第1話

文字数 2,298文字

 なあ、修二。明日は、「イシヅミ」の日らし、散歩のついでに寄ってみたらどおら。

 僕は高校三年の夏、母の実家の駅のない町で過ごすことにした。伝説や昔話が生きているような田舎だった。自分のことを知る人がいない町。コミュニケーションが必要なのは、世話になっている祖父とその周辺の人たち。
 その祖父から、「石積み」というこの地方の行事の見学を勧められた。
 翌朝、僕は祖父の手書きの地図を頼りに会場に向かった。
 町なかを流れる二つの川の合流地点に「石積み」が行われる河原があるという。集落から少し離れた先にそこに降りる道があった。降りてみると、かなり広い河原だった。
 毎年この日の早朝、地域の人が、この河原にある石を積み木のように一つ一つ重ねるそうだ。すでに高さ一メートルくらいの石の塔が十数本地面から生えていた。平衡を保って伸びる角のようなモニュメントに見えた。山の頂上に似たものを見た気がする。
 僕が、ちょっと寝坊したせいか、あるいは、よほど早く作業をしたのか、実際に石を積んでいる人は、ほとんどいなかった。
 ただ、四、五才の子どもとその母親と思われる女の人が、子どもと話しながら石を積んでいる姿があるだけだった。
 僕は、母子が楽しそうに石積みをしている姿を見て、我が家のことを思い出していた。
 僕の家では夏の主役は、ずっと兄だった。しかし、写真もなければ、名前もない。死産だったそうだ。母体と子どもとの命の選択があったと聞いた。
 両親は、子どもの死の責任を自分たちであるとした。その罪を忘れないように、二人は、次に生まれてきた子どもに修二と名付けた。事情を知らない人に自分が長男だというと、変な反応をされる。本人は、いい迷惑だ。家では、「修一」と呼ばれただろう兄が、お盆には帰ってくるというお約束になっていて、だから、夏の主役は、いつも兄だった。兄が生きていれば何歳だとか、近所の誰それと同級生だとか。兄の遺影の代わりに、母が兄を妊娠していた頃の写真がダイニングに飾られる。(わが家には仏壇がないので)
 両親が自責の念のもとに兄を呼びだそうと必死な時、弟には、特別な役割などない。両親は、僕の受験勉強に集中するため。という口実を受入れた。やはり、今生きている弟は、儀式には不要なのだろう。少し、寂しそうな顔が返ってきたが。
 河原の周辺を見回すと、石の塔がいたずらで崩されないためにだろうか、会場を見渡せる高台に座ってタバコをふかしている見張り番の老人がいた。こっちに来てから何度か見たことのある、祖父の友人だったので、挨拶した。
「あのう、祖父に勧められて『石積み』を見に来ました」
「おっ、ツギさんとこの孫だね」
「もう終わったんですか」
「ああ、地元の人間は、さっさと積んで帰っちまったよ」
「これって、昔からの行事なんですか」
「ああ、これを夏の観光の目玉にしようと、観光協会がポスターまで作って宣伝した割に、誰も来やしない。早く起きて来るほどのもんじゃないと思ってるんだろうな」
「すみません。僕も、寝坊しちゃって」
「あんたに怒っているわけじゃねえんだ」
 僕は、目をそらした。自分は、それでも数少ない「観光客」なのだそうだ。
「来るのは、地元の年寄りばっかりだ。あんたも、石積んでいけばいいさ」
 帰ろうとした僕の背中に声を掛けられたので、帰りづらくなった。
「もっとも、石積みなんて地味な行事は観光イベントにならんと言ったんだがな」
 言い訳とも聞こえたが、残念な気持ちも伝わってきた。
 僕は、石積みの由来について何も知らないことに気づいた。
 老人によると「石積み」とは、諸説あるようだが、親より早死にした子どもは、親不孝者であり、そのことで、地獄にも極楽へも行けず、(さい)の河原で永遠に石を積むという罰を与えられる。お盆だけは、その使役を、現世の人間が肩代わりするから、魂は里帰りしてよい。という儀式だと説明してくれた。
「無理して魂を呼ばなくても、人は死んだら忘れてもいいと思うんですが」
 兄のことが頭にあった。
「そうかも知れねえな。でも死んだ人を思い出すことで、自分や家族が今生きていることに感謝し、今を頑張ろうという気持ちにさせてくれる。石積みは、生きている人間のための儀式じゃないのかねえ」
 僕の両親は、不本意にも亡くしてしまった兄を思い出し、(いた)もうとしていただけでなく、今を生きる家族のために祈っていたのだろうか。
「あんなふうに積むんですね」と、老人に、母子連れに目をやり尋ねた。
「ああ、あの人は、福島で津波にあって、旦那も子どもも流されてしまってなぁ。今は、生まれ故郷に、

避難しているんだと」
「……えっ」思わず老人の顔を見た。何か違和感を感じた。
「今日ここに来たヨソの人は、あんたとあの女の人の二人きりだ」
「じゃあ、連れの子どもは親戚の……」と振り返ると、子どもの姿はなく、女の人だけが、そこで石積みをしていた。僕は、女の人に駆け寄り、尋ねた。
「ここに、子どもが石積みしていませんでしたか」
「あなたにも見えた?」
「ええ、楽しそうに。今は見えないけど」
 女の人は、じっと僕を見た後、伏し目がちに、
「あの子、私を恨んでいるよね」
「そんなことはないですよ」
「だって、親より早く死なせたのは私よ」
「おばさんの子どもは、絶対、恨んでなんかいないですよ」
「だから、今日、会いに来てくれたのかな」
「きっとそうですよ。お母さんが元気になるように励ますために。僕の兄も、今ごろは

から帰ってきて、家に顔を出しているはずですから」
 僕は、そう答え、石積みを始めたのだった。できるだけ長く兄が

にいられるように。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み