葛藤
文字数 3,638文字
それから二時間くらいだろうか。しばらく歩くと、五ヶ月前に天音と行った遊園地に、無事辿り着くことができた。
案の定と言うべきか、やはり人はどこにも見当たらない。さらにはアトラクションの大半が灰化しており、とても動きそうにない。
(これじゃ天音の記憶を戻すには期待が持てないかな)
しかし、アマネは違った。
「わ~!」
アマネの目は興味津々といった様子で、目を輝かせていた。
「ここが遊園地か~! 広いな~!」
前に来たことがあるとはいえ、それは以前の天音であって、今のアマネにとっては遊園地というのは初めて目にし、訪れた場所だ。
「詩音くん行こ!」
そう言うとアマネが、かろうじて原型を留めているアトラクション目掛けて走り出した。
「ちょっとアマネ!」
走っていくアマネにまた、以前の天音の姿が重なった。
「アマネ! 走ったら危ないって!」
詩音もまた、アマネを追いかけて走り出す。
まず二人が訪れたのは、メリーゴーラウンドだった。
「ねぇ、詩音くん。これはどうやって楽しむの?」
記憶を失っている為、アマネにはメリーゴーラウンドやその他のアトラクションの記憶も抜け落ちている。
「それは、その馬に跨ってクルクル回るアトラクションなんだ」
「へぇ~、楽しそう。ねぇ、これ動くかな?」
アマネが期待した眼差しを詩音に向ける。
「どうだろ。電気が通っていれば動くかも……」
そう言いながら詩音は、メリーゴーラウンドを操作する従業員ボックスの中に入り、動くかどうか試してみる。
「一応電気は通ってるけど、どれを押せばいいんだろう……」
「どう? 動きそう?」
ボックスの窓から、アマネが覗き込んでくる。
「うーん、これかな」
適当に選んだスイッチを詩音は押してみた。すると、メリーゴーラウンドがギシギシと音をたてながら動きだした。
「あ、動いた」
「やった」
ゆっくりだが回り始めたメリーゴーラウンドを見て、詩音はホッと息を吐き、アマネは小さくガッツポ
ーズをした。
動くことが確認できたので、詩音は一度メリーゴーランドを止めた。
「ほら、早く乗って」
詩音はアマネに木馬に跨るように促した。
「うん!」
アマネは比較的原型を留めている木馬に駆け寄り、跨ろうとしたが、木馬に取り付けられているはずの
足掛けが無くなっている為、中々跨れずにいた。
「詩音く~ん。手伝って~」
「ハイハイ」
詩音は天音の元に駆け寄り、腰を掴んで上に持ち上げる。
その瞬間、アマネが軽く悲鳴を上げる。
「ひゃっ! 強く掴んじゃヤダ」
「ご、ごめん」
詩音はアマネを馬に跨らせ、すぐさま腰から離した。
「動かすよ」
従業員ボックスに戻り、詩音はメリーゴーラウンドのスイッチを押す。アマネを乗せた木馬が、ゆっくりと動き出した。それに伴って、若干ノイズがかったBGMが流れ始める。
「わぁ~! 詩音くん! これ楽しいよ」
スピードは遅いが、木馬に乗って回転していくアマネはとても楽しそうだった。
その様子を詩音は従業員ボックスの窓越しに眺めていた。
三周程回ったとき、アマネが、
「詩音!」
と、名前を呼びながら詩音に手を振ってきた。
そんなアマネの様子に、呼び捨てで名前を呼ばれたことも相まって、詩音は天音の面影を見てしまうのだった。
その後、メリーゴーランドを後にし、二人は様々なアトラクションを巡り歩いた。
ほとんどのアトラクションが灰化していたにもかかわらず、アマネは目を輝かせて、その全てをしっかり目に焼き付けていた。
やがてアトラクションがあった場所全てを巡った頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。
かろうじて何本かの街灯に照らされている道を歩いていた詩音とアマネは、壊れずにポツンと置いてあったベンチに腰掛けた。
アマネはベンチに座ると、ほっと息を吐き出した。
「ふぅ……疲れたね~」
「そりゃあ、たくさん歩いたからね」
そこで二人の会話が一旦途切れた。かと思うと、アマネが詩音の肩に頭を預けた。まるで、詩音が見た夢を再現するかのように。
「ねぇ詩音くん……」
「どうしたのアマ……ネ……?」
アマネの方を向くと、今にも泣き出しそうな面持ちで詩音の顔を見上げていた。
「私ね、今日夢を見たんだ。詩音くんと……多分記憶を失う前の私がこの遊園地で遊んでる夢を」
「え……」
詩音が驚いた様子を見せるが、アマネはそれに構わずにポツリポツリと呟きだす。
「前の私……すごく笑っていて、楽しそうだった。なにより、詩音くんと一緒にいるのが、すごく幸せそうだった。正直ね、嫉妬しちゃった」
「嫉妬……?」
アマネは顔をうつむかせて、さらにつぶやく。
「おかしいよね。自分に嫉妬するなんて。でも、前の私と一緒にいる詩音くんの顔……私といる時にはしたこと無い顔してた」
「そんなこと……」
「ううん、してたよ。私ね、それがたまらなく悔しかったの。だから、夢で見た私みたいにやってみたんだ。無邪気な笑顔を浮かべて、元気よく走って。でも、詩音くんは夢で見たような顔しなかった。それが……たまらなく寂しかった」
アマネの瞳にじわじわと涙が浮かぶ。
「あのね、詩音くん」
アマネが詩音の顔をじっと見つめる。
「私ね……詩音くんが好き」
涙と共に言葉を……溜め込んだ感情を吐き出す。
「前の私も、きっと……ううん、絶対に詩音くんが好きだったに違いない。でも、前の私は今はいない。
いるのは今の私。今の私が詩音くんのこと好きなの」
「アマネ……」
涙を流し続けながら、アマネはなおも言葉を紡ぐ。
「詩音くんが見てるのは前の私。でも、詩音くんと今一緒にいるのはこの私。一緒だけど違う」
「僕は……」
「私はね、夢が現実じゃなくてよかったって思ってる。そうじゃなかったら、今の私はいないもの」
「……」
詩音は静かにアマネの言葉を聞き続ける。
「ねぇ詩音くんはどっちが好きなの? 今の私? それとも前の私?」
「僕は……」
「私の記憶を取り戻すために詩音くんが頑張ってくれるのは嬉しいよ。でも、今の詩音くんが好きな気持ちを無くすくらいなら記憶なんて無いままでいい。それくらい詩音くんが好きなの……」
どこまでもまっすぐな言葉。詩音はそれを聞いて、過去の天音も自分の気持ちをまっすぐに伝えてきたことを思い出した。
「詩音くんはどっちを選ぶ? 前の私か……今の私」
「僕は……」
言葉が出かかったところで詰まる。しかし、アマネが自分の気持ちをぶつけてきた以上、詩音も彼女に今の気持ちを伝えなくてはならない。
「僕には……わからない。もちろん、記憶を無くす前の天音と過ごした時間も大事だよ。でも、今のアマネと過ごしたこの数ヶ月間も、僕にとってはかけがえのない時間なんだ。どっちを選べなんて僕には出来ない……」
「詩音くん……」
「僕にとっては二人ともなんだ。どっちが消えるのも……僕は嫌だ」
やがて詩音の目からも、涙が零れだした。
ふと、詩音は柔らかく温かい何かに包まれた。見るとアマネが、ベンチの上で膝立ちになって、やさしく詩音の頭を抱き寄せていた。
「詩音くんは優しいね……前の私が好きになるのもわかっちゃうな」
アマネの優しい声が耳に心地よく響く。
「でもやっぱり悔しいな。前の私は、今の私が知らない詩音くんをいっぱい知ってるんだものね」
アマネの手がやさしく、やさしく僕の頭を撫でる。
「分かったよ。今は答え聞かないことにするね」
そう言うのと同時に、アマネは詩音から離れ、ベンチから立ち上がった。
「その代わり……ね」
数歩前に進んで、天音がこちらを振り返る。
「今の私がいなくなっても、前の私の記憶がそのまま戻らなかったとしても、のこと忘れないでね」
そう言い放つと、天音はそのまま遊園地の出口に向かって歩き始めた。
一人、ベンチに残された詩音は空を見上げながら、さっきの天音の言葉を思い出す。
「『アマネ(天音)のことを忘れないで』か……」
忘れられるはずもない。どっちも忘れることなんて出来るはずが無い。それくらい、詩音にとってどちらのもかけがえのない存在なのだから。
「ほんとひどいことしてくれるよな……どうして世界は僕たちにやさしくないんだよ……」
そうつぶやきながら、詩音はまた涙を流した。すると、夜空を一つの星が流れていった。まるで、詩音達を哀れんで涙を流すように。
これからも詩音達は崩壊した世界を歩き続けるのだろう。
たとえそれが、三人の想いを歪ませる結果になるとしても。
案の定と言うべきか、やはり人はどこにも見当たらない。さらにはアトラクションの大半が灰化しており、とても動きそうにない。
(これじゃ天音の記憶を戻すには期待が持てないかな)
しかし、アマネは違った。
「わ~!」
アマネの目は興味津々といった様子で、目を輝かせていた。
「ここが遊園地か~! 広いな~!」
前に来たことがあるとはいえ、それは以前の天音であって、今のアマネにとっては遊園地というのは初めて目にし、訪れた場所だ。
「詩音くん行こ!」
そう言うとアマネが、かろうじて原型を留めているアトラクション目掛けて走り出した。
「ちょっとアマネ!」
走っていくアマネにまた、以前の天音の姿が重なった。
「アマネ! 走ったら危ないって!」
詩音もまた、アマネを追いかけて走り出す。
まず二人が訪れたのは、メリーゴーラウンドだった。
「ねぇ、詩音くん。これはどうやって楽しむの?」
記憶を失っている為、アマネにはメリーゴーラウンドやその他のアトラクションの記憶も抜け落ちている。
「それは、その馬に跨ってクルクル回るアトラクションなんだ」
「へぇ~、楽しそう。ねぇ、これ動くかな?」
アマネが期待した眼差しを詩音に向ける。
「どうだろ。電気が通っていれば動くかも……」
そう言いながら詩音は、メリーゴーラウンドを操作する従業員ボックスの中に入り、動くかどうか試してみる。
「一応電気は通ってるけど、どれを押せばいいんだろう……」
「どう? 動きそう?」
ボックスの窓から、アマネが覗き込んでくる。
「うーん、これかな」
適当に選んだスイッチを詩音は押してみた。すると、メリーゴーラウンドがギシギシと音をたてながら動きだした。
「あ、動いた」
「やった」
ゆっくりだが回り始めたメリーゴーラウンドを見て、詩音はホッと息を吐き、アマネは小さくガッツポ
ーズをした。
動くことが確認できたので、詩音は一度メリーゴーランドを止めた。
「ほら、早く乗って」
詩音はアマネに木馬に跨るように促した。
「うん!」
アマネは比較的原型を留めている木馬に駆け寄り、跨ろうとしたが、木馬に取り付けられているはずの
足掛けが無くなっている為、中々跨れずにいた。
「詩音く~ん。手伝って~」
「ハイハイ」
詩音は天音の元に駆け寄り、腰を掴んで上に持ち上げる。
その瞬間、アマネが軽く悲鳴を上げる。
「ひゃっ! 強く掴んじゃヤダ」
「ご、ごめん」
詩音はアマネを馬に跨らせ、すぐさま腰から離した。
「動かすよ」
従業員ボックスに戻り、詩音はメリーゴーラウンドのスイッチを押す。アマネを乗せた木馬が、ゆっくりと動き出した。それに伴って、若干ノイズがかったBGMが流れ始める。
「わぁ~! 詩音くん! これ楽しいよ」
スピードは遅いが、木馬に乗って回転していくアマネはとても楽しそうだった。
その様子を詩音は従業員ボックスの窓越しに眺めていた。
三周程回ったとき、アマネが、
「詩音!」
と、名前を呼びながら詩音に手を振ってきた。
そんなアマネの様子に、呼び捨てで名前を呼ばれたことも相まって、詩音は天音の面影を見てしまうのだった。
その後、メリーゴーランドを後にし、二人は様々なアトラクションを巡り歩いた。
ほとんどのアトラクションが灰化していたにもかかわらず、アマネは目を輝かせて、その全てをしっかり目に焼き付けていた。
やがてアトラクションがあった場所全てを巡った頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。
かろうじて何本かの街灯に照らされている道を歩いていた詩音とアマネは、壊れずにポツンと置いてあったベンチに腰掛けた。
アマネはベンチに座ると、ほっと息を吐き出した。
「ふぅ……疲れたね~」
「そりゃあ、たくさん歩いたからね」
そこで二人の会話が一旦途切れた。かと思うと、アマネが詩音の肩に頭を預けた。まるで、詩音が見た夢を再現するかのように。
「ねぇ詩音くん……」
「どうしたのアマ……ネ……?」
アマネの方を向くと、今にも泣き出しそうな面持ちで詩音の顔を見上げていた。
「私ね、今日夢を見たんだ。詩音くんと……多分記憶を失う前の私がこの遊園地で遊んでる夢を」
「え……」
詩音が驚いた様子を見せるが、アマネはそれに構わずにポツリポツリと呟きだす。
「前の私……すごく笑っていて、楽しそうだった。なにより、詩音くんと一緒にいるのが、すごく幸せそうだった。正直ね、嫉妬しちゃった」
「嫉妬……?」
アマネは顔をうつむかせて、さらにつぶやく。
「おかしいよね。自分に嫉妬するなんて。でも、前の私と一緒にいる詩音くんの顔……私といる時にはしたこと無い顔してた」
「そんなこと……」
「ううん、してたよ。私ね、それがたまらなく悔しかったの。だから、夢で見た私みたいにやってみたんだ。無邪気な笑顔を浮かべて、元気よく走って。でも、詩音くんは夢で見たような顔しなかった。それが……たまらなく寂しかった」
アマネの瞳にじわじわと涙が浮かぶ。
「あのね、詩音くん」
アマネが詩音の顔をじっと見つめる。
「私ね……詩音くんが好き」
涙と共に言葉を……溜め込んだ感情を吐き出す。
「前の私も、きっと……ううん、絶対に詩音くんが好きだったに違いない。でも、前の私は今はいない。
いるのは今の私。今の私が詩音くんのこと好きなの」
「アマネ……」
涙を流し続けながら、アマネはなおも言葉を紡ぐ。
「詩音くんが見てるのは前の私。でも、詩音くんと今一緒にいるのはこの私。一緒だけど違う」
「僕は……」
「私はね、夢が現実じゃなくてよかったって思ってる。そうじゃなかったら、今の私はいないもの」
「……」
詩音は静かにアマネの言葉を聞き続ける。
「ねぇ詩音くんはどっちが好きなの? 今の私? それとも前の私?」
「僕は……」
「私の記憶を取り戻すために詩音くんが頑張ってくれるのは嬉しいよ。でも、今の詩音くんが好きな気持ちを無くすくらいなら記憶なんて無いままでいい。それくらい詩音くんが好きなの……」
どこまでもまっすぐな言葉。詩音はそれを聞いて、過去の天音も自分の気持ちをまっすぐに伝えてきたことを思い出した。
「詩音くんはどっちを選ぶ? 前の私か……今の私」
「僕は……」
言葉が出かかったところで詰まる。しかし、アマネが自分の気持ちをぶつけてきた以上、詩音も彼女に今の気持ちを伝えなくてはならない。
「僕には……わからない。もちろん、記憶を無くす前の天音と過ごした時間も大事だよ。でも、今のアマネと過ごしたこの数ヶ月間も、僕にとってはかけがえのない時間なんだ。どっちを選べなんて僕には出来ない……」
「詩音くん……」
「僕にとっては二人ともなんだ。どっちが消えるのも……僕は嫌だ」
やがて詩音の目からも、涙が零れだした。
ふと、詩音は柔らかく温かい何かに包まれた。見るとアマネが、ベンチの上で膝立ちになって、やさしく詩音の頭を抱き寄せていた。
「詩音くんは優しいね……前の私が好きになるのもわかっちゃうな」
アマネの優しい声が耳に心地よく響く。
「でもやっぱり悔しいな。前の私は、今の私が知らない詩音くんをいっぱい知ってるんだものね」
アマネの手がやさしく、やさしく僕の頭を撫でる。
「分かったよ。今は答え聞かないことにするね」
そう言うのと同時に、アマネは詩音から離れ、ベンチから立ち上がった。
「その代わり……ね」
数歩前に進んで、天音がこちらを振り返る。
「今の私がいなくなっても、前の私の記憶がそのまま戻らなかったとしても、のこと忘れないでね」
そう言い放つと、天音はそのまま遊園地の出口に向かって歩き始めた。
一人、ベンチに残された詩音は空を見上げながら、さっきの天音の言葉を思い出す。
「『アマネ(天音)のことを忘れないで』か……」
忘れられるはずもない。どっちも忘れることなんて出来るはずが無い。それくらい、詩音にとってどちらのもかけがえのない存在なのだから。
「ほんとひどいことしてくれるよな……どうして世界は僕たちにやさしくないんだよ……」
そうつぶやきながら、詩音はまた涙を流した。すると、夜空を一つの星が流れていった。まるで、詩音達を哀れんで涙を流すように。
これからも詩音達は崩壊した世界を歩き続けるのだろう。
たとえそれが、三人の想いを歪ませる結果になるとしても。