第5話 地始凍(ちはじめてこおる)

文字数 993文字

「カイロ…?」
 今年も残すところ1ヵ月半、めっきり寒くなってきた朝。机の中に簡易カイロがあった。揉むと暖かくなる、あれ。ひっくり返すと、案の定、付箋が付いていた。

『はつみさん
 おひさしぶり、お元気ですか? 寒くなりましたね。仕事で使うカイロをおすそ分けします。受験の、しょうねんばでしょうか? おかぜに気をつけて。   ゆい』

 受験。そう、最近特に、周囲でそんな話題が専らになっている。三咲ちも奈緒も受験生。私は違うけど。ペンを執り、ゆっくりと書いた。

『ゆいさん
 お心遣いありがとうございます。ありがたく使わせていただきます。実は、私は、受験はしません;P  高校すら、続けようか迷っていたりしますw   はつみ』

        ***

 翌朝、付箋の返事があった。細かな字で、びっしりと。

『はつみさん
 無神経なことを、たいへんもうしわけありません。勝手に思い込みしてました。
 私が言える立場でないのは百もしょうちですが高校はできれば続けてください。ぜひ。やめてしまったら、後かいする日が来るかもしれません。   ゆい』

 昼間の学校に通えなかったり、昔通えなかった人が通う夜間部の人に、やめようか、なんて無神経だったかな。ちょっと反省した。相手の立場になるって、難しい。

『ゆいさん
 私こそごめんなさい。アドバイスありがとうございます。進学は難しいけれど、卒業はできるよう、がんばります!  はつみ』

 付箋をそっと机の中に貼った途端、うわ、蛾! 慌てた声で奈緒が言った。そういえば、蛾って何食べるの? 呑気な三咲ちの声がする。

「さあ? 蝶々なら、花の蜜だけど。蚊は、血?」
「雌だけね。雄は花の蜜だって」
「へえ? 雌だけ? 潰されるかもしれない危険を冒して?」
「うん、卵に栄養が必要だって」
「…お母さんは、たいへんだね。で、蛾は? 何食べるのかな?」
「そういえば知らないな。興味ないことって、どうしても知らないままになるよね。でもって、知らないことに気づかない。…なんか、怖くない?」
「うーん、そうかも」

 知らないことすら知らない。気づかない…。確かに、世の中の大部分のことは、うちらが知らないこと。ゆいさんとの付箋のやり取りがなかったら、夜間部の人たち、というか、ゆいさんのこと、何も知らなかった。遅刻しそうだったり、睡魔と戦っていたり、同じチョコが好きだってこと、知らないままだったんだ。
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