脳内餅将軍談義
文字数 3,024文字
オーブントースターに突っ込んだ、3つの餅がその艶やかな白い肌を焼いている。止めどころを間違ってしまうと、その肌はだんだんと膨らみを増し、仕舞いには弾けてシワシワになってしまうだろう。
餅の焼き加減とは難しいものだと思う。
口に入れてしまえば醤油だのなんだのの調味料でごまかされて、食感など「弾力があるな」くらいの感想で終えてしまうのに、その道筋で「ああでもない」「こうでもない」などと、自分の中の餅将軍が顔を覗かせて脳内でお節介な談義を始める。寝る頃には味も食感も忘れているのに。
ひとりでもこうあるのだから、複数人集まればもっと面倒くさくなってしまうに違いない。風流を追い求めて、みかんを添えたこたつ上の七輪で焼こうものなら、その時は餅ヶ原の戦いが勃発するに決まっている。自分の腹に入れるものくらいは、作るものであるなら好きに食べさせてもらいたいと思うのは、私だけではないはずだ。
余談はこのくらいにしておいて、現在、私は目の前の餅たちの焼き加減について終止符を打ちかねている。
『やりすぎはよくないぞ』
脳内の餅将軍が、私に話しかけてくる。
「でも、将軍。大は小を兼ねるというではないですか」
『意味合いがちと違うぞ。まあ、そういう時もある。けれど、お主の場合何事もやりすぎるのじゃ』
「と、いいますと」
『知らぬふりをするではない。今年の初め、お主が振られた男に対して、諦めたら負けだと言いながら、鬼のように連絡をした結果、メンヘラストーカー呼ばわりされていたではないか』
「むむむ…」
『相手は大学生ぞ。いつまで固執をしておるのじゃ。あのまますんなり別れておれば、いい女で終わったものを…。だから、餅もやりすぎはよくないのじゃ。柔らかいくらいが歯触りも優しくて丁度よかろう』
「確かに。けれど将軍。この話をしているうちに、もう餅は膨らみ始めています」
目の前の餅は、何かのイラストのように綺麗に膨らみ始めていた。
「1番じゃなくて、真ん中くらいがちょうどいいのではないでしょうか」
今度は、私が餅将軍に話しかける。
『むむ。わしに喧嘩を売っておるのか! 餅の世界では余は一番偉いのじゃ! 』
「あくまで私の中の話ですよね。誰の心にも、オンリーワンでいらっしゃるはずです」
『細かいことを申すな! 中途半端など言語道断! 』
「けれど、将軍。今年の私を思い出してみてください」
『と、言うと? 』
「営業成績で全国1位を取ったものの、仕事以外何も考えないでいたら、社内政治に巻き込まれて、転職する羽目になったではないですか」
『むむむ…。けれど、その後のエントリーシートでは大分効果を表したではないか! すてっぷあっぷ、というやつじゃよ! 』
「はい。けれど、慢性的な人手不足のこのご時世。入ったのはいいものの、「あの会社にいたのに」「前は知らないけどねえ…」などと言われて、肩身が狭くなったではないですか。」
『見返してやればよいのじゃ! 』
「そんなに頑張ってどうするんですか。彼氏もおらず、社内政治に負けて転職して、転職先では散々嫌味を言われて。頑張るって限界があるんですよ。死んでは元も子もないでしょ」
『むむむ…。されど、今は落ち着いたのであろう?」
「まあ…。けれど、やっぱり真ん中くらいの中途半端がこのご時世はちょうどいいのですよ。長いものには巻かれていきましょう」
『そういうわけには…』
パチン。
割と大きな音がしたので、オーブントースターを覗き込むと、餅は弾けてしまっていた。
『優柔不断の結果ぞ』
「人間なんて、みんな優柔不断ですよ」
『そんなこともなかろう』
「いやいや、決断までの時間が相手基準で早いか遅いかというだけで、人間というものはなにかとその時間分優柔不断なものですよ。よりよい結果を求めてしまう生き物なんです」
『たしかに。それでも、もう少し早く決断をしておれば、自分が納得する結果に落ち着くものなのではないのか』
「そうですね。けれども、出てしまった結果というものは実は自分が欲しているものであったりするのですよ。与えられた環境や結果に対して価値をつけることができる。それが、私たち人間のいいところではありませんか」
『左様か』
オーブントースターを止めて、焼きすぎてカリカリになった餅を3つ取り出した。試しに一口かじってみたけれど、やはり硬い。
『やりようは、いくらでもあるんじゃよ』
「なにか案があるのですか」
『明日はお正月じゃ。雑煮に入れれば良い。程よく柔らかく、香ばしくなるじゃろう』
「それはおいしそうですね。そうします」
『先程お主は、過ぎてしまってはどうしようもないと申したが、このように考えようによってはやりようなどいくらでもあるんじゃよ。いろいろと申したが、失敗したり上手くいかないことがあっても、少しだけ見方を変えて軌道修正したらいい。けれど、少しだけじゃぞ。大きく変えようとして無理をしてはならぬ。少しずつ少しずつ。焦りもするじゃろうが、1日に1回だけ新しくなれば良い。1年経った頃には大きく変わるじゃろう。その時、どの焼き加減を選ぶのか、なぜ選ぶのか。そういった話をしようではないか。わしは楽しみにしておるぞ」
3つの餅を冷蔵庫に入れた後、ふと気づいた。
(今日の分の餅がないな)
もう一度焼くか、そう思い新しい餅を袋から取り出した時、世論に負けない除夜の鐘が薄い窓を通じて部屋に入ってきた。
己が煩悩を吹き飛ばしてくれはしないかと他力本願な期待を込めて、それぞれがつく鐘を聴く。しばらくして、誰かがついた3つの餅をオーブントースターに突っ込んだ。
(煩悩は一夜にして戻ってくるんだけどね)
それでも、新しい年に古い煩悩を持ち込まないように、身の回りを一年に一回綺麗にするこの慣習はとても素敵なことだと思う。少しずつ少しずつ。けれども、確かに年を重ねる度に新しくなってゆく。
ほんのりと心が暖かくなって、オーブントースターを温める。
餅の肌がすこし焼けてきた頃、また餅将軍が顔を出してきた。
「いい話で終わったのに」
『かまうな。餅あるところわしはあるのじゃ』
『ところで、今度こそやり過ぎてはならぬぞ』
「こんなうちから焼けた後の話をしては鬼が笑いますよ。それより、もうすぐ年が明けますね」
『めでたいの』
「ええ。お正月が過ぎれば、餅が安くなりますよ」
『それもめでたい。来年はたくさんお主と話すことができそうじゃ』
「そう言っていただけて何より。来年はどうなるのでしょうか」
『今のうちからなにをいうておる。鬼が笑うぞ。楽しいことだけを考えて、そうでないことはどうにかすればよいのじゃよ』
「それくらいであって欲しいものです。今年は色々流されもしましたが、来年は餅のように粘り強くありたいものです」
『うむ。殊勝なことじゃ。餅は人生じゃ。』
『だから、餅を焼く、ということは人生を見つめ直すということであっての…』
オーブントースターの中の3つの餅が焼き終わるまで、再びこの談義は続く。
佳境は年を超える頃だから、例え話は来年携えていくであろう夢のある煩悩に違いない。
餅の焼き加減とは難しいものだと思う。
口に入れてしまえば醤油だのなんだのの調味料でごまかされて、食感など「弾力があるな」くらいの感想で終えてしまうのに、その道筋で「ああでもない」「こうでもない」などと、自分の中の餅将軍が顔を覗かせて脳内でお節介な談義を始める。寝る頃には味も食感も忘れているのに。
ひとりでもこうあるのだから、複数人集まればもっと面倒くさくなってしまうに違いない。風流を追い求めて、みかんを添えたこたつ上の七輪で焼こうものなら、その時は餅ヶ原の戦いが勃発するに決まっている。自分の腹に入れるものくらいは、作るものであるなら好きに食べさせてもらいたいと思うのは、私だけではないはずだ。
余談はこのくらいにしておいて、現在、私は目の前の餅たちの焼き加減について終止符を打ちかねている。
『やりすぎはよくないぞ』
脳内の餅将軍が、私に話しかけてくる。
「でも、将軍。大は小を兼ねるというではないですか」
『意味合いがちと違うぞ。まあ、そういう時もある。けれど、お主の場合何事もやりすぎるのじゃ』
「と、いいますと」
『知らぬふりをするではない。今年の初め、お主が振られた男に対して、諦めたら負けだと言いながら、鬼のように連絡をした結果、メンヘラストーカー呼ばわりされていたではないか』
「むむむ…」
『相手は大学生ぞ。いつまで固執をしておるのじゃ。あのまますんなり別れておれば、いい女で終わったものを…。だから、餅もやりすぎはよくないのじゃ。柔らかいくらいが歯触りも優しくて丁度よかろう』
「確かに。けれど将軍。この話をしているうちに、もう餅は膨らみ始めています」
目の前の餅は、何かのイラストのように綺麗に膨らみ始めていた。
「1番じゃなくて、真ん中くらいがちょうどいいのではないでしょうか」
今度は、私が餅将軍に話しかける。
『むむ。わしに喧嘩を売っておるのか! 餅の世界では余は一番偉いのじゃ! 』
「あくまで私の中の話ですよね。誰の心にも、オンリーワンでいらっしゃるはずです」
『細かいことを申すな! 中途半端など言語道断! 』
「けれど、将軍。今年の私を思い出してみてください」
『と、言うと? 』
「営業成績で全国1位を取ったものの、仕事以外何も考えないでいたら、社内政治に巻き込まれて、転職する羽目になったではないですか」
『むむむ…。けれど、その後のエントリーシートでは大分効果を表したではないか! すてっぷあっぷ、というやつじゃよ! 』
「はい。けれど、慢性的な人手不足のこのご時世。入ったのはいいものの、「あの会社にいたのに」「前は知らないけどねえ…」などと言われて、肩身が狭くなったではないですか。」
『見返してやればよいのじゃ! 』
「そんなに頑張ってどうするんですか。彼氏もおらず、社内政治に負けて転職して、転職先では散々嫌味を言われて。頑張るって限界があるんですよ。死んでは元も子もないでしょ」
『むむむ…。されど、今は落ち着いたのであろう?」
「まあ…。けれど、やっぱり真ん中くらいの中途半端がこのご時世はちょうどいいのですよ。長いものには巻かれていきましょう」
『そういうわけには…』
パチン。
割と大きな音がしたので、オーブントースターを覗き込むと、餅は弾けてしまっていた。
『優柔不断の結果ぞ』
「人間なんて、みんな優柔不断ですよ」
『そんなこともなかろう』
「いやいや、決断までの時間が相手基準で早いか遅いかというだけで、人間というものはなにかとその時間分優柔不断なものですよ。よりよい結果を求めてしまう生き物なんです」
『たしかに。それでも、もう少し早く決断をしておれば、自分が納得する結果に落ち着くものなのではないのか』
「そうですね。けれども、出てしまった結果というものは実は自分が欲しているものであったりするのですよ。与えられた環境や結果に対して価値をつけることができる。それが、私たち人間のいいところではありませんか」
『左様か』
オーブントースターを止めて、焼きすぎてカリカリになった餅を3つ取り出した。試しに一口かじってみたけれど、やはり硬い。
『やりようは、いくらでもあるんじゃよ』
「なにか案があるのですか」
『明日はお正月じゃ。雑煮に入れれば良い。程よく柔らかく、香ばしくなるじゃろう』
「それはおいしそうですね。そうします」
『先程お主は、過ぎてしまってはどうしようもないと申したが、このように考えようによってはやりようなどいくらでもあるんじゃよ。いろいろと申したが、失敗したり上手くいかないことがあっても、少しだけ見方を変えて軌道修正したらいい。けれど、少しだけじゃぞ。大きく変えようとして無理をしてはならぬ。少しずつ少しずつ。焦りもするじゃろうが、1日に1回だけ新しくなれば良い。1年経った頃には大きく変わるじゃろう。その時、どの焼き加減を選ぶのか、なぜ選ぶのか。そういった話をしようではないか。わしは楽しみにしておるぞ」
3つの餅を冷蔵庫に入れた後、ふと気づいた。
(今日の分の餅がないな)
もう一度焼くか、そう思い新しい餅を袋から取り出した時、世論に負けない除夜の鐘が薄い窓を通じて部屋に入ってきた。
己が煩悩を吹き飛ばしてくれはしないかと他力本願な期待を込めて、それぞれがつく鐘を聴く。しばらくして、誰かがついた3つの餅をオーブントースターに突っ込んだ。
(煩悩は一夜にして戻ってくるんだけどね)
それでも、新しい年に古い煩悩を持ち込まないように、身の回りを一年に一回綺麗にするこの慣習はとても素敵なことだと思う。少しずつ少しずつ。けれども、確かに年を重ねる度に新しくなってゆく。
ほんのりと心が暖かくなって、オーブントースターを温める。
餅の肌がすこし焼けてきた頃、また餅将軍が顔を出してきた。
「いい話で終わったのに」
『かまうな。餅あるところわしはあるのじゃ』
『ところで、今度こそやり過ぎてはならぬぞ』
「こんなうちから焼けた後の話をしては鬼が笑いますよ。それより、もうすぐ年が明けますね」
『めでたいの』
「ええ。お正月が過ぎれば、餅が安くなりますよ」
『それもめでたい。来年はたくさんお主と話すことができそうじゃ』
「そう言っていただけて何より。来年はどうなるのでしょうか」
『今のうちからなにをいうておる。鬼が笑うぞ。楽しいことだけを考えて、そうでないことはどうにかすればよいのじゃよ』
「それくらいであって欲しいものです。今年は色々流されもしましたが、来年は餅のように粘り強くありたいものです」
『うむ。殊勝なことじゃ。餅は人生じゃ。』
『だから、餅を焼く、ということは人生を見つめ直すということであっての…』
オーブントースターの中の3つの餅が焼き終わるまで、再びこの談義は続く。
佳境は年を超える頃だから、例え話は来年携えていくであろう夢のある煩悩に違いない。