Introduction

文字数 6,585文字

空の高みにセーラーを着た女の子がふわりふわり浮かんでいる。仰向いた姿で。
  それを下界から見上げているゾンビたちの群集。
  ゾンビの見た目は緑色の人間。ほとんど裸にちかく、男女ともに小さな、優美で繊細な薄絹をまとっている。高貴な者たちの肌は紫。
  群集から離れたゾンビがバイノキュラーで女の子を拡大して見上げている。彼を囲んで数名の副官たち。そのパートナーたちも、心配そうに上空を見上げている。
 群集は巨大ディスプレーをみつめる者、目に掌で庇をつくって見上げる者。
 ディスプレーは司令官たるゾンビがバイノキュラーでとらえる画像を映しだしている。
「まったくどうなってるんだ」「めいわくどこじゃないな」「あの服かわいい」etcが群集に錯綜している。押し黙って唾をゴクリと飲み込む者も。
 上空に浮かぶ女の子のふわりふわりと、穏やかな波に浮くような動きが唐突にとまる。
 ギーという轟音がひびき、女の子の傍らに黒い穴が開く。その穴に、パッと女の子が飲み込まれる。
 副官のひとり、
「なんとか〈始発〉で帰ってくれましたね」
 始発とは、真昼の青空に出現する黒い穴。
 バイノキュラーを目にあてたまま上空をみつめる司令官、うなずく。そして、苦いものを口にしてしまった顔つきをして、
「〈終電〉があるかぎり、やつらはまたやってくる」
 やんやと拍手したり口笛ふいたり、喝采する大勢の陽気なゾンビたち。その情景に重ねて司令官の声、
「はじめはただ不思議な、のどかなほど無垢な出来事だった」、

 蟻塚に似たゾンビたちの集落。
 その家々をめぐる道路、公園、エントランスに散らばる血糊おびただしいゾンビたちの遺骸。
 その悲惨壮烈な光景に重なる司令官の声、
「人間は残酷なものだ」

 遺骸だった者たちが蘇生し、身を起こし、立ち上がり、徐々に、すこしずつ傷が癒えていく。
 司令官の声、
「いつまでもこんなことを続けさせるわけにはいかない」


 司令官は三十代半ばの姿をした紫色の、尻の下まで長い髪の届くゾンビだ。
 蟻塚のような住居内部。洞窟のように薄暗い書斎に灯をともし、彼はいまパソコンにむかって、作業中。
 電話が鳴り、彼は指の動きを止める。
「なんだ」彼は声をだしてAIを起動させ、手をふれることなく、通話を開始する。

 銀色に輝く鏡のまえに立つ司令官ゾンビ。
 彼の背後から現れた美しきゾンビが、彼の背に身をよせ、肩に首をあずける。
 その寄り添った姿勢のまま、首長は彼女の額にキスし、髪をなでる。
 浮き出そうになる悲壮さを払い去って、
「すぐにもどる」そういうと、首長は彼女から身を離し、鏡に歩みより、いまは沼のように暗んだ鏡のなかへと姿を没し去る。
「きっと……」残された彼女が鏡の暗黒へとつぶやく。震える体を自分の両腕に抱きしめる。
 窓の外の変化を感じ取り、窓を振り返る美しきゾンビ。
 空が赤みがかっている。彼女は、
「ヘンよ。気候までかわりはじめたみたい」
 警報がジーッ、ジーッ、ジーッ、ジーッ、と鳴り響きはじめる。
 天井やホールの壁に鋭い怒りの視線を投げる彼女。
「姫!」と叫ぶ若いゾンビの声、回廊を駆けてくる。
 紫色の若い将校ゾンビが駆け込んで来て、彼女にむかって走りよる。
「姫、避難を!」彼女を横様に抱き上げる。「失礼をお許しください」お姫だっこのまま地下への階段にむかう。
「わたしはいつも逃げ隠れしなくちゃいけないのね」
「あなた様の身に、一片の傷でもできたなら、王にも司令官にも申し訳がたちません」腕の内なる姫をみつめる将校ゾンビの目に、姫への恋心かくしやらず。
 姫、受け止めそうになった将校の想いを無理に引き剥がすように、目をそらして、
「足元をちゃんと見て。あぶないわ」
 姫を抱いた将校、暗い階段を下へ下へ。地下に消え去る二人。
 

 二人の消えたホールに反響する激闘、苦悶、叫喚、ぶつかり合い乱れる足音、鋭い金属が打ち合う音。
 その一部がホールに雪崩打つように、闘争をつづけながら入り込む。
 盾で防戦にまわるゾンビを人間の侍が日本刀で切りつける。腕を切り落とされたゾンビが侍の脚にタックルし、倒れた侍の刀を奪い反撃に出るetc
 数十名の攻防。

 鏡の中の世界。
 月光に満たされている。
 花咲く草原が果てしなくつづいている。
 巨大な金属製の壁が月影を反射させている。
 壁にちかづいていく司令官。
壁「おまえの味方をするわけにはいかぬぞ」と宣告する。
 壁の手前で立ち止まり、見上げる司令官。
壁「ルールに反することだからな」
 壁の威容に恐怖して固唾を呑む司令官。やっとのことで、
「ゾンビが黙って滅びるわけにはいかぬのだ」
 ワハハハハハハハハッ、と世界をとどろかせて哄笑する壁。
「おまえらが滅びたところで何の影響があろうか。宇宙は広大なのだ」壁は司令官をつきはなして黙り込む。
 風が夜の底の可憐な花々を揺する。儚くこわれやすい、この世界というものを暗示するように。
壁がいう。
「だが、おまえらが生きつづけたところで同じことだ。ヒントだけはやろう」
 そういって壁の下部をちょうと扉の形、大きさに発光させる。
「ここを通らせてやる。おまえにしてやれるのは、それだけだ。ヒントになるかどうか、おまえしだいだ」

JKの家。夜。
その化粧室。
鏡面をまえにJKが歯磨きをしている。髪と体をそれぞれタオルで巻いた姿。
鏡に映る彼女の像が歪みはじめる。
息を呑み、歯ブラシを止めるJK。
歪んだのは彼女のイメージではない。
鏡そのものがふくらみ、こちら側へと出っ張りはじめているのだ。
「やばッ」目をまるくして鏡面の隆起をみつめるJK。

JKの家。夜。
そのリビング。ファイブスター・ホテルのラウンジ並みに瀟洒だ。
フロアの各所に配置された間接照明のみの薄明るさだが、広い部屋だとわかる。
バスタオルを頭からかぶってJKの恋人のタカシ、初夏だから火のない暖炉前のソファに座っている。ロンティーと薄地のショートパンツという格好で髪を擦っている。
コーヒーテーブルをはさんでJKの母親、ボリューミーで華やかな髪、若い。
「世の中いろいろあるのよ。あなたたちまだ若いから知らないし、知らなくていいことなんだけど」母親はいいながら上体をかがめカードをテーブルにならべる。
 タカシ、深い襟ぐりからあふれる彼女の胸に目をやってしまう。
「でも、もう、そうもいっていられないわね」カードにのせた自分の指先に目をやったまま、口角をあげて意味ありげに微笑むJKの母親。
 胸から目を離せずに、息を呑み、唾の嚥下に苦しむタカシ。
 カードの絵柄を読み解きおえたというように、母親が、
「時は来たれり」
 目をギュッとつぶるタカシ。その心の中、
「(ダメだダメだ、ボクにはJKがいるじゃないか。ダメだよ、ぜったいにダメだ。JKのママにそんな気持ちを抱いちゃダメなんだ、ダメだよボクおかしいよ。でもこんな気持ちはじめてだ、ダメだ! おかしくなっちゃう……)」
 JKの母親、蠱惑的な表情でタカシをみつめ、深い声で語りかける、
「この世界は無限なの」

月夜の平原。
 司令官が壁に開いた矩形の空間に、光につつまれながら没し去る。
 JKの母親の声、
「とても小さくて、無限に広大」
 ぬめり輝く金属の壁が縮小しはじめる。手のひらサイズに。
 遠くからは決して目視できない。
 ナナフシのような外見の、しかし敏捷に動く羽はスバシコイ飛翔力に富んだ二十センチほどの生物が空中に現れる。
 それは小花咲き乱れ、月影にしっとりした草原に着地すると、今や数ミリの大きさとなった壁を手に取る。触覚を動かしながら、掌上の壁をしばらく検分すると、手に握り締めたまま飛び立って、羽の振動音とともに消え去る。

浴室とつながった化粧室。
 鏡の前。
 依然、歯ブラシを口に体を固まらせたままのJKの歪んだ姿を映して鏡が人間の(ゾンビの)顔かたちに盛りあがる。
 JK、おもわず歯磨き粉を呑み込みつつ、一歩さがる。

リビング。
 依然、目を閉じたままのタカシ。その想い、
「(いやちがう! ダメだダメだ。ボクはこんなだからダメなんだ。JKとも、だから進展しないんじゃないか。子供じゃなくならなきゃ、オトコだっていうとこ見せなきゃ。だけどそれがJKのママとどうにかなっていいことと――)」

化粧室。
 水銀色の鏡面が高強度のゴム膜のように遮って、外に出られず顔面を押し付けてもがく男。どうやらゾンビ司令官だ。彼は苦悶のうちに、声をしぼり出す。
「出してくれ。こ、ここから出してくれ」
「っていうか、誰?」状況がわからないJKは、そう問わずにいられない。
「ゾンビ星の司令官だ」司令官は単刀直入に答えるが、JKには理解できない。
 JKは、
「マジであたし状況、ゼーンゼンッ、わかってないけど、戻ったほうがイイとおもう。来た方向に」
 苦しそうに、唇の形に浮きあがらせた口を動かして、司令官ゾンビが、
「ああ、それができない相談なんだ。今、わたしの背後には入口も出口も、世界そのものも、消えてしまった――」

ゾンビ星の蟻塚宮殿の地下。
 一定間隔につづくランプに薄暗い廊下を、今は将校の腕から降り、将校・姫、ともに急ぎ足に進んでいる。
 最奥部のシェルターにたどりつく寸前、ナナフシのような虫が、若い将校に羽のビビビビビという振動音を伝えながら、彼の肩に止まる。
 動悸が分厚くなり、震えて立ち止まる将校ゾンビ。
肩から虫が、
「安心しろ」
 唾を呑み込む将校。ぐっと震えを抑える。
 彼の前方、シェルターの扉の前で、不審げに彼を振り返り見ている姫。
 自分自身の途轍もない不安を抑えて、かろうじて笑み、姫のもとへと進む将校、把手をつかみ姫のために扉を開ける。将校、
「お入りを」
 頭を垂れ、姫を室内に促しつつ、
「わたしもすぐに参ります」
 いいながら、彼女の背後に扉を閉め、
「すぐとはいつです!」という姫の言葉を振り切って、廊下を幾許か引き返す将校。
 シェルターから十分とおもえる距離急ぎ離れ、将校は焦り訊く、
「どうなったのだ」
「おまえの望みどおりにだ」嗤いを感じさせる声でナナフシのようなものは答える。
「だから、どういうことになったのだ……司令官はつまり――」
「もどることはない。閉じ込めてやった」
「閉じ込めたと!?」押し寄せた不安に激しく喘ぐ将校。
「安心するがよい。ゾンビが人間と仲良くなることがあり得ないように、司令官がこの世界に戻ることはあり得ない」
 ナナフシのようなものがいうのだから、確実とおもってよいのだろうが、「完全に」確実だといえるだろうか。「ほぼ」確実だというのなら、安心はできない。という、将校の不安。
 将校ゾンビの額にブツブツと浮かび上がった汗。
 虫が、
「時をみて、『司令官は壁にだまされて死んだ』と、姫につたえるがよい」
 青ざめ、吹き出た汗が筋をなして滴り落ちる将校は、
「しかし――」
 虫は嗤って、
「心配もほどほどにしろ。今のきみの顔といったら、姫が見たらなんとおもうか。鏡を確認して表情を改めてから、シェルターに入るのだな。
 鏡といえば、あの鏡から壁の世界に入ることは、もう誰にも叶わないことだ」
 虫はあえて、壁を自分が吞み込んでしまったことは将校にいわない。
 将校の不安は消えやらないが、といって、今はナナフシのようなものを信じる以外に仕方がない。
 虫は羽をビビビビビビと羽ばたかせて、将校の肩から離れる。将校の正面に回り込むと、
「また時をみて、これを姫に見せるがよい」
 首を切られ、大流血して倒れ臥し絶命している司令官の等身大フォログラフ(フェイク)を映し出してみせる虫。
 その像に驚愕して思わず後退り、口をあんぐりと開け目を剥いた将校をよそに、ウワワワワと不気味な笑声を残し飛び去るナナフシのようなもの。
 将校の足元にカタリと楕円形のデバイス落ち、フォログラフを紫の煙のようにして吸い込み閉じ込める――

 シェルターの扉を将校が開けると、
「血の雨だよ――」という、会話の断片が扉の隙間から漏れ、パタリと止む。
 警戒して、入口で足をとめる将校。聞き耳を立て、腰に巻いた布に差したナイフへと手をかける。
「大丈夫よ」と室内から将校に呼びかける姫の声。
 将校はナイフを抜き取り、息を殺し、靴の音をさせぬよう用心しながら、廊下よりさらに暗い室内へとにじり入る。気配をさぐりながら大型ナイフを構える。
「なにもしないで!」と、危急せまった叫びを上げる姫、「先客がいただけ」
 奥の壁にひとつだけあるランプの火が、かすかな通気に揺れて、ぬらぬらと断片的に浮かび出た姿は小さい。子供のようだ。
 ほっと溜息つく将校。しかし警戒はおこたらず、
「なぜここに」といいながら、奥へと。
 近づいて見れば、やはり子供。扉の隙間から漏れた声に幼さがあったのも道理。暗いのにサングラスをかけ、ボーダー柄の汚れた囚人服を着ている。
 チャイルドは、見えているのかわからない目を、しかしまっすぐ見返すように将校へと上げ、
「姫の役に立てるとおもってね(ほんとうは、将校、きみの役に)」
 解せないことだ、と将校はおもう。あまりにも解せないことが多すぎる、と。
 そして将校はもちろん、(ほんとうは、将校、きみの役に)という、チャイルドの目的など、いま気づいているはずもなく……

高校の部室(ぶしつ)。
 竹刀や防具の納まる、高いところにある小さな窓からの光が埃っぽい室内。
 地頭はわるくないが教師たちからは煙たがられ生徒の間では恐れられている、といった風情の十名内外の男子生徒が屯(たむろ)し、談義中。
リーダー格と一目みてわかる、炯眼のバズカット、筋肉質の生徒(大神・オオカミ)が、
「あの星はいい。〈列車〉をみつけたのは、ニイムラ、手柄だったな」奥に置かれた背の高い木椅子から、改めてほめる。
 新村は不安げに、
「だけど――」
「『だけど』なんて、ないんだよ」低い声で有無をいわせず遮る大神。
 大神は、おおむね民主的な性向の男だが、この点に関してはどうしても譲れないおもいだった。あの星を手に入れるのだ、と。
「この星の空気はオレに合わない」と大神はいった、「あの蟻塚だらけの星……オレの性に合う……、それにあいつらはゾンビだ。ゾンビっていうのは、葬られることを本望とする者たちだ」
 だから、殺していいのだ、そう彼はおもった。しかし問題はもちろん、ゾンビが死なないということにある。
 死なないからこそ躊躇なく「殺す」ことができるのかもしれない。ほんとうに殺すとなったら……
 ゾンビにもフェイタル・ポイントがあるはずだ。それをみつけて、星を奪らなければ。ああ、地球の空気は息苦しい。
「だけど――」と今度はネギシがいい出しそうになったので、ピシャリとオオカミが、
「だから『だから』――」
 ネギシが押し切って、
「オレたちが殺られるって可能性だってあるわけだろ。デカいだろ、そっちのほうが」
 息苦しい夏空を一閃の稲妻が切り裂いた。爆音が轟く。
 サエキが笑い、そしていった、
「ゾンビになるってか」
 一同沈黙。
 そして床にアグラかく生徒たちの間に笑いが起きたが、運よくそれは哄笑で、神経質な
要素はほとんど含まない。
 オオカミが、
「どうせオレらだけで情報を握ってるわけにもいかないしな」一同を見回して、「ここの誰かを疑うわけじゃない。オマエらの誰かが漏らするとか、おもってるわけじゃなくて。
 〈列車〉はオレたちを選んだわけじゃないだろう?」
 ニイムラが、
「たまたまみつけただけってこと」卑下するわけてもなくいい、「オレらじゃない誰かが目にしちゃう可能性がある」
 「ゾンビ退治するったって、簡単じゃないよ」「ムズいって」「オレら無計画すぎんだろ」
「プランたててるヒマねえだろ、これ喫緊だから。ゾンビ払拭すんの」「だよな、割り込まれるまえになんとか」「ゾンビなりたくねえ」「いや、クールだろ」etcのガヤガヤがつづく。
「ま、他力は必要ってことだ」ポツリといったオオカミのコメントが、とっ散らかった会話を収拾する。
「他力、って誰の」ネギシが訊く。
「考えはあるが、それは後で。
 とにかく星、手に入れたいじゃない?
 地球には、オレたち居場所ないし」
 彼らは〈列車〉試乗時に、復活した一時的平穏のうちなるゾンビを垣間見たにすぎず、侍がすでに参戦済みと知る由もなく――

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