第1話
文字数 1,277文字
ちらちらと今にも掻き消えてしまいそうな蝋燭が、陰鬱な室内を少しでも明るく灯らせようと揺らめいている。
仄かな火の光を浴びて淡く輝く、右手で大事に握りしめている殺傷を目的とした刃渡り10cm程のナイフ。
暇さえあれば、何度も何度も磨き上げては切れ味を鋭くしていた。
少しでも油断してしまうと、弱気になりがちな心の隙間に潜り込もうと負の感情が押し寄せてくる。
でも、このナイフを眺めている間は、これを磨き上げている間は、幾分かは平穏でいられる。
光を放つナイフを持つ少年を正面から照らす蝋燭の火は、少年の後方に黒々とした不穏な影を生み出している。
これから暗澹な未来が差し迫っていることを暗示するかの様に、火の力は少しずつ弱まり色濃く染まっていく。
光が失われた世界で、遠目からでも視認できる揺らめく仄かな明かり。
それを目敏く見つけ、駆け寄っていく一つの個体。
その先に居るであろう、命の灯火。
闇が光を。
静穏を怒号が。
好機を瞬間を狙いすまして息を潜めていた。
突如、甲高く響き渡る窓ガラスが砕け散っていく音。
飛び散る破片と共に、古びた家屋に飛び現れてきた一つの存在。
赤黒い粘着質の液体を滴らせた禍々しい凶器を片手で握りしめ、くり抜かれた様な真っ黒い眼窩が奥深く見える狂気に満ちた仮面を被り、血飛沫を浴びて疎らな赤黒い血液が至る所に染み込んだ服を着た輩。
生気の宿らない虚ろな瞳が映しこむモノは、それと対峙している少年の姿だった。
早鐘を打つかの様に心臓が激しく脈打ち、粘り気を帯びた汗がぽつぽつと全身に吹き出てくる。
緊張と手のひらにできた汗で、掌で握りしめていた命の次に大切にしていた拠り所を滑り落としてしまった。
ナイフが転げ落ちたのに、目の前に佇む異端な存在に視線を奪われて身動き一つ取れない。
荒い息遣いだけが、静寂を破るようにこの世界で音を発していた。
時間にして数秒の刹那。
この事態を打開する為の手がかりを思い出そうと脳の中を駆け巡り、記憶の蓋が開け放たれる。
半生を振り返るように映り出されていった、走馬灯の様に駆け巡っていく思い出。
怒涛のように溢れかえった記憶の中には、何一つこの瞬間で巧く立ち回る為の術はなかった。
目元は涙で滲んで視界がぼやけてきたし、心は重圧で押しつぶされて今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
弱々しかった蝋燭の火は力尽きたように忽然と明かりを絶やし、真っ暗な空間に切り替えてしまった。
闇が拍車をかけたように恐怖を集って語りかけてくるけど、命乞いだけはしない。
これが今できる精一杯の抗いなんだ。
床に散らばったガラス片を踏み潰す音が嫌でも耳に届いてくる。
不快音が一つ、また一つと聞こえてくる度に目の前の輩が近づいて来ているのが嫌でも分かる。
怖くない。
だから笑える。
怖くない。
だって笑えてる。
怖くない。
だって今、笑っているんだから。
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