だからバイブルが好き… と言えない

文字数 1,089文字

「だから、バイブルが好き」 エッセイを書くに当たりそんなテーマをもらう。そして、ふと困惑した、自分はバイブルが好きなのだろうか? 牧師家庭に生まれ、自身もクリスチャンである私にとって、聖書は確かに大切な本である。毎日、ディボーションを通して聖書を読むし、幼い頃から絵本などを通し、聖書の物語に親しんできた。けれど…… 聖書が好きかと問われると、答えに詰まる。

 クリスチャンは、聖書が神によって書かれた本だと信じている。神が歴史の中から選びだした預言者や、使徒たちによって、人類へ愛のメッセージを綴った本だと… 
 そう信じているからこそ、様々な疑問が湧いてくる。これが神の愛のメッセージなのだろうか?と思うような激しい言葉に。これが今の私になんの関係があるのだろう?そう問いたくなるような系図や設計図に。何を言っているのかさっぱりわからない、そんな難解な箇所に。
そして、何よりも眠たくなるほどのつまらなさに。世界はこれほどまで面白いものに溢れているのだ。全能の神が自身の愛のメッセージを、もっと面白く、読みやすく書けなかったのだろうか?

 そんな不謹慎な思いに囚われつつも… どれだけ疑っていても、どれだけ迷っていても、どれだけ信じられなくても、頼らざるを得ない確固たる確かさがある、それが私にとっての聖書だ。アルバイトに行くのがつらくて不安だった日、祈る中で神が語りかけるように「恐れるな、私があなたとともにいる。たじろぐな、私があなたの神だから」という言葉が心の奥から湧いてきた。学業やバイト、雑事や趣味、奉仕、様々なことに忙しくしていて疲れたとき、「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気をつかっています。しかしどうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです」と、心に語りかける声を聞く。色々なことが上手くいっていて得意絶頂な反面、何か虚しく不平や不満が溢れるとき「人はたとい全世界を手に入れても、真の命を損じたら何になるでしょう」と問われる。
 一つ一つの状況に対し、ハッキリした神の声として聖書が語られる。暗唱聖句などしたわけでもない私にとって、それは不思議な経験だった。覚えようと努力したわけでもないのに、箇所も分からない、いつ読んだかもわからない聖書の言葉が、混乱した私に答えを与える。
 
 だから、私はバイブルが好きとは言わない。正直、好きじゃないから。でも、私の好みを超えて、バイブルは語りかけてくる。神の言葉、この全世界を創り上げた言葉が、今日も圧倒的な力を持って私に語りかけられる。その素晴らしさは、どれだけ言葉を尽くしても語り尽くせない。
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