第1話

文字数 4,430文字

 僕は理系の選択で、とても悩んでいた。
 一つ目は植物。これは僕にとっては得意分野であり、小学生の頃から顕微鏡を買って貰い、いろんな植物を観察していた。さらに勉強するのも良いかも知れないけれど、物足りなく感じてしまっていた。
 二つ目は地学。これも地層とか石とか集めていた僕にとっては、勉強するのもたやすいと考えていた。もちろん知識を深めておくのも良いと思うけれど、どうも将来に役立つかと言われると、そりゃ幾分役に立つのは分かるけど、僕の中では疑問だった。
 三つ目は物理。僕にとってはとても興味がある分野ではあった。小学生の頃から家にあったブリタニカを引っ張り出して、特殊相対性理論や一般相対性理論を読んだものだった。そして丁度そのころに物理演算・光学計算、いわゆるレイ・トレーシングに興味をそそられていたのだから。但し受けるためには数三を履修していることが条件だった。
 僕はとても悩んでいた。悩んだ結果出した答え。
『物理』
 それに丸を付けて、先生に提出した。

「……」
 僕に先生の不思議そうな視線を送る。
 なぜかというと、僕の学校は進学半分、就職半分の学校で、僕はどちらかというと商業の方を選択していたから。
 更に言うと、僕を合わせて物理のクラスは五人だけ。僕以外は進学を希望している頭のいい人ばかりだった。
 だから僕はとっても異端として、先生には見えたのだろう。
「えっと……数三は受けてるのかな?」
「受けてません」
「……で、なぜこのクラスにきたの?」
「えっと、物理に興味があったからです」
 もう高校三年生。進路を決めなければいけない時期でもあった。でも僕は興味のおもむくまま、学校の授業を選択していた。
 実際には必修と選択で授業が分かれており、いくつかの授業は選択出来るようになっている。将来の進学を決めてなかった僕は、気ままに授業を選択していた。
 結果、数三は別の授業を割り当ててしまい受講できず、唐突に物理から入るという端から見ると、意味不明な行動をとっていた。
 それはさておいて。授業はニュートン力学から入っていった。ベクトルの合成、重力加速度、ジュール計算。
 実際の所、ベクトル計算や重力加速度は、趣味でプログラムをやっていたので、そのあたりは簡単に頭に入ってきた。
 但し。
 数三を履修していなかった影響は大きかった。見たことのない数列が並んでおり、他の同級生は理解したかのようにすらすらと計算をしていたけれど、僕にとっては未知だった。必死に追いつけるように勉強をした。
 その中、クラスで異端を放っていたのは。……とはいえ、僕も十分異端を放っていたのだけど。アインシュタインの特殊相対性理論、一般相対性理論を勉強したと豪語する同級生だった。
 僕も興味が有ったので、彼と話をしてみることを試みた。僕もかすかにだけれど、特殊相対性理論をかじった事があったから。もしかすると話が通じるかも知れない。そう思って、僕は勇気をもって話しかけた。
「ねえ、アインシュタイン好きなの?」
「う~ん、好きだけど、嫌い。そんな感じかな?」
「好きなのに……嫌い?」
「そうだね、アインシュタインが好きだからこそ、嫌いなのかも知れないね。じゃないと科学は発展しないと考えてるから」
「へぇ、そうなんだ」
「で、俺に何の用? アインシュタインの話をしたいの?」
「うん、興味が有るから、君の話聞きたいなって」
「そっか。ちなみになんで物理とったの? 数三無しじゃきつくない?」
「うん、きついよ。何とかついていってる感じ。実はね。光の事を知りたくて僕は物理取ったんだ。光って何なんだろうね?」
「なるほどね。光かぁ。難しいね。ちなみに光の速度って知ってる?」
「えっと……秒速三十万キロだっけ?」
「そうだね。実際にはもっと細かい数値になるけど、その理解で大丈夫だよ。それで光のどんなことを知りたいの?」
「うん、物理法則だと、光の速度を超えられないって言うけど、僕はその意味が分からなくて、知ってたら教えてほしいな」
「いいよ。まぁ、実際には指導原理なんだけどね。真空中の光の速度はどの慣性系でも不変であるっていうのが一つ。アインシュタインはそこから特殊相対性理論を作っていったんだ。アインシュタインは光について執着してたみたいだね。光の速度を越えたらどうなるんだろうって、疑問が有ったみたい。そして、光の速度って越えられないんじゃないかって考えて作ったみたい」
「へ、へぇ……」
 僕はこの時、地雷を踏んでしまった気分になった。すでに訳の分からない単語が並んできている。きっと僕にとってはこれ以上話を続ければキャパオーバーになるのは必至だ。
 そして。物理好きの彼の目は、さっきまでの表情とは違い、生き生きとしている。この様子だとしばらく帰してもらえなさそうだ。
 彼の話を聞きながら僕は、彼の話を聞くことを選択した。覚悟を決めた。
「でもね、アインシュタインは特殊相対性理論を発表してから二年後に一般相対性理論を発表しているんだ。特殊相対性理論での加速度は重力とイコールになるって考えで一般相対性理論は作られた。そして思考実験を繰り返して一般相対性理論は何回も書き直された。ちなみになんだけど、一般相対性理論と特殊相対性理論。どっちが難しいと思う?」
「一般……かな?」
「ふふふ。そう答えると思ったよ。日本語にすると「特殊」だから難しく思えるけど、さっき説明したとおり、特殊相対性理論はユークリット空間と言って、平坦な世界での思考実験から先に論文が発表されているんだよ。対して一般相対性理論は特殊相対性理論の加速度を重力にしてるところと、星や一番重いと言えばブラックホールなんだけど、そういったもので宇宙は平坦ではないんだ。だから平坦として考える特種相対性理論の方が第一歩としては踏み込みやすいんだよ。平坦だからミンコフスキー空間というもで計算できるんだ。そして平坦だからこそローレンツ変換が出来て、計算式を簡単にしたのが、ローレンツブーストと言って……って、ここまでついてきてる?」
「う、うん」
 いや、ついていけるわけがない。もうすでによく分からない単語のオンパレードだ。僕にとっては彼が正しいことを、言ってるのかもよく分からない。何を説明したいのかもよく分からない。きっと彼は彼自身の知ってる知識をひけらかせたいのだろう。
 僕は彼の話を聞くだけ聞いて、彼が自分自身で納得するまで、語りきるまで待ってみることにした。……多分、僕の頭の方が先にショートするだろうけど。
「すごいね! 僕の話、ほとんどの人が聞いてくれないんだけど、ここまで聞いてくれたのは初めてだよ。じゃあ、続けるね。ローレンツブーストはローレンツ変換の計算をしやすいように、一方向にベクトルを向けた状態の事を言うんだ。この計算をすると、時の遅れやローレンツ収縮の答えが出しやすくなるんだよ。それでね、僕がこの計算式を使って色々計算してたんだけど……もしかすると、僕は科学のミステリを解いてしまったかも知れないんだ。ばかげてるかも知れないけど、聞くかい?」
 彼は深刻な顔で僕に視線を送る。
 拒否……したいけど、とりあえず語りたいだけ語って貰う。まぁ、僕は聞き上手とは言われたりするけれど。ここで最後まで聞いておけば、後腐れも無いだろうと。僕は頷く。
 そうすると彼は僕に耳打ちするように話しかけてきた。
「ありがとう。実はね質量を持つものが光の速度を越えたとき、何が起きるか分かったんだ」
「え? 光の速度を超える?」
 思わず、僕は大声で聞き直してしまう。クラスの視線を浴びる。
 彼は僕の大声を制止するようにして、語り続ける。
「うん、特種相対性理論上は光速を越えることはタキオン以外はないんだ。厳密に言うと質量を持ったものが光速を越えることは無い。だけど、もし質量のあるものが光速を越えることが出来たなら」
「出来たなら?」
「ミンコフスキー空間としては、全部マイナスになるんだよ。そしてローレンツ変換をすると光速と同じで収縮はゼロになるんだ。それを更に加速を加えると。つまり、すべての世界が逆転する。もしこの宇宙を一つのものとするので有れば、ここから質量を持った物質が光速を越えると、この宇宙を突き抜けて逆転宇宙の誕生するのさ。この理論で行くと、空間はローレンツ収縮で今の宇宙をゼロ距離に出来るし、更に加速すれば、空間が爆発的に光速を越えて膨張する事も証明できるんだ。ビックバンの手前、宇宙インフレーションで言うと、偽の真空状態をこれで説明できると思うんだ」
 もう、僕には何がなんだかよく分からない。彼は彼なりに正しいんだろうけど、僕には理解が出来なかった。
 そして、彼は満足げに僕に耳打ちしてきた。
「これ、内緒な? ゆくゆくは計算式を成り立たせて、サイエンスに発表するんだ。その時に俺の名前見ててくれよな!」
「う、うん。分かった」
 彼の目はきらきらと輝いていた。よっぽど自信が有るのだろう。
 それに引き替え、僕は彼の言っていることは一つも理解できなかった。興味本位で受けた物理の授業。僕は後悔した。

 そして。
 物理の授業は進み、テスト期間になった。
 僕はベクトルや重力加速度をついていけるように自分なりに勉強した。勉強の途中でも彼の話した意味をぼんやりと考えながら。それでも喰らいつきたい気持ちは有った。僕だって物理エンジンを少しだけでもかじった事が有る。それを糧として必至に昔作ったゲームプログラムの公式に当てはめながら勉強をした。そう考えると、物理も難しくないなとも思えるようになった。

 テスト当日。
 僕は勉強した全てをテストにぶつけた。難しかったけど、多分出来た。一応僕は勉強した全てをぶつけることが出来たと、テストが終わって肩の力を抜いた。
 そしてテストの結果発表。
 先生が少しくらい表情で入ってくる。きっとテストの結果が悪かったんだろうと予想がつくぐらいだった。先生は一息つくとクラスの全員に向かって話しかけた。
「今回のテストだけど、一人以外全員赤点でした」
 僕はあぁ……と、がっかりした。そうだろうなとは思っていた。僕の実力は追いつかない。きっと赤点を逃れることが出来たのは、あの彼だけだろうと。
 答案を返されるごとに皆がっくりと暗い表情になった。
 そして。
 なぜか最後に僕が呼ばれた。
「……58点」
「へ?」
「なんで、数三とってないお前なんだよ?」
 先生に少々あきれた顔で言われる。
 いやいやいや、疑問なのは僕なんですけど!?
 そして思う。
 あれだけ語った彼は一体どうだったんだろうと。
 僕の中の謎と、先生に対してミステリを与えた。
 そんな物理の教室に謎を残して。
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