てくてく

文字数 31,685文字

てくてく           作 ワタシ

せかいはあなたのものがたり
これはあなたのものがたり

 あなたは、歩いています
 暗くもなく、明るくもなく、なにもないところに
 あなたがいて、あなたが、歩いています
 
てくてく
 あなたは、歩いています
 あなたの足跡があなたのものがたりになり
 あなたが、歩くことをやめれば、おしまいです
 暗くもなく、明るくもない、何もないところにあなたのものがたりがうまれます

てくてく
 あなたは、歩いています
 歩いているあなたは、生きています
 てくてくと歩いているから生きています
 
てくてく
 あなたは、人を殺しました
 永遠の人殺しです

てくてく

 美しいひとでした
 あなたは、そのおんなを凌辱し、斬り殺し、食べました
 あなたは、初めての快楽をそのおんなで憶え、惨殺された女の死体を見て自らの残虐におののき、そのおんなの人肉で空腹を満たしました
 あなたはあなたを嫌悪しています だいきらいです

てくてく

 戦から戻ったあなたは、常に、悔い、畏れ、恥じています
 あなたは、悔いています。自信と希望に満ちていたあなたを損ない、穏やかな暮らしに戻れなくなってしまったことを悔いています
 あなたは、畏れています。命からがら逃げ延びた後、あなたが生き延びる為に犯した罪と恥辱が露わとなることを恐れています
 あなたは、恥じています。生き延びるためでさえなく、恐怖でさえなく、己の欲望を満たすために命を嬲る罪に愉悦を覚えたあなたを恥じ、蔑んでいます

 あなたは、愚劣な下衆です

 促されるままに略奪に加わり、おんなを犯し、殺し、食べたということは誰にも言えません。家族や友人、知人の中にあって、自分だけが罪を背負っているという思いがつきまといます。
 あなたが戦から戻った日に、あなたを抱きしめてくれた姉の暖かさに感じた、逃げ出したいような思いが、ずっとつきまとっています

 あなたは、壁に向かって泣いています。悔恨の源をたぐり、畏れの源を見つめ、恥辱の咎めを受けています

てくてく
 あなたは真夜中に目覚め、一人、暗闇で震えています。
 歯の根が合わぬほど、震えています。
 おんなの真赤な唇が見えます。
 血なまぐさい吐息とともにおんなの口が囁きます。
 犯したおんなです。
 斬り刻んだおんなです。
 食べたおんなです。

てくてく

 小さな村の小さな反乱を鎮圧するだけの戦でした。
 相手は、飢饉に耐えかねて辺境の城市を襲った農民です。敵は兵士でもなく、城内の金品や食料を荒らしたまでで、どうしようもなく占拠し続けているだけです。
 あなたは、亡父の友人に頼み、負けのない戦を物見遊山に同行します。籠城は戦にもならずに開門し、あっさりと陥落します。
 あなたが、想像していた戦場を見ることができずに残念に思っているところに、強力にして残酷な外敵が侵攻してきました。
 たちまち、城市が包囲され、酸鼻を極めた籠城戦となり、ついには、門を破られ、潰走することとなります。
 亡父の友人の計らいで、潰走する際に、あなたには護衛の兵士がつけられ、その助けを得て、あなたは何とか命をつなぎます。
 兵士達は、道々で食料を調達するために略奪を繰り返します。あなたはそれを咎めることもできず、加担していきます。物見遊山で戦に参加したあなたを憎んでいる兵士達に、事あるごとに殴打されるような扱いを受け、屈服させられます。籠城戦の最中、城中の人肉食や人質への凌辱、捕虜への残虐行為を非難したあなたが、生き残るために残虐非道の行いを受け入れ、自ら行うようになります。
 通りがかりの馬車に歓喜の声をあげて兵士達が襲い掛かったのを見て、あなたは、何か食べられるとしか思いません。
 商家の馬車です。護衛もいたのでしょうが、すぐに争う怒声はやみ、おんなの悲鳴と男たちの笑い声が聞こえはじめます。あなたは、積み荷からこぼれた豆に這い寄り、地面に散らばった豆を拾い集めて口一杯に頬張りました。
 荷車のそばに転がる男の死体と並んで、あなたは、荷車の下に這いつくばったまま豆を咀嚼し、兵士達に嬲られるおんなを凝視しています。
 兵士達は積み荷の食料をその場で食べ、酒を飲み、大いに笑いながら、一人のおんなを嬲っています。
 あなたは、近づけば殴られるかもしれないので、荷車の下に隠れてそれを見ています。
 残虐でグロテスクな行いが来り返されていますが、強い刺激に、あなたは目を離すことができません。
 地面に這いつくばって凝視しているあなたに気付いた兵士が、あなたを呼び寄せ、あなたに凌辱を命じます。
 あなたの中には、熱い欲望が蠢いています。
 あなたは、抵抗するふりをしていましたが、一回殴られれば、すぐに服従します。すでに屈服していることが都合よく、あなたの言い訳になりました。あなたは、しかたなくおんなを凌辱することにしました。
 兵士達に嘲けられながら、おんなを凌辱しようとした時、おんなが、血なまぐさい吐息とともに囁きます。

 いいのよ

 おんなの口元が笑っているように見えます。
 おんなが、あなたに同情してくれたたものとあなたは思います。おんなは、あなたに何か事情があると察してくれたのだろうと思います。そして、おんなは、あなたを赦したものと思います。あなたは安心して、おんなを犯します。
 あなたにとって初めてのおんなです。あなたは、鮮烈な快感に囚われ、我を忘れておんなを犯します。
 兵士達は、夢中になっておんなを犯したあなたに剣を渡し、おんなを殺すことを命じます。あなたは、出来ないという顔をして見せ、兵士に殴られてから、しかたないという事にして、しかたなくおんなを斬ります。

 しかたない
 しかたない

 しかたないと思いながらも、初めて人を殺すあなたは、躊躇います。また、躊躇って見せることがあなたへの言い訳として必要でした。躊躇いとともに振り下ろされた剣は力なく、致命の一撃とはなりません。おんなは容易に息絶えることができず、何度も何度も切られ、悲鳴を上げ、泣き、笑い始めました。身も世もなく泣きながら、ケタケタと笑うのです。あなたは、恐ろしくなり、周りを見回しますが、誰も代わってはくれません。あなたは、血塗れになりながら、おんなが息絶えるまで、おんなを切り刻み、叩き砕きます。、

 てくてく

 あなたは叫んでいます
 あなたは、あなたにつきまとう、穢れた過去を憎んでいます
 あなたは、あなたの中の暗闇を恐れています
 あなたは、あなたを取り消したいと思っています
 あなたは、あなたをほんとうのあなたではないと思っています

 てくてく

 あなたは、往来で悲鳴のような叫び声をあげています。
 あなたは、その時のことを思い出しています。
 後悔が胸を焼き、快楽に疼きを覚えていることを恐れ、あなたの罪と穢れをあなた自身が嫌悪し、憎み、恥じています。
 あのおんなを救うために戦い、死ぬべきであったと思っています。
 そんなことが、あなたに、できるはずもありません。

 あなたは、愚劣な下衆です。

 あなたは、早くに母を亡くし、姉を母親代わりに育ちました。
 年の離れた姉は、気丈な人で、たくましい母親役を務め、あなたと弟、妹達は、母として慕っていました。
 戦から戻って、物狂いに等しいありさまのあなたを暖かな母性で包み込んでくれたのが姉でした。不安に震えるあなたは、恥じらう事もなく姉に抱き付き、姉はそれを受け止めてくれました。大人の男と比べても大柄なあなたが姉にしがみつくさまは、いかにみじめで哀れなものだろうかということを、あなたは感じていましたが、やめることができず、姉に添い寝まで求めるようになります。
 あなたは、長兄を嫌っていました。長兄は、父親がなくなるとすぐに後を継ぎ、優秀な官吏として信望を集めています。実に優秀であり、実に冷酷な人です。侮蔑の言葉を吐くことはありませんでしたが、姉にしがみつくあなたに冷たい視線を送り、無言で立ち去ります。
 あなたは、兄を憎みます。
 
 てくてく 
 
 父の後妻である義母は、とても美しく愛らしい人です。
 姉よりも二つ上、母というには若過ぎ、あなたと弟妹たちは姉のように慕っていますが、母親代わりを務めている姉は、この義母を激しく嫌っています。
 父親が亡くなってからほどなく、義母が別宅に住むようになったのは、姉との関係が悪いためだろうとあなたは思っています。
 姉が嫌い、長兄が禁じるので、あなたと弟妹は別宅の義母を訪れることは有りませんでしたが、戦から戻ったあなたは、街中で義母と会い、誘われるままに義母の別宅を頻繁に訪れるようになります。
 あなたは、義母と話をしていると心安らかとなります。
 義母は、いつでもアナタを館に受け入れて、やさしく接してくれます。
 あなたが黙っていても、話好きの義母がずっと話し続け、自分の話を聞かせてくれます。
 あなたは、義母の声が好きです。聞いているだけで穏やかな心持になる声をずっと聞いていたいと思っています。
 義母は、遥か南方の町の生まれです。
 父親と出会った時には、王宮で舞ったこともある美しい舞姫でしたが、生家から売られ、売られて、ここにたどり着いたものでした。
 美しさと愛らしさにすがって命をつないできたことは、あなたにもわかっています。義母自身が、異国の町で父親に救われたのだと言っています。
 あなたは、その美しさや愛らしさとともに、義母の孤独の影にひかれています。
 戦から戻ったあなたは、戦に出る前のあなたとは別人です。
 あなたは、家族の中にあって家族でなく、友人たちの中にあって友人ではなく、ヒトの中にあってヒトではないものです。

 わたしね、人間になりたかったの

 売られてきた義母がそう言います。
 あなたは驚き、うなづきます。
 あなたもそう思います。
 そうしてあげたいと思います。
 互いに寄る辺なきものだと思っています。

 てくてく 

 あなたは、一人で泣いています
 あなたも、一人で泣いています
 あなたは、あなたの泣き声を聞いて
 あなたをかわいそうと思っています

 てくてく

 長居が過ぎて、夕暮れまで義母と二人、卓を挟んで話しているところに長兄が来ました。
 長兄の視線から怒りを感じ取ったあなたと義母は、凍り付きましたが、義母がすぐにとりなしにかかります。
 あなたは、長兄が怒る理由がなんとなくわかっていますが、そのことは考えないようにしています。長兄もそれに触れるわけにはいかず、言葉を発さずに怒りを露わにします。
 あなたは、立ち上がり、帰ります。また来てねという、義母の声に振り返ると、義母の背後から長兄が睨んでいます。
 あなたは義母の館には行けなくなりました。

 ほどなくして、あなたの一族は、地元を離れざるを得なくなりました。
 あなたを籠城戦に巻き込んだ侵攻軍は、すでに国中を蹂躙しています。あなたの地元も危険にさらされており、一族で土地を離れることにします。
 あなたと弟、妹は、姉に連れられて内陸の都市に住む叔父を頼って行くことになり、義母は長兄が義母の故郷に送り届けることになりました。
 義理の母への孝行ではないことをあなたと姉は理解しています。
 家族の最後の晩餐には義母も来ていました。長兄の仕事の関係者や家族の友人たちが集まり、にぎやかな宴会となっています。
 居場所のないあなたは部屋に引きこもっています。賑やかな宴席は、ますます、あなたの孤独を深めるのです。笑う人、歌う人、にぎやかな声があなたを退け、拒絶するような感覚を覚えるのです。
 宴席のにぎやかな声が遠くで聞こえる部屋で寝ていると、義母があなたの名を呼びます。戸を開け、戸口に立ち尽くすあなたの手を義母は胸元で握りしめます。  
 義母は、あなたのことを寂しい人だといい、あなたを抱きしめます。長身のあなたを子供のように小柄な義母が抱きしめます。

 わたしね、さみしいひと、すきなの

 あなたも、そう思います。
 義母が宴席に戻った後、あなたは、さみしくて泣きました。
 別れの日、長兄とともに小舟に乗り、船縁で一生懸命に小さな手を振る義母の姿は少女の様でした。

 てくてく 

 あなたは、歩いていきます
 あなたは、目を閉じています
 あなたは、耳をふさいでいます
 あなたは、口を閉じています
 あなたは、じっと、うずくまっています
 あなたは、世界の何もかもが行き過ぎることを望んでいます
 しかし、どんなに、小さくうずくまっても、世界から逃れることはできません
 あなたが世界なのです
 世界があなたを踏みにじります
 あなたがあなたを踏みにじります

 てくてく

 あなたは、叔父の計らいで、姉たちとともに内陸の都市に移動することになりました。
 叔父の寄越した護衛は、あなたたちを迎えに町まで来ることなく、妙に早口でせわしなく、気配りの細やかな小男を使いとして寄越しました。その小男をあなたは侮っていました。特に、弟や妹よりも、あなたの身の回りを案じ、細かに世話を焼こうとすることがとても煩わしく感じていました。
 小男は、あなたたちを乗せた馬車を連れて出発した翌日、小さな部隊に合流しました。部隊長は粗暴な酔っ払いでした。粗暴さが尋常でないことは一目で分かります。傷だらけの容貌の凶悪さ、長身というわけではありませんが、一目で常人ではないと分かる肉塊のような体躯、傍らに置いた蛇矛の尋常ならざる巨大さ、小男をはじめとする部下への粗暴な態度、そして、濁った酔眼の奥に残虐さが見て取れます。あなたは、内心では非常に怯えながら、不遜な無関心を装いました。
 部隊に合流すると、護衛付きの天蓋のある馬車に移り、小男が不自由のないように計らってくれます。
 天蓋の中には、あなた達の他に、老人と少女がいました。旅の途中で馬に死なれて、途方に暮れいていたところを部隊長が拾ってくれたといいます。
 老人は幾つになるかもわからず、ゆったりと理解できない言葉でしゃべります。言葉は通じるようですが、歯が抜け、舌も回らず、なまりのある発音を誰も聞き取ることができませんでした。老人の連れた少女が隣で通訳してくれます。老人の口調をまね、老人の様な喋り方をする少女は、大変利発で愛らしく、姉に愛され、弟と妹とは、すぐに仲良くなりました。少女のお蔭で、馬車の中では楽しい話がはずみ、笑いが絶えませんでした。
 あなたも、少女の事を愛らしいと思っていましたが、無関心を装い、全く話をしませんでした。年端もいかぬ子供ですが、あなたに優る人格を少女に感じ取っていました。


あなたは、あなたに斬り殺されたおんなの夢を見ています。

てくてく

 あなたは、商家の娘に生まれ、商家の男に嫁ぎました
 男は優柔不断で商才はいまひとつですが、優しい夫でした。
 商いは手堅く、落ち着いた暮らしに、あなたは満足していました。
 働く夫の背中を見ながら、こんな日が続くものだと思っていました。
 まさか、自分が、嬲り殺しされるとは思いませんでした。
戦乱を逃れる途中で野党に襲われました。
 命乞いする間もなく夫も従者も殺されます。
 あなたも激しく殴打され、何度か意識を失いました。
 何をされているのかわかりません。
 こわいことや悲しいことや痛いことや苦しいことがいっぱいに満ちています。
  泣きわめく声が聞こえます。あなたの慟哭です。
 許しを乞えば、笑われ、怒りを表せば踏みにじられ、悲しめば喜びます
 いつの間にやら、ケタケタと笑っています
 あなたは、ケタケタと笑っています
 汚らわしい男たちがあなたを蹂躙し続けています
 何度も気を失い、目覚める度に悪夢は続いています
 意識を失う瞬間に、懐かしい風景や優しかった夫の声や姿を思い出しています
 意識が戻ると、あなたを犯していた男が、剣を振り上げています
 あなたは、笑っています。帰りたい、帰りたいと笑っています
 何もかも、何もかも、全部、夢に違いありません
 あなたは、あなたのお父さんに抱っこされています
 あなたは、あなたの夫の胸で、眠りにおちようとしています
 とても暖かで、とても、安らかです
 子供は、剣を振り下ろしました
 ギャア、遠くであなたが叫んでいます
 ギャア、鉄の匂いがします
 ギャア、ギャア、ギャア、あなたは、帰りたい、帰りたいと泣いています
てくてく

 あなたは、悲鳴を上げて目覚めます。
あなたはあなたが殺したおんなの夢をみました。
あなたがあなたを嬲り殺しにする夢です。
 体の震えが止まりません。姉が抱きしめてくれます。姉にしがみつき、あなたは泣いています。苦しい、どうにも苦しいのですが、あなたは、あなたの秘密を誰にも言うことが出来ません。
 真赤な唇が見えます。唇の奥で赤い舌がぬらぬらと蠢いています。
 あなたは、蠢く舌に魅入られながら、その唇に怯えています。唇は血塗られています。あなたは、その血の味を知っています。唇が何かを呟いています。言葉はよく聞き取れませんが、あなたには呪詛のように聞こえています。当然です、あなたの殺したおんなの唇です。
 姉があなたを抱きしめ、励ましてくれています。姉には、あなたの中で何が起こっているか分かっていません。いくら涙ぐみながら、あなたを抱きしめ、大丈夫と言葉をかけられても、あなたにとっては無意味なものと思っています。
 あなたは、自分の中で生み出される恐怖に囚われ、ただ、喚き続けます。
 悪夢と現実の境目がなくなり、現実に悪夢がこぼれ出すかのように、幻覚や幻聴が聞こえます。
 見えぬものが見え、聞こえぬ悲鳴と呪詛の言葉とともに、あの時の快楽、あの時の匂い、あの時の感触、あの時の味が蘇ります。あなたは、ただただ恐ろしく、悲鳴を上げ、泣き、わめき、逃げ惑います。
夢と現実の境目が溶けてしまい、目覚めていたはずが、いつの間にか夢を見ています。

 あなたの罪にふさわしい罰の夢です。

てくてく 

 あなたは、兵士達に囲まれ、延々と殴られ続けています。 
 骨が折れ、歯が折れ、肉がへしゃげ、指を折られ、耳をちぎられ、目をえぐられ、散々にいたぶりつくされます。
 あなたは、荷車に括られ、兵士達に凌辱されます。残酷に、グロテスクに、怖気の走る行為を延々と繰り返され、穢れに塗れ、辱められています。
 あなたは、あなたが思いつく限りの残虐を夢見ています。

てくてく

 不安は日々昂じていき、あなたは、夜毎に狂乱するようになり、昼間も心休まらずに狂気を深めていきます。
 誰もが、このまま物狂いとなってしまうと思い始めた頃、馬車に同乗していた老人が、路傍の草と老人が持っていた黒い粘液を混ぜて、丸薬を作りました。
 老人の傍らに座った少女が、この丸薬を飲めとあなたに勧めます。少女によれば、老人は大陸奥地の道士であり、魂を安らげる薬だと言います。
 真偽は定かならず、毒ではないかとさえあなたは疑っていましたが、苦しみに耐えかねたあなたは、毒薬でも構わぬと、少女の小さな手の平に乗った丸薬を飲みました。
 果たして、その丸薬は強烈な効き目がありました。薄暗い馬車の隅にうずくまっていたあなたの上に、天上の輝きが差したかのような思いでした。それまで、高熱に浮かされたように現実感がぼやけていたものが、暗闇に太陽の光が差し込んだように明瞭となり、あなたの中で渦巻いていた不安と恐怖が消え、体中の力が抜けたような安心に包まれました。
 その日から、毎日一粒の丸薬の力で、あなたはたちまち元気を取り戻しました。魔物が落ちたかのような変わりように、姉や弟、妹は喜び、道士の力に驚嘆しました。
 丸薬の力で自分を取り戻したあなたにとっては、道中が楽しいものとなりました。老人と少女に、あなたは強く依存し、少女に文字を教えたりしながら、親しく話す事が出来るようになりました。
 ある日、少女が馬を借りて遠乗りに行くと言い出し、あなたに同行を求めました。
 鐙に足が届かない少女は、裸馬を達者に操りました。それを見て、部隊長が手を叩いて喜んでいます。少女は、あの悪鬼のような部隊長にも愛されていました。あなたは、疾駆する少女の後をやっとの思いで追います。あなたは、少女に並走することもかないません。少女の方が体が小さく軽く、そして、達者でした。小さな丘を越えたところで、少女の馬が止まりました。丘の上から、小さな集落が見えます。少女は、じっと目を凝らしています。
 追いついたあなたにも、少女が何を見ているのかわかりました。
集落の外に、人が倒れ、集落を囲む田畑が荒れています。
 集落が略奪されたことは遠目にも明白でした。
 あなたは、少女に引き返そうと言いました。盗賊の類か、国中を蹂躙している敵兵の一部かも知れません。あなたは、恐ろしくなっていました。
 しかし、少女は、集落に向かって走り出しました。あなたは懸命に呼び止めますが少女は止まりません。
 大小の家や小屋が密集した集落の入口まで来て止まった少女の傍らに、あなたは並びました。
 集落を襲った略奪の惨状が時を止めたようです。
 あなたと兵士達が襲った村も、こんな有様でした。奪い尽くし、戦う力のないものを弄ぶように虐殺するのです。
あなたは、殺されるものの夢を見ます。

 てくてく

 夕餉を囲み、静かに夜を迎える頃
 妻は凌辱の限りを尽くされています
 子供は串刺しです
 誰の悲鳴か分かりませんが、悲痛な絶叫が続いています
 あなたは、突き刺されて動けません
 ただ、死の訪れを待っているあなたを
 見下ろしているものがいます
 あなたの死を待っているようです
 あなたの死をみおろすものが呟きます
 赦してください
 あなたは、怒りを思い出します

てくてく

 これが、人間の仕業か
 
  声が聞こえました。
 あなたは驚き、慄き、声のした方を見ました。
 少女が微かに震えながら、じっと、村の入り口から村の中を睨んでいます。
 あなたは、その言葉を吐いたのが少女だったのか、あなたの中から聞こえた幻聴なのか判然としません。
 少女の目は、村の中の惨状を見据えています。
 あなたは、自分の内から溢れる不安に震え、少女は、怒りに震えているように見えました。
 少女が天に向かって叫びました。少女は、激しく泣いていました。物狂いのように激しい慟哭に身をよじり、何かを叫んでいました。
 あなたは、少女が燃え盛るような怒りに包まれていることを感じていました。あまりに激しい慟哭があなたの罪を責めているようで、あなたは震え、恐ろしく、少女に近づくことができません。
 少女の中に何があるのか、あなたにはわかりませんが、少女は怒り狂い呪っていました。

あんなたは、呪うものの夢を見ます。

てくてく

 殺してやるよ
 あなたは願っています
 八つ裂きにしてあげる
 あなたは想っています
 燃やしてやろう
 あなたは微笑みます
 少しずつ少しずつ削ってやろう
 じっくりじっくり煮殺してやろう
 つらいこと、こわいこと、かなしいこと
 全部を詰め込んで
 苦しいこと、辛いこと、痛いことを
 全部、味あわせて
 殺してやろう

てくてく

 部隊長が泣きじゃくる少女を心配してオロオロする姿を見ながら、あなたは震えが止まらず、姉に支えられて馬車に戻りました。
 部隊長に尋ねられて、老人が筆談で伝えた話を、あなたは姉から聞きました。
 少女の村が侵攻してきた敵兵たちの略奪で滅ぼされ、少女一人が生き残ったとのことでした。老人は、旅の途中で通りかかり、少女を拾ったのです。
 村は残酷の限りを尽くされ、奪いつくされました。少女は、父親に隠してもらった所を動かずに耐え続けて生き残ったのでした。
 利発で明るい少女の中には、真黒な憎悪と怒りが渦巻いていました。
 あなたは、心臓を押し潰されるような不安と恐怖を感じています。少女の村がどこにあったのか分かりませんが、あなたが略奪を行っていた時期と重なっています。敵国の侵攻の為、国中で略奪が起こっていた時期でもあり、誰の仕業か明らかにすることは出来ません。あなたは、そのことを考えないようにしようと思いながら、そう思わずにはいられませんでした。少女の慟哭があなたの罪を咎めているように思われ、震えが止まりません。
 
てくてく

 殺してやるよ
 殺されますよ

てくてく

 暫くは穏やかな旅が続きましたが、ついに、襲撃を受けることとなりました。
 侵攻軍の斥候に見つかり。倍する敵の襲撃を受けることになりました。
 小男と十人ほどの兵が馬車を守り、馬車の中には腕の立つ護衛が置かれました。あなたにも剣を渡され、老人、おんな、子供を守るのはあなただと小男に言われました。
 交戦すると、部隊長とその腹心たちの十数人の強さが頭抜けていることが見て取れました。部隊長と十数人に次々と討たれて敵は総崩れになりましたが、数に勝る敵は怯むことなく馬車めがけて襲い掛かってきます。
 小男は馬車を護衛し、不器用ながらも奮闘しています。
 馬車の中は薄暗く、姉は震える妹と弟を抱きかかえています。
 あなたは剣を握っていますが、怒声が近づくにつれて恐ろしくなり、姉に身を寄せています。
 怒声が間近に聞こえ始め、ついに、敵が馬車の中に飛び込みました。たちまち、馬車の中に控えていた護衛が切りかかり、外に蹴りだします。あなたの中に恐怖がこみ上げ、悲鳴をあげます。
 再び敵が飛び込んできて、馬車の中であなたたちを守っていた護衛が斬られました。
 護衛の他に剣を持っているのはあなただけです。
 敵は、斬った護衛が邪魔になり、狭い馬車の中で思うように動けません。
 今だと思いました。しかし、あなたは、竦んで動けません。誰かに守ってもらおうと左右を見ます。姉が飛び出すのではないかと思います。敵が、斬り伏せた護衛を押しのけて血眼であなたに切りかかろうとしたところに、少女が体当たりしました。
 少女の手には短剣が握られていました。少女の短剣は敵の胸を深く貫き、敵は、少女に押し倒されました。少女は、冷静に短剣を引き抜き、もう一度、敵に突き立てました。敵兵から声が漏れ、少女を掴もうとします。
少女は、冷静に短剣を引き抜き、もう一度、敵に突き立てました。
敵は動かなくなりました。
 少女は、冷静に短剣を引き抜き、もう一度、敵に突き立てました。
 少女は、冷静に短剣を引き抜き、もう一度、敵に突き立てました。
 少女は、冷静に短剣を引き抜き、もう一度、敵に突き立てました。
 少女は、冷静に短剣を引き抜き、もう一度、敵に突き立てました。
 少女は、冷静に短剣を引き抜き、もう一度、敵に突き立てました。
 少女は、冷静に短剣を引き抜き、もう一度、敵に突き立てました。

 姉が乗り出し、少女を抱きかかえました。姉に抱きしめられたまま、血濡れた短剣を握る少女は静かに敵を見下ろしています。冷静に、死を観察しています。

てくてく

 死んだね
 殺したね
 もう、いいね
 もう、戻れないね

てくてく

 憑物が落ちたかのように、少女は泣きました。子供の泣き声でした。姉に抱きしめられながら、わんわん泣きました。

てくてく

 もう、戻れないね

 敵を退けた部隊長はほとんど無傷で戻り、馬車の中をのぞき、全員の無事を確認して満面の笑みを浮かべました。足元に転がっている小男の死体には一顧だにせず、馬車の中に倒れている死体を外に放り出し、泣いている少女を抱え上げ、もう大丈夫と慰めました。
 あなたは馬車を下り、小男の死体を眺めました。この人は、どうして兵士になったのだろうと思いました。少しも強そうではありません。暴力的なところなど微塵もなく、周りに気を使い、こまごまと世話をやく、気遣いのひとでした。
 あなたは、この人に感謝すべきと思いながら、血まみれになり眼を見開いた遺体に触れて埋葬しようという気にはなりません。
 兵士は、いずれ、こんな最期を遂げるのが仕事なのだと思っています。
 あなたは、死者の夢を見ています。

てくてく

 あなたは空を見上げています
 突き抜けるように青い空です
 蒼天に遠く、鳥が飛んでいます
 もう死んだのだろうかと思っています
 体は動きません。体はなくなったようです
 何度も突き刺され、衝撃的な痛みと恐怖の塊が頭を突き上げるような思いをしました
 ずいぶんと苦しかったのですが、よく分からなくなっています
 助けてほしくて、泣き叫びたいような気持でしたが、今は、穏やかな心持です
 いつかは、こんな死に方をするのだろうと思っていました
 結局、こうなるために生きていたような気がしています
 誰かが、あなたを見下ろしています
 あなたは、誰かの暖かな手に触れてほしいと思っています
 もう一度、人の手の暖かさを感じてみたいと思っています
 胸の中から温まるような、心の温まるような、暖かな手に触れてほしいと思います
 でも、冷たい視線が、あなたの瞳をのぞき込んでいるだけです
 あなたは、ただ、さみしいと、思っています

てくてく

 夕暮れを迎え、死体のころがる戦場で、そのまま野営をはじめました。大きな火を焚き、戦勝の祝いと酒を飲み始めます。
 あなたは、少女が部隊長の膝に抱かれて笑い、気の強い姉が、部隊長の脇に座って酌をしている姿に、妬きつくような思いにかられています。
 酔った部隊長は、炎に照らされた赤鬼のように見えます。あのような、粗野と暴虐の人のそばに、なぜ、笑顔の少女や姉がいるのか、あなたにはわからず、不満でした。
 あなたは、一人、馬車に戻りました。
 宴の声を背中で聞きながら、馬車に戻ると、義母と別れた夜を思い出しました。
 
 てくてく

 わたしね、さみしいひと、すきなの

 てくてく

 死体の頃がる荒野で、焚火を囲んで、部隊長が笑い、少女が笑い、姉が笑っています。弟、妹も、兵士達も笑っています。

 てくてく

 月は細い細い三日月。
 あなたには、なんの関係もありません。

 お前なんかいらない

 あなたは、あなたに言いました

 てくてく

あなたは荒野をさまようひとりの夢を見ています。

 てくてく

 静かな夜です あなたは荒野に立っています
 寒い夜です
 足元から冷気が這い登り、冷たい風が体の熱を奪っていきます
 あなたは、暖かなものを求めています
 あなたは、暖かなものがどこにあるのかわかりません
 あなたは、暗い夜に、冷たい月光を浴びながら
 どこにも行けずに立ち尽くしています
 どこにも行けず
 どこにもいない、あなたです

 てくてく

 あなたたちは、叔父のもとに辿り着きました。叔父は、城市の太守です。あなたと兄弟達は不自由のない暮らしを与えられました。
 しかし、あなたは怯えて暮らす毎日となってしまいます。
 老人と少女は、部隊長とともに老人の地元に向けて旅立ち、あなたは、丸薬を手に入れる方法がなくなりました。
 老人は、持ち合わせの材料で丸薬を作れるだけ作り、作り方も書いて残してくれたのですが、それを作れる薬師がいません。
 丸薬が尽きると、あなたは、以前よりも悪い状況に陥りました。不安や恐怖に耐え切れず、泣きわめき、怒り狂い、走り出し、暴れました。何をしても埋め合わせのつかない悪いものが溢れてきました。

 てくてく

 ここはどこでしょうか
 あななたは、あなたに問いかけています
 あなたの目には道行く人が見えています
 往来の真ん中に立ち、たくさんの人が行きかっています
 話し声、笑う声、大声、雑踏の物音が聞こえています
 あなたには、夢の中で聞いた音のように聞こえます
 あなたは、自分が人々とは別の世界にいることに気付きました
 あなたは胸が灼けつくような不安にとらわれます
 あなたは、何かに触れ、何かにすがろうとします
 道行く人はあなたを避け、あなたは道に転がります
 あなたは、みんなが笑っていると思い、憤慨します
 あなたは、不安と怒りに喚きます
 自分の喚き声すら現実感がなく、魂が剥げ落ちたように感じています
 あなたは、納得しました
 あなたは、理解しました
 あなたは、あなたがこの世界とは無関係なのだと気づきました
 あなたは、寂しくて、悲しくて、泣きました
 あなたは、この世界とは無関係なのだと、気づいてしまいました

てくてく

 誰かがあなたに触れていました。
 とても柔らかで、あたたかな手でした。
 母の手かと思いました。
 姉の手かと思いました。
 義母の手かと思いました。
 とても暖かで、優しい手です。
 あなたのこころはとても安らいでいます。
 誰かがあなたを呼んでいます。
 とても、優しい声です。
 胸にしみ込み、温もりの広がるような声です。
 優しい母の眼差しが見えました。
 微笑む姉の姿が見えました。
 楽しそうに笑う義母が見えました。
 あなたは、呼ばれて目覚めました。
 とても穏やかな心持です。
 おんながあなたを見下ろしてます。
 あなたはおんなの膝に頭を預けて寝ています。
 とても安らかで、心地よく、もう一度まどろみに落ちていきそうでした。
 おんながあなたを呼びます。おんなに呼ばれ、あたなたは微かな意識をつなぎます。
 あなたには、夢かうつつか判然としません。
 薄暗い部屋の中にいるようです。
 おんなの顔は判然としません。
 体はけだるく、動きたくありませんが、とても心地よいと思っています。
 意識はとろけるように、途切れたり戻ったりしています。
 あたなは、おんなに、誰かと問いかけました。声を出したのか、思っただけなのか、判然としません。
 
 わたしには、名前がありません

 おんなが答えました。
 あなたは、あなたの目が開いているのか、耳が聞こえているのかも分かりません。
 ただ、おんなが答えたことはわかりました。

 わたしは、目が見えず、耳が聞こえず、話すことができません
 わたしは、どこで生まれ、どこにいるのかもわかりません
 わたしは、だれでもなく、なにもなく、どこにもいないものです
 わたしは、ないものです

 話せないはずのおんなの言葉をあなたは聞いていました。

わたしは、ないものです。そう言われて、あなたは自傷癖のあるおんなの夢を見ました。

てくてく

 わたしにはなにもない
 そう思うと涙が出た
 こんな、痛くもかゆくもないことが、こんなにつらい
 見えないつらさを見るために
 体を切り刻んでみても
 結局、私には何もない

てくてく

 私には何もない。

 そういわれて、あなたの胸に、疼きのような憐憫の情が湧きました。
 あなたは、おんなをなぐさめる言葉を探しますが、意識は拡散し、言葉がみつかりません。
 あなたの目じりから、涙がこぼれていました。
 あなたは、憐れみに泣いています。
 おんなは、あなたの目じりを指先でなで、涙にふれました。
 おんなの言葉があなたの中に伝わります。
 わたしには、ほんとうに、なにもありません。
 わたしは光も音も知りません。文字も言葉も知りません。
 何もない私は、あなたのこころを写し、言葉を借りて話しているのです。
 わたしは、ただのうつわなのです。
 空っぽのわたしに、あなたのこころを注いでください。
 哀しみや憎しみ、恨み、苦しみ、恐れ、恥辱、何もかも、注いでください。
 わたしの中に、あなたを満たしてください。
 あなたは泣いています。涙があふれ、嗚咽が漏れます。
 あなたのこころが、こぼれるように、あなたは泣いています。

てくてく

 アナポコ
 ただの穴
 暗い穴よ
 底なんかないわ
 何もでてこない
 ただ落ちて行くだけの穴
 埋め合わす事は出来ないけれど、なんでも捨ててしまう事のできる穴
 アナポコ

てくてく

 あなたは、目覚めました。
 体中に満たされていた重い澱が抜け落ちたような爽快な目覚めでした。呪いが解けたような心持です。寝所を出ると庭先に姉がいました。あなたが朝の挨拶をすると、姉は、じっとあなたの目をのぞき込んで、大いに喜びました。姉と言葉を交わしたのはずいぶんと久しぶりでした。あなたは、あなたの事を思い出しました。姉が、眠る前にくれた薬が効いたのです。老人の丸薬を飲んだ時のように、あなたの魂が、この世に戻ってきたような感覚でした。
 あなたは姉に連れられ、叔父に会いに行きました。
 叔父の顔は覚えています。叔父の目を、あなたは覚えています。
 物狂いのようになってしまったあなたを、城市の外に幽閉しようとしていたことをあなたは覚えています。
 叔父は、養子に迎えるつもりだったあなたが、あなたである事をとても残念に思い、悔しく思い、悲しく思い、大いに怒っていました。

てくてく

 お前なんかいらない

てくてく

 姉は、叔父に向かって、あなたはすっかり回復したと言っています。
 あなたは不安に駆られています。あなたが何も変わっていないことをあなたは知っています。あなたは、あなたのままです。
 あなたは、叔父の目を見ると体が震え始めました。歯の根が合わぬほど激しく震え始めました。
 叔父の目には落胆があります。叔父の視線が何を意味するものかをあなたにはわかっています。
 あなたは、叔父の前から逃げ出しました。

 てくてく

  お前なんかいらない
 
  あなたは、あなたに言いました
  あなたは、あなたが欲しくない
  あなたは、あなたにいて欲しくない
  とにかく、いなくなってくれと
  あなたは、あなたに言いました

てくてく

 あなたは、おんなの膝の上で、泣いています。
 おんなは、あなたの頬に優しく触れています。
 おんなの手は、とても暖かく、柔らかく、心にしみ込むようでした。
 おんなは、あなたの怒りを知っています。
 おんなは、あなたの悲しみを知っています。
 おんなは、あなたの絶望を知っています。
 全部、知っています。
 あなたの罪と穢れ、傲慢、恥辱、全部知っています。

 あなたは、おんなを犯し、殺し、食べました。

 姉や妹や弟と一緒にいることは許されないのです。
 あなたは、まっすぐに生きている人たちの前に立つことができないのです。
 あなたは、人ではありません。
 人の世に、あなたの居場所はありません。
 どこに居ても、そこは違うのです。
 誰といても、あなたは違うのです。
 誰もが、あなたとは違うと言っています。
 誰もが、あなたは違うと言っています。
 蔑んだ眼が、あなたを見ろしています。
 あなたが、あなたは違うと言っています。
 あなたは、叫んでいます。
 怒りです。哀しみです。あふれ、あふれ、あふれ、留めようもありません。

てくてく

 嫌いなもの 

 人間

 いつも、破滅の予感がしている
 いつも、それを願っている

てくてく

 あなたは、まどろんでいます。
 いつからそうしていたのか、よくわかりません。
 おんなの柔らかな手があなたの目の上に置かれました。
 おんながあなたの名前を尋ねました。
 あなたは、あなたの名前をあなたの中に探しました。
 あなたは、あなたがわからなくなりました。
 おんなが、いいました。
 あなたに、名前はないのです。
 あなたは、あなたなのです。
 あなたは、あなたの世界で唯一のあなたなのです。
 唯一のあなたに、名前はないのです。
 あなたは、あなたの世界のすべてなのです。
 あなたは、他の誰でもなく、あなたです。
 この世界には、ほかの誰もいないのです。
 あなたは、あなたです。
 その世界が、どのような世界でも、それは、あなたの世界なのです。
 あなたがあなたに与えた運命をあなたが生きているのです。
 あなたは、わたしです。
 わたしは、あなたなのです。
 あなたは、もう、意識が保てず、まどろみに沈んでしまいそうです。
 おんなが、あなたの耳元で囁きました。
 おやすみなさい

てくてく

 おやすみなさい
 誰かにそう言って貰った事がなかった
 おやすみなさい
 誰かにそう言った事がなかった
 ほんの一言
 夜
 布団の中で
 誰かに囁き
 誰かが囁く
 とても暖かい

 おやすみなさい

 おんなの声が、あなたの中に残っています。
 声や顔かたちは曖昧ですが、あなたに触れた手の柔らかさや暖かさを覚えています。
 あなたは、夢の中のおんなが存在しているような気がしています。
 心が落ち着き、ものを考えられるようになってきたあなたは、おんなのことを思い出そうとしています。
 逢瀬を重ねるように、同じおんなが夢に現れ、あなたに触れていることが納得できないようになっていました。
あなたは、ため息をつき、笑いました。いつの頃からか、ずいぶんと笑っていなかった事を思い出しました。
 まるで、想い人のようだと思うと、少し可笑しくなり、おんなが存在することを確信しました。
 頭がはっきりすると、何もかもすぐにわかってきました。
 その夜、あなたは、夜毎、姉から渡される薬を飲まず、寝たふりをしていました。
 果たして、寝所の外で物音がし、姉が囁くように話している声が聞こえ、何者かが入って来ました。複数の人間の足音と気配がします。あなたは、事の成り行きを見極め様と寝たふりを続けます。
 二人の男の足音が部屋の中をうろつき、何かの準備をしています。
 奇妙な香りのする香が焚かれ、煙が充満してきました。あなたは、おんなが現れるのを待っていましたが、煙を吸ううちに意識が曖昧になって来たのを感じ取り、体を起こしました。
 目の前に、真っ黒な大男と真っ白な大男がいました。
 意識が曖昧になりはじめたあなたには、夢かとも思える、奇妙な男たちでした。
 あなたは、煙の充満した寝所の外に出ようと這いますが、白い男があなたの体を抑え、黒い男が寝所の外に出ていきました。寝所の扉の向こうに、白い着物を着たおんなの姿がありましたが、黒い男の体に隠され、姿をよく見ることのできぬままに出て行ってしまいました。
 白い男は、あなたの耳元で、落ち着くように言いました。あなたは、何かが言いたいのですが、朦朧としてきました。
 白い男は、あなたを寝所の外に担ぎ出しました。朦朧としたあなたに、寝所から持ち出した布団をかけ、おやすみなさいと言って、白い男が立ち去ろうとします。あなたが白い男の着物をつかむと、白い男は、その手をそっと解きました。白い男が何かを言っていましたが、意識が途切れてしまいした。
 翌日、あなたは、姉に連れられて、城市の外に出ました。城市のそばに、奇術や曲芸を見せる一団が来ていることは、あなたも聞き知っていました。そこに行くと、見たこともない異形の人と動物が、様々な技を見せていると聞いていました。
 空は鉛色の厚い雲が覆いかぶさり、いくつかのテントで囲まれた中庭のような場所で、畏れを感じざるを得ない異形の人とけだものに囲まれると、あなたは、現実感が剥離していくような感覚に襲われました。
 姉とともに、導かれるままに入ったテントの中は、甘く生臭い、獣脂のような匂いが充満していました。テントの中は暗く、目が慣れるまでは真っ暗でした。
 姉は、あなたに平伏するように言い、言われるままに、あなたは姉とともに何かわからぬものに平伏しました。
 聞いたことのない声明が聞こえ始め、あなたは、眩暈のような幻惑感を覚え、不安に駆られます。逃げ出したいような心持になったところで、小さな灯明がともされました。何者かが、姉とあなたに頭をあげるように言い、あなたは頭をあげました。
 小さなあかりの向こうに、背中がいびつに歪み、座ったまま溶けてしまったようにも見える小さな老婆が座っています。
 老婆の横に黒い人と白い人がいます。黒い人は、微かに輪郭が見えるだけです。
 白い人が、異形の人の集団について語り始めました。
 この異形の人々は、ほとんどは、色々なところで捨てられ、売られた人々であり、みずからを見世物として生き延びてきた人たちでした。旅を続け、異形の仲間があればそれを迎え、そして、異形の力を蓄えてきました。老婆は、その異形の者と異形の力を束ね、時に、怪異と恐れられる技を操るものであることが伝えられました。
 白い人は、この土地の言葉を流暢に話し、その話し方はテントの中の雰囲気とは真逆に、明るく好ましいものでした。
 あなたの薬を求めた姉は、幸いにもこの一団に出会い、あなたを託したのでした。彼らは期待に応え、薬と彼らの技術によって、あなたを取り戻したのだと、あなたは知りました。
 あなたは、おんなのことを尋ねました。
 そのおんなはいないと白い人が答えました。
 あなたには、黒い人が抱きかかえるようにして連れ去ったおんなの足元を覚えていると言いました。
 白い人は、少し言いよどんでいましたが、会わない方がいい、会わせない方がいいと応えました。
 あなたは、強く懇願しましたが、白い人はうなずきませんでした。白い人は、柔らかなものいいで、丁寧に、あなたのためであり、おんなのためでもあると言いました。
 そして、あなたのおんなは、あなたの中にしかおらず、あなただけのものであるといいいました。
 白い人は譲らず、あなたと姉は薬を持たされて、帰ることになりました。
 あなたは、どこにもいない誰でもないおんなは、囚われているのではないかと思っていました。あなたの中で、おんなの声が優しく響きます。

 おやすみなさい

 さみしいおんなです。優しく柔らかく暖かいおんなです。
 どこにもいないおんなは、あなたが忘れてしまえば、この世ならぬところに消えていくような気がしています。

てくてく

 むかし、すいたおんながいたよ
 やさしいひとだったよ
 あたたかいひとだった
 やわらかくて
 あまいかおりがしてたよ
 えがおをみているだけで、むねのなかがふわっとしたものでいっぱいになったよ
 えがおをおもいだすと
 いまでも、ふわっとしたものがみちてくるのに
 もう、かおもすがたもおもいだせない 
 えがおを見た時のふわっとしたものはおもいだせるのに、かおがおもいだせないんだよ

てくてく

 あなたは、徐々に、おんなの姿の記憶が薄れていくことに不安を覚え、何度も白い人のところに行き、懇願しました。
 白い人は、あなたを邪険にするようなことはなく、ただ、

 いないものはいないのです

 とだけ答えつづけます。

てくてく

 目をそむけていれば、ここは楽園

てくてく

 ほどなく、あなたと姉、弟、妹は、再び、逃亡することになりました。以前から、侵攻軍が迫っていることはわかっていました。
 侵攻軍は、すでに、侵略ではなく、新しい領主として振る舞っていました。大軍をゆっくりと進め、あなたの叔父に太守の座の禅譲を迫っていましたが、叔父の立場では、それを容認できず、勝ち目のない戦いを覚悟せざるを得ませんでした。それは、叔父の主への忠義であり、あなたたちの立場を守るためでもありました。
 叔父は、あなたたちをさらに内陸の州都に送る手はずを整えていました。叔父の主、州を預かるものに、あなた方のことを頼んでありました。
 あなたは、涙ながらに感謝の言葉を伝え、別れを告げる姉や弟、妹の姿を少し離れた所から眺めながら、少しも感情が動かない事に気づいていました。叔父に抱き付いて涙を流すほどの気持はどこにもなく、しかし、何もしなければ立場もなく、白々しい感謝の言葉を述べ、武運を祈るといったことを述べました。あなたは、あなたの言葉が空虚であることを感じており、あなたを見据える叔父の視線に耐えられませんでした。共に戦って欲しいとでも言われるのではないかと懸念していましたが、叔父は何も言いませんでした。叔父があなたには何の期待もしていないこともわかっていました。
 敵は強大であることをあなたは聞き知っていました。叔父は必ず殺される。そのことをあなたは理解していましたが、何も感じていないことは、どうしようもありませんでした。
 あなたは促されるままに馬車に乗り、道行に不安を覚えながら、姉のそばでうずくまりました。

てくてく

 寝てしまおう
 見えず聞こえす知らずに終わる

てくてく

 あなたがたが城市を離れる時、すでに敵は迫っていました。
 姉が異形の者たちのテントに挨拶に寄ろうと思い立ちましたが、遠目に焼き払われたテントを見て取って、すぐに逃げ出しました。
 その場を離れてしばらく行くと、異形の者が道端に這いつくばっていました。
 道端に座り込んだ小さな大人が寂しい目で馬車を見ています。助けを求めているのでしょうが、その言葉は理解できず、逃亡中のあなたたちには助ける余裕もありません。
 また、誰かが道端に伏せています。異形の者たちは、ちりじりに逃げ出したようです。
白い着物のおんなが道端に伏せています。その傍らを馬車が行き過ぎようとしたところで、あなたは馬車を飛び下りました。
 煙るような霧雨に濡れたおんなの背中を見下ろした時、それがあのおんなだということがあなたには分かりました。あなたは、おんなの前に座り、その肩にそっと触れました。おんなはゆっくりと顔を上げました。あなたが想い続けていたおんなの声を待っていました。夢の中であなたに語り掛けた声が蘇り、あなたの耳元で囁いたかのように思った瞬間、おんなは吠えました。おんなは獣のように吠えました。嗚咽のようにも聞こえ、咆吼のようにも聞えます。驚いたあなたは白目を剥いたおんなを突き飛ばしました。おんなは恐慌をきたしたのか、それとも、もとより物狂いなのか、目が見えず、耳が聞こえず、言葉の話せないおんなが、折れた足をひきづり、吠え、いざりながら逃げていきます。あなたは腰が抜けたようにその場に座り込みました。どこにもいない誰でもないおんなが、喚き声を残して煙るような霧雨の中に溶けていきます。
 あなたは、泣きました。おんなが生きていけるとは思いません。おんなを馬車に乗せようとも思いません。どこにもいないおんなは、どこかに消えて行くのです。あなたのすべてを受け入れたおんなをあなたは見捨てました。
 
てくてく

 いいのよ

 真赤な唇が見えます。
 赤い舌がぬらぬらと蠢いています。
 血に塗れた口があなたを嘲笑います。
 いいのよ
 いいのよ
 あなたは、いいのよ

てくてく

 あなたは、震え始めました。霧雨が体の中までしみこんできます。
 歯の根が合わぬほど激しく震え始め、胸がどよめき、嗚咽をあげて泣き始めました。
 さみしく、かなしく、恐ろしいものから、永遠に逃れられないような不安に、あなたは駆け出さずにはいられなくなりました。
 あなたは、叫びながら走り出しました。

 逃亡を始めてからほどなく、白い人が与えてくれた薬が切れると白昼夢を見る事が多くなりました。そして、夢と現実の境目が曖昧になっていることに、あなたは気づいていました。自分が狂気の虜になりそうな不安と狂気に陥ってしまった方が楽になるだろうと思う気持ち、楽になりたい気持ちと狂人となってしまう恐怖、矛盾する望み、絶望的な望みにとらわれています。
 白昼夢に夢の中のおんなが現れ、あなたはおんなの膝枕でまどろんでいます。いい夢です。
 おんなの頬に触れようとして手を伸ばすと、おんなは白目をむいて獣のように叫び、あなたにしがみつこうとします。あなたは逃げ出しますが、折れた足をひきずりながらいざり寄るおんなは、あなたに追いすがり、あなたの頭を抱え込み、かぶりつきます。怖い夢です。
 真赤な唇の奥で、ぬらぬらと舌が蠢いています。あなたの舌は快楽を求めて蠢き、鉄の味がする唾液を啜っています。疼きに耐えかねたあなたは、うめき声をあげて身をよじります。恥ずかしい夢です。
 真赤な唇が虚空に浮かび、呪いの言葉を吐いています。真赤な唇は、あなたを憎んでいます。あなたを嫌っています。あなたを蔑んでいます。みんなが、真赤な唇に罵られるあなたを見ています。血まみれで、下半身をむき出しにして、呆けているあなたを、みんなが嘲笑い、おんなの肉をむさぼり、血塗れた欲望を満たしたあなたを蔑んでいます。あなたは、消えてしまいたいと願っています。あなたは、みんなにあなたのことを忘れて欲しいと思っています。あなたは、あなたを忘れたいと思っています。
 差し替えのきかない自分の過去が、呪いとなってあなたにまとわりついています。
 あなたは、真赤な唇に飲み込まれ、真赤な舌になめとられ、ぬらぬらと嚥下され、真赤に溶けていきます。つらく悲しい夢です。
 義母が、ちいさな手を一生懸命振っています。あなたは、その手を取って走り出そうと思いますが、背後から兄が睨みつけています。あなたは叫びます。一歩も動けず、義母に歩み寄ることもできず、叫びます。兄に言いたいことは言葉にならず、あなたの中で膨れ上がり、真黒な殺意が暴風のごとく噴出し、声の限りの叫びとなります。さみしい笑顔に涙を浮かべ、義母は船出していきます。小さな手をずっと振っています。悔しい夢です。
 
てくてく

 殺して
 殺して
 殺して 殺して、
  わたしを殺して
   今すぐ殺して
    ここで殺して
     あなたが殺して
 あなたは、歌うように呟いています
 真昼
 柔らかく
 澄んだ呟き
        私を殺して
てくてく

 あなたは、あなたがおかしくなっていることに気づいていました。

 逃亡の旅は思いのほか穏やかに過ぎていきましたが、暫くして、叔父が殺されたことを知るところとなりました。あなたたちは追っ手を恐れて、叔父の一族であることは隠していましたが、噂話から叔父の最後を知りました。おじは、哀れにも味方に殺され、敵に首を差し出されてしまいました。
 姉たちは、声を殺して泣いています。あなたは、少しも悲しくありませんでした。あなたは、悲嘆にくれる姉や妹、弟の泣き声を聴きながら、しとしとと降り続ける雨を宿の窓辺で眺めています。
 その灰色の風景と重く湿った空気に浸りながら、叔父の無残な最後を想像しているうちに、なぜが、おかしくなってきました。何もかも、夢のように現実感がないのです。
 あなたは、あなたの中に、叔父に対する何の思いもないことに気付いています。声を殺して泣いている姉達を見て、あなたには、この人たちに対しても何もないのではないかと思いました。

てくてく

 わたしには、なにもない
 ないものは、ないのです

てくてく

 あなたは、一人、宿を出て、雨の中を歩いています。降り続く雨は、風景から色を失わせ、重苦しい空気が世界を満たしています。あなたは灰色の重たい世界に、笑わずにおられなくなりました。身をよじって、こみ上げる哄笑を押し殺しそうとしましたが、笑い声が漏れ出ました。
 あなたには分かっていました。きっと、そうなると思っていました。思った通りになってしまい、あなたは少しも悲しくないのです。あなたは無駄に小賢しく冷血です。
 あなたは、あなたを笑っています。
 あなたは、雨に濡れたまま街の大通りに立っています。
 大通りの真ん中で、身悶えして笑い狂うあなたを誰かに見られているような気がしています。
 いつしか、あなたの見ている宿場町は雨に溶けてしまいます。
 あなたには逃げ惑う叔父が見えます。
 ともに戦うはずだった兵士達に追われ、城の住民たちに追われています。
 城外は、おびただしい敵兵に囲まれていますが、何もせず、ただ、城門が開くことを待っています。
 叔父は自分の兵たちに押し包まれ、斬られてしまいます。
 よかった、一人しか死ななかった、一人殺しただけで、戦が終わった。
 よかった、よかった。
 あなたは、手を叩いて、喜んでいます。
 叔父さん一人で、よかった、よかった。
 忠義も尽くして、よかった、よかった。
 一族の面目立って、よかった、よかった。
 あなたは、ケラケラと笑っています。

てくてく

 戦は嫌だよ
 戦は嫌だ
 殺し、殺され、敵も味方もあるのものか
 戦は嫌だ、戦は嫌だ
 いじめるだろ、犯すだろ、殺すだろ、食べるだろ、みんな嫌だよ
 斬るだろ、突くだろ、削るだろ、焼くだろ、潰すだろ、落とすだろ
 泣くだろ、うめくだろ、血まみれで、蠢いて、助けて、赦してと言っても
 誰も助けてくれず、置き去りにされ、見殺しにされるだろ
 全部、仕方がない
 戦は嫌だよねえ
 戦はこわいよねえ
 こわいよねえ

てくてく

 あなたは、誰かに呼ばれたような気がして、振り返りました。
 母の声のような気がしました、姉の声のような気がしました、義母の声のような気がしました、夢の中のおんなの声のような気がしました。
 あなたは、あなたがずぶ濡れで街中に立っていることに気付き、夢かうつつか判じかねていました。
 振り返ると、少女が男たちに囲まれています。
 あなたは、夢と現の境目にあるような感覚のまま、畏れを感じることもなく、少女に近づいていきます。
 あなたは、男たちの間に割って入り、少女の前に立ちました。
 あなたは、肩を掴まれ、男たちの方を向かされます。男たちは何かを言っていますが、あなたには理解できません。
 男たちの一人が、剣を抜きました。
 あなたは、斬られるのかと思うと、なぜか笑い出しました。

 どうせいらない命 命なんていらない

あなたはケラケラ笑っています。

 この少女は、あなたが死んだら、泣いてくれるでしょうか。
 あなたは、笑いました。そんなはずはないと思うと、自分の命が滑稽です。
 あなたが笑うと男たちは怒り狂い、それもまた滑稽です。
 剣が振り下ろされそうになった時、剣を握った腕を誰かが掴み、片手で男を持ち上げてしまいました。
 あなたには、何が起こっているのかよく分かりません。
 あなたの知らない巨漢が、あなたと少女の前に立ちました。
 少女に絡んでいた男たちは、武具を携えた得体の知れない男たちに取り囲まれています。取り囲んでいる男たちは、少女の兄とその仲間でした。
 少女の兄は、よくしゃべる男です。
 あなたに茶を振る舞い、お礼を述べています。
 彼らは、貧しい人たちに医術と薬を施す事で知られる信仰集団でした。あなたたちと同じ土地を目指して旅をしています。 
 あなたは宿に戻ると、姉に少女の兄たちの事を告げました。
 あなた方には、追っ手のかかっている事を懸念しており、目立たぬ旅をする必要がありました。彼らの目的地は同じであり、信心深い彼らは安全な同行者でした。
 少女の兄は、あなたの姉の申し出を受けて、同行することを快く受け入れたばかりか、あなたのために薬を調合してくれました。少女は、あなたの世話係のように、かいがいしく面倒を見てくれます。
 徒歩の旅は厳しいものでしたが、あなたは、姉や弟、妹だけでなく、少女と兄の助けを受けて、思いの外、楽しく旅を続けることができました。
 一行は高い山を越え、その麓の村に逗留することになりました。
 その貧しい村で、病人を看てやり、薬を与えます。少女と兄たちの本来の目的です。
 姉や妹、弟は、何かしら手伝っています。
 あなたは、自分から手伝いを申し出てみようかと思いましたが、口にはできませんでした。
 居場所のないあなたは、その場を離れざるを得ず、それを疎外されたと感じ、不満となり、怒りとなり、不愉快さに耐えられなくなってきました。
 あなたは、自分の考えが歪んでいることを感じながら、それを認めることができず、疎外したわけですらない者たちに対する憎悪によって自分の不合理な感情に合理性を持たせようとしています。
 鬱屈した感情を抱えたまま、村はずれの川辺で小石を投げては波紋を眺めて過ごしていたあなたの背後に、人の気配がしました。
 振り返るとそこに、おんなが立っています。
 着物ともいえぬ、ぼろ布をまとったおんなが、ニヤニヤとあなたの方を見て笑い、近づいてきます。
 あなたは、気持ち悪いものを感じて逃げ出そうかと思いましたが、おんなは立ち止まって座り込み、ぼろ布を避けて、局部を露出して見せました。
 あなたは、おんなの局部を凝視しました。あなたは、逃げようと身をよじった姿のまま、固まったようにおんなの局部を見続けています。あなたの中に、大きな飢えがあることを体が思い出しました。
 醜く汚いおんなは、物狂いのようでした。ニタニタと笑っている物狂いのおんなは、あなたを誘惑しているようです。物狂いのおんなが、そうして生きていることをあなたは知っていました。
 あなたは、醜く汚いおんなの局部に吸い寄せられ、にじり寄りました。
 醜く汚いおんなは笑い、股を広げます。
 あなたは、あなたの中の疼きが昂ぶりに代わってきていることを感じています。

 いいのよ

 あなたの中で、おんなの声が聞こえました。
 おんなの甘い香り、真赤な唇の間で、ぬらぬらと濡れた舌が蠢いています。
 ぬるく柔らかい肉の感触が蘇ります。
 
 おんなは、ケタケタと笑い始めました。
 殴られ、ぶたれ、足蹴にされ、凌辱されつくしたおんなが、ケタケタと笑い、泣いていました。
 きれいなひとでした。血濡れた真赤な唇の奥で、なまめかしく蠢く舌が、あなたを受け入れました。
 おんなはケタケタと笑い、泣いています。あなたは、あなたの快楽だけを求め、おんなを蹂躙し続けました。おんなは呻き声をあげながら泣いています。おんなはケタケタと笑っています。
 醜く汚いおんなが、あなたを蹂躙しています。あなたは、醜く汚いおんなの誘いに抗えず、醜く汚いおんなの嘲笑を受けながら、醜く汚いおんなに飲み込まれています。
 醜く汚いおんなは、ケタケタとあなたを笑っています。醜く汚いおんなが、あなたを嘲笑っています。あなたは醜く汚いものに蔑まれながら、自分の快楽だけを求め、恥ずかしいことをしています。
 ギャア
 遠くで誰かの悲鳴が聞こえます。
 ギャア
 あなたの最初のおんなの声です。
 ギャア ギャア ギャア

 あなたは、醜く汚いおんなを殴っています。
 あなたは、あなたを嘲笑う醜く汚いおんなに怒っていました。
 醜く汚いおんなは、逃げ出しました。
 あなたは、醜く汚いおんなに逃げられました。
 
 いいのよ

 真赤な唇が見えます
 微笑んでいます
 憐れんでいます
 嘲笑っています

 おんなは、ケタケタと笑っています

 あなたは泣きました。
 何かが少し、まともなったような気になっていたのは思い違いでした。
 あなたはシトシトと泣きました。

てくてく

 トプン

 あなたは闇に沈みました
 上も下も
 あなたも世界も
 渾然一体となった闇です
 苦痛も恐怖も不安もありません
 よろこびもありません
 なにもない混沌にすべてがあります
 あなたは、あなたに呼ばれて、あなたになり
 あなたの世界に目覚めました

てくてく

 あなたは目覚めました。
 湿った乾草の上に寝ており、体がひどくかゆくなっています。
 全く見覚えのない小屋の中に、あなたは寝ています。
 山の麓の村を出て以来、薬の量が増え、記憶が曖昧です。
 小屋の中に男が入ってきました。
 体を起こしているあなたを一瞥しますが何も言いません。あなたは不安に駆られ、男に声をかけました。
 男は、あなたの胸元をつかみ上げ、顔を近づけ、ギョロ目で、じろじろとあなたの目の奥をのぞき込みます。ギョロ目の男は、正気かとあなたに尋ねました。
 そう言われて、あなたには答えが見つからず、言葉が出ませんでした。
 ギョロ目の男は、なにも答えないあなたの胸を軽く突き飛ばし、あなたを乾草の中に沈めます。
 ギョロ目の男が小屋の外に声をかけると少女が入ってきました。
 少女も硬い表情であなたの目をのぞき込んでいます。
 あなたは自分の頭がはっきりしていないことを自覚しました。言葉が出ず、体の感覚もふわふわとしています。
 ただ、少女とギョロ目の男の交わす会話は、大凡、理解することができました。
 ギョロ目の男は、少女と少女の兄たちがはるばる訪ねてきた信仰団体の指導者でした。医者でもあり、少女と兄は弟子入りしたということがわかりました。
 そして、あなたは、少女の兄の計らいで、このギョロ目の男に患者として預けられ、その世話係を少女が務めることになったようです。
 あなたは、何かを言いたくなりましたが、口からまともな言葉が出てきません。あなたの口から意味の取れない言葉が漏れ続けていることに、あなたが不安になってくると、少女が、あなたの傍らに座り、あなたの手を取ってくれました。
 少女の手は柔らかく、暖かく、あなたの胸に沁み、あなたは泣き始めました。
 あなたは小さな少女にしがみつき、身も世もなく泣き狂いました。
 小さな少女は、あなたを抱きしめ、一緒に泣いてくれました。

てくてく

 誰も悲しむ者はいないと思っていたから
 死んでもいいと思っていた
 君が泣いてくれるなら
 君がそばにいるうちに死んでしまいたい

てくてく

 あなたには、軟禁状態での苛烈な治療と規則正しい生活を課せられました。薬は断たれ、あなたは不安や恐怖に苦しみ続けます。少女は寝食を共にして、食事を与え、暴れるあなたを抑え、あなたの暴言や暴力に耐えていました。あなたと言葉を交わすことが戒められており、ほとんど誰ともしゃべらない暮らしでもありました。
 あなたが暴れ出せば、ギョロ目の男か、その弟子が、あなたを殴打したり、締め上げたりして失神させます。目を覚ますとヌルヌルした黄色い液体に頭を突っ込まれて無理やり飲み干させられ、おなか一杯になると、無理やり嘔吐させます。それを繰り返し、へとへとになるまで繰り返すと乾草に戻されます。
 あなたが安定しているときは、農作業を強いられます。日の出とともに目覚め、一日中働かされ、くたくたになって、日暮れとともに眠る生活を強制されます。疲れ切って泥のように眠ることに、あなたは喜びを感じるようになります。黄色い液体の業も過酷な農作業も、あなたの肉体は受け入れ、あなたに正気が戻ってきました。
 一年ほどをかけて、あなたは一人の農夫であり、ギョロ目の男の弟子となっていました。
 ギョロ目の男は信仰集団の指導者であるばかりではなく、医術、文化、歴史、政治、軍事など、多方面の造詣が深く、様々な地方からいろいろな客が訪れ、新しい情報を持ってきていました。
 あなたは、白昼夢や意識の喪失などを抱えながら、農夫として働きながら学問を修める、晴耕雨読の暮らしを落ち着いてできるようになっていました。

 もう、人間は嫌です

 ギョロ目の男を指導者とする信仰集団は、輪廻転生を信じていました。あなたは、少女の兄が村人たちに、輪廻について講義するのを傍らで聞きながら、呟きました。

 もう、人間は嫌です

 あなたのつぶやきは、村人たちに聞こえていました。

あなたは、ヒトの輪廻を夢見ています。

てくてく
 生まれ変わりました
 殺されました
 生まれ変わりました
 殺しました
 生まれ変わりました
 残酷の限りを尽くして殺されました
 生まれ変わりました
 簡単にたくさん殺しました
 生まれ変わりました
 家族を目の前で殺されました
 生まれ変わりました
 みんな殺すように命じました
 生まれ変わりました
 切り殺されました
 生まれ変わりました
 高い高い空から、爆弾をばらまきました 
 生まれ変わりました
 妻と子供を嬲り殺しにされ。虐殺者に媚を売って生きています
 生まれ変わりました
 戦勝の美酒に酔いしれています
 死体に囲まれ、賞賛を受け、部下とともに歓喜していました
 生まれ変わりました
 もう人間は嫌です
 僕は、森になりたい
てくてく

 あなたは、ギョロ目の男の弟子となっても、ほとんど人と交わることのない暮らしを選んでいました。あなたは、あなたのことを誰にも知ってほしくないと思っていました。
 汚れた過去、恥ずかしいあなたは誰にも受け入れられないだろうと思い、誰にも知られたくないと思っていました。
 ただ、醜態の限りを晒した少女には心許していました。少女は、一年間、寝食を共にして、あなたに尽くしましたが、あなたが落ち着きを取り戻したところで任を解かれて、ギョロ目の男の弟子として医術を学ぶようになりました。それとともに、あなたと話をすることを許されました。本来の少女は、あなたには想像もつかないほどおしゃべりでした。少女と言葉を交わすことがあなたにとって、大切な楽しみとなりました。
 年下の少女は、あなたのことを、苦労して育てた子供のように語り、少しも恐れるところがないのですが、ほかの村人や弟子たちは、あなたを物狂いの男として避け、気味悪がり、畏れていました。あなたはそれを感じ取り、孤独こそがあなたの願いと思いながらも、言葉を交わしてくれる少女に救いを感じていました。

てくてく

 血塗れの子供
 包帯をぐるぐるに巻かれ
 うつろな目をして、泣くこともありません
 誰も助けてくれないことを知っています
 誰かに、かわいそうと言って貰おうとも思っていません

てくてく

 村人たちがあなたの小屋にあつまり、血塗れの子供を差し出しました。
 顔がつぶれていますが、呼吸はしているようです。
 涙に濡れた母親の目が、あなたを見つめています。
 あなたは狼狽しています。かわりの誰かを探していますが、ギョロ目の男と弟子たちは施薬に出ており、夜まで戻ってきません。
 村人にとって、医術を期待できるのはあなたしかいないのですが、あなたは、医術を学んではいません。
 あなたは、死にかけている子供を目の前にして、逃げ出したいと思っていますが、逃げられないと思っています。何かをして見せねばならず、あなたは勝手に入ることを禁じられているギョロ目の男の書庫に入り、竹簡を次々に広げていきます。顔の潰れた子供の助け方を書いてあるなどとは思っていません。それでも、あなたは、書物を探すふりを続けるほかありませんでした。あたなたの手は震えています。逃げ出したい衝動にかられながら、次から次に竹簡を広げます。絶望にかられて村人の方を見ると、母親が子供の名前を呼びながら激しく泣き始めました。
 為す術もなく、子供は死んでしまいました。
 あなたは少し安心していました。やっと終わったという思いと当然の帰結という理解があります。あなたは、村人たちの失望の視線を浴びるものと思っていましたが、子供の父母は、泣きながらあなたの手を取り、礼を言いました。ごつごつとした手からあなたの手の平にぬくもりが伝わり、あなたの胸に村人の悲しみが浸みこむような心持でした。
 あなたはあなたの無力を素直に詫び、死んだわが子に謝り続けている母親の姿に涙が零れたことが、あなたには不思議でした。

てくてく

 人の世に戻ってきました。

てくてく

 その日の夜には、ギョロ目の男と弟子たちが戻ってきました。
 ギョロ目の男たちは、子供のために弔いの儀式を催しました。
 あなたは少女に連れられて弔いに参加しました。この村にきてから何度か村の者の弔いが行われましたが、村人の中に居場所のないあなたは参加しようとも思いもしませんでした。
 今回も同様でしたが、少女の誘いを受けて参加する気になりました。
 弔いの場にいた数人の村人たちはあなたに頭を下げ、子供の父親と母親は、あなたの手を取り、改めて礼を述べました。あなたは、その手をどうしてよいのかわからず、かける言葉もなく、困惑していると、隣にいた少女が泣き始めました。
 少女の泣き方は激しく、身も世もなく泣き崩れます。それにつられたかのように子供の母親も激しく泣き始め、少女と母親は抱き合って泣きました。
 母親は自分が目を離した隙に起きた事故を悔いており、自責の言葉と子供への謝罪を続け、少女はそのおんなを抱きしめて泣いてやります。
 あなたは、どうしようもなく二人のそばに座っていました。

てくてく

 喜怒哀楽
 全部必要なんだよ
 あんた、全部、捨てちまったろう
 だから、人でなしなんだよ
 意外と手に入らない哀しみを
 あんたにあげようじゃないか

てくてく

 葬儀が終わり、あなたはひとりで小屋に戻りかけています。
 大きな満月の夜でした。
 あなたは土手に腰かけ、満月を眺めています。
 そこに、少女が現れ、あなたの隣に腰かけました。
 冷たい夜の空気に触れていたあなたの隣に少女が腰かけると、あなたの腕に少女の体温が伝わりました。いつも一緒にいた二人なのに、あなたは、急に、戸惑いました。
 少女に何をしているのかと問われ、あなたは、素っ気なく、月を見ていると答えます。
 あなたは、少女の目を見て話すことのできない自分を自覚しています。
 あなたは、視線をあげて、少女の目を見てみました。
 あなたの視線と少女の視線が重なると、少女は微笑んでくれました。
 あなたの胸に広がる安堵以外の感覚に、あなたは戸惑い、それを認めまいとしました。そんなはずはないと思おうとしています。
 少女は、二人で過ごした苦しい日々を振り返り、あなたがまともな状況に戻れたことを喜びました。
 あなたは、初めて、少女に礼を述べました。治療の間、少女を苦しめ続けていたことを詫びました。あまりにたくさんの恥辱をさらし、惨めで憐れな自分を認めることができずに、少女に対する暴言や暴力は、なかったことにしたかったと素直に詫びました。
 少女は、あなたが戻ってこれて良かったと微笑んでいます。
 あなたは、急に心の軽くなるような心持を味わい、少女もまた、その心持を共有しているように感じました。あなたは、少女の目を見てから、やはり、目を反らして微笑んでいました。
 あなたは、幸せを感じています。

 ひとごろしなのに

 微笑む少女の目から涙がこぼれます。少女は泣きながら笑います。今日は、泣き過ぎて恥ずかしいと笑っています。
 あなたは感情のままに泣き笑う少女をうらやましいと思っています。あなたは、自分の感情を恥じています。あなたが泣き、笑い、怒ることは、自分が卑小で愚かなことを露わにする行為でしかありません。
 あなたは、そのことに、少女の泣き笑いを見ながら思い至り、うらやましいと思いました。
 少女は、また、肩を震わせて泣き始めました。あなたを見ている少女の目からポロポロと大粒の涙が落ちました。あなたは、それに気付いて狼狽しました。月光に輝くほど大粒の涙が次々に零れ落ちます。

 あなたは隣で泣きじゃくる少女を抱きしめたいと思っています。誰かの悲しみを抱きしめるようなことは、あなたにはできません。どうすることもできず、あなたは少女の肩を抱く事はあきらめました。あなたは、少女の体温を感じながら、月を見上げました。 
 
 ニンゲンになりたい

 あなたは、鍬を振り下ろします。
 あなたは、土を起こし、再び鍬を振り下ろします。 
 夜明けとはいえ、まだ、太陽は地平線の彼方に隠れています。
 あなたは、いつもより早起きし、足元が見えるようになるとすぐに畑に出ました。
  今日、あなたは、力を出し切ってみようと思っています。
  あなたは、鍬を振り下ろし、数を数えています。
 いつものやり方でした。一心に数字を数えていると、いつの間にやら、終わっているのです。
 あなたは、先を見やることをしません。
 ただ、鍬を振り続けるだけです。
 昼になり、あなたは休憩を取りました。
 畑のわきに座り、マメをかんでいます。
 疲労感は有りますが、まだ、体は萎えていません。
 あなたには、畑に這いつくばって泣いていたあなたが見えています。懐かしく、いとおしい感情が湧きます。
 あなたは、たくましくなったあなたの手の平と腕を見て、微笑みます。
 あなたは立ち上がり、再び、数を数え始めます。
 夕暮れを前に、あたなは自分の畑を耕し終わりました。
 思ったよりも早く終わり、達成感に包まれたあなたは、心持が軽くなりました。
 明日には種をまいてやろうと思っています。
 あたなには、芽吹いた畑が見えています。
 あなたには、真夏の日差しに大きく葉を広げた畑が見えています。
 秋の収穫に、びっしりとマメをつけた畑が見えています。
 そして、収穫を取り巻く村人の笑顔が見ています。

 カン
 カン
 カン
 カン

 薄っぺらな鐘の音が聞こえます。
 夕暮れにならされる鐘です。
 一日の仕事を終え、農夫が引き揚げ始めます。
 あなたは、耕し終えた畑の向こうに沈む大きな夕日を眺めています。
 世界を茜に染める夕日に手を合わせて祈るものがいます。
 あなたも手を合わせ、夕日にこうべを垂れ、足元の大地を見ました。

ククスクスと真赤な唇が笑っています。
いいいのよ

ああなたはおんなを犯しています。必死に、夢中で犯しています。
おおんなの口の中で、真赤な舌が蠢いています
 
 だめよ
   
 あなたは、おんなを斬っています。必死に、夢中で切り刻み、早く死んでくれと願っています。あなたが剣を振り下ろすのを呆然と見上げていたおんなは、血まみれになってケタケタと笑っています。

 あなたはわたし

 あなたはあなたを食べました

てくてく 

 あなたは、無数の命を食べて生きています。
 犬も豚も牛も人もおんなも子供も、命の始まりから、あなたという命に至るまで、無数の命を食べて生きています。
 あなたは、残酷な運命を非情な覚悟すらなく生きています。日常に残虐を撒き散らし、悲惨に哄笑を浴びせています。
 あなたは、誰からも愛されず、誰からも関心を持たれず、誰も愛さず、憎んでいます。あなたは、幸せを知らず、知らぬものを渇望し、与えられぬ運命を憎悪しています。あなはた、あなたの生き方が間違っていると思っています。あなたは、あなたを呪うための器と思っています。あなたは、溢れるほど呪いに満たされたあなたを叩き砕き、世界を呪いの汚辱で汚したいと願っています。あなたは、呪いに穢れる清らかな運命を嘲笑うことを夢見ています。
 あなたは、あなたの運命を生きています。
 あなたは、知恵も力もなく、不安に怯え、恥をさらして生きています。
 意地汚く、卑しく、あさましく、生きています。
 羞恥に塗れ、醜態を晒して生きています。

 あなたは、ただ、懸命に生きています

てくてく

 あなたは、あなたが斬り殺したおんなの亡骸に、初めて手を合わせました。
 あなたは、あなたが凌辱し、殺し、食べたおんなの味わった苦しみに胸を痛め、おんなの運命に憐れみを覚え、あなたの行いを詫びました。
 おんなの唇から呪いの言葉が溢れています。嘲笑は消え、激しい言葉であなたの罪を責めます。あなたは、その言葉を受け止め、ひざを折り、地に伏して詫びています。
 あなたは、あなたの罪を詫びています。

 ごめんなさい

 おんなの唇は言葉を失い、泣き始めました。呪いを置き去りにされたおんなは、身も世もなく泣いています。
 あなたも、地に伏して泣いています。
 あなたは、許されざる罪を置き去りにして、生きて行こうと決めました。
 
 てくてく

あなたの夢がひとつおわりました
いくつの夢が終わろうとも
いま、あなたは、あなたの夢をいきています

 てくてく
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