第1話

文字数 458文字

「日本中のソメイヨシノは全部同じ遺伝子なんだって」
柔らかな春風に可奈子の前髪が揺れる。
「なのに何でそれぞれ違う表情に見えるのかな。不思議」
可奈子はそう言ったそばから、自ら口にした不思議などどうでも良くなったような大きな伸びをして「お腹すいた、ご飯いこ」と僕の右手を引いた。

ブラウスの袖口から見える可奈子の左手首には無数の傷があった。
僕の視線に気づいたのか、可奈子は歩く速度をふと落として「この子が好き」と頭上を覆うようにして伸びた枝の一つを指さした。
隣に並んでそれを見上げた。
歩道上に張り出した枝についた花はまばらで、もっと見栄えのする木が周りにあるのに、と思っていると
「みんな同じように可愛がられるといいね」
と可奈子が言った。

あれから4度目の春が来た。
いつぞやの歩道で、満開の桜を見上げる。
隣にもう可奈子はいないけど、この季節になると、穏やかにも物憂げにも見える可奈子の横顔を思い出してしまう。
ふいに風が吹いた。
宙を舞う淡いピンクの花びらが、可奈子と一緒に見たそれと同じだということが、僕にはやはり不思議に思えた。

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