清水穂乃花と不思議なクスリ

文字数 7,483文字

横井龍太(よこいりゅうた)清水穂乃花(しみずほのか)が付き合ってそろそろ一年になる
付き合うきっかけは穂乃花が財布を落として困っていたところを
龍太が一緒になって探したことから始まった
龍太本人としては下心などなく、純粋な親切心からだったのだが
穂乃花はいたく感動した
地方の大学を卒業し、都会に出て社会人になったばかりの
孤独な穂乃花にとって、都会で触れた初めての優しさだった
お互いの連絡先を交換し、何度かデートを繰り返し、結果的に付き合うことになった
アパレルショップに勤める穂乃花とまだ大学二年生の龍太とでは休日の日程が合わず
なかなかデートが出来ない状態だった
だがだからこそ一回一回のデートを大切にしようと思った
どちらもがプランを考え創意工夫を凝らした
二人は愛し合っていた
その筈だった

当たり前のように発生した残業でクタクタになりながら
最寄りの駅前へと歩く。ふと夜空を見上げてみると真っ暗で星一つ見当たらない
地元だったらそれはもう夜空一面に綺麗に星が瞬いていたものだ
反対に地上では昼だろうが夜だろうがどこでも人工の光が
浩々と照らして無機質で常に騒がしい
はあっとため息を吐く
心なしか空気が悪い気がしてならないし
きっと気のせいではないだろう
排気ガスが喉に絡みつく感覚
コンクリートで塗り固められた空間に息が詰まりそうだった
無我夢中になって走り回った森が
澄んだ川のせせらぎが恋しかった
田舎が恋しい
けれど帰るわけにはいかなかった
田舎は自然はあっても仕事がなかった
もう一度ため息を吐いた
こんなにも郷愁に駆られているのは
最近龍太が冷たくなった気がするからだ
ただでさえ合わなかったお互いの休日デートは
龍太が大学の友人と遊んだり、課題が忙しいからといって
断りだしたのはもう半年も前になるだろうか
それにいざデートをしても龍太が提案する場所や施設は
ほとんど同じだったし(本人が好きだからとは言っていたが)   
穂乃花が提案する所が少しでも遠かったりすると
やんわりと断ることも一度や二度ではなかった
態度や言動は出会った当初と変わらず優しかったが
そういった判断材料から
自分はもう飽きられているんじゃないのかと思っている
最近太ってきたから
女としての魅力がなくなったせいだろうか
だからセックスも最近してくれなくなったのだろうか
恋しい、寂しい
駄目なら駄目だと
はっきり言って欲しかった
味のないガムを噛み続けるが如く続いているずるずるとした関係
このままで良いのかと思う
だがしかし「今」が壊れるのも怖かった
前だって、今だって。変わらずに、寧ろ前以上に深く愛しているというのに
穂乃花の場合、それはもはや完全なる依存へと変わっていた
ぐずぐずとした思考回路の中で俯き気味に歩いていると

「そこのお姉さん!」

と嗄れた声で突然話しかけられ、驚いてびくりと肩を振るわせる
夜も遅く、今往来を歩いている人間は自分しかいない
きょろきょろと周りを見回すと
頼りない街灯の真下
もう既にシャッターの降りたビルの眼の前に
小さな机が置いてあり、紫紺の布が被せられている
机上には四角い箱のようなものが飾られていて、淡い光を放っていた      
良く見ると立て看板が置いてあり
占い館「真実の瞳」とでかでかと書かれていた

椅子には声の主が座っていた
ひどく歳をとった皺だらけの老婆だ
背中まで無造作に生えた真っ白な長い髪
およそ襤褸切れといっても差し支えのない服を身にまとっている
一見するとホームレスのようにさえ見えた
こちらに大振りで手招きしている。導かれるままに、操られるように
ふらふらと歩み寄り。どうぞどうぞと勧められるままに
年季が入ってガタついたパイプ椅子に腰かける

「こんばんわぁ!」

「こ、こんばんわ」

ニコニコと笑う老婆には邪気の欠片も感じられなかった
まるで少女のような、無邪気さがあった

「な、なんですか?」

いきなり話しかけられ困惑せざるを得ない

「そんなに警戒しないで、怪しいものじゃないから!」

カラカラと笑う老婆はスッといきなり真顔になった

「そろそろね、来ると思ったから」

「・・・私が?」

「そう!」

右手をびしっと天に突き出し元気よく首肯するも
こちらは困惑が増すばかり
預言者だとでも言うつもりか
いや占い師か

「今お時間大丈夫?」

「いや・・・今は・・・ちょっと・・・」

やはり胡散臭すぎて
立ち上がろうとした穂乃花の手を
ぬっと老婆は掴んでぐいと引っ張った
ヨボヨボで哀れなほどにやせ細った身体からは
想像も出来ないほどに力強い

「貴女、悩んでいるんじゃない?」

「え・・」

どうせ当てずっぽうに決まっている
世の中悩みのない現代人のほうを探すほうが難しいだろう
占い師なんてやつは悩みのある人間を餌にして
それを食い物にするゴミみたいな連中だ
そんなことわかっているハズだ。子供の頃からテレビの占いコーナーなんて信じていなかった
今すぐにこの皺くちゃの手を振り払わなければならない
しかし、そうしなかったのは穂乃花の心の隙間が余りにも
ぽっかりと奈落のように広がってしまっていたからだ
老婆の鋭い声が、憐憫の眼がナイフのように突き刺さった
浮きかかった尻を再びパイプ椅子に沈める
少しくらいなら、話くらいなら聞いてもいいだろうと思った       

「あたしは占い師だからね
なんとなく、わかんのよ」

にやりと笑いながら手元にある茶褐色の
大きな瓶を傾けてグラスへと注いだ
琥珀色の液体をどぼどぼと注いで一気に呷る
酒・・・だろうか。よく見ると老婆の顔はほんのりとだが赤く染まっていた
仮にも接客業だというのに、破天荒すぎる性格だった

「けど・・・」

机の上にはその肝心要の商売道具である占いに
使う筈の道具が見当たらなかった
生憎と寡聞にして占い師については
詳しくはないが
穂乃花のイメージする彼ら、彼女らは
なにかしらの道具、例えば
タロットカードとか、虫眼鏡とか
あの名称のわからない大量の長い木の棒とか
水晶玉とかを使って
依頼主の悩みを聞く
そういうイメージがある
穂乃花の目線に気づいたのか
老婆は少し笑いを引っこめた

「大丈夫、あたしに必要なのは、これ」

おもむろに人差し指で眼に触れる

「・・・眼?」

「そう、あたしは見ただけで分かるの」

「はぁ・・・」

なにもいらないとは随分と安上がりだなという
如何でもいい感想がぱっと浮かんで消える

「さぁ、私の眼を見て」

「え・・・はい」

お互いがお互いを見つめ合う
老婆の顔はニコニコとした表情が取っ払われた真剣な表情で
今までとのギャップでなんだか緊張してしまう
長い長い年月を重ねた証である深く刻まれた皺の
一本一本がハッキリと、くっきりと網膜に映った
時間にしてたったの数分間だったが
老婆の吸い込まれるような真っ黒な眸を
凝視している内に時間の間隔がなくなっていって
まるで催眠にでもかけられたような気分に陥った

「ふーむ、なるほどねぇ」

先に静寂を破ったのは老婆の方だった
得心いったという顔
表情は元のニコニコとした表情に戻っている
少しほっとした

「男関係だね?」

「はい」

またグラスに琥珀色の液体を注いで呷る

「半年前から彼氏が冷たいと」

「・・・そうです」

まるで穂乃花と龍太の出会いから今までを
実際に見てきたように次々と言い当てていく

「辛かったねぇ」

老婆の語調は優しかった
情けなくも少し泣きたくなった
長い孤独で傷ついた心だ
不覚にも染みてしまったのも仕方ないことかもしれない

が、次に飛び出てきた言葉で
そんな感情は無残にも消し飛んだ

「そんな貴女にね、ピッタリの物があんのよ」

さっと机の下から小瓶を取り出した
中身は夏の青空を閉じ込めたような、見事な色彩の液体だった

「あの、その・・・私は・・・そういうのは、ちょっと」

警戒は拒絶へと完全に変化した
「詐欺師」穂乃花の中でその言葉が浮かんで警報を打ち鳴らす
だが此方の心中を察したのか、老婆は哄笑する

「大丈夫、だいじょーぶ!お金なんて取らないよ!
占い代だってタダだしね
あたしゃーね、そういうしがらみが嫌で
路上で生活しているわけよ」

「いや、でも・・・」

「薬に関しては信用してくれとしかいいようがないねぇ」

老婆がクルクルと小瓶を振ると
中の液体が揺蕩い、キラキラと輝いた

「けどお嬢さんが今、状況を変えたいというのなら
これを彼に飲ませてやんな」

結局勢いに負けて小瓶を握らされてしまった

「どーすんのよ、これ」

どうすることも出来まい。まさかこんな得体の知れないものを
本当に龍太に飲ませるというのか
まさか、そんな馬鹿なこと出来るわけがない
ポケットに小瓶を突っこむと深い深いため息を吐いた
どうにも昔から押しに弱いのは自分の悪い所だと反省する
高額な請求をされなかっただけ、マシなのかもしれない
腕時計を見るといつの間にか終電の時間が迫っていた
慌てて駅前に走った
今日のことは全部忘れてしまおう
だったら今すぐ小瓶を投げ捨ててしまえばいいのに
それもなんだか出来なかった

三日後、約二週間ぶりとなるデートは
龍太が最近のサークル活動で忙しく
疲れて遠くへ行けないという理由から近くの公園デートと相成った

本当は、県外の水族館に行く予定だったのだがそれでもいい
本当は嘘かもしれない。でもそれでもよかった
一緒にいられるのなら、それでもいいと思った

せっかくだから弁当でも持っていこうと
前日の夜に台所に向かって腕まくりする
仕事の日の食事は冷蔵庫のありあわせだったり
外食だったりするのだが
時間の有る休日だと暇つぶしに料理を
作るのが穂乃花の唯一の趣味だった

楕円形の箱が二つ
片方は薄い桜色
もう片方は桜色よりも大きくて藍色だった
どちらも真ん中で十字に仕切られており
それぞれに白米、茹でたブロッコリー。レタス。厚焼き玉子に
焼売に生姜焼き。切り分けたオレンジを詰めた 
久々の調理で少し手間取ってしまった
自信がないわけではなかったが
ちょっと不安だった
外食のほうが良かったと思われたらどうしよう
確かにプロよりかは圧倒的に劣る
だが愛情だけは込めてある・・・つもりだ
喜んでくれるといいのだが

ふと木製ラックに目を遣ると小瓶が置いてある
怪しさしかない代物だったが
綺麗だったので、何となくアンティークとして飾ったのだ
それが窓からの木漏れ日を受けて中身がキラキラと輝いていた
魅せられたようにじっと見つめて
無意識のうちに手に取ってしまっていた
ゆっくりとより近く、眼の前まで翳して凝視する

「けどお嬢さんが今、状況を変えたいというのなら
これを彼に飲ませてやんな」

老婆の言葉が想起され、頭の中で鳴り響く
状況。状況か
明日のデートのことを想像すると怖かった
数日前から龍太から送られたメールに記載されていた文章

「大事な話がある、当日直接話す」



一体なんの話なのだろう
嫌な予感しかしなかった

此方が予期していない、全く関係のない話かもしれない
もしかしたら、もしかしたら良い話かもしれない
例えば・・・結婚とか?だが龍太は大学生だ
有り得ない話ではないが、可能性は高くないと思う
それよりもやはり別れ話を切り出されるという嫌な予感に
思考が完全に支配されている
気がつけば、そのまま小瓶のコルクを開け
中身を弁当の仕切りの内の
焼売と生姜焼きと。厚焼き玉子とが敷き詰められた箇所の丁度
真ん中付近に振りかけた
思ったりも液体は粘性で
ゆっくりと、ドロリとおかずが浸されていき
やがて完全に染み込むと
たった今異物が混入した形跡など、微塵もなくなった

あぁ、やってしまった
すぐさま後悔の波が押し寄せる
捨ててしまおうか
捨てたほうが良いに決まっている
分かっているのに、なのになぜ自分は   
弁当箱の蓋を閉じ、鞄にしまっているのだろう

翌日、スマートフォンのアラームより早く目が覚めた
まだ寝ぼけたままの脳を食パンとホットコーヒーで
無理やりに叩き起こすと
念入りに化粧をして、最近買った中でも
一番のお気に入りの秋服に袖を通す
可愛い洋服・・・だとは思う
だがどうにも服に着られているという感が否めないが
今更悩んだところでどうにもならないだろう
喉元まで出かかったため息は既の所で噛み殺した
なにせデート前だ。陰気な雰囲気は少しでもないほうがいい
準備は滞りなく完了する
といっても、大事なのは鞄に入った弁当箱くらいで
後は特に持っていくものはない
身一つで行けるのが公園デートの良いところだといえる

二人の住んでいる場所は多少離れていて
K公園で待ち合わせすることになっている
K公園の面積は都内どころか日本最大規模を誇り
充実した遊具エリアは勿論
公園内を中心にして広がる湖はボートに乗れるほどに大きく
優に一万本を超える樹木は都会であることを
忘れるほどに豊富であり、森林セラピーに訪れる人間も少なくない
博物館や水族館。釣り堀、レストラン。乗馬体験も出来たりなど
多くの施設が複数存在していて
とにかく家族向き、そしてデート向きだといえるスポットだろう         
湖の見渡せるベンチに腰掛ける
待ち合わせの時間まではもう少し余裕があった
手持ち無沙汰で
ぼうっと空を見上げた           
抜けるような青空が広がっている
自分の心中とは正反対だとなんとなく思った                           

少しソワソワして鞄から手鏡を取り出して自分自身を見る
化粧は崩れていないだろうか
表情は硬くなってはいないだろうか
何回見たって鏡の中の自分は変わらない
益体もない行為だという自覚はあったが
暇な時間というものはなにかと余計なことをしてしまうものだ
手鏡と夢中で睨めっこを繰り返している内
頭の上から待たせてごめんという言葉が降ってきた
誰あろう龍太だった
慌てて手鏡を背中に隠して
そんなに待っていないよと軽く笑い
ベンチから立ち上がった
睨めっこの成果は多分、出ていない

なんとなく湖の周りを中心にして公園内の外周を二人で歩き
前述した施設内を順繰りに巡る
良く言えば満遍なく
悪く言えば中途半端に
広く浅く楽しんでいく

数刻後、少し疲れたので待ち合わせ場所であったベンチにまた腰掛ける
湖の丁度真ん中に鎮座する大理石の柱
その頂点には真鍮製の時計が置いてある
長針と短針はたった今頂点を指し示して
内臓されている音声がデジタルの鐘の音をリンゴンと響かせた

丁度いい時間だと鞄から弁当箱を取り出して手渡した
緊張しているのが自分でもはっきりとわかった
手先まで震えていたのを必死に抑える
なんの疑念も抱かず、龍太はありがとうと言って
生姜焼きを箸で摘まみ、口に運び、ゆっくり租借して嚥下した
次のおかずを求め、弁当箱に箸を突っこもうとしたが
突如藻掻き苦しみだし、喉を掻きむしる
バネのように仰け反り
獣のような咆哮をあげ、穂乃花の耳を劈く
唇の端からブクブクと泡と白米と生姜焼きの残骸がぼろぼろと零れ
顎と首に落下して、胸元を汚していく
瞳孔は見開き、焦点はどこにも合っていない
 
搔きむしりすぎて、爪で皮膚がざっくりと裂け、血が噴き出た喉から
手を離したと思うと、弾かれるように立ち上がった
足取りはまるで酔っ払いそのもの
千鳥足で動きに規則性がない
ふらふらと歩き回ったと思えば
今度は天に向かって両腕を突き伸ばした
それはまるで蜘蛛の糸を求めた罪人のように
必死に救済を求めているようだった

脈絡の全くない、狂気に囚われた行動
だがそれだけでは済まなかった
龍太の指先から黒い黴のようなものがポツポツと浮かび上がり
瞬く間に全身へと伝播していき
やがて真っ黒に覆われると
ボロボロになって崩れはじめた
悪夢のような場景
けれどはっきりと現実として存在しているという事実は
視覚が、聴覚が
頼んでもいないのにしっかりと脳髄へと届けてくる
どうすることも出来ず、穂乃花はこの惨状を
ただ呆然と立ち尽くしていた

死体のように固まっている内に秋風が立ち
湖面が幾重にも波紋を描く
樹木がそよいで
穂乃花の肌を撫でた                
龍太だった黒いものは吹き飛んで空に舞い散り
後には中身が崩れ、ぶちまけられた弁当の中身とその容器が
地面に無残にも転がっていた

しかし

「これ・・・なに?」

この快晴の空に浮かんだ、あの黒い靄のようなものは一体なんだろう
床に散らばった弁当の残骸はいったいなんだろう
そもそも私は一体ここでなにをしているのだろう
昨日、仕事から帰ってから、今までの時間がブチリと切れている
どういうことなのか、なにもわからなかった    
ただ空白の期間になにがあって、なにをしていたのか
わからないということが
こんなにも恐ろしいとは思わなかった
穂乃花はその場から逃げるように立ち去った

マンションに帰ればさらに不可解だった
買った覚えのないぬいぐるみや
行った覚えのない映画のパンフレット
使う機会のないはずのコンドーム
そんな預かり知らぬ物の数々が
棚や、床。部屋中の至る所に散見していた

中でも一番不気味だったのは
机に飾ってある写真建ての
幸せそうな笑顔の自分と、その隣の人間一人分の空白が写った写真  

恐ろしくて全部ゴミ箱に捨てた
頭が痛かった
記憶が抜け落ちている気がする
なにか、とても大切なことを忘れている
そんな気がするがどうしても思い出せなかった
ふと頬を伝っている生ぬるい水に気づく
それが涙であると認識するのに少しだけ時間を要した
悲しくもない、ましてや嬉しくもない
なんの感情も湧かないままに唯、泣いていた
空虚な涙は顎を伝って床に零れ
弾けて消えた

♢♢♢

太陽はとっくに沈み
夜の帳が下りている
空には月も星もない
頼りない街灯の真下
もう既にシャッターの降りたビルの眼の前に
小さな机が置いてあり、紫紺の布が被せられている
机上には四角い箱のようなものが飾られていて、淡い光を放っていた
良く見ると立て看板が置いてあり
占い館「真実の瞳」とでかでかと書かれていた

客はいないので
遠慮なく手元にある茶褐色の
大きな瓶を傾けてグラスへと注いだ
琥珀色の液体をどぼどぼと注いで一気に呷る
もっとも客が居ようが居まいが関係なく飲んでいただろうが
若い頃にあったはずの「遠慮」などというものは
とっくの昔に無くしている

あの若い女性はクスリを彼に飲ませただろうか
当然、老婆はクスリの効果を把握していたし
結果がどうなるのかわかった上で手渡していた
確信犯だった
問題があるのならば、不安があるのならば
根本から存在を消してしまえばいい
簡単なことだと老婆はクツクツと嗤う
次は誰を救おうかと思う
老婆は本気だった
悪意はない
寧ろ善意しか老婆の心にはない

遠くの方からカツカツと革靴の音が老婆の耳朶を打つ
眼の前に来た時、迷わず話しかけた
それはまるで、少女のような無邪気な笑顔だった
天使とも見紛うそれの中身は
その実、悪魔のような思考回路を持っているとも知らずに
サラリーマンは少し戸惑いながらも
ガタついたパイプ椅子に腰かけた
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