上京

文字数 2,999文字

こんなに東京は暑いのか。

まだ6月の入りたてなのに余裕で20度後半を叩き出す。正直なめていた。

某大手古着屋チェーン店で2着の半袖を、作り立てのクレジットカードで払った。



季節が私たちの生活を急かしていく。



この春岩手県の公立高校を卒業して、東京に上京してきた。

受験勉強はあまりやる気にはなれなかったので、AO入試を利用して私立大学に入学した。

私の家庭は裕福でもなく、貧乏でもなかったと思うけど、どちらかというと恵まれている方だと思う。

それでも東京で一人暮らし、プラス私立大学にかかる学費を考えると奨学金を借りる必要があった。



あまり制度に対して理解はしていなかったが、手続きを進める中で、

これから生涯をかけて返す金額を見て青ざめた。

まだ社会人にもなっていないのに借金のことを考えなければならないのはしんどかったのだ。



少しでも生活の足しにするため、貯金をするためにバイトを始めた。

高校時代は全国的に有名な書道部に所属しており、三年の秋の中頃まで部活動に励んでいたので、

バイトを始めようという気持ちになったことはなかった。



小学六年生の時の将来の夢はパン屋さんだった。

六年以上前のことをわざわざ覚えているわけでもなく、小学校の卒業アルバムに堂々と書いてあったわけである。ちいさいときの自分の夢を叶えてあげようと思い、パン屋でバイトを始めようと思った。

自分の家から徒歩圏内で通勤できる場所を探した。

応募から面接、採用の電話、初出勤、

どの場面を切り取っても、初めてのことばかりで緊張しぱなっしでただただ、怖かった。

それでもお店の従業員はみんな優しく、とてもやりやすい環境で働かせてもらえた。

初めて入ったお給料で自分の住んでたところにはなかった宅配サービスを使い、寿司を一人で楽しんだ。





最近気になる人がいる。



大体私は朝が弱いので、授業が終わった後の夕方から夜にかけてシフトに入ることが多く、

次の日の朝ごはんを買う人や、軽くおなかをすかした人がお店にやってくる。

その中でも、決まって18時半に店にやってくる男性がいる。年齢は20代後半か30代前半といったところ

だろうか。きれいに髭は整えられていて、ニキビは一つもなくどこの化粧水を使っているか聞きたくなるほど、つるつるだった。顔はタイプなわけでもないが、大人の余裕がどこからかと滲み出る、雰囲気と帰り際にサッと香る彼の匂いがとても好きだった。

私は匂いフェチだ。



いつも彼は仕事終わりに来ているのだろうか、少し疲れたような顔をしていることが多い。

でも今日は違い、なんだかとてもうれしそうだった。

今日で出会ったのは何度目だろうか、もう両手では数え切れないほどかもしれない。

店員の私が認知しているのだから、毎日来る客の彼だって私のことを認知しているに違いない。

そう思って少し勇気を出して、話しかけてみた。



「いつもありがとうございます。今日はお顔が明るいですね。何かいいことありましたか?」

「あぁ、今進行中の商談がうまくいきそうでね。顔にちょっと出ちゃってたか、お恥ずかしいところをみ  せてしまった。」

少し照れくさそうに笑う顔と初めてはっきりと聞いた彼の声。優しくて何もかも包んでくれそうな声に一瞬ドキッとしてしまった。

その日はこれ以上話すこともなく、彼は店を出て行った。

すかさず、私は彼が去っていった後の匂いを嗅ぐ。全くもってただの変質者であり、変態である。

それくらい私にだって自覚はある。でも、やめられないのだ。





それから、お店で、店員と客の関係として会うたび話す時間は長くなっていた。

はじめて、プライベートで会わないか?と誘ってきたのは彼の方からだった。



最初に行った場所は動物園、二回目は映画館、3回目は江ノ島へプチ旅行としていった。

もちろん、言うまでもないが私はとっくのとうに彼が好きだった。

さりげなく見せる優しさも、笑った時に見える八重歯も、そして今では誰よりも一番近くで嗅げる匂いも



でも私たちは付き合うことはなかった。彼から告白されることはなかった。

恋愛関連の話をしようとしても、いつも簡単に話を変えられてばかりだった。



会う回数を重ねていったある日、私の家に行きたいといわれた。すんなりと快諾し、彼を家にあげることにした。

誰かを自分の部屋に入れるという経験は人生ではじめてで、小中高と、友達すら入れたことはない。

基本的に部屋は散らかっているし、私の大好きなBL本が堂々と置かれていたからである。

この小さなアパートに引っ越してくる際、BL本はすべて、実家に置いてきた。

彼と仲良くなり始めてからは、いつ家に来てもいいように苦手ながら掃除は三日に一回はするようになった。そのおかげできれいな部屋を保った状態で、彼を家に上げることができるわけである。



一緒にご飯を食べた。ずっと憧れていた深夜のコンビニにアイスを買いに行くこともできて、

幸せでいっぱいな感情になれた。



「れみ、好きだよ。」

お互いお風呂に入った後、二人でベッドに座って、ふと口づけをされた後言われた。

もちろん、嬉しかったが、言葉に重みはなかった。

でも、彼氏にはなってくれない。彼にとって自分は都合のいい人間でしかなかった。



その後、家に来る回数は段々と増え、一週間に3回は当たり前になった。

毎回、狭い一人暮らし用のベッドで何度も何度も体を重ねた。



体の関係。セフレの関係どまりだった。私はそれで幸せだったのかもしれない。



しかし、彼は突然、私に対して告白をしてきた。驚いた。

体の関係から、カップルの関係になるなんて、中々珍しいことだと思ったからだった。

いや、私でさえこの関係に慣れて満足していたのだ。

少し複雑な気持ちになったが、「いいよ。絶対に幸せにしてね」と返事をして付き合うことになった。















「ただいま。」

「おかえり、最近遅くなることが増えたわね。」

「会社の付き合いが多くてさ、俺も行きたくていってるわけじゃないんだ。」

「そう、すぐお風呂入ってね。私はもう寝るけど。」



俺の名前は笠間俊祐。都内の国公立大学を卒業してサラリーマンになって10年目の32歳。

大学のサークルで出会った一個下の瑞貴と25の時に結婚して、29の時に男の子が生まれた。

妻のことが好きだった。不倫するなんて、週刊誌でしか見ないありえないことだと捉えていた。



しかし二か月前にあるパン屋で一目惚れをした。そして体の関係になり、そこから付き合い始めた。

明らかな不倫であるが、家の家事を怠ったことはない。妻を愛しているし息子ともたくさん遊んでいる。

ばれていなければ大丈夫。罪悪感なんて微塵もない。















「もしもし!こうやって声聞くのも、ひさしぶりやんなあ!」

「そうだね~サークルとかバイトとか忙しくてね、中々時間取れなくてごめんね」

「全然大丈夫よ!大学はどうだ?楽しいか?」

「楽しいよ。友達にも恵まれてね。海翔はどう?」

「俺は高校の友達も多いし、楽しいよ!彪いるだろ?あいつ金髪に染めたんだぜ!デビューだよな」





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「ほな、夏休みは絶対会いに行くから、待ってろよな!また電話しよう!」

「うん、待ってるね。じゃあまた」



電話の相手は高2の時から付き合っている光浦海翔。岩手の大学に通っている。

俊祐さんが不倫してたら絶対に許す気はない。けど私はいいの。

私を好きでいる人は何人いてもいい。



罪悪感はない。ばれなきゃ大丈夫。
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