっと上手く話せていなかったと思う。本当は話したくないな、と考えていたことは覚えているけど。
 でも、傷ついて、たくさんの感情が動いて動いて何が何だかわからなくなっている間に、ほんの小さな希望なのか、救いなのか、何かががそこにあるのを私は認識していた。
 未熟な自分だけどちゃんとそこにいたことや、面倒くさくて自分でも目を背けていた自分を見つけ出して言葉にしてくれる人がいること。彼が持っていたものは自分が人に与えたことのない優しさだった。彼は優しさのつもりで発した言葉ではないかもしれないけど。私は図々しく、勝手に、優しさとして受け取っていた。
 ああ、雨が止むまで傘をさしてくれる、この人もお節介さんだな。と思った。

 
 数日後、ある友人から話を聞いて欲しいと連絡が来た。よく話していた仕事や恋についての悩みだそうだ。その夜、彼女と電話をした。
 私は悩み相談の類を割と受ける側の人間ではないだろうか。だって相手が欲しがっている言葉を差し出すから。「あなたは十分頑張ってるから大丈夫だよ」「今は辛い時期でも見ててくれる人がきっといるからね」一見、前向きな言葉をかける。

 しかしその日、一通り友人の話を聞いた後に、
「余計なお節介かもしれないけど聞いてね、あくまで私の一意見なんだけど。」
臆病な私は前置きをした。
 相手の欲しい言葉をかけることは必要とされている優しさだ。私が今までそれこそが優しさだと思っていたもの。それがあればその場はまるっと上手くいく。だけど、今日は勇気を出してお節介を差し出してみたいと思った。私がそれらに助けられていたように、向き合ってくれる人がいることが救いになることもあると知ったから。

 しばらく話して電話を切った後、お節介さんに変わるきっかけをも与えられたのだと気がついた。 
 お節介、どう受け取っていいか返していいかわからなくて、面倒くさいな、と思う。だけど、それってきっとその人に返す必要のないものだったりする。そのお節介な人たちのおかげで、傘を持たずに済む人生を歩んでいたのだ。
 実は雨が降っていたらしい、それに気づかず晴れ女だと思って生きてきた私。勘違いも甚だしい。

 その翌日の職場の帰り道に雨が降っていた。その日は下ろしたての服を着ていたため何が何でも濡れたくなかった。職場から駅までは屋根があり濡れる心配はないのだが、着いた駅から自宅までは割と距離があるため渋々ビニール傘を職場の最寄りの駅で買った。
 自宅の最寄り駅に着くと乾電池を買い忘れていたことに気づき、駅目の前のコンビニに入り目的のものを購入して外へ出た。タイミングよく雨は止んでいた。濡れずに済むなと安心して傘立てへ目を向けると、さっき買ったばかりの傘が誰かに盗られていた。
 すっからかんの傘立てを見て「あー、やっぱり私は自分の傘を持たせてもらえないんだな」と雨の力か神様の力か、何か見えないものに対して笑ってしまいたくなった。
 私が傘を持った日には、きっと誰か他の人の手に渡ってしまうのだろう。でもそれでいいや、それが返ってこなくても。お節介さんたちのせいで、そう諦める性格になってしまった。
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